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ポートモレスビー / Port Moresby

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ポートモレスビー / Port Moresby

空港の中で強盗が発生したという外務省の海外安全情報があって、ホテルに向かう際は、必ず出迎えの車を利用しましょうなど、注意喚起情報がかなり出ていたけれど、空港で予約した宿はお出迎え無しとのこと。乗り合いバスかタクシーしかないようなので、外務省のお達しの禁をやぶって、ターミナル近くに屯しているタクシーでホテルへ。

びびっている表情を読み取られたか、タクシー代は20キナ!と足下見られてしまう。頑として価格交渉には応じず、愛想の欠片もないどころか、ドスが効いてる感じ。こちらの方を見ようともせず、「何処から来た?パプアにどれくらいいる?」といった紋切り型の質問さえせず、まっすぐ進行方向を見据えたまま。

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数分で到着。空港のツーリストインフォで手配して貰ったホテルの名前は、Kangaroo Motel。そのモーテルのバックパッカーと呼ばれる区画がトイレシャワー共同になっており、シングルは一泊60キナ。約2000円ちょっと。以前は、Magla Motelという名前で営業していたらしく、ホテルのある通りの入り口には古ぼけた看板が残っていた。

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大部屋を間仕切りで区画した部屋はのぱっと見は、ホテルと監獄の中間くらいだし、共同シャワー・トイレもお世辞にもきれいとは言えないけれど、予定していた予算の1/4で泊まれるのだから文句は言えない。2泊しても虫やらにやられることもなかったし、ファンや電源にも問題はなかった。概して言えばリーズナブルな宿と言って良いと思う。ポートモレスビーにスタンプだけ押しに来るようなお馬鹿さんにはオススメ。

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荷物を部屋に放り込み、天気も良いので町まで出っ張ることにする。久々に厳戒態勢でお出かけ。20キナ以上の紙幣は靴下の中に突っ込み、それ
未満をポケットに。

宿の近くにいた兄さんによると、

「どのマイクロバスでも良いから4Mileまで行き、そこで11番か4番のバスに乗り換える。それがタウン行き。安全かって?まあ、昼間だったら気をつけていれば大丈夫だよ。」

とのこと、それより4Mileって何だ?それだけ走ると乗り換える場所があるのかな?どうやって確認するんだろう?変なところで放り降ろされたりしなければいいなぁなんて思って少し身構える。

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バスで5分ほど走ると全ての乗客が降ろされる。どうやらここが4Mile。4Mileも走っていないけどなぁ。あ、そういえば機内誌の記事に、ポートモレスビー空港が築かれた経緯が書かれたモノがあって、がJackson's Fieldと名付けられる前は、7Mile Fieldという名前だったなんていう記載があったなぁ。空港が7Mileで、ここが4Mileとなると、町の中心からの距離がそのまま地名になったのだろうか。そういえば東京から100里だから百里基地なんてのが、茨城空港と呼ばれるようになったなぁ。でも、エアアジアが羽田に来る時代に、茨城空港って。。

あ、話が逸れた。

ま、そのついでではないのだけど、タウン/TOWNに行く前にこの4Mileの町で、まだ日も高いことだし散策してみる。「Boroko」の表示がスーパーや建物にある。後から知ったのだけど、この4Mileと呼ばれるバス停周辺はボロコ/Boroko地区とも呼ばれ、ポートモレスビータウンより遙かに賑わいのある場所だった。岬の付け根の傾斜地で商業エリアとしては狭くて拡張に難のあるポートモレスビータウンなどに変わって、平らかで町を開きやすかったのかもしれない。

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その4MileともBorokoとも呼ばれるエリアだけれど、人の賑わいのあるものの、スーパーは品数豊富で欲しいもの無しといったところ。ぶっかけ飯レストランのカウンターの料理もさほど食欲をそそらない。

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豚シチューだそうだ。7.5キナ。250円位

そんなボンヤリとした町で目を引くのが箱を数段重ねた台、あるいは布きれを地面に敷いた上売られている緑色の親指大の木の実ブワイ。

中身を取り出して口に放り込み、ニチャニチャと咀嚼して楽しむ嗜好品で、覚醒作用があるという、台湾のビンロウと同じか近いものだと思う。一つの値段が店によってまちまちで30〜50t(約10-18円)くらい。インドもやるよな。インドでは何て言うんだったけ?ビンロウやインド同様、売り場の周りは、はき出された赤茶色のブワイまみれ、どうもこの見栄えが良くないんだよなぁ。

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結局こうなる。余り気持ちの良い絵じゃないし、ゴミを収集する人が可哀想だね。

ベトーっとブワイをはき出すオヤジに、鉄格子付きの商店。スーパーの前にはでかい犬で脅しを利かせるガードマン。ほぼ純正のパプア・ニューギニア人で構成される町の賑わいと迫力、人が放つ匂いは、アフリカのソレに近い。

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西アフリカにはギニアが国の名称に入る国が三つある。そのギニアのある西アフリカの人々に住んでいる人々が似ているとして、スペインの探検家がこの土地に「ニューギニア」とい地名を付けたそうだけれど、その探検家がここにやってきて抱いた印象と、今自分が感じている「なんだかアフリカみたいだなぁ」は同種なのかもしれない。

因みに「ギニア」の語源はベルベル語で「黒人たちの土地」というのが有力だそうだ。

さて、4Mileのバス停に戻って、11番のバスでタウン/TOWNへ。

バスの車窓からの景色は、アフリカを彷彿とさせる人の営みに町の喧噪。道の脇にJICAのシンボルマークが貼られた市場があったのと、サルベーションアーミーの大きな建物などが目にとまる。サルベーションアーミーに関係があるのか分からないけど、道沿いに援助物資が横流しされて販売されている古着屋が何軒かあった。南太平洋の島国やアフリカで時々見かける光景だ。その中には大袋に詰められた古着が山積みにされた店もあり、これが本当のボロ庫/Borokoだなぁ、なんて思う。

TOWNに到着する前に、乗り合いバスはガラガラになってしまう。

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中心地というだけあって、銀行の本店や高層ビルも何棟か建っているけれど、街区と呼べるのはほんの数ブロック。繰り返しになってしまうけど、このポートモレスビーのタウン/TOWN地区は山が海に突き出した岬の鞍部に位置しており、傾斜があって狭い。この港が開かれた頃は三方を海に囲まれ、原住民の攻撃を防ぐには絶好の場所だったのかもしれないけれど、これでは町を広げられない。まあ見るべきものはない。

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帰りのバスに乗り込むのに少々苦労したけれど、帰りも無事に4Mileで一旦バスを乗り換えて宿に戻る。宿に戻って観光案内所で貰った地図を読み返すと宿のある場所は6Mileというエリア。3Mileという地名も5Mileもあるようだった。7Mileが空港周辺。8Mileは見かけない。8Mileはデトロイトだったっけ?

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2日目。

夜から午前にかけて雨。雨が上がり、昼過ぎに宿を出て町に向かおうとすると、宿の警備員が「ベリーデンジェラス」と言う。車の手配を任せて欲しいとかいう下心もあるのだろうけど、特に行きたい場所がアルでもないので、「OK」と返事してきびすを返す。宿に戻り共有スペースで本を読んで過ごしていると、宿に泊まっているニューギニア人がいろいろ声をかけてくれる。「日本人とビジネスしたい」「オーストラリアは嫌い。NZは良いなぁ。」とか。

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宿のすぐ近く、空港とTOWNを結ぶHUBERT MURRY HIGHWAY沿いにはインド人や華人の商店が軒を連ねている。さしずめ6Miles商店街。鉄格子越しのテイクアウトの店が併設され、日用品と食品が半々くらいの品揃えで五十歩百歩といったところ。

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パプアニューギニアの謎の国民食クラッカー。南太平洋諸国ではお馴染みだけど、ほとんどがオーストラリアからの輸入品。パプアニューギニアは自分達で作ってる。

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一つ、0.85キナ(約30円)位から。NAVY BISCUITって書いてあるから、軍用食か非常食の乾パンがルーツなのだと思う。

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あ、この飲み物はマレーシア名物だな。やっぱりマレーシアの華人がこの国の流通に結構関わってるのかな?

アフリカ、太平洋、カリブ海の国々で、インド人と華人は商店を開いているけれど、パプアニューギニアでの商売は売り場に万引き監視人を何人も配し、日が暮れれば鉄格子越しの商売。仕事に貴賤はないけれど、なんでこんな所まできて商売をするのかが分からない。儲かるのかな?ここで商売するガッツがあるなら、中国やインドでだって充分成功するんじゃないの?なんて思う。ちなみに華人はマレーシアから来た人が多いそうだ。

そんなんでパプアニューギニア滞在は終了。

次回はお祭りの季節にきてみたいなぁ。


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