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ンジャメナ → コウセリ → マルア / N'jamena → Kousseri → Maroua

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ンジャメナ → コウセリ → マルア / N'jamena → Kousseri → Maroua

ンジャメナを2泊で後にし、バイクタクシー(2,000CFA/約400円/30分)でカメルーン国境に向かう。途中のチャリ河の橋はンジャメナに向かう通勤通学の人々で大賑わい。人口が疎らな箇所の移動に休みが重なって、チャドでは人熱れでムンムンするようなことがなかったけど、最後の最後で良いものを拝ませて頂いた。

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チャリ川を渡って、さらにしばらく走りって賑やかになったなぁと思ったらカメルーンとの国境。この国境も川を挟んでいる。チャド側で「一度出たらチャドにはビザを取るまで再入国できないよ」とオフィサーに繰り返し言われるが、「はい、今回は短いながら気分的には十分チャドりましたので、カメルーンに行く事にします。お世話になりました。」と伝える。パスポートに出国スタンプをポン。

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新しく架けられる橋。

カメルーンとチャドを結ぶ橋は一車線と歩道だけの頼りない橋。バスや自動車だと片側からの通行が終わるまで少々待たされる。ただ、これまた中国企業が新たな橋を架けていたので、国境での渋滞やらはまもなく改善されるかと思う。

さて、橋を渡り終え、カメルーン側チェックポイント。カメルーンのオフィサーに、

「マルアからナイジェリアに向かう」

と伝えるが、うまくコミュニケーションがとれず、パスポートには、当日に限ってカメルーン領の通過を許可する、「パーミッション」のようなスタンプ。どうやら「ナイジェリアに向かう」と発した部分を勘違いされたらしい。カメルーンの通過ビザの滞在期間が5日間だったので、1泊か2泊、マルア/Marouaに滞在する予定でいたので、トランジットビザで数日滞在した後、ナイジェリアに向かう旨を伝え、通行許可スタンプ?をVoidした上で、改めて入国スタンプを押してもらう。

国境からはこれまたバイクタクシーで、コウセリ/Kousseriの中心部へ。まずはバイタクの兄ちゃんの言い値の安さに驚く。バイクの後ろに載っかって眺めたカメルーンの国境の町の景色は、水はけの悪い場所とゴミためが一緒くたになった、ドロッ泥のクラクラするような汚い場所があったり、質が悪いのか整備不良なのか分からないが、通りは排気ガスで満ちていて、低い霧が立ちこめていると言っても大げさでないくらい。

うーん、正直この町での宿泊は考えたくないなぁ。

そんな印象が今一歩だったコウセリ/Kousseriの滞在時間は6時間。本当はマルア/Maroua行き(4,000CFA)のバスに乗り換えるだけのつもりだったのだけど、8時過ぎに町に到着して、空席のあるバスの出発が午後2時だったのだ。。。。

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こういう、生活に直接必要のないものまで、スーパなどに出回り始める。

コウセリ/Kousseriの肩を持つことも少し書くとすれば、混沌とした感じや猥雑さで満ちており、国境の町がもつ独特の味わいが!とも言える。チャドに比べて明らかに安い物価や、商品の量や種類の多さなんかをヒシヒシ感じ、カメルーンや、すぐ近くのナイジェリアに商品を生産する力があることが大きいんだろうなぁなんて思ったりもする。適当に入った食の飯は、化学調味料大爆発だったけどそれなりにうまく、カメラを向けると笑顔を返してくれる人も多かった。

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うーん、でも、やっぱり長居はしたくないかなぁ。。。

さて、

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ハイエースなのだけど、しっかり乗客名簿を作っており、出発前に名前を呼ばれる。「キュノイワ、ニャヨキ!」

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待ち時間は長かったものの、バス、というよりハイエースは定刻通りに出発。運行会社のシェフは、日本人旅行者である自分に気遣って、前方シートの真ん中を確保してくれた。が、気分が良かったのはコレまで。

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国境の町から出発するハイエースらしく、出発した車内にはカメルーン人に混ざって数人のチャド人がのっているのだけれど、かれらが、パスポートやら通行証の事やらで大声で口論を始め、それがまったく収まらない。年配の方が咎めるのを無視し、口論にかぶせるような嘲笑、口論に負けじと携帯電話の料金について、別の場所で交わされる大声な会話が鳴り止まない。

イライラを押し殺していると、どうもネガティヴな沈思に落ちてしまう。

フランス語ができれば、

「大声を上げたもの勝ちみたいなことをしてるから、いつまで経っても敗者や弱者が生まれ続け、貧しい子供が路上からいなくならないんだぞ!そもそも、こんな狭い車内で大声上げれば、気分悪くなる奴がいる事がわからねーのか、この朴念仁!」

って言ってやり、少しは気が晴れるかもしれないけれど、そういう訳にもいかない。翌日のハイエースは穏やかで親切な人ばかりだったことをカメルーン人やチャド人の名誉にかけ、あらかじめ補足しておくけれど、チャドからカメルーンに入れば少しはリラックスできると期待していた分、変わらぬディスイズアフリカに、キッツイ目のカウンターを喰らったような気分だ。

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虫との交通事故が絶えない。合掌。

アフリカの駄目さが凝縮されたようなと呼ぶべきか、カオスというか、まあそういった場所に放り込まれたぁ!ウガァ!となってしまう。

思考はひたすら愁嘆気味となり、そのままネガティヴ沈思。

「ニアメイのナイジェリア大使館で、俺は参事官に『やっぱり教育だ』と言ったものの、そのあと『お金がないと、学校も教師も子供の朝食も用意できない』みたいな事を参事官に返され、何も言えなかった。だけど、やっぱりどんなに家計が辛くても、食うモノに困っても親が教育を受けさせる、教育者は命をかけてでも文字を教えるということが大事なんじゃなかろうか?そういった苦しい壁を乗り越えない限り、アフリカ人の意識は変わらないし、自発的な発展や農業工業の進化や深化の土台が築けず、もちろん優れたリーダーも生まれないのではないか?」

なんて、ブツブツと呟く。

そういった艱難辛苦は何世代も前の日本人に済ませてもらい、昭和の後半に日本に生まれた唐変木。何不自由なく育った、見識のない団塊ジュニアが呟いたところで、空疎以外のなにものでもないのだけれど。。。

ブツブツブツブツブツ。。。

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ハイエースは、酷い舗装で穴ぼこだらけの道を、蛇行し、脇のダートに逃げたりしながら南に向かって走る。乾燥の酷いサヘルだかサハラだか分からない砂だらけだった大地がいつしか緑を帯びて来る。道路沿いで見かける遊牧された羊や牛の纏まりの数も目に見えてひとまとまりが大きくなった。もう不毛な土地ではない。

が、休憩やお祈りで停車する集落の貧しさはあまり変わらない。

毎度おなじみとはいえ、このカメルーンでも水やお菓子を売りに来るのは小学生くらいの子供達。それぞれが違う品を持ち寄るのなら救いはあるのだけど、同じ飲み水、同じビスケット、同じ揚げ菓子など、片手で数えられる程度のバリュエーションの商品しか売りに来ないのに、各商品を手にし、4,5人ずつくらいの売り手(子供)が競うようにして商品を売りつけてくる。

ミネラルウオーター屋、ビスケット屋、揚げ菓子屋、焼山羊肉屋といったたった4種類の商品を売るブースが、各5軒ずつ合計20軒入っただけのデパ地下があったら、「お前らさあ」と思ったり、「少なくとも4軒ずつ間引きして、他の商品を売れよ!」とツッコミたくなるはず。

売りに来る子供を商品ごとに一人づつにして、残りの子供は順番でサッカーでも、おままごとでも本を読むでもいいから違う事に時間を割く事はできないのか・・・・。もし、そうでなくともどうでも良い(失礼な言い方だな)同じ商品を子供らに競わせて売らせるのでなく、もっと他の商品を売れるよう、大人が工夫する事ができないのか・・・・。

そんな事ばかり考えてしまう。

貧しさから抜け出すのが容易ではないのは十分承知しているし、ああだこうだ自分に言う資格が自分にあるとは思わないのだけど。。。うーん。

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地平線まで平らなだった景色の中に、ポコポコと山が現れはじめ、日が傾いて空の色が青くなる頃に、ポコポコと点在していた山が、ぐっと集まって道の先に立ちはだかる。その山の中に分け入り2時間ほどでマルアに到着。ロンプラには5時間とあるけれど、結局コウセリから6時間半。

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そういえば、賄賂を要求されるような事はないのだけど、チェックポイントがカメルーンに入ってからやたらと多い。なんだか今回の移動はいろいろあって、内に内にはいってしまい精神的に辛かったなぁ。

自らの小僧っぷり、懐の狭さをさらけ出してしまった。嗚呼。

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