calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

categories

archives

メールとTwitterアカウント

courier_jpn☆hotmail.co.jp

☆を@に変えて!



Twitterアカウントはcourier_JPN

末森城

 

 

 

末森城

 

築城年 不明
築城者 土肥親真か

 

場所

 

のとじま水族館に娘と二人で向かったのだが、途中の道で強めなアピールをしているこの末森城の看板を見かける。末森城といえば、名古屋、いや尾張の末森城を思い出す。しっかり曲輪を区画する空堀が残って、よくもまあこんな町中にしっかりと。。なんていう好印象があって、思わず矢印が示す城に向かってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

城の駐車場に着いて、ふと娘を抱き抱えて家を出発したことで、靴を履かせておらず、靴を買わねば。。と思っていたことを思い出す。

仕方がないので、肩車して主郭を目指す。

 

 

私有地との表記があるものの、城の整備や登城道ルートを含めた末森城がある一帯を里山の風景として大事にしようという気持ちがビシビシ伝わる。

 

 

縄張りは、ごくごく一般的な中世古城といった面持ち。ゆったりしてはいるけれど、見上げるような土類や、来る敵を頑として拒むような厳しさは感じられなかった。

 

 

ようやく本丸。

 

 

娘をトタン板に置いて、日本海を望む。


七尾城

七尾城



築城時 
16世紀前半

築城者 畠山氏





守護大名の居城に相応しく、




ゆったりと削平された郭の連なりは、風雪にも耐え、遺構も明瞭。




上杉謙信に攻め落とされて500年経っても威風堂々としていた。




ひたすら感動していると、気脈が通じたのか、カモシカがじっと僕と娘のことを見ていた。
七尾から富山までなんてすぐだと思ったら、恐ろしく長かった。




そもそも、末森城がある羽咋から七尾までは脊梁が絶えるというか、際立った高低差がなく、峠もないまま能登の西から東に辿り着けることに驚いたり、七尾が思いの外大きい町だということを知れたりしてよかった。



富山湾側の七尾に国衙や国分寺が置かれたのも納得した。







小松からの長いドライブは房総半島のどこかを走っているような気がする景色で、運転時間のこともあって、七尾の町は館山みたいな立ち位置かなぁとも思ったが、地図を見ると能登半島はまだまだこれからといった感じで、七尾を房総半島の館山に見立てようとした考えは改め、木更津や富津辺りが相応しいかと思った。




石垣を見上げる感じが米子城なんかを想起させたけれど、麓の町との比高は全然米子城より高く、それでいて堂々たる区画、朔平された場所があり風格たっぷり。




何度も繰り返したくなるが、守護大名の居城に相応しい!

獅子ヶ城

 

獅子ヶ城

 

場所

 

築城年 治承年間(1177〜1181)
築城者 源披

 

 

カフェ巡りしている最中に、カフェのご主人から案内されて伺った城。先日長野城を満を侍して訪問したのと違い、なんの事前知識もなしに訪問したからこそ、大感動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近所の岸岳城を訪問したのは、なんと15年前。

 

今回は、娘と妻を連れ立って登城したけれど、別格の匂いを漂わす素晴らしい中世古城に心を鷲掴みにされたのか、駐車場から本丸まで、文句ひとつ言わず3歳児が楽しんでくれた。

 

 

15年前の記憶の岸岳城と似通っているのは、石切場のようにがっつりと区画されて明瞭な堀切。特に井戸曲輪と二の丸の間。

家族を連れているのも忘れ、「すごいすごい」と騒ぎ続けてしまった。


長野城

 

長野城

 

場所

 

築城年 保元2年(1157)
築城者 平康盛
    
小倉を通り過ぎるたびに頭を下げ、

「次回こそお邪魔します、次回こそ。。」

と10年間、言い続けてきたお城、

長野城に行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駐車場から20分は歩かされ、そこから主要部へはロープでよじ登るような山城で、娘を連れて登ってみようかなんて思っていた自分に馬鹿野郎。

 

 

城の周囲に掘られた、日本一とも言われている畝状竪堀群は恐ろしい数だったけれど、本丸や二の丸の削平された区画は意外と頼りなく、飛騨国府、シマヤの背後の広瀬城くらいで意外と頼りなかった。


飯山城

IMG_20190419_153318.jpg

 

飯山城

 

スクリーンショット 2019-04-20 8.28.06.png

場所

 

築城年 1558-1570?頃に廃城
築城者 飯山氏

 

IMG_20190419_153310.jpg

 

IMG_20190419_153253.jpg

 

IMG_20190419_153248.jpg

 

高山盆地にせり出してくる大地の先端には古墳や城がそこかしこにあるのだけれど、三木氏に永禄年間(1558年〜1570年に落とされて廃城になった城。

 

現在の飯山寺が城の一部であるのなら、山に抱かれたような構えの鎌倉、南北朝時代の城にも見えるが、遺構はないとのこと。

 


広瀬城

IMG_20190419_145948.jpg

 

広瀬城

 

築城年 不明 ?
築城者 広瀬氏

 

スクリーンショット 2019-04-19 22.21.34.png

場所

 

 

飛騨の中世城郭といえば広瀬城なのだけど、冬が来たり夏が来たりして行かずじまい。高山の生活も、カフェを根城にしながら、半弓道場やらファシリテーターの仕事と、出城を作るような状況だったのだけど、実際の城攻めはできずにいた。

 

IMG_20190419_144029.jpg

 

IMG_20190419_144849.jpg

 

IMG_20190419_142514.jpg

 

IMG_20190419_143556.jpg

 

IMG_20190419_145401.jpg

 

 

IMG_20190419_143044.jpg

 

IMG_20190419_143005.jpg

 

IMG_20190419_142514.jpg

 

 

高山祭りも終わって、隣町の古川が賑やかになり、つかの間の静けさが訪れたため、店を妻に任せて娘と城攻めするチャンスがようやく訪れ、何度も近くを通り過ぎ、いつかいつかと思っていた広瀬城に攻め上った。

 

登城。

 

松倉城や高山城を除けば、広瀬城はゆったりかつ堅固な縄張りの、飛騨の拠点的城郭であることが窺い知れ、

 

真ん中の主郭(?)の西の尾根を分つ堀切、
西側の郭の北側に配された畝状竪堀、
各曲輪に配された帯曲輪、
西側の曲輪に続く尾根筋の堀切

 

なんかは見応えがあった。今までたくさんの中世城郭を見てきたけれど、立派立派。

 

ただ、

 

飛騨が戦国期もある意味時代に乗り遅れ、三木氏が統一を果たしたのは戦国も末期で天下のケリは大方ついていた時代。その山深い土地の小競り合いがようやく落ち着いたと思ったら、秀吉が抱える軍団の小さな支隊のような金森長近にこの城に篭った三木氏も滅ぼされてしまう。。

 

つい先日まで名古屋資本だった城の麓のスーパーが、富山資本のそれに変わったり、登城口近くの廃業した酒屋の姿なんかを思い出しながら、大勢力や中央の動静に振り回される飛騨と何か重ねて考えたりしました。

 

娘はスヤスヤ眠っておりました。

 


大垣城

IMG_4952.JPG

 

築城年 明応9年(1500年)?
築城者 竹腰尚綱

 

スクリーンショット 2019-04-19 16.50.55.png

場所

 

大垣は、ムーンライトながらの終着駅だったりして、馴染みはあったのだけれど、次の目的地に急いでしまったりで、いつも忙しなく通り過ごしたり、朝早すぎたり夜遅すぎたりし、目と鼻の先の大垣城に行けずじまいだった。

 

IMG_4951.JPG

 

IMG_4956.JPG

 

ようやく登城。

 

登城というより、水堀を幾重にも重ねた平城だったようで、すすす、と商店街の脇から店主に近づけてしまった。

 

維新後、お城の役割を終えて以降は、周囲の曲輪は公共施設(学校、役場、各種官庁)が入り、市街化整備でいろんなものが埋め立てられ、水堀も流れが変わったり、あん許可が進んだのだろう。お城としてのぱっと見は、正直なところ見る影もない。

 

IMG_4955.JPG

 

IMG_4961.JPG

 

が、余裕を持って街を散策すると、現在の駅前からすぐあたりから、国道1号線に変わった中山道近くまで、ずわーんとお城だったことがわかる。水を引き込み、幾重にも堀を配し、ただの平城というより、総構えレベルだったかと思う。

 

IMG_4967.JPG

 

IMG_4971.JPG

 

総構えでおなじみの松本城は、天守が立派なのと現在の市街中心地から程よく離れていたこともあり絵になるけれど、

大垣城はビルの間のラーメン屋のような有様で少々切ない。が、大垣城の縄張りを歩いて実感でき、今後も貧乏暇ありで、ムーンライトながらのお世話になることを考えると、大垣城を見直すことができ良かったと思う。

 

IMG_4972.JPG

IMG_4979.JPG

IMG_4960.JPG

 

現在の大垣市は、大垣城より松尾芭蕉をフューチャーしている様子だけれど、一昔前は、大垣城の旧城域をウォーキングコースにしていたり、ゆるーく支援していた様子。おかげで、城域や各拠点などが飲み込めた。ぜひぜひ鉄道の乗り換えついでに皆さんにも出かけていただきたいなぁ。


中山城

IMG_4893.JPG

 

中山城

 

スクリーンショット 2017-12-09 14.14.54.png

場所

 

築城年 室町時代?
築城主    岡本豊前守

 

鍋山城攻略時に靴がグズグズになってしまい、なんちゃってクロックスで見物に出かけたけれど、ちょっと甘かった。。。遺構は国道41号線に面した小山の二つのピークに残っているようだけれど、そのピークに抱かれた畑あたりで城見物は断念。

 

IMG_4888.JPG

 

IMG_4893.JPG

左右(南北)の郭を結ぶ土橋。。。まではいかないけど痩せ尾根、向こう側には保育園があるよ。

 

IMG_4896.JPG

 

IMG_4890.JPG

 

南の山は等高線を描くような段々ができているけれど、遺構というより、段々畑が山林化したものと考えた方が良さそうだ。


畑館

IMG_4802.JPG

 

畑館

 

スクリーンショット 2017-12-07 23.27.26.png

場所

 

築城年 室町時代初期?
築城主    畑氏

 

IMG_4808.JPG

 

高山市の江名子地区は、美女峠を越え、朝日や高根地区を抜ければ、野麦峠や長峰峠を越えて木曽に迎える土地、今は廃れてしまったけれど、旧木曽街道が走っており、その街道に沿って、睨みをきかせるというより、ズドンと構えていた館跡です。往時は水堀やらに挟まれた土地と記載がありますが、居館的性格を持ち合わせて地勢に位置しています。

 

IMG_4804.JPG

 

三木氏に臣従し、武勇名高い武将だった畑休高が、松倉城の籠城戦の際、金森家の家臣に一騎打ちで討ち取られてしまい、籠城側の士気を大きく削がれてしまったそうです。彼を追悼する碑が立っています。

 


鍋山城

IMG_4725.JPG

 

鍋山城

 

スクリーンショット 2017-12-07 10.50.27.png

場所

 

築城年    天文年間
築城主    平野豊後守安室

 

血塗られた飛騨の戦国時代の一ページの舞台、鍋山城に行ってみました。

 

IMG_4727.JPG

 

武田や上杉、織田のような勢力が大勢力化してゆく16世紀後半、飛騨では小さな勢力がしのぎを削りあって統一が遅れ、大勢力は彼らの相剋を利用して飛騨に侵入、そして併呑。外の力を利用し、恨みつらみを内包しながら強引に飛騨を統一した姉小路/三木氏も秀吉時代になった時の勢力図のオーバーラップで金森氏に追われるという歴史をたどりつつ、飛騨は江戸期に突入、雪深い山岳地帯であったがため、そういった歴史は、現在の飛騨それぞれの地域性や人の考え方にもかすかに残っているように感じます。

色々あったにせよ金森氏がありがたがられるのは、わさわさしていた状況をがツーンと落ち着かせ、その後、飛騨がたことにあるかもしれません。

前置きが長くなりましたが、鍋山城。

 

IMG_4736.JPG

 

IMG_4739.JPG

 

IMG_4744.JPG

 

IMG_4748.JPG

 

IMG_4752.JPG

 

 

Google Mapで四天王社を目指してください。細道になりますが、境内の脇に車を停めるスペースがあります。その脇に獣避けの鉄柵と扉があり、「鍋山城へ」の表記。しばらくなんでもない(いや本丸まで?)山歩きとなりますが、林道などと合流しつつも頑張って登ってみてください。そうすると二つの山に抱かれた谷のような箇所があり、そこからさらに登ってゆくルートがあります。

 

正直、山歩きとしては楽しいのですが、金森氏が高山城を築く前に拠点として使ったような技巧は感じられず。残念。三仏寺城や松倉城を見物した後ではちょっと頼りなかったです。

 

 

IMG_4793.JPG

鍋山城は街道が交差するような場所からは少し外れている上、城の周辺の土地の広がりは、松倉城や高山城に比べて頼りなく、廃城になったのもやむを得なかったかもしれません。

 

IMG_4797.JPG

堀切

 

本丸方面は問題ないのですが、出丸方面の間伐が過激に勧められており、雪が降ったこともあって、攻め登るのに難渋しました。見所は、本丸に僅かながら残る石積みと、石積みに接した箇所に残った土塁、他の城ブロガーの諸先輩方が記載されているように、出丸方面の堀切と、出丸と本丸をつなぐ細い土橋でしょうか?

 

IMG_4796.JPG

 

道無き道を這い上っていると、ニホンカモシカに出会ったりなかなか楽しかったですよ。ポールやストックを持って登城されることをお勧めいたします!


| 1/31PAGES | >>