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飯山城

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飯山城

 

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場所

 

築城年 1558-1570?頃に廃城
築城者 飯山氏

 

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高山盆地にせり出してくる大地の先端には古墳や城がそこかしこにあるのだけれど、三木氏に永禄年間(1558年〜1570年に落とされて廃城になった城。

 

現在の飯山寺が城の一部であるのなら、山に抱かれたような構えの鎌倉、南北朝時代の城にも見えるが、遺構はないとのこと。

 


広瀬城

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広瀬城

 

築城年 不明 ?
築城者 広瀬氏

 

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場所

 

 

飛騨の中世城郭といえば広瀬城なのだけど、冬が来たり夏が来たりして行かずじまい。高山の生活も、カフェを根城にしながら、半弓道場やらファシリテーターの仕事と、出城を作るような状況だったのだけど、実際の城攻めはできずにいた。

 

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高山祭りも終わって、隣町の古川が賑やかになり、つかの間の静けさが訪れたため、店を妻に任せて娘と城攻めするチャンスがようやく訪れ、何度も近くを通り過ぎ、いつかいつかと思っていた広瀬城に攻め上った。

 

登城。

 

松倉城や高山城を除けば、広瀬城はゆったりかつ堅固な縄張りの、飛騨の拠点的城郭であることが窺い知れ、

 

真ん中の主郭(?)の西の尾根を分つ堀切、
西側の郭の北側に配された畝状竪堀、
各曲輪に配された帯曲輪、
西側の曲輪に続く尾根筋の堀切

 

なんかは見応えがあった。今までたくさんの中世城郭を見てきたけれど、立派立派。

 

ただ、

 

飛騨が戦国期もある意味時代に乗り遅れ、三木氏が統一を果たしたのは戦国も末期で天下のケリは大方ついていた時代。その山深い土地の小競り合いがようやく落ち着いたと思ったら、秀吉が抱える軍団の小さな支隊のような金森長近にこの城に篭った三木氏も滅ぼされてしまう。。

 

つい先日まで名古屋資本だった城の麓のスーパーが、富山資本のそれに変わったり、登城口近くの廃業した酒屋の姿なんかを思い出しながら、大勢力や中央の動静に振り回される飛騨と何か重ねて考えたりしました。

 

娘はスヤスヤ眠っておりました。

 


大垣城

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築城年 明応9年(1500年)?
築城者 竹腰尚綱

 

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場所

 

大垣は、ムーンライトながらの終着駅だったりして、馴染みはあったのだけれど、次の目的地に急いでしまったりで、いつも忙しなく通り過ごしたり、朝早すぎたり夜遅すぎたりし、目と鼻の先の大垣城に行けずじまいだった。

 

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ようやく登城。

 

登城というより、水堀を幾重にも重ねた平城だったようで、すすす、と商店街の脇から店主に近づけてしまった。

 

維新後、お城の役割を終えて以降は、周囲の曲輪は公共施設(学校、役場、各種官庁)が入り、市街化整備でいろんなものが埋め立てられ、水堀も流れが変わったり、あん許可が進んだのだろう。お城としてのぱっと見は、正直なところ見る影もない。

 

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が、余裕を持って街を散策すると、現在の駅前からすぐあたりから、国道1号線に変わった中山道近くまで、ずわーんとお城だったことがわかる。水を引き込み、幾重にも堀を配し、ただの平城というより、総構えレベルだったかと思う。

 

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総構えでおなじみの松本城は、天守が立派なのと現在の市街中心地から程よく離れていたこともあり絵になるけれど、

大垣城はビルの間のラーメン屋のような有様で少々切ない。が、大垣城の縄張りを歩いて実感でき、今後も貧乏暇ありで、ムーンライトながらのお世話になることを考えると、大垣城を見直すことができ良かったと思う。

 

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現在の大垣市は、大垣城より松尾芭蕉をフューチャーしている様子だけれど、一昔前は、大垣城の旧城域をウォーキングコースにしていたり、ゆるーく支援していた様子。おかげで、城域や各拠点などが飲み込めた。ぜひぜひ鉄道の乗り換えついでに皆さんにも出かけていただきたいなぁ。


中山城

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中山城

 

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場所

 

築城年 室町時代?
築城主    岡本豊前守

 

鍋山城攻略時に靴がグズグズになってしまい、なんちゃってクロックスで見物に出かけたけれど、ちょっと甘かった。。。遺構は国道41号線に面した小山の二つのピークに残っているようだけれど、そのピークに抱かれた畑あたりで城見物は断念。

 

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左右(南北)の郭を結ぶ土橋。。。まではいかないけど痩せ尾根、向こう側には保育園があるよ。

 

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南の山は等高線を描くような段々ができているけれど、遺構というより、段々畑が山林化したものと考えた方が良さそうだ。


畑館

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畑館

 

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場所

 

築城年 室町時代初期?
築城主    畑氏

 

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高山市の江名子地区は、美女峠を越え、朝日や高根地区を抜ければ、野麦峠や長峰峠を越えて木曽に迎える土地、今は廃れてしまったけれど、旧木曽街道が走っており、その街道に沿って、睨みをきかせるというより、ズドンと構えていた館跡です。往時は水堀やらに挟まれた土地と記載がありますが、居館的性格を持ち合わせて地勢に位置しています。

 

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三木氏に臣従し、武勇名高い武将だった畑休高が、松倉城の籠城戦の際、金森家の家臣に一騎打ちで討ち取られてしまい、籠城側の士気を大きく削がれてしまったそうです。彼を追悼する碑が立っています。

 


鍋山城

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鍋山城

 

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場所

 

築城年    天文年間
築城主    平野豊後守安室

 

血塗られた飛騨の戦国時代の一ページの舞台、鍋山城に行ってみました。

 

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武田や上杉、織田のような勢力が大勢力化してゆく16世紀後半、飛騨では小さな勢力がしのぎを削りあって統一が遅れ、大勢力は彼らの相剋を利用して飛騨に侵入、そして併呑。外の力を利用し、恨みつらみを内包しながら強引に飛騨を統一した姉小路/三木氏も秀吉時代になった時の勢力図のオーバーラップで金森氏に追われるという歴史をたどりつつ、飛騨は江戸期に突入、雪深い山岳地帯であったがため、そういった歴史は、現在の飛騨それぞれの地域性や人の考え方にもかすかに残っているように感じます。

色々あったにせよ金森氏がありがたがられるのは、わさわさしていた状況をがツーンと落ち着かせ、その後、飛騨がたことにあるかもしれません。

前置きが長くなりましたが、鍋山城。

 

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Google Mapで四天王社を目指してください。細道になりますが、境内の脇に車を停めるスペースがあります。その脇に獣避けの鉄柵と扉があり、「鍋山城へ」の表記。しばらくなんでもない(いや本丸まで?)山歩きとなりますが、林道などと合流しつつも頑張って登ってみてください。そうすると二つの山に抱かれた谷のような箇所があり、そこからさらに登ってゆくルートがあります。

 

正直、山歩きとしては楽しいのですが、金森氏が高山城を築く前に拠点として使ったような技巧は感じられず。残念。三仏寺城や松倉城を見物した後ではちょっと頼りなかったです。

 

 

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鍋山城は街道が交差するような場所からは少し外れている上、城の周辺の土地の広がりは、松倉城や高山城に比べて頼りなく、廃城になったのもやむを得なかったかもしれません。

 

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堀切

 

本丸方面は問題ないのですが、出丸方面の間伐が過激に勧められており、雪が降ったこともあって、攻め登るのに難渋しました。見所は、本丸に僅かながら残る石積みと、石積みに接した箇所に残った土塁、他の城ブロガーの諸先輩方が記載されているように、出丸方面の堀切と、出丸と本丸をつなぐ細い土橋でしょうか?

 

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道無き道を這い上っていると、ニホンカモシカに出会ったりなかなか楽しかったですよ。ポールやストックを持って登城されることをお勧めいたします!


鮎崎城

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鮎崎城

 

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場所

 

築城年 不明
築城主    鮎崎氏?

 

天正13年(1585年)羽柴秀吉の命によって、飛騨に攻め込んだ金森氏はここに陣を構え、姉小路/三木氏最後の拠点、松倉城を攻めたそうです。

 

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現在の鮎崎城は北山公園と名前を変え、公園の半分は軍人墓地となっており、明治以降の石積みでガッチリと固められ静かな佇まい。公園化が進んでいて、往時の城の雰囲気は想像の翼を広げるしかありませんが、三仏寺城、鍋山城、松倉城、中山城、上枝城など、高山盆地の中心の見晴らしの良い場所に位置しており、宮川と大八賀がに挟まれた要害で、崩落防止やら、崖だよーな地形。中世に城がないわけがない場所。

 

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本丸で、熟れきった銀杏の上下からの攻撃に遭ったけれどいい気分。


三仏寺城

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三仏寺城

 

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場所

 

築城年 平安末期
築城主    平時輔

 

飛騨で最も古い城郭の一つということと、この近くの現在は「三福寺」という在になっている方からご紹介いただき、登城ルートなどもあっさりわかってありがたい。その三福寺在住の方は、うちのお店に来てくださって以来、トラックを貸していただいたり本当によくしていただいているのですが、「飛騨の歴史」などの本に加え、なんと「飛騨の城」という本をお貸ししてくださって、城熱復活なのです。

 

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最近は雪が時々降るようになり、城めぐりもなかなか難しくなっていきそうですが、本当に色々な方に世話になり、飛騨最高!もうこうなったらスノーシュー履いて、空堀やら竪堀やらに突っ込んでいこうと思います。

 

さて、三仏寺城。三福寺という地名や、三福神社とどのような関係になっているのかは、また後で勉強することにして、歓喜寺から案内に従って、擬木できっちり整備された登山道を登っていくこと10分。典型的な連郭式山城が現れます。武田家の侵入まで城主をいただいていた城で、現在の高山の中心地がある平かな場所と、丹生川方面の信濃地方からの交通に睨みを効かせられるよう、尾根にいくつもの削平された曲輪が残っています。

 

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曲輪に土塁の高みなどが残っていれば。。。と思ったのですが、見る限り、腰曲輪などが配されている程度で、たくさんの郭が連結している以外に、技巧はそれほど感じられませんでした。

 

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でもまあ、その辺りの細かい城用語は抜きにして、案内板にも記載されている、木曽義仲に攻め落とされた、という記載や武田氏の侵攻時に城主が火をつけたなどというのは、濃淡はあれど、平安末期から、戦国末期までこの城がなんらかの役割を果たしていたとも言え、なんとなく程度の使われ方としても、400年間は現役の城だったんだなぁ、なんて思いながら、松倉山の方を眺めながら、思いに耽りました。

 

お城に興味のない方でも、気持ち良いトレッキングルートかと思います。城へ続く道の細さと頼りなさがまた良い!

秋から冬にかけ、見晴らしが良くなる季節には、鍋山城や鮎崎城、高山城、松倉城を見渡し、なぜか餃子の「王将」を城の上から罰当たりですが見下ろすこともできます。
 


松倉城

 

 

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松倉城

 

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場所

 

築城年 1579年 天正7年
築城主  姉小路(三木)自綱

 
細かい記述はしっかりしたブログにお任せすることにして、織豊時代に信長方となった飛騨の姉小路(三木)自綱の城。信長の死の混乱の中で飛騨を統一した三木氏でしたが、佐々氏と宜を結んでいたために、秀吉の家来である金森氏に責め立てられ、この城の築城から6年後の1585年(天正13年)に滅亡しています。

 

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金森氏は、不便な松倉山を見限ったのか、標高が低い現在の高山城に築城し領国経営を始め、松倉城は廃城となったようです。

 

軽い気持ちで出かけたのだけれど、後ろを歩いている妻を放置プレイしてしまうくらい感動的な石垣が現れ、織豊時代とはいえ、これだけの石垣の城が築かれるって、飛騨は山国とはいえ、京都や当時の日本の中枢に近いわー。となんだか深く感じ入ったのでした。

立派な石垣の割に、周囲の縄張りが貧弱なのを「飛騨の人口が少なかったため」守り手が控えられる曲輪群が必要なかった。。。という記述を残しているブログも見かけましたが、その通りかもしれません。

 

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飛騨の国盗り物語の過程で、激しく国人衆をひねり潰して行った三木氏はなんだか今の飛騨高山であまり人気がなく、金森氏が一番親しみを持って語られるような気がしますが、松倉城の石垣とそこからの北アルプスの眺めは天下一。飛騨の城巡りを始めるにあたり、一番美味しい城を真っ先にせめおとしがことで後々後悔することになるかもしれないけれど、初めて訪れた時の感動や、連れて来た外国の友人がことごとく喜んでくれるだけで、今後も飛騨の宝になってゆくでしょう。


 


小出城

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小出城

 

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場所

 

築城年 鎌倉時代後期
築城主    小井弖氏(こいで)

 

下調べの段階で、なかなか良さそうだったけれど、近づくにつれて漂ってくる典型的な中世城郭臭がビンビンな地形にうっとり。

 

伊那谷の中世城郭は天竜川の河岸段丘沿いに点在しているけれど、この小出城は、天竜川に注ぐ支流が形成した自然の谷と空堀を組み合わせた縄張りで、やんわりとした主郭な割に、南側河岸の断崖は切り立っているし、東西の堀切もくっきり。現在はだらりと油断した印象のある北側にも、自然の谷をさらに加工した堀が走っていたと主郭の案内板にある。

 

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一番ビリビリきたのは、城の西の連続空堀/二重堀切。正直、正直。。ノーマークな城だったけれど、すごい。鋭い角度ののまま堀切が、ズドーント南の谷に落ちていく。これは、東側からの攻め手もたまらない。

 

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ということでエア攻城は東の高みから。。。と思い、遺構的なものを探ししてフラフラしていると

 

「何してるの?」

 

とどちらかというと不審者を咎めるようなお声がけ。どうやら地元、それも土地の所有者の方。

 

「木曽から出てきてお城を見て回っており、立派な堀切に驚いている。」「伊那の城は皆こんなに立派なの?」なんて逆質問。

 

整備された主郭で、地元の方と草刈りをしたりした方のようで、市議会議員さん。主郭で見た地図に「堀」という地名があったがとお聞きすると、権兵衛トンネルを掘った土で埋めてしまったとのこと。今考えるともったいないが、薬研堀のような鋭角な堀だったそうだ。このあたりは字が「城」で議員さんのご実家の屋号にもなっていたとのこと。こちらの名刺は先月で役目御免となった木曽の観光関連の名刺なのだけれど、その旨伝えた上で交換させていただいた。

 

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さあ、エア攻城。

 

木曽運び屋軍団としては、弱点は高所である西側と台地が繋がっている北側から飛び道具を浴びせながらジワジワと一つの郭を慎重に落としながら攻略する。小出城の城兵は、ちろちろ少数で打ちかけてくるが、まとまりがなく他愛がない、それらの敵を各個撃破し、本丸に運び屋軍団の旗を打ち立てる。

 

 

 

なぜだ?小出城。いくら弱点から攻めたとはいえ。。そうか、城の名前が小出じゃないか。兵力を小出しにするのは、戦の悪手。嗚呼、この城は自ら呪いをかけてしまったようだ。


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