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PERSEPOLIS




シラーズからタクシーで45分。



アケメネス朝のダレイオス一世により建築が始められた、
紀元前500年ごろの遺跡です。



宗教的で王朝の重要な儀式が行われた宮殿であったため、
当時の人々の生活が香るような遺跡ではないのですが、

巨大な石柱や堂々たる正門跡など、大帝国を象徴する遺物が残り、
西はアルメニアやエチオピアからの朝貢の使者のレリーフを眺めると、
アケメネス朝がこの地を覆うような広大な版図であったことが
伝わってきます。



また、拝火教(ゾロアスター教)が国教であったことや、
東ローマ帝国を下し、その皇帝を捕虜にしたことなどもうかがい知れます。

ペルシャ民族はイスラム発生のはるか1000年前に大帝国を築き、
このような文明を生み出し、実際にイスラム文明と呼ばれるものの
ほとんどはイラン/ペルシャを源泉としています。

にも関わらず、

イスラム教がアラブ(アラビア語)を正統とする宗教なため、
どうしても主流になれないイラン人。

こういう遺跡を歩くと、イラン人(ペルシャ人)がアラブ人と
いっしょくたにされるのに目の色を変えたりするのも納得できるのでした。



車で10分のナグシェロスタムのレリーフも秀逸でした!

SHIRAZ



日本の4.5倍の面積のイランですが、乾燥地帯が大部分を占めています。



可住地が少ないためか広大な国土にもかかわらず、都市に人口が集中し、
空を飛んでも、列車で移動して感じる広々としたイランとは正反対な
非常に息苦しい感じを訪問してきた都市で感じています。

このシラーズもテヘラン、イスファハン、ヤズド同様。
奥行を感じさせるなかなかの大都市なのですが、中心部は
メトロ(!)の工事を進めていることもあり、非常に窮屈な感じです。

ペルセポリスをはじめとするイラン屈指の観光地なのですが、
観光地より、地方の中核都市として人やモノが集まってきている
印象の方が強いなあ。



夜行でイスファハン入りしてから、休むことなしに観光したり、
していたこともあり、キャリームハーン城塞とマスジェデヴァキール、
バザーレヴァキールを観て回ったあたりで、電池切れ。

これから先も長いので、ホテルに戻りました。

で、ベッドに座って一日のことをまとめようとPCを立ち上げたあたりで、
記憶が飛び、電気をつけたまま朝まで爆睡。

気がつくと、メモ帳に旅にまとめていた旅日記の半分くらいが、

kjll;kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk:::::
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みたいに上書きされてしまっていた上、寝ぼけていたこともあり、
起きた時に保存してしまった。。。

ううううんん。。

長めの旅をする時は、ある程度は体力を温存して次の日に備えるべきだな。

いや、すべてのことに言えるか・・・・。

TEHRAN






鉄道駅に荷物を預け、テヘランを散策します。



休日ということもあって、悪名高い交通マヒも
さほどでもなく、どこかまの抜けた感じの町を歩き地下鉄駅へ。



TALEGHANI駅を降りたら、

旧アメリカ大使館の目の前。



「DOWN WITH USA」

をはじめとした、アメリカへの怨嗟の言葉や
絵が壁に描きなぐられています。



絵の描写力と言えば、よく小学校の壁とかを
子供たちが卒業記念とかでペイントしますが、
それと同じレベルですね。(中野X中とか。。。)



テヘランでは珍しい日本食レストランへ。

キャビア寿司なるものが名物なので、頼もうとすると
169,000リエル。。。

おい、2000円かよ。。。

ザギンでシースー? ランテヘでビアキャ?

2000円というと、カッパ寿司換算で20皿か。。。

20皿も食ったら、

指と指の間に水かきができるくらい食えるんだが。。。

まあいい。。。せっかくここまで来たんだ。



2000円

うーん。

たいして旨くないぞ。。。。そもそもシャリが。。。




YAZD



砂の海が遥かのかなたで空に溶ける。



乾ききった砂漠の町の背後にひっそりと聳える
ゾロアスター教の遺跡は、50年ほど前まで実際に
鳥葬をおこなわれていた場所。

「沈黙の塔」とよばれるだけあって、YAZDから
そうはなれていないのに、その場所に立つと
風がサワサワと震えるだけで非常に静かなところでした。

砂の海に島のように浮かぶ岩山に、
ひっそりとたたずむ遺跡や町というのは、
旅情を掻き立てます。。。

岩山の上で果てしない景色を眺め、沈黙に包まれると
体の奥から空気がすーっと流れ出てゆくような
独特な感覚に包まれます。

遺跡は二つの岩山の頂上部にひとつづつあり、
いくらか一方より高い所に築かれた遺跡をじっくり散策し、
二つ目に向かいます。向かう途中で、中国製バイクに乗った
YAZDの少年4人組(バイクは2台)が現れ、砂山のスロープで
中国製のバイクでモトクロスごっこ?を始めます。



腰が引けた仲間の一人をからかったりしつつ、
乗り方を教えたりの、のんびりとした微笑ましい光景。

嗚呼、仲間っていのはいいものだねぇと思ってたら
いつのまにやら砂山の向こうに少年たちが消え、
拝火教の遺跡は再び沈黙に包まれます。



と思ったら、恋人同士がちょこんと逢引していました。。。



さて、ヤズドの町に戻ります。

40度越えのの砂漠の町ヤズドの見どころは、
イスファハンを訪れた後ですと、物足りないかもしれません。



ただ、この町には人の生活の匂いがする旧市街が
きっちり残っていて、

真昼の太陽の強烈な日差しが焦がす町の
暗い街路から黒いチャドルの女が現れ、
ベージュの街壁のどこかに消えゆく。。。



そんななオアシスの幻のような光景にも出会え、
なかなか味のある町でした。

宿泊は旧市街のKOHAN HOTEL(Single * 200,000IR/約2500円)
中庭と、地下のガナートが見学できて
オアシスの町に触れることができますよ。



灼熱の太陽に照らされた町では、さすがに地元民もぐったり。
そんなヤズドで人が集まって動きがある場所となると、
たいていナン屋さん。



自宅で焼くものでなく、そのつど買いに来るのか、
どこも短いながらも行列ができており、焼き方から
出来上がりの見栄えまで、それぞれの店が、独特のナンを作っています。



ホテルで食べようと思っていても、ついつい歩いているうちに
食べきってしまう。焼きたてはやっぱり良いですね。。





ESFAHAN (ISFAHAN)



イランの真珠イスファハン

照りつける日差しが殺人光線並ですが、ホテルから何分か歩けば
世界の半分と称えられたエマーム広場。





初めてサマルカンドにたどり着いた時と同じような高揚感です。

イスファハンが実際に遷都されたのは1597年。ティムール朝が衰退し、
ようやくイラン(ペルシャ)人によってイランが統一された時代の都。

日本では秀吉が死に、関ヶ原の戦いの直前。
中国では明が死に体になり北の満州族が動き出し、
ヨーロッパではポルトガルに代わって、
オランダがアジアに進出しようとする時代。

シルクロードと、今に残るイスファハンの建築物や町並みを
結びつけるのは少し厳しいところもあるかもしれませんが、

いろいろなことが重なり、なかなかたどりつけなかった場所なので、
気分的にはラクダに乗って何年もかけ、ようやくたどり着いたような気分です。

さて。。。


殺人光線的な日差しを浴びながらたどり着いたイマーム広場は、
丁度午睡の時間帯。人もまばらで、ひっそりとしていました。



広場を囲む回廊部分の土産物屋が興ざめという旅行者もいるけど、
やっぱり来てよかったなぁ。。。



周囲の回廊の商店を散策した後、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーに。



ここは、王族だけが使用するマスジェドということもあり、短い回廊を
少し歩くと、いきなり寺院の中心部のドームに入ることになります。



イマーム広場の回廊でドームの規模が測れない分、精緻なタイルで
彩られた巨大な空間は、まさに言葉を失う場所です。



ここで、また。。。「嗚呼、来てよかった。。。」



昼の休み時間あけにきたのが良かったのか、ひとりでゆったりと
過ごすことができ大満足。



シャーモスク



まだまだ24時間に満たないイラン滞在ですが、バスの隣に座ったおじさんの横顔や
考え事をするレストランの店主の背中に「叡智」や「誇り」を感じさせることがあり、
こういう場所に立つと、それらを裏打ちするのが、誇り高き文化なんだよな。。。
と感じます。

ま、その誇りの高さが、アメリカとぶつかった一因でもあるんだけど。。。



絶妙な手さばきでレンガを砕く職人。


なかなかいい顔の親父とその娘さん


一夜明けてスィー・オ・セ橋





イスファハンのもう一つの代表的なランドマークなのですが、
ザーヤンデ川の水量が減り、寂しい状況。

川があってこその人の営みだったのでしょうが、
渇水期とはいえ、流れの止まった川というのは
人の心をそのドロリとした水のようなものにし、

何となく気分をドンヨリさせます。

TEHERAN to ESFAHAN

IKA空港からバスターミナル。そしてESFAHANヘ


予定では、テヘランから夜行でMASHHADに行こうと思っていたのですが、
フライトの遅れで叶わず。。。

時間帯が時間帯なので、4時過ぎまで空港で一休みし、
タクシー(値切って150000RIALS/16or17USD)で市内へ。
タクシーカウンターに向かう前、
市内への安いバスを探してみましたが、時間帯もあってか見つからなかった。

さて、背筋が凍りつくような運転で高速を爆走し、朝もやの首都に突入。
坂がちな市街、特に北部はどこかバルセロナなんかを思い起こさせますが、
市の南部と北部で建物や暮らし向きに大きな差がありそうだなあ。
北部はバルセロナで、南部はそうだな。。。モロッコのどこか??

荒っぽい運転でしたが、運ちゃんはターミナル(ベイハギー)到着後、
バスチケットのカウンターまできっちり案内してくれ、
なかなか気持ちの良いイラン旅行スタートです。

TEHERANからESFAHANまでは、疲れていることもあり最安値のバスはパス!
エアコンが効き、ぼちぼちの乗り心地だという
旧式VOLVO運行のESFAHANまでの料金は50000RIALS。(約600円)



出発して間もなく、アシスタントさんがちょっとしたスナックを配って回り、
まさにそれで何とかしろ状態。エンジンの様子を確かめるのと、
チェックポイントでの停止以外はほぼノンストップ。



車窓からは、からからに乾いた大地と聞きしに勝る、
しっかり舗装されたハイウエーが伸びていて、この国の体制が唾する
アメリカのネバダ州と言われてもわからないかもしれません。



。。で約7時間後にESFAHANの北ターミナルに到着。

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