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現在位置 タラワ キリバス/キリバシ

現在位置 タラワ キリバス/キリバシ

充実のナウルでした。ネット、電源いろんなものが揃わないのもあるのですが、それがあったとしてもブログにアップしたいことがありすぎて纏まらない。

ナウルまでのフライト、ナウルの画像を少しアップデート!で誤魔化させて頂きます。

更新鋭意努力いたします!

アップデートが現実時間に追いつくのは一週間くらい先になりそうですが、気長に見てやってください!


タラワ環礁 / Tarawa Atoll

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タラワ環礁 / Tarawa Atoll

目的地のタラワ/タラワ環礁は、広大なキリバシ/キリバスの海域の西部に位置するギルバート諸島の環礁の一つで、16の環礁から成るギルバート諸島では北から5番目(多分)。ちなみに一番北の環礁はマキン環礁。太平洋戦争の激戦地であるタラワ・マキンの戦いとして、耳にしたことがある方もいるかもしれない。そのマキン環礁の北にはちょっとした海域を挟むけれど、またまた環礁の連なりがあり、その島々がマーシャル諸島。

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こんことを書いている自分自身も、キリバシ/キリバスの位置などについてはサッパリだったのだけれど、空港で頂いたキリバシ/キリバスのビジターガイドを眺めてみると、ギルバート諸島が赤道を跨いで南北に連なる島々の連なりで、タラワ環礁は赤道より北の海域に浮かんでいることを知る。

赤道より少し北にある小さな島といえばシンガポールか?

となると、この島の西の果てから真っ直ぐ西に漕ぎ出していけば、インドネシアの島々やシンガポールにたどり着くということか。東に漕いでいけばガラパゴス諸島やエクアドルか。

南北の位置もそうなのだけど、自分の脳味噌は「南太平洋の島々は、日本列島の真南あたりに位置している。」という間違った情報で満ち満ちてしまっていた。けれど、「キリバス/キリバシは赤道直下でマーシャル諸島の南!」と、現地に降りたってきっちり情報が更新される。パズルのピースがかみ合うようなこの快感は、僻地や初めての場所に足を踏み入れる旅の醍醐味だなぁ。コレをわかってくれる人は少ないだろうけど、地理好き人間の方なら頷いてくれるはずだ。

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さて、キリバシ/キリバスの情報には詳しくなったとはいえ、到着早々、軽く途方に暮れてしまう。

到着の賑わいが静まった空港は、ローカル線の終着駅のような最果て感いっぱいで、タクシーの客引きなんかがいない代わりに、観光案内所もどこかのホテルに向かう出迎えのバスもない。あらら、こんなことなら早めに入国審査を済ませて、他の乗客に便乗するべきだったなぁ。と頭を掻きながら辺りを見回す。

出発と到着ビルの両翼のように別れているターミナルの真ん中に並んだベンチでは、女性や子供がボンヤリとしている笑顔には笑顔を返してくれる。ほとんどみんな裸足。

飛行機を降りたってすぐに感じたことでなく、一泊した後の感想なのだけど、このキリバス/キリバシは世界で一番裸足率が高い国だと思う。

おっと、話がそれた。のんびりとした国で、危なっかしさや人々のキツイ視線を浴びたりすることがないので、ついついいろんなものがゆるんでしまう。

さてと。。。と辺りをもう一度見渡すと、小さな駐車場を挟んだ向こうに道が走っており、空港の建物を背中にして右手に向かってハイエースの乗り合いバスや、トラックの荷台に載ってキリバス/キリバシの人達が空港から去って行く。どうやら車が向かう方角が人が多く住むサウスタラワ地区のようなので、そちら行きの乗り合いバスでも待とうかと思って歩き出す。すると数秒もしないうちにトヨタの四駆に乗った男性に声をかけられる。

「乗りなよ、どこへ行くんだい?」

レンタカーを借りるか、Otintaai Hotelに行くかしたい旨を伝えると、大きく頷いてくれる。いきなり親切な人が現れると面食らってしまうし、こういった出会いからキツイ経験を味わった旅行者も少なくないと思う。けれど、小さな島国で受ける親切というのは、礼を尽くし、感謝の気持ちを忘れないのは当然として、受け入れてよいと思う。このあと自分は格安でレンタカーを貸して頂いた上に、夕食をご馳走になり、家に泊めて頂くことになるのだけど、万が一、運が悪かった場合でもささやかにボラれたりする程度で、身を危険にさらすことはないように思う。

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BairikiとBeitoを結ぶ堤?橋だけ有料です。

タラワ環礁で島、というより陸地の連なりが密なのは環礁の東と南。北と西にも環礁はあるのだろうけれど、まとまった人間が住むには少し頼りない。

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環礁とはいったものの、東と南の島の連なりは弧を描くようなカーブではなく、感嘆に言うとアルファベットの「L」を鏡に映したような形。右手の人差し指と親指で60度くらいの角を作り、人差し指を上にして、自分の目の前に持ってきたような姿をしている。

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降りたった空港は人差し指の付け根にあたる場所に位置しており、礁湖の浅瀬を貫く土堤(といってもアスファルトの道だけど)でサウスタラワ地区と結ばれていている。土堤で隔てられた左手には養殖池が拓かれている。どうやら日本の協力か企業が作った施設らしい。

土堤をわたり終えると、すぐに人々の営みが始まる。人と人と、家々の連なりが密だと感じる。世界第三位の「広大」な排他的経済水域を抱えながらも、土地に乏しい環礁は、マーシャル諸島、ツバルといった環礁の国々が抱える問題を共有している。

マーシャル諸島やツバルの景色を頭に思い返しているうちに、Otintaai Hotelに到着。荷物を降ろそうとすると、Davidさん(紹介が遅くなった)が、

「エアコン無いけど、うちに泊まってしまえば?」

と提案してくれ、

「僕はこれからバスケのナショナルチームのコーチングに行くから、僕の会社の車で、観光がてらBeitoに向かってよ、夜にまた会おう。え?国際免許がない?ああ、日本人っていえば大丈夫だよ!」

と心強いことを言ってくれる。「渡りに船」とはこのことだなぁ。

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サッカー大会。大賑わい。

空港から環礁の西の果て、Beitoまで走ってみたけれど、正直南国的に心が沸き立つ場所はそれほど多くない。時折みかける高床式の伝統的家屋、BairikiとBeitoを結ぶ堤からの眺めは素晴らしかった。

日本統治時代の砲台やトーチカなどを見物しながらBeitoにたどり着いたのは日が暮れかかる頃。急いで釣り道具を出してルアーを投げてみるが、メッキ(の大きいの?ヒラアジの小さいの?)が何度かさーっと追いかけてくるモノの、それまで。一度ルアーと見破られてしまうとその後は見向きもされなくなるケースが多いなぁ。

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頑丈すぎて壊せないらしい、日本軍のBUNKER。何の施設だったのだろう。

竿を畳んでBeitoで少々迷った後に、Davidの家を探し当てる。丁度、1日仕事が終わり、島の各所から戻ってきた商品を配達するドライバーと話しつつ、帳簿を付けている所。空港で声をかけてくれた気の良い兄ちゃんが、やり手の実業家といった面持ちで、静かに話している。

その秋冷のような時間が終わると、運転手の1人が日本語で声をかけてくる。若干頼りないけれど、充分意思の疎通ができる日本語が、キリバス人から発せられ、一瞬面食らう。話してみると、彼は気仙沼のマグロ・カツオ漁船に乗り込んで漁師をしていたことがあるようで、「マクラザキ」「ヤイヅ」「シミズ」「ケセンヌマ」など、有名なマグロ船の母港の名前をあげ、「日本、ラーメンオイシイ」なんて言ってくれる。マグロ漁船などというと、ハードなお仕事といったイメージで、言うこと聞かないヤツは海に放り込む!なんていう偏見まであるけれど、そういったキツイ仕事をキリバス人の彼は楽しそうに話してくれる。

彼が乗っていた船は50人ほどの乗組員がいたようで、「センドウ」「コウカイシ」「コックチョウ」「キカンシ」なんていう言葉がスラスラと出てくる上、よく同じ船に乗り込んだというインドネシア人の船員達は、力が無くって文句ばっかり言ってるんだけど、日本語が上手くて「オモシロイ」やつらばかりだったよ。また船に乗りたいなぁ、なんてほおを緩ませながら話してくれる。

しまいには、日本人はキリバス人がゴミを捨てると怒ったりするけど、あれがあるから日本はきれいなんだね。なんて言い出す。消えかかったというか、千葉で城巡りをしていると不法投棄の山!なんてのを見てばかりの自分の方がなんだか恥ずかしくなってしまう。

で、船にまた乗りたいんなら日本船がここまで来て、ここで乗り込んで創業すればよいのではないの?と尋ねると、どうもキリバスの入漁料、操業漁、往復の油代など、総合的なところで割に合わず、マジュロやマーシャルで操業する方が良いんだよ。なんてことを教えてくれる。ふーん。

「キンカイ」で行うマグロ漁の醍醐味と、かかったマグロを傷つけずにいかに船に取り込むかの難しさと、傷ついてしまうとどれだけ市価が下がってしまうか。なんていう話しをする。

小さな島国で、「日本」が出てくる話題と言えば、協力隊や援助の話しや、日本製品(ほとんど中国製だが)の優秀さ、日本の中古車の話しなんかだったりするのだけれど、日本で日本人に混じって仕事をした外国人が、そこでの苦労や喜びをひっくるめ、最後はイイ国だなぁと言ってくれるのは嬉しい。

家の前に真、戦後65年を経ても往時の原形を保ったコンクリの司令部?のようなガッチリとした日本軍の施設があるのだけど、この島でなくなった多くの日本兵も、元船員の彼のような気持ちで日本を見ていることを喜んでくれているだろうなぁと思う。

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元船員さんが家路につき、他の島からやってきたDavidの仕事のパートナーと3人で中華料理。ご馳走になってしまう。

食事をしているときの話しだと、一般的な食料品の他に、南太平洋で施行されるKAVAの卸売りを商売の柱にしているとのこと。キリバスでKAVAがあまり取れないので、ソロモン諸島から輸入しているとのこと。

食後、Davidのお宅に戻り、軽く話した後にタイミング良くベッドやシャワーを案内してくれた上、放置プレイしてくれる。普段は彼の家族が使っているであろう二段ベッドがある部屋を1人で使うのは気が引けたけど、有り難く横にならせていただく。そしてあっという間に眠りに落ちる。

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翌日は、軽く言葉を交わすくらいしか時間がなかったのだけど、ちょっとしたお礼に、本田のジャージーを進呈する。少しは喜んでくれたかな?

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埠頭で釣りに再挑戦するけれど、またもやルアーを見破られすぐに反応が無くなってしまう。竿を畳んで、先日見逃した海岸砲台などを見物しながら空港に向かう。昨日と同様に人が多い。昨日は下校時で、今日は登校する時間だからか?

空港に早めに着いてしまったので、空港から北を少々探索し、潜入可能な滑走路で軽くオフザケした所でキリバスの旅は終了。

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車は空港前の駐車場に鍵をけたまま放置。Davidの会社の人が、頃合いを見計らってピックアップに来てくれるそうだ。









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