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ピトケアンへ行こう! / Let's go to Pitcairn!

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ピトケアンへ行こう! / Let's go to Pitcairn!

一年に訪れる日本人はゼロ〜数人程度!

でもやるんだよ!ハウツーゲッツーピッケアン!

ピトケアンへの行き方情報 日本語版Ver.1.00。

ちょっと長くなります。興味のない人はスルーして下さいねw

--------アクセス方法--------


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1,Claymore II / 定期貨客船

スケジュールはコチラ http://www.visitpitcairn.pn/Shipping.html

一つ目は、他のアップデートと内容が若干重複するけど、ピトケアン政府(英国政府)がチャーターし、仏領ポリネシアのマンガレバ島を経由しNZとピトケアンを結ぶ定期貨客船Claymore IIでのピトケアン行き。

Claymore IIは年に4回、

NZ → ピトケアン → マンガレバ島 → ピトケアン → マンガレバ島 → ピトケアン → マンガレバ島 → NZ

というルートで運行されており、マンガレバ島とピトケアンを往復する回数は年に8回、NZとピトケアン島の往復は年に4回。

タヒチからマンガレバ島*(AirTahichiの空港はGambier/GMR)までの飛行機と船のスケジュールは調整されており、マンガレバ島からの船の出航は飛行機の到着を待ち、マンガレバ島からの飛行機の出発に船は間に合うよう運航されているので心配する事はありません。調整済みの航海予定が、ピトケアン島のホームページに記載されています。

*マンガレバ島までは、各自自力でw

一度の航海でマンガレバ島とピトケアン島を2往復するため、滞在日程は、船と一緒に動くピトケアン滞在を3泊4日か、1往復目のピトケアンに向かう便にマンガレバ島から乗り、2往復目のピトケアン発の便で戻り10泊11日にするか、もしくは次のNZからの便に合わせ、3ヶ月以上の日程にするというパターンになる。

マンガレバ島とピトケアン島の往復運賃は、観光客が5,000NZD、島民が3,000NZD(らしい)。

船はNZからの航海なので、NZ-ピトケアン-NZ往復を全て船で行うことも可能。全行程を船にし、1回の航海でNZに戻ってくる場合、短くて約40日、長くて約50日の航海になり、航海プランや、ピトケアンでの貨物の取り下ろしや海の状況、マンガレバ島との往復回数などによって前後する。

ピトケアンのホームページにNZから船で直接アクセスするスケジュールや運賃は記載されておらず、NZからの運賃やスケジュールを見かけたのは、島の掲示板に貼り付けられた島民向けの運賃/スケジュールのチラシのみで、片道ごとの値段だけだった。全行程を船にする人は少ないのかな?どちらを出発地にしても所要14日で、運賃は1,000NZD也。

Claymore IIの船員さんに聞くと、島民以外でもNZから乗ることはできるらしいので、片道を二つ手配し、全行程船パターンで往復する事は可能かと思う。ただ、島民価格が適用されるか否かは判然せず。適用されるなら時間はかかるけれど、費用は安上がりだなぁ。

船便で向かうと決めたらなら、片道5,000キロ/14日間の退屈さと、船で出される食事の残念っぷりに対しての備えをお忘れ無く。退屈を凌ぐ本やらゲーム、レトルト食品、粉末スープや乾燥野菜などは必携!

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2,ヨット / 不定期ヨット

定期貨客船Claymore IIに旅のスケジュールを合わせられず、且つ船酔いしない人にオススメ。

年に8回、それも偏った日程でしか島にやってこないClaymore IIのスケジュールを補う観光客向けのヨット。ルートは、マンガレバ島とピトケアン間でClaymore IIと同じ。運航は下記ホームページを参照ください。こちらもClaymore II同様、タヒチ島からマンガレバ島への船のスケジュールとは調整されるようだ。

ヨットは海の状況により激しく揺れる上に狭く、高齢者や船に弱い人にはあまり向いていないのがネック。マンガレバ島から往復2,500NZDくらいとのことで、Claymore IIより安いのが取り柄?タヒチからの往復航空運賃、ピトケアン島での滞在アレンジを含め、日程によっては5,000USD前後のパッケージも用意できると、島のPitcairn Travelの方から伺いました。

船の詳しいスケジュールは、ピトケアンの観光局か、主催しているピトケアントラベルまで。

http://www.pitcairntravel.pn/

それにしても、Claymore IIのNZからの運賃、マンガレバ島とピトケアン島とのClaymore II、ヨットの価格のバランスが悪い。。。

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3,夏季のクルーズ船

三つ目はピトケアンの観光シーズンの11月から3月の夏の間、世界一周航海や南太平洋横断の途上で、ピトケアンに立ち寄る客船に乗り込み、島へ上陸するエクスカーション(オプショナルツアーみたいなもの)を利用してピトケアンに入国する方法。

客船のサイズによっては安全上の都合、船着き場や艀のキャパシティーの限界もあり、ピトケアン島に上陸できないものもあるので注意。細かい数字は尋ねそびれてしまったのですが、乗客が300人を超えるような客船は、島をぐるりと回る程度、乗客が300人以下の船ならば、海の状態が穏やかであれば、艀や島のロングボートを利用し、半日観光なんかができるそうだ。

船によっては、ピトケアンだけでなく、南米、ガラパゴス、イースター島、タヒチなんかを一気に旅できる日程のものもあり、上陸できるか否かの問題はあるけれど魅力的。詳しくはピトケアン島のホームページで船の運航状況を調べ、船名などから運航会社のホームページに記載されている日程表/itineraryをチェックしてみて下さい。

http://library.puc.edu/pitcairn/studycenter/cruiseship.shtml

豪華客船系クルーズ船より、秘境探検系クルーズ船の方が船が小さく、上陸できる可能性が高そうです。お値段は船のサイズや船室のチョイスのほか、何人で旅するかで大きく前後します。

このルートでのピトケアン入りを考えていた為、いくつかの船を調べていた時期があったのですが、

チリのバルパライソを出航し、ロビンソンクルーソー島、イースター島、ピトケアン島、マンガレバ島を経由してタヒチ島という15日くらいの日程で、一番安いクラスの船室の一人利用が4,500EURくらいでした。ええいままよ!で、島に上陸できるかどうか分からないのに、50万円近くの出費を覚悟していた自分がちょっと懐かしい。

世界経済の先行きがアレレな為、乗客が集まらず欠航になったり、ディスカウントされたり、せっかくイースター島に行くのに、島のエクスカーションが満席だったりと状況や価格は常に変動しますので、あくまで参考まで。

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4,個人ヨットや貨物船

ロンプラをチェックすると、島旅の欄には大抵、ヨットをヒッチして島に向かうなんていうことが良く書かれているけれど、船で島から島へなんてのは、日本人にとっては、加山雄三やら限られた金持ちのレジャーといった感があり、敷居が高い。

タヒチやマンガレバといった場所で長く滞在し、ヨットが係留されているマリーナで情報を収集する事ができる人のみかなぁ。でも、島の人達には歓迎されると思う。「おう、良くきたなぁ」ってw。また、ピトケアンに立ち寄る予定のある貨物船を自力で見つけ、それで渡航するのは、現在非常に厳しいかも。ピトケアンの観光担当が仲介してくれるとは思えない。

以上、アクセス方法はそんなところです。

皆様のピトケアン行きが後悔しない航海になりますよう!Good Luck!

--------Claymore IIの予約方法--------

ピトケアン行きを思い立ったら、いずれかの方法で向かうかを決め、クルーズ船以外の方法でピトケアンを目指すならば、ホームページをチェックし、船のスケジュールに目星を付けた上で、ピトケアン政府の Tourism Coordinator/観光担当責任者(tourism@pitcairn.pn)宛にメールしてみましょう。クルーズ船の場合は、船会社のホームページでどうぞ。

--------予約の流れと必要なモノ--------

Claymore IIでピトケアンに行こうと決め、Tourism Coordinatorさんとやりとりを始めましたが、中学生か高校1年生レベルの英作文と読解能力で十分でした。メールへのリプライも早く(暇なのかな?)、かなりスムーズに事が運んだという印象です。

やりとりの流れてとしては、

運「いつ頃orこのスケジュールでピトケアンにいきたいのですが」

というメールをにTourism Coordinatorさんに送り、二日後くらいに以下のようなメール。その後はとんとん拍子でした。

ピ「その船に空席はありますよ。もしその船で来られるなら、以下のものをメールで送って下さい。

//////必要書類(全てデータ、メール送付で可能!)//////

☆ Confirmation of your flight booking from Tahiti to Mangareva
 タヒチ島からの航空券の予約票

 → 2011年の段階で、エアタヒチのオンライン発券は、
   1、オンラインで予約
   2、座席確保が出来ましたのコンファームがエアタヒチから届く
   3、指定されたアドレスから48時間以内でネット(カード)決済。
   
   という方法。

   出発日が近い場合、飛行機の予約だけ入れるのもありか?
   万が一、船のアレンジが出来ない場合キャンセルできるから。

☆ A scanned copy of the photo page of passengers passports
– for British High Commission check
 
 自分の顔写真のあるパスポートページのスキャンデータ。

 → デジカメで出来る限り綺麗に撮影したものでOKだった。

☆ Confirmation of your medical/travel insurance
 
 医療・旅行保険
 
 → クレジットカードのものがあると伝えただけでOK

☆ Your next of kin details.
 
 自分の家族の氏名と誕生日、住所。e-mailでの連絡先。

これらを済ませ、必要情報を添付や転送で送ると、

ピ「Hello Hakobiya – well done. I’m pleased that you were able to get a seat on the plane. Thanks also for sending through your documents. /あんがと、飛行機の座席がとれて良かったね、書類もとどいたよん。」

ピ「I have forwarding your passport photo page to our PIO office in Auckland for clearance with the British High Commission. ー中略ー
The owner of the Claymore II’s account details are as follows/パスポートの写真やらはオークランドの高等弁務官に送りました。(中略)で、船賃を振り込むのオーナーの銀行のアカウントはコチラ」

ということで、NZにあるWestpac銀行の口座番号が送られてきます。

メールのやり取りはサモアで行っていたため、近くにたまたまWestpac銀行の支店があり、あっさり完了。クレジットカードで支払いが出来てしまった。

送金が完了した旨をメールで連絡。

振り込みから週末を挟んで5日でTax/Invoiceが発行され、少し時間をおいてメール添付にて送付されてきました。全体的に非常にスムーズな印象。初めてメールをしてから10日もせずに全てのアレンジが完了しました。

思い立った一ヶ月後に便があって、そこに空席があればピトケアン入り出来るかと思います。最短で2週間後とかでも可能かな?

長々となりましたが、そんなところです。



ピトケアンの日々 / Pitcairn Days

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ピトケアンの日々 / Pitcairn Days

まとめ切れていなかったピトケアンの滞在記!後日、9/21頃にアップデートしなおします。



9/15(木)

午前4時頃、船のエンジンが止まる。夜更かししていたのでコーヒーでも飲むついでにとデッキに出ると、月夜の海に岩が突き出している。ピトケアン島の第一印象は不気味。少し横になって朝を待ち、早めの朝食を午前7時頃とった後、まずはパッキングを済ませておいた荷物を甲板に上げる。午前8時頃に島から迎えのボートが来たと、一番若い船員さんが伝えてくれる。

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筋骨隆々の島の男性や、日に焼けた浅黒い肌のおばちゃん、警察官らしき人々を乗せた船が現れる。彼らがこちあの船に乗り込んで船の上で入国審査や税関検査をするのかと思いきや、たいした検査も無く「ロングボートに乗り込んで!」といわれ、促されるがまま乗り込む。ピトケアンが2度目のデイビッドやトニーは、馴染みの島民と抱擁を交わしていたりする。自分達とその荷物の他に、マンガレバで積まれ、島民の大好物だというバゲットが船に載せられる。

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船はロングボートと呼ばれ、中型船ですら接岸できないピトケアン島で活躍する、アルミ製のボート。船と島の船着き場を往復し、乗客や貨物を運ぶ「艀(はしけ)船」としての役割以外にも、漁等にも用いられるそうで、実際にその光景にも出くわした。船は小さい丸底ながら甲板が備わっていて、甲板に座ると掴むところもたいしてなく、放り出されてしまいそう。けれど、平たい甲板を備えなければ、コンテナ(極小6フィートコンテナ)の積み卸しが出来ないのだろう。辞書で調べると

longboat / lóngbòat 名 詞〘海事〙(帆船積載の)長艇.

とあった。

覆い被さるような絶壁の下に、湾と呼ぶにはあまりにも頼りないへこみのようなバウンティー湾/Bay of Bountyがあり、その奥に位置している船着き場に向かう。船着き場はランディング/Landingと呼ばれており、文字通りここで上陸し、晴れてピトケアンの人となる。Fretcher Christianが島に到着してから遅れること約220年後。ようやくたどり着いたぜぇ。

50人ちょっとしか人口がいない島の割りに、出迎えの人々でなかなかの賑わっている。国民の半分は船着き場に集まっているかな?

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まず、船の手配や渡航に当たって、メールやらでやりとりし、世話になったヒーサーさんが声をかけて下さり、「ピトケアンにようこそ!こんな所まで良く来ましたね!」。

彼女がすぐに、ステイ先のスティーブさんをご紹介してくださり、出迎えムードの船着き場からサササと四駆バイクで連れ去られる。ヒーサーさんはニュージーランドのライターGraeme Lay氏をエスコートするお仕事で忙しそうなので都合が良かったかな?

お世話になるスティーブ/Steveさんのお宅は、島のランディングから首都アダムスタウン/Adamstownに続く道、Landing Road/'The Hill of Difficulty'を登り切ったところにあり、その道が島の目抜き通り?Main Roadとなる場所に位置している。簡単に言うと、船着き場に一番近い家。隣は警察署なので、何かあっても安心だ(笑)

ガラクタにしか見えないモノがいろいろ山積みされていて、お世辞にも家は綺麗とは言えないけれど、自分の部屋はサササと掃除が済んでおり、問題なし。奥さんのオリーブ/Oliveさんが家の設備やらを一通り説明してくれる。お茶を飲んで一段落させ、島のスーパーに勤務(というか担当している)するご夫妻を見送って人心地つく。

この日は、スティーブさんにいきなり「釣りに出かけるか?」と誘われ、「んぅお?いきなり?」と思ったのだけれど、海の様子をチェックしにいったところ、白波/White Capが立ち、風向きとうねり/Swellともに良くないとの事で。明日にしましょう!と言う事になる。

ということで、午後はアダムスタウンの通り沿いをふらついたりで一日がほぼ終わる。ピトケアンのポストカードは一枚も買わず、切手をどっさり仕入れたり、小さいながら品数豊富な島のスーパーを覗いてみたり。

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入国審査官のサポートのオバチャンが家に入国スタンプを押しに来てくれた。

午後の食事の時に島の観光名所なんかを簡単に紹介してもらったり、明日は釣りに出かけるぞなんて話しをしたり夜が更ける。。あ、更けないうちに島の電気は夜の10時でターンオフなために、なんとなくその前にお開きとなる。そんなこともあって島の人は早寝早起きだ。

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9/16(金)

午前中は釣り。何度もバラシがあったので釣果は今一歩だったけれど、釣りと同時に小さな船で島一周のスリルが味わえてよかったぁ。 釣行記はこちら 

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家に戻って、ひとっ風呂(シャワー)浴びて絵葉書を書き始める。なんだか早めに出さないと郵袋がしめられ、次の船便になってしまう様子。島の風景画なんかに挑戦してみるが、まったく上手くいかない。ぬぅ。

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頭を抱えているとあっというまに晩ご飯の時間。今日はスティーブとオリーブのお孫さん達と食事。本日釣り上げたワフー(サワラカマス)が、フリッターやステーキになってさっそく食膳を賑わす。他にはランディングの突堤から島の人が沢山釣り上げた魚。ワフーは大味な白身魚。分厚いステーキ、ミディアムレアな焼き上げ、薄い味付けで食すのはちょっと辛い。

島には中国醤油も砂糖もある。みりんか酒の代用品があれば、煮付けなんかは楽勝で作れそう。ワフーは太平洋の何処でも見かける魚で、時折缶詰にされたりしている大衆魚だけど、島の周りでほぼ無尽蔵にとれるようなので、島の名物料理にしてみてはどうだろうか?長く島に滞在する予定の日本人の方は、みりんか酒をどうぞ!

因みに島の宗派(Seventh-day Advantist Church)上の都合により、鱗がないワフーを食さない人も少なくないらしい。

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そうそう、魚嫌いなお孫さんライアン君は、フリッターにされたワフーを「チキン」と思っており、「チキンうます!もういっちょ!」なーんて言ってモリモリ喰ってました(笑)

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ワフーだぞ!魚だぞw

夜10時の通電前にメールメール。。と、スススとインターネット部屋に向かう。島を去ったお子さんの部屋だったようで、ハム無線をしていた頃のポストカードがたくさん貼られている。時間が止まってしまったような場所がピトケアンには沢山あるけれど、このネット部屋もその一つだ。

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9/17(土)

朝食を終え、絵葉書を書いていると、デイブがやってくる。

「おい、運び屋くん!島の探検にでかけるぞい!」

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午後1時に教会前で待ち合わせ、Graeme(グレンと呼んでた)をピックアップして島の東側に向かう。グレンは島の観光局から招待されたNZでは本も出しているライターさん。島の数少ない産業である養蜂を積極的にすすめている方に世話になっている。

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というより、彼の家には新たに建てた離れがあり、ちょっとしたシャワーや小さいキッチンなどがついたホテルの一室のようになっている。見せて頂くとかなり快適そう。我らがスティーブさん宅はフレンドリーで、いろいろ気遣いしてくれ、宿泊するのに何の不自由もないのだけど、家はちょっと古いんだよなぁ。。。。

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Jayさんと自慢のお宿、そしてスカッドバイク。

で、この離れ系の部屋は島で唯一のホテルのようなモノ。。らしい。値段を聞く前に「そんなに安くないヨン」とオーナーのJay氏に言われてしまったけど、値段を聞いておけば良かったなぁ。因みに、件の事件で島の住人が収監されていた監獄をホテルに改装する計画もあるらしい。

このジェイさんは、全体的にテンション低めな島の年配組(中年以上)の中では、養蜂や観光業などに積極的に取り組んでる珍しいタイプ。会話にジョークと大笑いがバンバン折り混ざり、日本だったら、土木会社社長兼村会議員みたいな昭和のオッサンといったところ。

高齢者クラスター化が進み、働き手が数年後に激減し、これといった産業のないピトケアンを存続させる為には、観光業を育てるほかにない。観光業に限らず言える事だけれど、積極的な持ったジェイさんのような人がもう少し増えないと、島の将来は開けないなぁと思う。

以下は個人的推察だけれど、

ピトケアンの難しいところは、彼のような積極的なグループの人より、どちらかというと老いて共同体への依存が高く、担当する仕事はキッチリこなすけれど、新しい事には消極的なグループ、自分の守備範囲の外に関してアグレッシブでない人が、どちらかといえば多数派なことと感じる。

昔語りが似合う消極的組の多数派の雰囲気が、ピトケアンを訪れる一癖ある旅行者の趣味や、郷愁をくすぐるのも難しいところだなあ。

今回のピトケアンを訪れた旅行者は、僕のような国馬鹿(英語:Country Counter People or Traveler/以下CCP)が沢山いると思いきや、40年前ピトケアンにやってきて、米軍の衛星システムを導入し、島の人と結婚した事もあるデイブに、海の歴史が大好きな根っからの海男トニー、そして観光局に招かれたNZの作家、そしてCCPの僕で、僕以外の平均年齢は60前後。

年齢が重なったりする事も大きいかもしれないが、旅行者全員の意見も残念ながら総じて島の未来に関しては否定的か、非常に難しいといったもので、観光に投資して住民が生き抜く程度にそれが育ったとしても、その頃の島は、タヒチ人の血を明らかに受け継いでいる顔をした高齢者クラスターが天寿を全うしたり、島を離れているはずで、そんな島はピトケアンであってもピトケアンでない。といった意見だった。

おっとっと、話が横道にそれた。。。

デイブのスカッド四駆バイクは最新型で、島でみかけるものより一回りサイズが大きく、アメリカで8,000ドルで購入したとの事。どうやってピトケアンまで運ばれたのかは聞かなかったけれど、ニュージーランドでは13,000ドル(USD換算で)で売られているものだそうで、「日本製だけど、日本で見た事無いよ」と言うと、「アメリカでも基本的には公道では走れず、ハンターや釣りをする人が、道をそれたところから分け入って行くときに使うんだよ。」と教えてくれた。

ピトケアンの目抜き通りは舗装されていて問題ないのだけれど、その道をそれると未舗装の坂道。人が住んでいる場所のほとんどが傾斜地である上、火山性の赤土な土壌。雨が降ってしまうと島の未舗装道はぬかるんでしまい、普通乗用車は勿論、四駆自動車でも厳しいそうで、日本製のスカッド四駆の出番となるそうだ。

そんなデイブのスカッド四駆に3ケツして島巡り。崖が苦手な自分以上に、グレンが臆病でなため少し勇気が湧き、いつにも増して崖際に近づいたり、若いし疲れないぜみたいなフリをしつつ楽しく島の西を観光。

東半分を前日のうちに見て回ったグレンを途中でおろし、島の東半分を見て回る。ピトケアンのガイドブックを書きあげ、若かりし頃は道無き道や、誰も足を踏み入れた事のない崖を歩き回った男だけあって、デイブのガイドは簡潔ながら分かりやすく、質問にもキッチリ答えてくれる。寄り道を交え、ユックリキッチリ観光したため、スティーブさん宅に戻ったのは5時過ぎ。

感謝の意味を込め、彼のガイドブックに自分が歩いてみた感想なんかを付け加えた、ピトケアンガイド!日本語版!@運び屋ブログ!をナルハヤでアップデートしますね。

夜は予定通り、ジャパニーズカレーをスティーブ家でご馳走する、スティーブは気をきかせて一人暮らしのデイブを晩ご飯に招いてくれたのだけど、ベジタリアンのでいぶは、ビーフカレーを食せ内様子で、席の前にはオリーブの作った野菜料理。むぅ、残念。

ジャパニーズカレーはスティーブ&オリーブご夫妻には大好評。残されたらブルーなので、敢えて少なめの盛りつけにしたけれど、スティーブはウマイウマイと言って三杯もおかわりし、オリーブもキッチリ二人前くらいは食べてくれ、食事中に少しは二人との距離も近づいた気がする。

モリモリ食べてくれる二人をみながら小さくガッツポーズ。ハウスバーモントカレーなだけに、イエーイ!

絶海の孤島でも手に入る食材で、簡単に作る事が出来る最強日本料理。ジャパニーズカレー。侮れない。

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9/18(日)

午前中は、馬鹿葉書を黙々と作成する。風景画なんてモノを書くレベルに達していない事が判明したので、魚の絵やら馬鹿格言、嘘八百をつれづれなるままに。ブログは誤字脱字だらけだし、物事を順序立ててすすめる事も苦手だけれど、適当に頭の中に浮かんだ適当な事を脊髄反射気味に書くのは楽チンだなぁ。

ピトケアン島をひらがなで「ぴとけあん島」と書き始めるときの「ぴ」、この「ぴ」をカルフールで買った一本50円もしない、なんでもない筆で書き始めるのが快感となる。筆運びというのだろうか?何度かいても違った雰囲気になるのが面白い。ひらがなの「ぴ」とか「ぽ」ってなんだか見ればみるほど、書けば書くほど不真面目で、力の抜ける音と形をしてて素晴らしい。

絵葉書作成が一段落したところで、それらをごっそり郵便局に持ってゆき、日本に向かって発送する。水性絵の具が滲みませんように。

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午後になると時間を持てあましてしまうので、昨日のスカッド四駆の旅に続き、自分で島を歩いてみようと思い立つ。等高線に沿った道以外は全て坂となり、島を歩くことはもうそれだけでトレッキングだ。

昨日はグレンも一緒の3人旅だったので、じっくり見て回りたかったラジオステーション跡をまずは見て回る。島にいくつかある歴史が止まってしまったような場所の中でも、とびきりの場所だとあらためて思う。

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そのまま島の南の稜線沿いを進んで、ハイエストポイントに向かい一休み。そのあとは、カルデラの外輪山づたいに歩く。ピトケアンのカルデラをデイブはクレーターと言っていたけれど、英語圏ではカルデラもクレーターと言うらしい。日本人感覚だと、クレーターは隕石やらでのへこみ。カルデラは火山のマグマが無くなって、山が陥没して出来たへこみ。少し混乱するなぁ。

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このカルデラの延長線上に、更にエッジがきつくなった左右崖なエリアがあり、その先にガネッツリッジ/Gannet's Ridgeと呼ばれるビューポイントがあるのだけれど、臆病者の自分は途中で引き返す。馬鹿と臆病心がなかなか克服されない。

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その後、アダムスタウンの外れから、クリスチャンケイブにも向かうが、今度は道を間違え、トゲトゲの植物の群生地に突入してしまい、猛烈にちくちくする植物と格闘しているうちにどうしようもなくテンションが下がり、これまた引き返してしまった。。ああ情けない。。

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スティーブ宅に戻ると、海が穏やかだったこともあり夫婦で漁に出かけたらしい。ハタ科の魚を中心に家の裏の捌き台が魚でぎっしり!自分達の島の魚を食べないマンガレバの人達に送ったり、ニュージーランド行きの船にCraymore IIに乗っけるそうだ。

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夜は島の集会場で、トニーがアメリカに一旦持ち帰り、傷や色あせを修正したピトケアンの古い写真の上映会。半分以上は行きの船で既に見せてもらった写真だったけれど、まだ賑やかだった頃のピトケアンを老人ばかりの集会場で「ほう」とか「はあ」とか言いながら観賞するのは悪くなかった。ホストのスティーブとオリーブは、写真が一家族のモノに限られているのがご不満だったようだけれど。。

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そうそう、こういった島のみんなで集まるイベントの告知や、郵便局の締め切り時間などの通達、Claymore IIなどの船との交信などでは、島の各家庭におかれている無線が用いられます。


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9/19(月)

朝ご飯を食べていると、オリーブが、「運び屋さん!今日は山の上でバーベキューをやるから夕方には家にいるのよん」とのこと。それは楽しみじゃと、追加の絵葉書をサササと書き上げ、軽く惰眠をむさぼる。

朝の8時に通電が始まるのだけど、ピトケアンの午前8時は17時間時差のある日本の午前1時。そう、伊集院のラジオの時間。いつもはじっくり聞きたいので、録音済みのモノをノンビリ聞くのだけど、これがホントの月曜JUNK!ということで、久しぶりにKeyHoleTV経由で生放送。

回線の状況が悪く、半分も聴き取れなかったけれど、ピトケアンで生の日本のラジオが聴けて感無量。長い滞在パターンでないと、ドタバタしてラジオなんて聴く暇も無かったはず、若干ピトケアン滞在は間延びしてしまったけれど、こういうのも「また良し」だなぁ。そうそう、ラジオが終わると、島は午前10時。深夜ラジオを朝聴いて、鼻歌交じりに魚釣りに出かける。が、釣れない。そんなに人生甘くない。

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おばちゃんも今日は今一歩らしい。

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ヤガラ君。また君か。。

午後のほとんどは、BBQに行くよ!と声がかかるまでは、部屋で滞在記やらをまとめたりして過ごす。

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奥さんがノルウェー人で、ニュージーランドに住んでいた時は、日本の高校生をホームステイさせた事もあるご夫妻が加わり、ピトケアン最高峰、その名もハイエストポイント(今回で3度目だけど)でBBQスタート。子供が4人に大人が4人の合計8人。島の人口の15%くらいはがBBQしてる事になるなぁ。

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ソーセージにサラミをモリモリ焼いて、島のトウモロコシを楽しむ。

気の合う家族同士であるのに加え、ワインの酔いも手伝って、ブログでは書きにくい政府のアレコレや、島で最近起こっている事なんかの話の輪に加えて頂き、素晴らしい時間だった。東京であろうと日本の山奥であろうと、人間は人間である故、愚痴ったり政府のやり方に不満を述べたり、近所の婆さんが呆けちまってよぉ、なんて話をするんだなぁ。

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西の水平線に日が沈むまで、薪をくべくべしながら暖をとり、素晴らしい時間を過ごしました。ピトケアンに来るチャンスがあれば是非!

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9/20(火)

朝から島の無線が騒がしいので、なんだ?変だぞん?と思うとヘンダーソン島に向かっていたClaymore IIが帰ってきた様子。

昼前に島の中心部/Squareに向かうと、ヘンダーソン島の鳥の保護活動を行っていた人達が、島で消費しきれなかった分を持ち帰り、ピトケアン島に寄付したそうで、その豆やらレーズンやらが小分けにされている。シェアアウトという、早い話が島民全員山分け作業。デイブと学校の先生の島外組が率先して小分けをしている後ろで、島の爺さん婆さんが配られるのをのんびりと待っている。

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島に提供されたモノをこうしてシェアすることの他、ロングボートと用いてみんなで漁に出たときの獲物も等分されるそうだ。共同体が小さく、ミドルマンの入る余地がない小さな共同体の良い面かもしれないなぁ。

午後は、ぐっと雲が下がって雨となる。今年の冬は雨が少なく、これから夏になろうとしているのに、島はからからで埃っぽく、宿泊先のシャワーをだらだら使うのはもちろん、小さい方でトイレの水をジャーッと流すのに気が引ける程だった。そんなこともあって外に出られないものの、ヘトヘトになっていた島を潤すようで気分がよい。

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いくつかあった井戸は涸れてしまっており、谷筋に大雨の時にだけ流れる水は菜園用に用いられるらしいけど、島の掃除洗濯炊事シャワーといった生活に使われる水は、家の屋根なんかに降った雨水をタンクに溜めたもののみ。

「西瓜の種を植える時期なのだけれど、今年は菜園の土の水分が足りなくて、自宅の下の菜園に家庭排水を分別して流して育てるしかないなぁ。」

なんてスティーブは話していたけれど、この雨は少しは恵みになっただろうか?いやぁ、なってもらわないと。気分がよいので、スティーブさん宅が保有している、島で数台しかない乗用車の雨水洗車を行う。

夜、最後のディナー。

雨が降った事なんかも加わって、陽気な食事となって話が弾む。

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島を訪れる人々に尋ねられ続けているだろうから、こちらからはあまり島の今後についての話は突っ込んで聞かなかったのだけれど、なんとなく話の流れが島の将来になる。

自給自足を釣りや菜園で実践し、4人のお子さんのうち、二人の息子さんが島に住み、お孫さんもいるスティーブ&オリーブ夫妻。ピトケアンでも島への愛着が強いご家族だと思うのだけれど、彼らが抱く将来の展望はあまり明るくなかった。

観光業での島の振興に積極的でないグループに属している事(コチラの推測)が反映しているのかもしれないけれど、彼ら自身がリタイアした後、島の仕事を継ぐ正統ピトケアン人がほとんどいない事に加え、タイミングを同じくして、お孫さん達がどんどん島を出て行ってしまう年齢にさしかかることも辛いようだ。

NZに住む娘さん家族ともなかなか会えず、次回会うのは、スティーブが持病の定期検診を行うタヒチ。

Claymore IIの運賃は現金収入の少ない島民への負担が大きく、医療サービスの一環として診察を受ける場所への交通費が無料になる、検診の時などでしか島を出る事ができないそうだ。「娘のお孫はまだ赤ん坊で、船に乗せるのは大変なんだ。でも、小さいうちなら航空券も安いからさぁ」なんてスティーブさんは言うけれど、何とも切ない話だ。

人口減と絶海化の同時進行を、どこか余所者物知り的見地から眺めていたけど、体が動くうちは自分自身で余生を過ごしたいという願いと島への愛着、でもそれを貫こうとすると家族と文字通り離れ離れにならざるをえないピトケアンの難しさを、最後の夜に改めて肌身で感じる。

ウォー!元気出していこうぜピトケアン!近いうちにまた来るからYO!

もう一度、大量の日本食材や島向きの釣り道具をもって、早いうちにピトケアンを再訪したい。また、理由やきっかけはどんなんでも構わないので、ピトケアンがピトケアンであるうちに、少しでも多く日本人がピトケアンを目指してくれる事を切に思うのでした。円高だしチャンスだYO!

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9/21(水)

Claymore IIの無線が

「朝か夕方の出航にしようと思いますが、どうでしょ?」

と伝える。昨日から出航の時間が気になっていたのだけれど、海の様子は穏やかで、朝ピトケアン出航→翌夕方マンガレバ着、もしくは夕方ピトケアン出航→翌々朝夕マンガレバ着になるかの選択になるのか。と思っていると、

「乗客の意見の多数決をとろうと思います。現在一対一、運び屋さんはいつ出航したいですか?」

との無線。

おお!何このキャスティングボード握ってる感!

間違いなく、もう帰りたいのはNZのグレアムさんで、のんびりしたいのがトニーだな。グレアムさんには悪いが、昨日の雨で瑞々しくなった島の空気を吸っておきたいので、夕方出航に一票!即座に出航が夕方となる。

滞在費をチェックしていると、またまたデイブがやってきて、

「おい、運び屋くん!島で周り切れてないところもあるでしょ、でかけるぞい!」

デイブ自身も時間を持てあましているのだろうけど、積極的に誘いに来てくれるのが嬉しい。喜んでお誘いを受ける。

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何処に行きたいのか尋ねられたので、「やっぱあのラジオステーションにもう一度!」とお願いする。一緒に出かけてみると自分がラジオステーションだと思っていた建物は電源室だったようだ。

一人で立ち入るにはちょっと躊躇していた大きな建物の方が、本物のラジオステーションでそこに入る。基本的にデイブは島に都合何年も住んでいた事もあって、どこもフリーパスだ。

遙か地の果て海の果てまで来て、ラジオステーション!と大騒ぎしたくせに、実はソレ、電源室跡ですよ!って笑い話を危うく回避。

ガラクタだらけの電源室とはうって変わって、真ラジオステーションは、気象データをNZに送るシステムが設置され、なんとなく整然としている。ピコピコ光るパネルが壁にかかり、一部分だけはキッチリ機能していた。建物の8割は、ハム無線クラブや、実際に90年代まで島外との交信などに使われていた機材が残っていた。

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その後は、島の菜園や噴火口跡、いつ行っても開いてなかった島の博物館などを回る。菜園にはデイブの元奥さんがいて、ら!と思ったけど何も無し。

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これにて思い残すところ無し、我のピトケアン滞在に一片の悔い無し!

絶壁関係の箇所や、バウンティー号と反乱者達の歴史の繋がりなど、いくつか回りきれなかった事もあるけれど、デイブに案内されたり島の人達と話しできたことを、持ち帰って色々考えたりで精一杯。日本の本屋や図書館に出向いて、バウンティー号の歴史やらブライ艦長の伝記なんかを改めて読んでみたいなぁ。

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午後5時にランディングに向かうと、もう自分が最後の搭乗者。自分を載せるとロングボートが程なく出発する。ロングボートには乗れる限りの島民が乗り込んでいる。Claymore IIの出航だけでなく、島に立ち寄った船を見送る事は、乗客が酔狂な余所者ばかりな上、ほんの数人であっても大きなことなのかもしれない。

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ピトケアンには、老人を中心に、明らかにタヒチ人の血をひいた顔立ちの人が多かったけど、直接触れる文化や生活習慣となると、ピトケアン語は島の人同士で用いられるものだったし、食事も食材もタヒチよりNZ寄りで、これだ!と感じる瞬間が少なかった。

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ただ、最後の最後、ほんの少し演出がかかったようにすら見える、島の人達が出来る限りロングボートに乗り込んで、出航する船の去りゆく人に再会を誓い合い別れる船出の景色は、タヒチ、NZ、英国水兵の文化のエキスをほんの少し受け継ぎつつも、

「別れ」

に格別な重さのある、ピトケアンの歴史と今がギッチリ詰まってる。これぞピトケアンな情景だなぁ。と思う。

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ロングボートが船着き場に吸い込まれるまで手を振り、少し時間をおいて船が出航。

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トニーと、スウェーデン人のアルヴェ、陽気なClaymore IIの船員が後方デッキに出て、暮れなずむピトケアンに向かい、手を振り写真を撮り、島が見えなくなるまでボンヤリしてましたとさ。

* ピトケアン島の観光ガイドもガッチリとアップデートしますのでしばらくお時間下さい!

ピトケアン島のラジオステーション跡と島のコミュニケーションやら / Ruins of Pitcairnese Radio Station and communicating in the Island

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Pitcairn Radio Station

ピトケアン島のラジオステーション跡とコミュニケーション / Ruins of Pitcairn Radio Station and communicating in the Island

ラジオ〖radio〗

1電波を利用して放送局から送る報道•音楽などの音声放送。また、その受信装置。広くは、無線をさす。
2 他の語に付いて、放射、また無線の意を表す。

ピトケアンは、衛星回線に取って替わられる90年代初頭まで、外国や行き交う船とのコミュニケーションを無線で行っていました。

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JUNK 954 録音したデータを聴き、風にふかれw

散歩がてら、中心部アダムスタウンから30分程のラジオステーションを偵察し、JUNKリスナーの端くれとして、「954 JUNK」Tシャツを装着して記念撮影。ちなみにこの翌日にKeyholeTV経由で深夜の馬鹿力を聴いたけど、日本の深夜1時がこちらの朝8時。電気が朝の8時から流れ始めるので、朝飯を食ってパソコンを立ち上げてすぐに、馬鹿力のジングルが流れるという不思議な感覚。放送が終わって、「さ、郵便局に出かけるか」。。みたいなw。アメリカ西海岸で生試聴している方は、こんな感じなのかな?

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壊れ済みのレイディオ

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本アップデートはまず、画像中心にさせていただきますが、後ほど、島で用いられているコミュニケーション方法や、ハム無線の名残などを追加アップデートしてゆく予定です。

ピトケアンあれこれ 3 / About Pitcairn 3

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ピトケアンあれこれ 3 / About Pitcairn 3

絶海化やら。

ああだこうだ書きますが、アップデートを要約すると以下の通り。

ここ数年でピトケアンに立ち寄る船がグッと少なくなり、島への定期便がNZとの貨客船だけとなる。定期便の往来は年に4回と限られた上、貨客船の船賃は高く、外界との交流が大きく妨げられて、島の未来をも閉ざしている。。。。

ピトケアンの絶海化、島がどんどん不便な場所になって状況について。

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1970年代頃から大陸間の移動は飛行機に取って代わられるものの、貨物船の大型化や高速化、ハイテク化が進むまでは、パナマ運河/北米とNZを結ぶ船の寄港地(接岸はできない)として頻繁に船が訪れたようで、住民達は島の周辺で捕れる魚や新鮮な野菜などと日用品やら食料を交換することで、現金収入に大きく頼らずとも、なかなか気楽に過ごしていたようだ。

「潜りで捕った伊勢エビ(crayfish)は、客船に持ってゆくと、山ほどあるジャガイモやらタマネギと交換できたもんだよ。」

と、昔を懐かしみながら話すスティーブさんの表情はにこやかだった。

そういえば小学校の頃、近くの神社とセットになった公園の銀杏が色づく季節、オオスミくんとギンナンを拾って回ったなぁと思い返す。独特の臭さに閉口というか閉鼻しつつも、収穫した実を八百屋にもっていくと、黒曜石、嘘、お菓子と交換してくれたなぁ。懐かしい。小遣いもらって何か買うのだって嬉しいけど、貨幣に頼らず採集&物々交換ってのは、独特の喜びがあるんだよなぁ。あ、これは昭和の東村山での話。

島に立ち寄る船の数は年を経るごとに少なくなるものの、ニュージーランドとアメリカを結ぶ船が必ずピトケアンに立ち寄り、必要物資の島への供給や島民の外界との交流は維持されていた。が、この住民の足にもなっていた貨物船が2004年頃引退してしまう。

件の事件に絡んでイギリス政府が、島へ大規模なインフラ整備の投資を行い、物資を送る臨時の貨物船などが頻繁に訪れたりしたようだけど、インフラ整備が一段落した現在、島に定期的に訪れる船は、ピトケアン政府(ようは英国政府)がチャーターし、仏領ポリネシアのマンガレバ島を経由しNZとピトケアンを結ぶ、Claymore IIのみ。



Claymore IIは、年に4回ピトケアンに向け航海をしているのだけれど、

NZ → ピトケアン → マンガレバ島 → ピトケアン → マンガレバ島 → ピトケアン → マンガレバ島 → NZ

という形で運行しているため、マンガレバ島とピトケアンを往復する回数は年に8回、NZとピトケアン島の往復は年に4回となる。スケジュール通り運行される船はこれだけ。マンガレバ島とピトケアン島の往復運賃は、観光客が5,000NZD、島民が3,000NZD(らしい)。

島の掲示板に貼られた、運航会社のStoney Creek Shippingの島民向けのスケジュールと運賃が記載されたチラシによると、PitcairnとNZの片道運賃に1,000NZDとあった。これならNZ往復2,000NZDで済むのだけど、片道所要14日間。

Claymore II以外で島を訪れる方法は、他にも三つ程あるのだけど、島民が島からの交通手段と考えているものはClaymore IIのみ。

実家が九州の方が、家族でお盆や正月に東京から里帰りしたら「飛行機代だけで15万円もかかったよ」なんて言ったりするけれど、ピトケアンの場合、家族4人がオークランドとの往復をしただけで、タヒチ経由の半飛行機利用で軽く100万円を超え、全行程を船で往復したとしても50万円以上となる。ぬぇえ。


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結局、この金額と便数の少なさが大きな障害となり、一度島を出てしまうと滅多に家族/親類と交流ができなくなってしまい、観光客にとってはキッツイ目的地となる。

飛行場を作ろう!という意見は昔からあり、島民の願い。滑走路を引くならここという場所も、調査は既に終わっており、デイヴにその予定地も教えてもらったけれど、

☆ 人口50人程度の島のためにわざわざ?まあコスト面。
☆ 短い滑走路で離陸でき、マンガレバを往復できるような機材の調達。
☆ 以上をクリアしても、島民の手が届くような航空運賃にならない。
☆ 島の総督は交替制、どの総督も飛行場建設に真摯に取り組まない。

ということで、現実的でないそうだ。

ぬぅ、島自体には必要十分なインフラが整い、生きて行くにはさほど困らないのだけれど、昨今の島へのアクセスの厳しさは、このとおりどん詰まり感が増すばかり。

アクセスの厳しさがあるなら、小さな国の伝家の宝刀である、税金回避地(tax havens)を目指すとか、何年かキッチリ島に在住すれば、ピトケアン国民と認め、英国かNZでの永住権の資格を与える。なんていう裏技を行使するなんていう方法はないだろうか?その辺りの立法権、行政権は英国がガッチリ握っちゃってるのかな?そもそも何の係累も無い人間がピトケアン人になってしまうなんて、穏やかじゃないか。

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ああ、話が逸れてしまった、

客船でなくともよいから、もう少し島に立ち寄る船があれば、採集&物々交換系気分高揚になり活気も出るのになぁと思う。

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島の子供達は裸足で駆け回り、天真爛漫で弾けるように明るいのだけれど、彼らが将来どんな選択をするのかを想像したり、

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明るく振る舞いつつも、数年後に訪れる島民の団塊がリタイアして以降の未来について展望が開けていない実情を吐露する島民の声を聞いたりすると、

なんともなんとも、切なくなってしまう。

ピトケアン島からの手紙 / Greeting from Pitcairn

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ピトケアン島からの手紙 / Greeting from Pitcairn

絶海の孤島の経済に協力したい気持ちもあるのですが、島の絵葉書は高いので、まずはタヒチで画用紙を購入。絵葉書サイズにそれを切り分け、絵葉書を徹夜で書き上げました。内容は、嘘八百に、無責任な格言、あなたの上司を罵る文言などなど、酷いものばかりです。本当はスケッチやらに挑戦しようと思ったのですが、才能と時間がないために、"偽みつを"に大変身!

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いくら何でも酷すぎるだろ、これで絵葉書ってw

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今日の4時がNZ行きの郵袋にぶち込まれるデッドラインのようなので、急いで今から宛名書きです。絵葉書の内容と宛名は特に吟味せず、順不同でやりますw。

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自分が乗る船と一緒に葉書も発送されるため、意外と日本に早く着くかもしれません。今日、投函できないと3ヶ月後の船に載せる郵袋にはいることになり、かなり到着が遅くなりますが、それでよければ、暇な時間に嘘絵葉書をしたためます。住所をメールにどうぞ!

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追加画像!@ピトケアンの郵便局!因みに右手の緑のラベルが貼られた箱は、日本に発送される蜂蜜でした!ハニー!フラッシュ!

p.s.滞在最終日イブに締め切り期限が特別に伸び、郵袋をいったんあけてくれる事になりました。日本を始め各国に約70葉程、馬鹿葉書を発送!夜露死苦!

ピトケアンあれこれ 2 / About Pitcairn 2

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ピトケアンあれこれ 2 / About Pitcairn 2

1960年代となると、ニュージーランド等に移住し、島を出て戻ってこない人がぽつりぽつりと増え始める。お世話になったオリーブさんによると、島を離れ帰る家族が多かったのは1970年代だったとの事。

ピトケアンに限らず、日本の山間部や孤島でも(おそらく、この時期に高度経済成長をした世界中の国々で)、1950年代後半から始まる高度経済成長にともない、雪崩をうって農村部から都市部へ人口が移動していますが、ピトケアンの人口減少も日本と時期と時を同じくしています。いわゆる過疎の始まりです。

テレビも無ェ ラジオも無ェ 
自動車(クルマ)もそれほど走って無ェ
ピアノも無ェ バーも無ェ
巡査(おまわり) 毎日ぐーるぐる 
朝起ぎで 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道
電話も無ェ 瓦斯も無ェ
バスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ
俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へでだなら
銭(ゼに)コァ貯めて 東京でベコ飼うだ

これは青森五所川原バージョンだけど、似たような事がこのピトケアンでも起きる。よし!行くぞぅNZに!が起る。

そういえば、ブータンはGNHなんていう不思議な指標を持ち出しているけれど、東京や仕事のある土地に出る、豊かな土地に移住する生活ってのが、「ほんとうにしあわせなのですか?」といった反論のようなものだなぁ。行き過ぎた過密やテクノロジー依存が辿り着いた先の幸せって?な話だ。

ま、話が横道にそれそうなのでピトケアンに戻す。

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島に到着して一発目のジョーク

ともあれ、人間の素朴な欲望に蓋をすることは難しいし、十分とは言いがたい高等教育も受けられなければ、これといった産業の無いピトケアン島での暮らしは楽ではないだろう。いわゆる次男三男はどんどん島を出て行った(出て行くしか無かった)かと思う。

1970年当時の細かい状況は分からないけれど、NZは第二次大戦で無傷だったこともあり、戦後景気などが相まって長く豊かな時代が続いており、同じ時代の日本の都市部同様、労働力をいくらでも必要としていたはず。当時は頻繁に島に立ち寄った船に乗れば(一週間以上かかるが)NZと簡単に行き来できたことも大きいかと思う。

で、それら出て行った人が帰ってこない。

70年代に人口は二桁になり、80年代にはついに50人台となり、90年代末の一時期に40人まで落ち込む。過疎化の進行によるインフラ維持の困難さなどから、日本ならば、人口が100人を切ったあたりで集落を閉じ、集団移住するケースだけれど、ピトケアンはそうならない。

そうならない理由はなんだかんだ言っても英国の沽券に関わり!「意地でも維持」したい太平洋の海外領土だから(だと僕は思う)。本来であれば人の営みが途絶えてしまう人口の急減を経験しているにも関わらず、島を英国領として維持し管理するような仕事、独自切手の発行による収入、立ち寄る船と小さなビジネス等があるため。最低限度ながら収入や雇用が維持され、島を愛する不便さを厭わない人々によってピトケアンは命脈を保ち、21世紀を迎える。

50人前後になってから、急増も急減も無く島の人口を30年程維持するってことが、むしろに凄いなぁと感じてしまう。



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件の事件のこともありますが、21世紀のピトケアンで起こっている問題は、いわゆる島民の高齢化と、寄港する船が少なくなった事による更なる絶海化。

まず、高齢化。

人口が100人を割って以降、交流に制限のある孤島であるがため、島の人々は、濃淡はあれ皆、従兄従姉のような関係になってしまい、これによって、島の中での結婚が難しくなり、バトンを渡すような世代交代ができなくなってしまったようだ。現在、島に24ある家(島外からの家を含む)で島の学校に通う子供を持っている家族は2家族か3家族。いわゆる結婚適齢期&働き盛りな20代〜40代がゴソッと抜けている印象を受ける。

島の人々の大マジョリティーは自分の両親と同じくらいな60代とその前後。さしずめピトケアンの団塊世代といったところ。

そんな彼らの井戸端会議に紛れ込み、盗み聴いたw話題は、

「オトメ(仮名)さんがボケてしまい、夜中にスーツケースに荷物をまとめ、『ピトケアンに帰る!』なんて言うのよ」

とか、

「あの人は、共有地の果物を根こそぎ収穫してしまう」

なーんていう、なんとも爺婆な内容や、政府サイドへの不満といったところ。

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現在、島の管理人的な仕事をしている人の半分以上が55歳以上。その団塊の皆様が島の65歳の定年を考えると、ここ10年くらいでゴソッとリタイアする人が出て来ると思われる。団塊が抜けた日本の会社と違い、ピトケアンは派遣社員で穴を埋める事はできない。さて、10年後が来るまでに何をするのか?

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彼らの仕事をきっちり引き受ける人をどうするかは、若い人ばかりでなく、海外在住のピトケアンにルーツを持つ子育てを終えたUターン組でもいいと思う。さもなくばIターンをきっちり受け入れる用意。それさえしっかりあれば、人口減少の上、ピトケアン消滅!アボーン!なーんていう、ここに辿り着く前に野次馬的に心配していた状況にはならない気もする。

住民が主体になってきっちり将来の道筋を作り、英国が海外領土をきっちり維持するという政治姿勢を維持するというのが前提だけど。

ということで、長々と支離滅裂な事を書いてしまったけれど、

ピトケアンは、本来であれば消滅しておかしくない状況だけれど、イギリス領である限り島から人はいなくならない。ただし、バウンティ号に由来する生粋のピトケアン人の比率は徐々に。。というのが自分の見解。

バウンティー号の反乱水兵の血をひく、生粋のピトケアン人が仕事をし、暮らす島の姿を目にする事ができるのは、あと5年、長くても7年位なのではというのが、残酷ながら島を見てきたアメリカ人や、冷静な島民の見立て。彼らが亡くなったり、島を離れたあと、残された数家族の比較的若い世代が、うまく旅行業などを導入できるかに存続はかかっているのかなぁ。

やはり、過疎/限界集落の問題というのは、「仕事」があるかないかと、気合いを入れて人口減少に官民が取り組むための使命感や大義名分なのかなぁと感じる。まあ「仕事」の内容が日本では問題なのだけど。。

絶海化についてはまた別途。。。

ピトケアンあれこれ / About Pitcairn

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バウンティー号の大砲。


ピトケアンあれこれ / About Pitcairn

イクイク!

とさんざん前宣伝していたので、既にピトケアンとは何ぞや?をご存知の方もいるかもしれませんが、到着して見聞きした事を含めて、あらためて島の紹介。

ピトケアンに旅行者として訪れると、その小ささ、絶海っぷり、人口問題なんかに行き着くので、ダラダラ書いてゆく以下の文章は、すべてそれに関する事ばかり。ピトケアンというと心躍る人もいるかもしれませんがあしからずご容赦ください。

世界の全部の国や地域(あくまでも俺ルールですが)を訪問しようとする上での「全部の、国や地域」の中で人口が一番少ないのが、このピトケアン島。島の住人は約50ちょっと。そのうち10人はピトケアンの外から来ている人間の為、ピトケアン人は40人ちょっと。正確な人口は人によってまちまちだったので、あまり分からなかった。今はやりのアイドルグループよりちょっと少ないくらい。

PTK46?

結成されたら、子供が数人は混ざっているものの、全体的にメンバーの年齢は高めだなぁ。平均年齢50歳越えるんでは?

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島の集会場で昔の写真の鑑賞会。爺さん婆さんばかり。

ドメイン「.pn」、定住者がいる事、島の歴史と成立などから考えても、旅行者の判断としてもまあ「国や地域」に類するものを備えているかとは思う。世界にはこんな国があるんだねぇっていう場所。海の奇麗さ、息づく歴史なんかを感じたいのなら、ピトケアンに負けない島や場所だってたくさんあるはずだから、やっぱり物好きな暇人が来る場所だと思う。

今回のピトケアン旅で船が一緒になったのも、ピトケアンに衛星アンテナを設置しに、40年前に来島、そのまま島の女性と結婚した米国人のデイブ、海オタクの米国人トニー、旅行ライターのキウイのダニー、そしてピトケアン諸島を構成する(といっても、140キロ離れてるけど)ヘンダーソン島に調査員として向かうもう一人のキウイの4人。休みが取れたんでふらっと出かけたんですよ。。なーんて場所ではない。今回のスケジュールだと、タヒチからでさえ11泊12日になっちゃう。

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島をバギーで回った翌日、たいして変わらないルートを歩いて回ったのですが、そちらのアップデートは改めて。

話が横道にそれた。島の人口の事について話を戻します。

人口がこれほど少ないのは、総面積47 km²という小ささ(島の西側の一部を除いた見所全てを見て回るのに徒歩3時間もあれば十分くらいなサイズ。)に加え、人が住んでいる一番近い島(マンガレバ島/仏領ポリネシア)まで400Kmという絶海さ、おまけに海岸線のほとんどが絶壁で、島は山がちで生産力に乏しく、まあそんなにたくさん人は住めないよ!という土地だから。

現在、この島に住んでいる人は、捕まったら死刑な「船長に逆らい、船長を船から追い出す」という大罪を犯した英国海軍の反乱水兵と、彼らと連れ立った(拉致された?)タヒチ人の子孫達が主流。アメリカの捕鯨船の船員が島の娘達と結ばれて始まった家系(Warrenという姓)もあるYO!ということはさておいて、反乱を犯した水兵が誰にも見つからない、追っ手が来そうにない場所まで逃げる必要があり、白羽の矢が立つというか、辿り着いたのが無人島となっていたこのピトケアン。

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反乱の内容とその後のサバイバルな状況については、Google先生やWiki教授、そしてそのリンク先にお任せする事にして、島にたどり着いた水兵とタヒチ人は、かつて住んでいた先住ポリネシア人が残した食べられる作物などを探し出し、それにタヒチ人の南の島で生きる知恵、大英帝国の科学技術の一端を組み合わせ、凄惨殺し合い(といっても全ては薮の中、何が起きたのかは誰も分からない。。)を経つつも、島にきっちり定住してゆく。

ただ、起伏の厳しい小さな島な上に、大きな船が停泊できるような入り江、安全に上陸できるような海岸もなく、どう転んでも産業を興すことができる要素がない。人口が100人を越えると、水不足や過密状態などの問題が生じて自給自足が苦しくなり、一時は、全島民がオーストラリア領のノーフォーク島に移住したこともあったそうな。ま、人口がその倍の200人になったとしても、世界で一番人口の少ない国というポジションは揺るぎないのだけれど。

そんな時代を経たピトケアンだったけれど、島の黄金期と呼んでもよさそうな時代がパナマ運河の開通によってやってくる。ピトケアンはパナマ運河とニュージーランドやオーストラリアを結ぶ航路上に位置し、水や新鮮な魚、野菜の供給などができる島という事で、南太平洋を行き来する貨物船が頻繁に寄港(というより沖合に停泊するだけだが)したようだ。

船乗りにとって、由緒。。。というよりいわくの付いた島ではあったとしても、それが絶壁で囲まれていたとしても、広い太平洋をただただ航海する日常の中で、人が住んでいる島というのは、近づくだけでも、人心地つけるような、心休まるモノがあったに違いない。あ、船長さんは、島の歴史が歴史だけにあんまり気分よくなかったかな?

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右手奥がガバメントオフィス

資料を見たり話を聴くところによると、貨物船が大型化する少し前の1950年代頃は、多くの貨物船が島に立ち寄り、貨物船だけでなく多くの客船もやって来たそうだ。太平洋を越える手段が飛行機に取って代わられる以前の、「船旅の最後の黄金時代」だ。船上の様子や、艀を迎え入れ賑わう船着き場の当時の写真の中で、ピトケアンの人々は、生き生きとしていて若く輝いてた。

1960年代となると、島の過密さなどが手伝って、ニュージーランド等に移住し、戻ってこない人が増え始める。現在の島の中心、アダムスタウンのその名も「Main Road」は、メインロードなのに住居が点々としている感じで、家と家との間隔が空いており、そこは空き地やちょっとした家庭菜園、木々や草の生えるがままになっているのだけど、そこには家があり、ステイ先のスティーブ(60歳)が子供の頃は、今の3倍は人が住んでいたそうだ。

おっと、なんだかダラダラと長くなってしまった。

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夜の10時から朝の8時までは島の発電機が停止するので真っ暗。天の川はもちろんだけど、半月と星明かりだけで楽勝で歩き回れる。

現在の島が抱える過疎の問題は絶海故の不便さ、それと表裏一体な過疎な問題。島の人達に気になる点などをもう少し確認してから、このアップデートを更新する事できっちりまとめようと思います。

画像の時系列は完全に順不同。昨日が今日でも今日が昨日でも問題ない島なので、その辺りはご容赦を!

ピトケアン 漁師風編 / Pitcairnese Fishing

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ピトケアン 漁師風編 / Pitcairnese Fishing

滞在1日目から、釣り好きホストのスティーブさんに釣りに連れて行ってもらう予定だったのだけど、1日目の海は若干時化気味。念のため、島のビューポイントに四輪バギーで出かけ、彼方まで広がる海の様子を確かめるたけれど、うねり、風、島に遮られた風裏の様子から「やっぱり、また明日にしよう」ということになり、2日目に出陣!ということになった。

天候は今一歩なものの、うねりは程々で風も止み、椰子の葉がわずかに揺れる程度。島の無線の交信の様子だと、島に着いた船と船着き場を結ぶ艀の役割をしている、通称「ロングボート」も漁にでかけるとのこと。「ロングボート」の出港で小さな船着き場、「Landing」が混雑する前に「飯を食ったら出かけようか!」ということになった。スティーブさんの船をジャッキで上げ海に降ろし、出港。

さすが絶海の孤島、海の透明度と青さが尋常でない。吸い込まれるというより、引きずり込まれるような青。子供の頃、予防接種をした時の、注射器、その親指で押す方がこんな色をしていた気がする。

本日は鳥山を追いかけながら、トローリングでキハダマグロを狙うらしい。見た目は穏やかだけれど、波高は背丈を遥かに超える。波を越える時、バタンバタンと舟底が海に叩き付けられるが、船自体は至極安定している。気を緩めなければ投げ出されるような事はなさそうだ。

いつの間にか、スティーブさんが仕掛けを海に流し始める。20センチ位のバケを40メートルくらいの間隔を置いて流すいわゆるトローリングだ。


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鳥山という程ではないが、海鳥がぐるぐる旋回するような場所に船を進める。しばらくして「ワフーの匂いがする。」とスティーブさんが嬉しそうな顔をせずに つぶやく。うーん、生臭い匂いがするようなしないような。大海原で、うねりを乗り越えている時に匂いも無いもしないだろうに、つーか、ワフーより和風の匂 いが恋しいなぁなんて、思う。そんな風にしてぼんやりラインを握り、船の進む方向を眺めていると、

掴んでいたラインが、ギュワワン!と重くなる。

え?と頭の中上に?マークが立つやいなや、

ヌォーーーーン!と糸が引っ張られ、体勢を崩し腕から先に、座った姿勢のままバタッと倒れてしまい、引き込まれる。ずっこけた態勢を元にもどし、ラインを ホールドして、突っ走る魚を引寄せる勝負開始。ったく、どうやって引っぱり上げんだよこんな推進力の付きの重たいものを。

スティーブさんが船足を緩やかにし、もう一つの仕掛けを引きあげる。引っ張れ引っ張れと言われても、なかなか船に引寄せられない。ようやく魚を船に寄せると、でけぇ!細長げぇ!な魚影。こんな魚を引寄せた事なんて生まれて初めて。最高記録だ。

つーか、どうやって釣り上げるのよ?と思っていると、船に寄せた魚に、スティーブさんが小さな銛を打ち込む。ガッチリ銛が刺さったようなので、せーので二人で船に放り入れる。

バババと暴れるものの、スティーブさんは魚に近づいきさっさと、背骨と脳髄の間の急所にナイフを入れる。1メートルは越えてるなぁ。

成る程。青魚の匂いがきつめ。これがワフーでその匂いか。細長い。宿で調べてカマスサワラと判明するのだけれど、顔の鋭さなんかの中途半端さはまさにカマスとサワラの中間くらい。サワラよりは遥かにでかいけれど。

ただ、残念ながら今回仕留めたのはコレが最後になってしまった。それからも数回、ギュワンと引っ張られたりしたのだけど、勝負を開始して少しすると、フッ とバケを外されてしまうことが続いた。冗談抜きに小さな船ごと引っ張る級な奴もいたので残念。スティーブさんはワフーのでかいのを釣り上げても一つも面白 くない様子なので、残念!次はイエローフィン!を狙いましょう!なーんて言ってさっぱりしたものだけど。

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Wahoo / カマスサワラが釣れる。何回かフッキングしたのだけど、この魚以外はバラしてしまう。1.3メートルくらい。引きが半端無い。

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沈没船!

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沈没船!


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船着き場に戻り、船を引き揚げて家に戻って解体。

一仕事終えると、船着き場に戻って騒がしくなってるので出かけてみると、海の上ですれ違ったロングボート組が戻ってきた様子。ワフーが10匹程釣れたよう で、既に三枚にされているけれど、もう何匹というより、何頭か獣を解体したような有様。島にいる山羊なんかより遥かにでかいなぁ。

船着き場脇で、小魚(といっても30センチ近いのもあるけど)を大量に釣り上げた様子で、島の釣り好きな人が総出で下処理をしてる。入国スタンプを押してくれた人、郵便局で切手を売ってくれた人などなど。みんな魚釣りと魚が大好きな様子だ。

最後は、下処理ででたワタや頭を海にぶん投げたり、鳥に与えたりして終了。島の人はみんな釣り好きなので、また出かけるかもしれないけれど、ひとまずアップデートはコレにて!


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大きなものは2メートルを越えるそうだ。ただ、ピトケアンではキハダマグロが一番で、カマスサワラは二番手三番手のお魚のようです。。

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胃袋は、「ガッツ」と言うらしい。因みにカマスサワラの「ガッツ」は小さめ

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猫。カマスサワラは白身の魚です。

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もう一隻が帰ってきたようなので、波止場に出かけてみた。

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大型ボート組が、10匹程釣り上げ、港に戻ってきてました。カマスサワラは三枚におろされ、切り身になってゴロリ、デカイ魚だというのが一目瞭然。

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ワタや頭は、波止場の脇で養殖されているロブスターのえさに。

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波止場の脇で、小魚をガンガン釣り上げてます。イサキのような魚が中心で、みんなでさばいてる。

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魚釣り大好き。

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アラの一部は肥料になるそうです。干し鰯、否、干し鰆?金肥?銀肥?

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それでも残ってしまった魚は、海にもどすか、鳥に食べさせるか。

ピトケアン島 / Pitcairn Island



たいして船も揺れず、15日の朝4時過ぎに船のエンジンが止まる。「着いたよ」というクルー。デッキに出ると、月明かりにぼうと浮かぶ島影。正直、第一印象は不気味でした。。

少し休んだあとは、ホストのオジさんに釣りに連れて行ってもらいます。ここまでの船旅などを含め、アップデートは若干遅れますが、しばしお待ちください!

ピトケアン行きの船のコンファメーションが来た! / Confirmation of my berth on the Claymore II to Pitcairn



ピトケアン行きの船のコンファメーションが来た! /  Confirmation of my berth on the Claymore II to Pitcairn

おっっしゃあ!テンション上がるぜ!

あ、ちなみにトケラウ行きの方法の稚拙な説明アップデートも完了しております。興味のある方は是非どうぞ。 トケラウに行こう!

で、世界三大船旅難関国の三つ目、大西洋のセントヘレナにいついくか、英国空軍機でアセンションに入ってそこから船で。。。にするか等々を考え中。そういえば、今いるナミビアの遥か沖にあるんだよな、セントヘレナ。。。。

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