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ザンジバル / Zanzibar Day-2

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ザンジバル / Zanzibar Day-2

東南アフリカ前半戦は今宵を持って終了。できたことよりできなかったことの方が多いけれど、南アフリカのワールドカップで良い思いをしたと思えば、体調を崩したり停滞した事なんてどってことない。加えて言えば、南アフリカからタンザニアまでの道のりは、体調を整え、安全と時間はお金で買うくらいの心構えで望めば、そんなに辛い旅ルートでもないなぁとも感じる。やっぱキツイのは西アフリカだろうなぁ。

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明日はナイロビ経由で、バビュッとロンドンに飛びますが、今日は久しぶりにビールを飲みながら、アフリカンミュージックの生演奏などを聴いております。ま、このあとはサクッと寝てしまうでしょうが。。

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まだまだ旅は続きますが、一緒に旅した仲間、出会った人達などに感謝。


ザンジバル / Zanzibar Day-1

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ZANZIBAR Day-1

タンザニアの街道沿いでも小さなモスクを何度も観たけれど、ザンジバル島の住民はムスリムの比率が非常に高く、朝も5時を過ぎればアザーンが流れ、モスクも礼拝の時間となると賑やかになる。女性もチャドルをまとい、目だけしか出さない女性も少なくない。

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こういった旅愁をかきたてる異文化の匂いに加え、美しく遠浅なビーチが島の大部分を囲んでいることもあり、アフリカでありながらゆったりと過ごすことができるからか、旅行者のこの島に対する評判がすこぶる良い。

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予定通り行かなかった旅と、予定の半分以下の2泊と限られてしまった滞在だったため、海を眺めてノンビリと。という当初のもくろみ通りとはいかなかったけれど、ストーンタウン歴史地区でノンビリ過ごす。

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南アフリカ以来のまともな中華やコーヒーなどにありつけ、それなりに満足が行くネット環境や落ち着いた安宿があることが本当に有り難い。

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19世紀、ヨーロッパの探検家達がこの町を拠点にアフリカ大陸の奥地に向かっていったのも同じような理由からか?などと、焼串を頬張りながら、思いを馳せるのでした。。




ダルエスサラーム/DAR ES SALAAM → ザンジバル/ZANZIBAR

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ダルエスサラーム/DAR ES SALAAM → ザンジバル/ZANZIBAR

ダルエスサラームは、旅行者の評判が余り宜しくなかったり、YMCAのレセプションにも日本大使館の注意喚起の張り紙があったりと、なんだか町歩きへのテンションがそがれる

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この先、USDがまだまだ必要になるのだけれど、残りは10ドル程度。ドル不足であたふたするのは考え物なので、ATMでどっさりおろしたタンザニアシリングを両替所に持ち込んでサクッとUSDを500ドルほど用意する。レートやらはこの際気にしないことにする。

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その足で、港に向かい40,000シリングでザンジバル行きの船のチケットを購入。宿さえしっかりし、南アフリカレベルの警戒モードで町歩きすれば問題なさそうだったけど、そもそも時間がない。。さいならダルエスサラーム。

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今回も「フレンボリー」な価格と思いきや、2nd,1stの座席が売り切れたこともあって、VIPのシートで移動。外国人料金で元々高いのだけど、ゆったり足を伸ばして本を読める環境はありがたい。

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タンザニアではあちこちでぼられたけれど、ザンジバルへのVIP移動で、なんだかチャラになった気分になる。くよくよし易い性格だけど、タンザニア人のおかげで復活も早かった。ヤレヤレ。

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2時間ほどでザンジバル港に到着し、入国審査を改めて行う。ま、マレーシアのボルネオ島の諸州同様、このザンジバルは一国の中でも自治度が高いという事なのだろう。

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船着き場付近は最低限度の警戒は必要かもしれないけれど、全体的にノンビリとしてゆっくりできそうな島だなぁと感じる。

ムベヤ/MBEYA → ダルエスサラーム/DAR ES SALAAM

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ムベヤ/MBEYA → ダルエスサラーム/DAR ES SALAAM

朝の6時に出発するはずのバスは、予定通り?30分ほど遅れてムベヤのバスターミナルを出発。ムベヤや先日のジャンクションなどで乗客をピックアップしながら東へ。

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マラウィ国境近くの山間部よりは遙かに起伏がなだらかになり、穏やかとなった丘陵地帯の中をバスはひた走る。農閑期だからか、立ち枯れたトウモロコシ以外は高原サバンナといった様子で、緑は多くない。人の営みもささやかで、街道沿いの集落は軒の数は少ない。一つ一つの家が抱える土地は大きいのかもしれないけれど、マラウィ国境近くの生き生きとした匂いはなく、そんな光景にも飽いてしまう。そして、睡眠不足もあっていつの間にか寝てしまう。

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5時間くらい走ったところで、山に分け入るような道となる。息を切らせながら登ってくる対向車や、眼下に拓ける地勢からすると、ここから一気に高原を駆け下りるらしい。そういえば持っている地図の茶色が、現在走っていると思われる辺りから、一気に薄くなる。

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山道を下り終えたところに、峠の茶屋といったドライブインがあり、そこで小休止。ダルエスサラームからムベヤに向かうバスも停まっており、ちょうど中間点くらいになるのかもしれない。もし、ほんとうにここが中間点なら、今まで走ったにあたる場所なのかな?

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ここまで約7時間。あと7時間か。。。

残りの7時間は、退屈と疲労との勝負になる。ミクミナショナルパークを通り過ぎるときに、シマウマやキリン、ゾウを観ることができたけど、最後の3時間くらいは、疲れて寝ることすらできなくなり辛いバス旅。

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ダルエスサラームには午後9時半頃到着。市内から離れているターミナルなので、少々苦労するが、なんとかYMCAに到着。歩き方にはシーズン中は予約しないと泊まれない。。ようなことが書かれていたので一安心するが、ベッドに倒れ込んだと同時に電池切れ。

宿に着いた喜びを、西城秀樹バリのヤングマン振り付けで、両手をY!の字にすることもできないどころか、ワールドカップの決勝を放送している受付近くのテレビまで行く気も起きず。


タンザニアで停滞!

タンザニアで停滞!


手痛い停滞。

ま、そんなこんなで、当初予定した見所の多くを端折り、残りは過激な移動旅でアフリカの前半戦は終わりそう。まあそれも含めてアフリカの旅!とするか。。

ただ、マラウィ人もタンザニア人も人間が素晴らしいぞ!

ステキな奴が多過ぎる。そして蜜柑がうまい。


ムベヤ/MBEYA

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ムベヤ/MBEYA

Google Map


ダラダラという名の乗り合いバスで駅に向かう。昨日の夕方ザンビアのニューカピリムポシを発ったタンザン鉄道が、このムベヤの町を夕方に到着し、タンザニア最大の町ダルエスサラームへ夜行で向かうのだ。駅は町外れにあるのだけど、そこに向かう途中、「ジャパンダ」という日本の動物園で飼われているパンダのような名前の地名を通り過ぎる。ま、どうでもいいな。

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ダラダラは、ダラダラというよりギュウギュウに人を詰め込んで走るのだけれど、車掌兼呼び子のお兄ちゃんが停車前に告げてくれる。乗車前にその場所を告げるか、停車場の地名を覚えておくと乗りやすい。

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さて、駅前で下車。駅舎はイランや旧ソ連、中国(一昔前の)のそれに似ている。タンザン鉄道は中国の協力で建設された鉄道だから、駅舎の形はそれと無縁でないかもしれない。

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発券ブースを探しに駅舎に入るとなんだか、人だかり。その輪の中でピンクのロングスカートが鮮やかな女性が黒板に何かを書いている。黒板を読んでみると。

「本日のザンビア-タンザニア鉄道は、事情があって運行の予定がありません、次の列車は月曜。。云々」

・・・・・。

キンキンこと、愛川欽也「ハイ、消えた!」タンザニア編、一発目。

欽「楽しみにしていた夜行列車の旅・・・・。ハイ、消えた!」

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全く。。。泣きたい気分だぜ。



気を取り直して、宿に戻りネット屋で情報やらを整理した上で再度ダラダラに乗り、バスターミナルに向かう。荷物が多いので通常の倍額を払う。

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日本から輸入したての中古車

バスターミナルに多数いるバス会社やその使い走りの情報を総合すると、タンザニアは夜間のバス運行が禁じられており、ムベヤからダルエスサラームまでのバスは午前のうちに出払ってしまったとのこと。

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ただ、マラウィから直接ダルエスサラームに向かうマイクロバスなら夜を通して走ることも可能なので、そいつに乗ってみれば?と言われる。うちで発券してやるのこと。料金は35,000シリング。2,100円位か?

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このおばちゃんと、ここでお会いするとは思わなかった。何度も言うが、ホテルの部屋のあの本は何とかしろ、まだおばちゃんの立志伝の方が良かったぞ。


少々高いと思うが仕方がない、そいつに乗ることにする。が、そのバスはどうもムベヤを通らず、マラウィからの道が、ザンビアとダルエスサラームを結ぶ街道とぶつかる「ジャンクション」で途中乗車する形式のモノらしく、バス停からまた荷物を持ってダラダラに乗り、そのジャンクションに向かう。頼もしいことに1人アシスタントをつけてくれる。金額が一切書かれていない切符を一応、発券して貰ったものの、発券した兄ちゃんが、発券プロセスを進める中、一切電話やらをかけたりしないのが気にかかる。

そのアシスタントは、自分をそのマイクロバスに乗せるのと同時に、自分が払った料金より少しでも安くマラウィからのバスの料金を叩き、利幅を稼ぐという二つのミッションを与えられたのだろうけど、まあその辺りは目をつぶることにしてやる。ダルエスサラームに着くのを先決にしたい。

マラウィまでは値段設定のハッキリしているバスで移動してきたので、ぼられようがなかったのだけど、タンザニアに入るとバスの料金があってないようなモノになる上に、適当な感じの切符売りが介在したりし、本来のバス料金が分かりにくく、なんとなく割増し料金をふっかけられているような気がする。そんな関わってくる連中が、「怪しい匂い抑えめ、フレンドリー度100%」に近づいてくるので、更にやりづらい。

ということで、この「フレンボリー」なアシスタントとジャンクションにたどり着き、バスを待つ。が、このジャンクションで屯している兄ちゃん(屯)とアシスタント(ア)の会話の雰囲気がどうもおかしい。雰囲気的に、かみ合っていないこんな会話をしている(ような気がする)。

ア「そろそろ、マラウィからのバスが来る頃だと思うのだけど?」

屯「オヨヨ?そのバスならもう行っちゃったYO!」

ア「そろそろ、マラウィからのバスが来る頃だと思うのだけど?」

屯「DA-KA-RA! そのバスならもう行っちゃったYO!」

欽「夜行バスの旅・・・・。ハイ、消えた!」

ア「そろそろ、マラウィ.......」

焦りの表情を隠せないアシスタントのお兄さんは、ぶつぶつ何かを呟きながら、トレーラーの運ちゃんやら、キャベツを満載したトラックの運転手に片端から声をかけ始める。オイオイ、オレと話しもせずにヒッチを始めるな。

運「バス行っちゃったんでしょ?」

ア「いや、僕は今ダルエスサラームへの・・・。」

運「もういいよ、一旦戻ろう。」

ーーーーーーーーーー

欽「明日の午前にダルエスサラームに入るの・・・。ハイ、消えた!」

欽「ダルエスから、ザンジバル行きの船に乗り、青い海が広がる
  砂浜でチルアウト!・・・。ハイ、消えた!」

ということで、どんよりとした空気を引きずり、荷物を抱え、またもダラダラに乗ってバスターミナルに向かう。

バスターミナルに戻ったら戻ったで、料金を支払った兄ちゃんがいないやらで1時間以上待たされた上、ようやく現れた兄ちゃんにお決まりの抗議をして、ようやくマネーバック。まあ20ドルちょっとだけど。

いずれにせよ、荷物を抱えて袋小路!というのは疲れを増幅するのでバスターミナル近くの宿にチェックイン。もう一度ターミナルに戻ってダルエスサラーム行きのバスを探す。

アフリカの2-3列のバスの窮屈さにはうんざりなので、2-2列のバスを探すが、擦った揉んだの繰り返しで遅い時間になってしまい、どこのバス会社も満席。。で、唯一空席があった会社が、件のバス会社。3時間ほどの無駄骨を折ったことも折らせたこともすっぱり忘れたかのような笑顔でダルエスサラーム行き「フレンボリー」価格を提示してくる。

「お前ボッてるだろ、パッセンジャーマニフェストの他の乗客の値段の項  
 に、20,000シリングって書いてあるぞ?なんでオレだけ25,000なん
 だよ!」

その時、兄ちゃんの笑顔が一瞬、引き攣るのを運び屋は見逃さなかったけれど、なんだかさっさと話しを終わらせたくなり、

「いいよ、次に来た日本人は絶対にボッたりするんじゃネーぞ!」

と軽く釘を刺し、気風の良い江戸っ子のごとく、さっと小さなオフィスをあとにする。

「ああ、あそこはやっぱりもう一踏ん張り抗議するべきだったかなぁ。」

「あんな所で格好つけたところで何にもならないのにになぁ。」


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などと少し前のやり取りを振り返り、一向に上がらない自分の旅性能にウジウジ煩悶しながら、バスターミナルの一画で晩飯を胃袋に放り込んで本日の旅は終了。

前進無し。




マラウィ国境からムベヤ/MBEYAまで

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ジャガイモの荷崩れを調整中

マラウィ国境からムベヤ/MBEYAまで

タンザニアの入国審査はフレンドリー且つスムーズ。大事に確保していておいたUSDをここで使う。50USDの手数料はジンバブエとマラウィが無料だったこともあってやはり高く感じる。

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道に出た脇の店で水分を補給し、バス停に向かう。バスの発着場が国境から離れてしまったために、30分ほど荷物を抱えて歩くことになるが、道の脇は、人の匂いがムンムンする集落。家並みの中には野菜や穀物の集積場が転々としたり、米が道で乾かされていたりと、マラウィ側に比べ、生産力に溢れていて、景色が生き生きとしている。

バス停に向かい、一緒に歩いたタンザニア青年の話によると、タンザニアからマラウィに野菜を輸出しているとのこと。そういえば、ジャガイモを満載にした袋を自転車にくくりつけた運び屋がひっきりなしに国境の方に向かって行く。

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ムベヤ/MBEYAまでのマイクロバスは6,000シリング。このバスもこれまでのバスや乗り合いタクシー同様大混雑。

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お茶のプランテーション

バスに乗ってみて改めて納得したけれど、タンザニアの農業はマラウィやモザンビークのそれよりもかなりしっかりしている印象を受ける。

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バナナのプランテーションとジャガイモ畑

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ムベヤ/MBEYAまでの道は、山の尾根伝いにそったノンビリとした道なのだけれど、大々的に茶やバナナのプランテーションが広がっていて、その合間や集落脇の小さな土地には、しっかりと畝が盛られたサツマイモやジャガイモの畑。傾斜のきつい山の斜面には山の崩落を防ぐような植林も施されており、ひたすら感心してしまう。

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そんな山もやがて緩やかになり、平らかな土地が広がったなぁと思う大きな集落。ここがムベヤ/MBEYAかなと思ったけれどそうではなく、マラウィからの道がザンビアとダルエスサラームを結ぶ街道にぶつかる所。その街道をダルエスサラームに向かう東でなく西のザンビアの方角に向かって少しは知るとムベヤ/MBEYAの町。

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バスから降り、軽く食事をしていると間もなく暗くなってしまった。




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