南スーダンにはひょろっと背が高い人が多い。軽く2メートルある人と友人と牛ジュバ / Juba
やってまいりましたぁ!という感動はない。
西アフリカの旅を終えて以降、踏み入れる前の下準備やらは大変だし、時間も予算もかかるけれど、フライトやら日程やらが決まったらあとはお任せ、みたいな旅ばかりだ。そういえばブログのテンションも低い。
飛行機で飛んできて、2泊で去る首都だけの南スーダン旅。
うう、これでいいのか?
まあ、もう少ししたらノンビリし、好きな国をじっくり旅しよう。そう思うしかない。
おっと、駄目な俺がまた。。。
気を取り直し、空港からバイクタクシーに跨ってホテル探し。
安宿はあるけれど、ネットができて冷房付きな宿は100USD〜、それから上は天井知らず。。。みたいな情報だったけれど、その通り。どう見ても50USDでしょ!っていうホテルが、120USDスタート。ぬぅ、町は噂通り平穏そうだけど、宿は高いなぁ。
一軒目で120USD。バイクでたどり着くまでにホテルを何軒か通り過ぎたので、荷物をゴロゴロ引っ張ってチェックすると、120USDがむしろ安い部類。140、160USDなんてのが当たり前だ。
んんんんんん。
Juba Grand Hotel 平屋でグランド感はなく噴水に水もない。けれど、シングル1泊、160USD〜。
こちらは摩天楼感ゼロなNEW YORK HOTEL 1泊160USD〜。
2泊するとなると、70USD位には押さえたいんだよなぁ。なんて思っていつついきなりの苦戦に諦めかけていると、ホテルが集中している一画の、茅葺きの掘っ立て小屋ローカルバーに、Hotelの表記。どうやら、Bar、Restaurantを兼ねている様子。
お、よく見れば安普請だけれど、長屋風に間仕切りされた、建物が、ローカルバーの奥にある。野天のビリヤード台の近くに座っている男性に、眠るゼスチュアをして「部屋ある?」と尋ねると、部屋もあるとのこと。
レセプションと兼用のバーカウンターで
「120」
と言われたときは、気絶しそうになったけど、120USDでなく、120サウススーダンポンド。
1USD=3.5SSP(略称合ってるかな?)、1EUR=4.1SSPくらいなので、2,900円といったところかな。水シャワー、アフリカンなトイレ共同。
薄薄の壁に向かいながら、エチオピアンすっぱい系クレープ。インジェラ。わびしい。
蚊帳にはこぶし大の穴。ファンは壊れてて、扇風機が代わりに置いてある。部屋に案内してくれたお兄ちゃんは、寝台脇の小テーブルから、エイズ防止ゴム帽子を拾い上げる。時間貸しの売春宿って感じではないけど、コイツは使いそうもないと思われたのかな?失敬な。
ま、そんな風にして、俺の南スーダンが始まった。何はともあれ、独立した年のうちに滑り込めて良かった。
よし、南スーダン、ジュバレポートは、このホテルの値段を切り口にしてみるか。
さて、自分は値段が高いため断念した見た目中級以下、値段高級ホテルが、小さな首都に無数というほどあって、そこそこ賑わっているのか?
それはもちろん泊まる人がいるから。
で、そんなお金を払って泊まる人ってのはどんな人か?もちろん一概には言えないけれど、独立以前から南スーダンを支え、独立をサポートした援助機関や組織、独立後に入ってきた石油関連企業、国作り系コンサルetc.といった人々南スーダンに入り、ジュバを拠点に活動しているから。空港にあれだけ国連の飛行機やヘリコプターがあるなら、パイロットだって沢山いるだろう。
エチオピアンコーヒーセット。エチオピア商人がこの南スーダンには沢山いて、町のカンバンなどでも、染色体のようなアムハラ文字をよく見かける。ホテルの駐車場には国連機関や国際的援助機関のランドクルーザーがズラリ。車の止まっている場所が違えこそ、朝も昼もそういった車が止まっていれば、その企業に関わる人達が宿泊していると考えて良い。
そういった人達の使命感や、ガッツには敬意を表するし、長く紛争地や、援助を必要とする地域で奮闘する中では、時々休暇も必要なのは十分理解できる。次の仕事にフルパワーでのぞむには、きっちり体力を回復しなければいけない。電気も通らない、アフリカ便所に水シャワーなホテルじゃ過酷な任地の疲れも癒えない。まあそれは、組織や人それぞれで状況が違うだろうけど。
とにかく、困った人を助けたい人から、危険を顧みない山師まで、色んな人間がこのジュバにいる。その上、僕みたいなふらっと旅行に来る馬鹿もチラホラいる。といことで、ホテルのニーズがある。
ジュバスタジアム。巨大なハゲワシ?がいるけど、夜は照明灯が煌々と輝き、国内リーグのナイターが行われる。だが、ジュバはアフリカの「ド」内陸に位置している上、長い内戦状態が続いた為、インフラが終わっており完全停止不能状態。ある程度の設備のホテルとしてお客さんを呼ぶには、自前で電気はおろか、水まで用意しなければなさそうだ。
通電時間が夜だけなのか、僕の安宿は「ある程度以下」の為、夜の間しか扇風機が回らず、昼間は部屋にいられなかった。「ある程度以上」のホテルは、扇風機、いやエアコンを稼働させるために、ジェネレーター(発電機)を回しつづけなければならず、ジェネレーターに油をモリモリ注入しなければならない。
宗教や人種の問題に、文字通り「火に油を注がれる」ようにして南北の内戦状態が激化し、沢山の人が亡くなったのに、現在の南スーダンは、石油が出るのに、少なくともジュバの近くには石油精製プラントが(まだできていない)ない。
ということでガソリンが無い。
その為、ナイル川にかかるジュバブリッジは、おそらく国境を越えて運ばれてきたガソリンを積んだタンクローリーが数珠繋ぎになって、ジュバの町にに油を運んでいる。同じく、未発達な上水インフラを補うため、ナイル川からくみ上げた水を工事現場やらに供給するのも日本の散水車、給水車のお古が活躍している。とにかく、タンクローリーや散水車が、あっちをフラフラ、こっちをウロウロしている。
町の中をひっきりなしに走り回る散水車やら水を供給する車。
車だけでなく、給水所や、給水バイク、給水自転車も活躍してる。まだまだインフラは未整備だ。
まともなインフラは、これまたアフリカではお馴染みだけど、通信、携帯電話の部類。これだけは町にゴミが溢れようが、水が真っ黒になろうが、確実に、かつキッチリ投入され、早々に安定する。
おっと、話が少しそれた。。ガソリンの話に戻そう。。
そうして運ばれてきたガソリン価格は6SSS/L。約144円。このガソリンの値段で、40度を超える猛暑をはねのけるエアコンをホテルの部屋で回す。。となると、まあ100USDを下らない宿泊価格になってしまうのかもしれない。
新たな国づくり、町づくりは始まったばかりなのだけれど、あまりにも酷い状況だったり、首都が南に位置しすぎてるとかで、遷都の計画もあるそうだ。
破綻状態にある都市インフラを継ぎ接ぎだらけでなんとかしようとするよりか、計画的にゼロから始めるのは悪くない気もする。大きな利権が動き、濡れ手に泡な連中が出たり、遷都に伴って仕事を失う人や、遷都するにもお金がなく引っ越すことも移動することもできない人がどうかでませんように。
なんて思う。なんだか例によって、支離滅裂になってしまった。