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お遍路記、SDカード紛失のため、一時休止!


5月3日 霊山寺。

お遍路記、SDカード紛失のため、一時休止!

人生即遍路

ならば、

撮りためたお遍路の景色が残った大事なSDカードを失って、

完全停止思考不能鬱寸前愚惰愚惰状態

になったのも、現在の自分の状況もまた人生。

お遍路自体は無事終わっているのですが、旅のブログアップデートは途中でつまずいてしまいました。。

失った画像の分も、気合いを入れて文章を書かなければなりません。気合いを入れ直し、捲土重来し、必ずお遍路後半戦のアップデートを行いますので、しばらくお時間ください!



四国遍路 Shikoku Henro Day-19

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四国遍路 Shikoku Henro Day-19

柏坂

5時半起床、6時過ぎに出発。

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ローソン愛南町平城西店で、朝の6時27分に買い物したレシートを確認すると、

セレクト チョコチップスナック8ポンイリ 138
セレクト ウーロンチャ          103
カゴメヤサイイチニチコレイッポン 200  108
手巻 シーマヨ (増量)           105

合計              ¥454

とある。

お遍路中は、荷物の重量を増やさず、体が重くならない程度の食事を自ずと選ぶようになり、荷物を担いで歩いている日中の買い物は、いつもこの程度。

小さな紙切れながら、コンビニのレシートにはなかなかの情報がインプットされていて、撮影した画像などと併用すると、旅を振り返り、ブログをまとめたりするのに重宝する。

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あ、そういえば愛媛県に入ってしまったので、スリーエフ高知のありがたい「お茶のお接待」がなくなるなぁ。

四十番札所、観自在寺から四十一番札所、龍光寺までは、約50キロ。

地図を見る限りでは、柏坂の峠道、松尾トンネルの迂回峠が、難所といった様子で、40キロくらい先の宇和島市まで、辿り着けるかつけないか?といった所。途中25キロちょいくらいの津島で一泊するお遍路さんも多いそうだ。

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さて、国道56号線をひた歩く。56号線は、海に迫る小山を避けるように伸びていて、傾斜地には柑橘系の段々畑。目指す峠は「あれか!」「いや、こいつか!」「ぬ!なかなか!」なんて思いながら歩くけれど、なかなか国道をそれ、柏坂に導く道標が現れない。

8時、ようやく旧御荘(みしょう)町を抜け、旧内海(うちうみ)村に入る。

海岸沿いの気持ちよい道になっていたのだけれど、内海の集落に近づくと、山が眼前に立ちはだかるようになる。「よし、あの山だな。」と気合いを入れ直していると、後ろに大きめのザックのオジサン。

語り口から、これは。。と思ったけれどやはり!茨城の方。

お話しすると、縦走にウルトラマラソン、トレイルランニングまで何でもこい!の健脚定年遍路さん、歩幅は短いのだけど、リズムがよくヒョイヒョイと進んでゆき、いかにも山慣れしてるといった方。そんなオジサンに、「早いですねぇ!」なんて言われ、ちょっと誇らしい気分になる。早く歩くのがいい事ばかりではないのだけれど。

歩き遍路で、一番ボリュームのある世代は、オジサンのような、定年後の60代男性な気がする。そして、その60代男性は、定年後に思い立ったゆったり歩きな方が半分と、もとから山好きの、ストイック(良い意味で)な方が60代男性の半分に別けられるような気がする。

山登り派は、貧乏歩き旅行などする必要などないのに、野宿で歩き続けたり何かを自分に課し、それを貫いて歩いてる人が多い。

今日は、震災で中断していたお遍路を再開して1日目、とのことで、いきなり御荘の橋の下でビバークしたらしい。1泊目が橋の下か。。。。

そのオジサンと、内海の集落に入り、56号を右にそれ、柏坂に向かう。

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少し休憩する、あとで追いつくよ!というオジサンとしばしお別れし、お先に!と柏坂の遍路道に入る。

柏坂は、四国の山が愛南町内海と宇和島市津島の間、海までのびる四国の山がほんのり鞍部気味になっている所を越える道。峠の標高は、460メートル。海抜ゼロメートル付近から、見上げるような急傾斜を一気に登るようななかなか手強い峠。

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昨日の松尾峠以上に、汗が吹き出るけれど、ここまで歩いてきたお遍路さんは、このキツさが快感になるはず。

午前9時前、柳水大師到着。

その名の通り、清水が涌いていて美味しく、ごくごく注入して小休止。オジサンが登ってくるまで待ち、言葉を交わし入れ違いに出発。

午前9時半、峠越え。ゆっくり目に歩き、しばらくしてからオジサンと一緒になる。オジサンと一緒になってからの下りはギアを二つくらい上げ、スピードアップ。

国道沿いの歩道をトップスピードで歩いても、バシバシと自転車や車に追い抜かれ、少々むなしくなることがあるけれど、山道で調子があがって歩く時の感覚は何か特別で、国道沿いの歩道を歩くのとは天と地程の差がある。

コーヒーゼリーにスプーンを入れるように、空気の壁を自らの力で突き破ってゆくような快感に包まれる。上がり気味のテンションに、軽妙な茨城弁トークがのっかり、気持ちよい。時々姿を現す由良半島と宇和海の景色、これがまた心を洗う。

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柏坂を下り、津島町の上畑地の集落で田植え中の方とお話しし、

「このあたりは、お盆には刈ってしまうんよ。」

なんて言われる。

9月の残暑が厳しい頃、「新米」のシールが貼られた米袋を見ると、高知産だったり、愛媛産だったりするなぁ。9月になったら、このオジサンの顔や、四国の景色を思い浮かべながら新米を食べよう。あ、9月にもう一度来るか?

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柏坂を下りきり、芳原川沿いの遍路道を行き、公民館前で一時休憩していると、地元の方がジュース代にとお接待。

12時、芳原川と岩松側が合流する津島の集落の外れに辿り着く。

火事があったのか、救急車や消防車が出動してゆくのとすれ違う。合併で大きくなった宇和島市だけれど、ついに宇和島に入った。けれど、午前中は頑張ってくれた天気が津島の集落に入ったあたりで怪しくなり、ポツポツと何やら落ちて来る。ららら、また雨か。

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一旦、オジサンとお別れし、津島のコインランドリーを利用しようと思ったけれど、そのままやすらぎの里という、松尾トンネル前の道の駅と日帰り温泉などが一緒になった施設を目指す事にし、12時半到着。

12時半で、歩行距離はだいたい28キロといったところ。オジサンに引っ張られるかたちで、気持ちよく距離を稼げたなぁ。

2日ぶりな風呂にじっくり浸かり、食堂に顔を出すとオジサン。今日は松尾トンネルを越え、宇和島市街に入る前の公園でビバークとの事。松尾トンネルは抜けますか、それとも遍路道?と尋ねると、

「遍路道でいきたいねぇ」

とのこと。それそれ!いいねオジサン!

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タップリ休憩したけれど、雨が止む気配も弱まる兆候も無い。ぬぅ、出発だ。カビ臭くなったポンチョを羽織り本日二つ目の峠に向かう。

ま、峠とはいえ、柏坂の460メートルに比べれば、小山程度。こちらも柏坂同様、地元の方が遍路道を整備してくれているのか、歩きやすい。雨水を集めた道がちょっとした川になっていたけれど。

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峠越えのトンネル迂回路が再び国道56号に合流し、しばらくすると、番城という気になる地名。昔は宇和島の出城か、番所や木戸でもあったのかしらん。この地名を抜けるあたりから、道沿いの店舗や家々がぐっと密になり、名実共に宇和島に入った感じがする。

午後7時、40キロ程歩いたあたりの、宇和島警察署脇のJoyfulで休憩。向かいのスーパーの駐車場脇で寝られるかなぁなんて考えるが、目の前が警察署なんだよなぁ。

Joyfulを出発し、近くのコインランドリーでいったん素っ裸になったりして洗濯をし、洗濯機が回っている時間に大村益次郎が宇和島藩に抱えられていた頃の住居跡地を尋ね、尋ねがてら寝床を探すが人の生活が密になりすぎてビバークには厳しそう。

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結局、再び歩き出し、道の駅さきいや広場の野外ホール脇にテント設営。

時刻は午後10時。駐車場には、夜明かし中の長距離トラックや、キャンピングカーなどが泊まっている。歩き遍路は好きでやっているし、歩き遍路には、夜明かし場所探しに苦労する事も含まれている。けれど、雨に濡れて、場所探しにすり減らされる今日みたいな夜は、キャンピングカーで旅する人が少し羨ましくなる。茨城のオジサンはうまく寝床を見つけられたかなぁ。。





四国遍路 Shikoku Henro Day-19

歩行距離 / 約42.15Km    観自在寺通夜堂 〜 宇和島道の駅きさいや広場
お寺 / 

お遍路旅の詳細はあらためて。。。

四国遍路 Shikoku Henro Day-18

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四国遍路 Shikoku Henro Day-18

土佐の旅が終わってしまって寂しかったとさ

早朝の撤収。

担ぐ必要の無い荷物を段ボールに放り込み、市営キャンプ場最寄りのコンビニから松山中央局に送付する。

具同から平田まではと土佐くろしお鉄道宿毛線で戻り、平田駅から午前8時半、歩き始める。

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少し道を間違えるものの、三十九番札所、延光寺にほどなく辿り着く。ここでも、クロアチア人男性とまた会う。今日は、好きな魚釣りをアドリア海で。。の写真と、獲物の写真なんかを見せてくれた。かくいう自分は、東村山の写真やら、海外の釣りの写真をiPhone経由で披露する。

三十九番札所、これにて土佐の16の札所を打ち終えたことになる。

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札所を打ち終えるとともに、1200キロとも1300キロとも言われるお遍路の道の中間地点はこの辺り。ふぅ、一区切り付いた。よく歩いたけれど、体に問題が無い事、支えてくれた色んなものに感謝だ。

あとは宿毛市外を抜け、遍路道経由で峠を越え、伊予愛媛に入るのみ。時間も読める。。。なんて思っていると、なんだか急に雲行きが怪しくなり、準備する間もなく、ポツンポツンと降り始める。

アルゼンチン系ブラジル人のひげ面お遍路さんと、宿毛市街に入ったあたりで一緒になり、

「このあとの天気はどうなるかね?」

「天気予報では、雨は明日からだって言ってたから。」

「おっし!頑張っていこう!バモスバモス!」

なんて会話をしながら少し歩いたのに、彼と別れて数ブロックのところで、土砂降り。

テンションを最高潮にして、その勢いで峠に突っ込んでいこうとした矢先の雨。ぬぅう。まさに水を差すとはこの事だなぁ。

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雨脚が弱まらないので、完全雨装備にして再出発。56号沿いのローソンで、行動食を少し購入し「貝塚」なる地名の集落から宿毛市街を離れ、遍路道に入ってゆく。

四国の西岸、特に足摺岬から佐多岬までは、ぎざぎざのリアス式海岸が続き、入り江に町が点在している。

現在は海沿いに道も走っているけれど、昔は海岸沿いに道を通すのが厳しかったり、遠回りだったこともあってか、最短距離はこちらの峠道!とばかり、峠を越えては入り江の町、峠を越えては湾奥の町といった歩き遍路道が続く。

四国西岸の峠道なのだけれど、山深さや急傾斜が敬遠されたのか、旧街道が拡幅されてアスファルトの道となり。。。といったお決まりの歴史をたどっていない。現在の国道は、峠を迂回して海岸に出たり、トンネルが通ったりしており、脇道というポジションに追いやられ歩行者専用の遍路道となっているものの、峠道自体は、地元の方の整備などに支えられ、未舗装な昔のままの姿を残しているところが多い。

峠道!、歩き遍路にしか越えられないお遍路最大の魅力!

と言いたい所だが、無限峠シークエンスの一峠目、松尾峠。

この峠がいきなりキツい。ザックにくっつけたテントが重い重い。

松尾峠は、海抜300メートル程度の標高なのだけれど、最後の100メートルのつづらの上りは、立ちはだかるように行く手を阻んでいた。こういったときは、子供の頃からの友人やクラスメイトなんかの顔を思い浮かべたり、自分のザックより遥かに重い荷物を担ぎ、伊予と土佐の間を当たり前のように往来した昔の旅人に思いを馳せ、少しずつ力をもらって登る。

「うおおおりゃぁ!」と、上がらぬ腿に「独り喝!」を入れながら。

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午後1時過ぎ、松尾峠。

自分が登ってきた方角に、「従是東土佐國」の標石。

これから進む方角に、「従是西伊豫國宇和島藩支配地」

うっっしゃああ!伊予!愛媛県!に入った!歩き通す事をあきらめる気は、さらさらなかったけれど、先輩お遍路に、

「土佐を歩き通した遍路は、もう大丈夫。八十八番まで行けるよ!」

と散々聞いていたので、緊張感を切らさずに愛媛を目指し、頑張ってきた。そして辿り着いた。

今まで歩いた距離と同じ距離を、もう一度、歩ききる事ができるかどうか?とふと思い浮かべる。

Oh Yeah! 大丈夫。

同じ道をもっと厳しい条件を課して歩いたお遍路さんはいくらでもいる。この先の道中にいくつか難所はある。でも人が乗り越えてきたからこそ、「道中の難所」と名付けられるんだ。。なんて思う。

テンションが上がりすぎて、山中でガッツポーズして大声を出し、雨もやんだのでポンチョを脱ぎ捨て、荷物を放り出して走り出す。

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松尾峠からほどない、藤原純友が築いた住友城を見物にゆく。

中世、いや平安中期だから古代の城。ささやかな土塁しか残っていなかったのは想定内。けれど、この城跡には、物見櫓ならぬ展望台が設置されており、宿毛湾と沖に点在する島々を見渡せる。おお、美しい。

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さらば土佐!

愛媛県に入ると、道がなだらかになり、きっちり整備された歩道になる。

松尾峠を下って一本松の集落に出ると、空気が湿り気を帯びず、からっとしてる。なんと!今日は朝から一粒も雨は降っていないとの事。要所要所で天気には見放され、長かった土佐が、峠を越えた以上に、遥か彼方に遠のいてしまったような感覚になる。土佐では歩きに集中し過ぎ、旨い地の物を食べなかった。グッスン。少し寂しい。

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そんな気持ちで、感じるポイント少なめな、国道56号沿いを愛南町目指して歩く。四十番札所、観自在寺に、16時到着。境内で、これまでに何度かすれ違った山ちゃんと、3日目の焼山寺アタック前、鴨の湯泊以来の真言宗のお坊さんとタイミングが一緒になる。土佐を歩き通した日焼けしたお遍路さんの顔は、どこか自信に満ちて力強い。皆さんは自分の表情から何を読み取るのだろう。

納経を済ませ、通夜堂をお借りするため、住所などを帳面に書き付ける。

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日没まで時間があるので、城辺の町の由来?にもなった常磐城を見物し、たらたらと歩き、なんとなくファミリーレストランJoyfulに入店。

お遍路さんの中には、愛媛の女性を絶賛して、高知の女性をけちょんけちょんに評価する人がいるけれど、どうだろう。評価する以前に、高知を歩いている間、あんまり土地の女性と喋らなかったからなぁ。

でも、言われてみれば、店のお客さんも店員さんもどことなく。。。なんて感じたのも束の間、

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隣の席の男女の高校生が、胸が大きくなったならないの話を始める。

なんだなんだ?   ん?   なんだなんだ?

観自在寺に戻ると、通夜堂には、岩手から来たという、曹洞宗のお坊さん。バックパックは有名なアウトドアブランドのものだけれど、他の装備は、錫杖から袈裟、足袋に至るまで完全なお坊さん姿。

暑さにはまだ耐えられるのですが、アスファルトの下りが、足袋だと非常に辛く、そこでスピードが落ちてしまい、一日の歩行距離が、どうしても25キロから30キロくらいになってしまう。

なんてことを話す。

雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズに歩いてきたけれど、今夜もまた、気合いが入ったお遍路さんにお会いでき、これからの遍路道で、難所に向かい合った時、

「観自在寺でお会いした曹洞宗のお坊さんだって。。。」

と思い、どこかを歩いているこのお坊さんに支えられ、難所を越えてゆけるのだろう。。。なんつって。。。。

実家から持ってきた青汁の粉末を毎日飲んでいるからか、なんだか話が青臭い。

課すものが大きくなったり、律し過ぎると、感動や楽しみどころか、遍路の目的まで飲み込まれ、

何で歩いてるんだろう?

なんて思ってしまうこともある。でも、一日を振り返って、印象に残るのは、松尾峠の登りと、峠から振り仰いだ景色で、峠からこの観自在寺への道で見たものではない。嗚呼、こんな簡単なことにこの歳になるまで、何で気がつかなかったのか。。女子○生のおっ○いがうんちゃらかんちゃら。。の。。。。

ぶつぶつぶつ。。。




四国遍路 Shikoku Henro Day-18

歩行距離 / 約33.29Km    くろしお鉄道平田駅 〜 観自在寺通夜堂
お寺 / 39,40  延光寺 観自在寺

お遍路旅の詳細はあらためて。。。

四国遍路 Shikoku Henro Day-17

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四国遍路 Shikoku Henro Day-17

三原越え

身軽な出で立ちでキャンプ場を再出発。一昨日と違い、土佐清水/足摺岬方面に向かう、始発のバスを「坂本橋」バス停で待つ。

時刻表通り到着したバスの中は、白装束のお遍路さんだらけ。その中には、何度も一緒になったクロアチア人男性も。足摺岬までの道は、バスを利用するそうで、今日は三十九番札所、延光寺近くの宿に泊まるそうだ。

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いつ痛みだすか予測の付かない足と体、宿の予約、そして言葉の問題等々、大変だろうけど、四国を半分回ったのかぁ、日本人にとっても四国のこの辺りは馴染み薄い場所。頑張れ!フランス人男性も頑張ってたぞ!

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「中の刈谷」バス停を午前9時に出発。

雨に洗われ、瑞々しさを増した土佐のはずれをひた歩き、一時間半程で足摺からの打戻り道をそれる。三原村を抜け、宿毛の延光寺に向かうルートに入る。このルートに入ったあたりかあら、山は深いが、ひたすら日の光が暖かい南山土佐な景色。

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三原村は、四万十市、宿毛市、土佐清水市に囲まれた山間の村で、

原材料:四国の自然と田舎

以上!といったトコロ。高知の友人ですらその存在を知らなかった村。

崖がストンと海に落ち込んでしまうような海岸線の土佐とは趣を異にし、山間ながらも谷筋にはゆったりとした田圃がひらかれ、水が入ったこの時期はとにかく美しい。いや、一年中、心癒される景色だろうな。

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ただ、あまりにも長閑な光景な為、多少退屈してしまうけれど、三原村に入ってすぐ、成山の集落から狼内の集落の間には遍路道が残っており、短いながら地元の方に丁寧に整備されている。歩きながら呼吸するだけで、体が洗われるような、素晴らしい道だった。

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午後1時過ぎ、三原村の中心部脇をへんろ道標に従って抜け、午後2時前に宿毛市に入る。

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宿毛市に入ると、中筋川の渓谷をせき止めたダム湖があり、橋の遥か下の流れ込みに釣り人。

「おおぉぉぉぉぃ!何が釣れるんですかぁ??」

「ブラッッァアアックバス!!」

「アホたれ!男なら四万十河口でアカメを狙えよ!!」

と会話。あ、少し嘘が入ってるけど。ブラックバス、大声で話したから逃げちゃったかな?

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中筋川の渓谷を抜けるのに30分程かけ、南黒川のバス停付近で休憩。あと一息の、土佐くろしお鉄道「平田」駅からの土佐中村方面の時刻表を調べると、駅までの距離、ギリギリの所で乗れそうにも無い列車、その次列車までの待ち時間が、大分中途半端だと判明する。

平田駅に向かいGPSのアプリを停止、午前9時から6時間、28キロ程で打ち止め。

駅近くの宿毛市の観光案内付きの遍路休憩所で、列車が来るまで明日以降の作戦を練りながら休憩し、平田から具同まで、数人のお遍路さんや地元の高校生達と一緒にくろしお鉄道に揺られる。

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昨日に引き続き、具同で買い物をして、早めの夕食を済ませ中村へ。

中村駅は電源が取れる無線LANスポットがあるとのことで、郵便局で局留めしておいたパソコンと納経帳を引き取りがてら、そのまま駅舎へ。

なんと、ゆったり電源、無料無線LAN付き待ち合いスペース。

「素晴らしい駅ですねぇ」

と、パソコンを持参し、ネットをしている方に声をかけると、なんと四万十市(旧中村市)にIターンしてきた川崎の方。移住して間もなく、ネットが開通していないため、時々駅を利用するそうだ。

日本の地方を旅していると、膝からガクっと崩れ落ちそうになる程、過疎が進んだ町や村に出くわし、四国もご多分に漏れていない。けれど、老若男女がこの時期ばかりはと、田植えに精を出したり、この川崎氏さんのように、輝きを失わず地方で新しくスタートを切る人もいる。

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しばらく話したあと、「お先に」と彼が去った待ち合いスペースで、人生の方向性やらが未だ見いだせず、それでいて東京に残しているものが少なくない。。。なんて悩む、日焼けした自分が。。。窓に映る。

しばらく一人だったのだけれど、がっちりした大柄男性が、待ち合いスペースに入ってきて、掃除を始める。座席の下を掃除して頂くため、少し席を立ちがてら「ご苦労様です」と感謝の意を述べると、タクシーの運転手さんで、ボランティアで掃除しているとの事。お兄さんが歩き遍路で、自分に色んなものを課しているのはわかっとるよ!は前提で、

「わしは、タクシーの運転手なんでどうもそっちから案内してしまうけれど、4人集まったら、バスよりも割安でお遍路も、効率良く回れるよ。」

と、窪川から、宇和島まで、公共交通機関と、タクシーを駆使したお遍路ルートを教えてくれる。今日はどこにとまっとるん?と聞かれたので、市営のキャンプ場だと伝えると、

「あんな遠くに泊まらんでも、この辺りに悪い奴はおらんから、その辺の公園や河原にキャンプ張ればいいのに。。」

なんて言ってくれる。もう、四国の皆さんには、世話になりすぎているので、そう言って頂けるだけで本当に有り難いんです。と伝え、「またお邪魔しにきます。」と伝えて待ち合いスペースをあとにした。嗚呼、明日から伊予。

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愛媛県だ。


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四国遍路 Day-17

歩行距離 / 約27.50Km    中の刈谷バス停 〜 くろしお鉄道 平田駅
お寺 / 



四国遍路 Shikoku Henro Day-16

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四国遍路 Shikoku Henro Day-16

義足とストックでお遍路するおフランス人

布団を這い出して外を眺めると、いつ降り始めてもおかしくない天気。今日で何日目だろ、何日雨なんだよ。。。

→ 三日目  焼山寺アタック
→ 十一日目 高知平野後半戦
→ 十三日目 窪川アタック
→ 十六日目 足摺からの打戻り道。

あ、4日に1日ペースか。まあこんなものか。

素泊まりなのに、夜食ばかりか、朝ご飯を出してくれた、ホテル椿荘のオバちゃんと若旦那に改めてお礼をし、出発。三十八番札所、金剛福寺まで約五分。

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ごった煮感のある境内で、ホテル椿荘の未来永劫の繁栄、ホテル椿荘に関わる皆さんの幸せを願って納経を済ませ、すぐに出発。足摺岬が見渡せる展望台に向かい、岬をバックに写真を撮って頂いたのが午前7時40分。

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さ、今日はどこまで行けるかと、北に向かって歩き始めた途端、雨。

足摺から5キロくらいの、津呂の集落で本降りになり、ポンチョを被る。結局この日は雨脚が弱まらず、ほとんど写真も撮らない一日になってしまう。

歩いている時に気になるのは、四万十の河原に張りっぱなしのテント。市営の無料キャンプ場の、目立たぬ場所に張ったし、増水した所で台風レベルの雨でなければ、流されるような水位になる事は無いだろう。

と分かっていても、気にかかる。

身軽になる為にテントを張ってそこに荷物を放り込んで、歩き出したのになぁ。。結局はその張りっぱなしにしてあるテントが気になってしまう。

なんだか自分の人生そのままな展開。

窪津では、先日以布利付近で追い越し様にお話しさせて頂いた年配の普段着遍路さんとすれ違い、窪津漁港では、岩本寺とそのあとに少し言葉を交わした、滝行女子こと、山ちゃんとすれ違う。雨が降っているので、

「いよーっ!」

なんていいながら、ハイタッチ。

遍路道には「打戻り」と言われる、街道をそれ、岬のどん詰まりの札所に向かって、またその街道に戻る。

一度歩いた道をまた通る箇所がいくつかある。

ただでさえスピードの遅い歩き旅。なんでわざわざ、来た道をまた戻る。なんて気持ちにもなるのだけれど、遍路仲間とのすれ違いがあり、悪いばかりではない。

窪津から以布利までの道では、二人の日本人遍路さんに付き添われ、義足とストックだけで1200キロの遍路道を歩いている、両足が不自由なフランス人男性とすれ違った。

遍路をスタートして以来、彼の事はたびたび耳にしていたので、見かけたら。。と思っていたのだけれど、雨の遍路道、見通しの悪いカーブを越えた所で出くわすような状況だったので、あわてて

「ボンジュール!」

と、すれ違い様に笑顔を送る事しかできなかった。

オレンジ色のレインジャケットを身に纏い、自分の腕だけを頼りに、雨の遍路道を進む男性。サポートする旅行者風の男女。ホテルなどにあまり泊まらず、通夜堂や野宿などで、一日20キロくらい歩いているそうだ。

彼と伴走のお二人が歩きながら見た景色、触れ合った人々がはどんあものだったのだろう、うーん、涙が出てきてしまう。いろいろあった昨日は泣かなかったんだけどなぁ。四国に来て実に、実に涙もろくなった。

以布利の郵便局で、使わずじまいのPCと次の札所まで出番の無い納経帳を土佐中村局に送付し、昨日土佐清水のコンビニで買ったメロンパンの昼ご飯。午前10時半。

国道321号線に戻り、転々とするバス停で、本数の少ない土佐清水と土佐中村を結ぶバスの時刻表を確認しつつ、北へ北へ歩く。

午後12時20分、下ノ加江まであと少しの、「中の刈谷」バス停着。少し待っていると中村行きのバスが到着。昨日も頑張ったし、テントの様子も少し心配なので本日は25キロで歩き止め。

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「坂本橋」バス停まで戻り、中村の対岸の具同の町で買い物をし、早めの夕食を済ませ、日没寸前から中村の町を少し徘徊。

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幸徳秋水の墓で手を合わせ、銭湯に入ってキャンプ場に戻った。


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四国遍路 Day-16

歩行距離 / 約24.96Km    足摺岬 ホテル椿荘 〜 中の刈谷バス停
お寺 / 38 金剛福寺

お遍路旅の詳細はあらためて。。。

四国遍路 Shikoku Henro Day-15

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四国遍路 Shikoku Henro Day-15

お前みたいな糞虫は、うちの宿に泊まらなくていいよX3

15日目を短くまとめると、

荷物が軽いこともあって、朝の7時半からあまり休みも取らず、ほぼ限界に近い55キロ以上を歩いて足摺まで辿り着き、限界まで頑張った!自分にご褒美!ということで野宿せず、久方ぶりに宿に泊まろうとすると、電話をかけて辿り着くいたペンションに宿泊拒否!される。

ま、そんな一日だった。今日の遍路日記は距離同様、無駄に長いので、斜め読み!でどうぞ!

朝は6時前の起床。

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四万十のキャンプ場から中村駅に向かい、7時19分発の始発に乗り込み、昨日歩きを一時中断した浮鞭の駅に到着したのが7時34分。歩き始めとしてはかな り遅く、太陽がとっくに昇ってしまい、海沿いの公園では、野球の練習が始まり、朝イチの波を楽しんだサーファーは海から上がって休憩中だった。

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蛎瀬川を渡ったあたりから内陸の道になり、長閑な田舎を貫く農道を歩くといったところ。アップダウンもあまり無く、恐れるに足らない区間のように見えるの だけれど、蛎瀬川から四万十川までの、この単調な9キロが、凄く長く感じられた。焦る必要は無いのだけれど。一日の始まりが遅かった事のだるさなんかが原 因な気がする。

四万十川を四万十大橋に出たのが10時半。

天候が安定しない上、田圃の水が入ってしまう時期なようで、四万十の色はターコイスブルー。透明度が低く、川の中を覗き込んでも魚が踊るような景色を見ることができないのが残念だ。四万十川や仁淀川がその名の通り、川底まで見えちゃう清流な時期にまた来てみたい。

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四万十を越えてから、道は国道321号線になり、歩道がゆったりしていることもあり、気分もようやく爽快になる。中村の一条氏が、故郷京都を偲んで始めたと言われる「大文字」の送り火が炊かれる小山を眺め、通り過ぎ、少しのぼったあとに新伊豆田トンネル。

段差の歩道がある上、交通量もそれほど多くないので、恐れる程ではないけれど、お遍路の長い道中で、最長の部類のに入るのがこの新伊豆田トンネル。こちらがトンネルに入る前、逆打ちでもしているのか、トンネルを歩き終えたらしいお遍路さんがぐったりしていた。

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トンネルを抜け、ドライブイン水車で少し足休め、午後1時半、下ノ加江のスリーエフで中休止。歩き始めて6時間で、距離は約26キロ。やはり朝一に歩き始められなかったので、距離もスピードも伸びない。

午後3時、大岐海岸到着。

地図をたよりにせず、何も考えずに国道の歩道をひたすら歩いたため、歩き遍路のお楽しみポイントの一つでもある、大岐海岸で、浜沿いの道にそれるのを忘れ てしまう。大岐の集落を抜け、少しアップダウンがあったあと、次は以布利の集落。今日は以布利辺りですれ違うバスを捕まえ、中村に帰ろう!なんて思ってい たのだけど、またもや分岐で地図を確認せず、道を間違い、以布利の集落でなく、土佐清水市に向かう道を選んでしまう。

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ザックのポケットにある遍路地図を取り出すだけで問題は解決するのに、何故かこの日は遍路地図に手が伸びなかった。なんでだろ?

トンネルを越え、坂を下るとこじんまりとした土佐清水市街のはずれ。

時刻は午後4時過ぎ。土佐清水は静かな入り江の奥の漁師町といった雰囲気で、西日を受けた海に照らされ、輝いていた。iPhoneの地図ソフトを起動し現在位置確認すると、土佐清水は、土佐のはずれのまたはずれ。我ながら良く歩いたなぁ、と感慨もひとしおになる。

土佐清水で休んでも良かったけれど、足摺岬への道標と、距離数を見る限り、15キロを切っており足摺が射程内に思えてしまう。せっかくだから夕日を眺めながら歩いてやろう。やろうかぁ!となる。

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よし、そのまま足摺に向かう事にしよう!なんて、どこか急いてしまっている自分が歩く海岸沿いの道で、親子連れが海を覗き込んで、のんびりアオリイカを探していた。のんびり、ゆったりと。

ジョン万次郎が生まれた中ノ浜を午後5時過ぎに通過。

土佐清水が、土佐のはずれのはずれなら、中ノ浜はそのまたはずれ。それでも人が堂々と住み、歴史に名を残す人物を出していて、中ノ浜の背後の山は足摺国立 公園内だからか、手つかずの原生林だ。日本は人も自然も多様で、奥深い。いろいろ問題はあるけれど、この国に生まれてきて良かったぜ。

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大浜着午後5時半。

金剛福寺を目指していれば、海沿いの道を歩きながら、九州の方角、西の海に向かって沈んでゆく夕日を眺めることができる。なんて思っていたのだけれど、とんだ見当違いだったことに気がつく。

大浜を過ぎて、県道から遍路道に入り山道を歩いてゆくと、海岸線が見えなくなるばかりか、岬が背後になる上、進行方向は東。海岸線は右手になって方角的には南。あ、文章にするとよくわからないな。ま、とにかく、夕日は見えなかった。

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国道や県道沿いの歩道が続いていたので、静かな未舗装道が本来であれば心地良いのだけれど、心置きなく遍路道を楽しむには、時間が遅すぎた。

遍路道を抜けて、松尾の集落を抜けたのが午後6時半。足摺中学校を通過し、国民宿舎足摺テルメを通過する頃、あたりは完全に闇になっていた。おまけに、足 摺テルメを通過する道は脇道で、足摺の集落を1/3くらいかっ飛ばしてしまった様子。ここでなんとなく宿を決められなかったことでケチが付いた。

足摺テルメからの道を下り、郵便局あたりに出るが、足摺の集落は、閉店ガラガラ状態。

宿探しをするが、

一軒目。 「ごめんなさい、満室です。」
二軒目。 「ごめんなさい、満室です。○○宿ならまだなんとか。。」
三軒目。 ○○宿。どうしても見つからない。

ぬぅ、

もう7時過ぎ、ネットで見つけられた足摺のユースホステルも満室でどうにもならないとのこと。

なんとか、ユースからほどない場所に、こぎれいなペンションと民宿を掛け合わせたような宿を見つけ、玄関に書かれている電話番号で、空き室を確認すると、8時までにチェックインすればまだ部屋はあるとの事。

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ほっ。

せっかくなので、二軒目の民宿に紹介された、三軒目の宿を探すが、どうも見つからない。まあ仕方が無いしと、結局そのこぎれいな宿に向かう。

が、こちらが玄関に入り、「5分前に電話して云々。。」と伝えると、

「あ。。。。歩き遍路。。さ。。んだったんですか。」

みたいにあからさまに嫌な顔。

「うちには板前がいないから夜の食事が用意できないですよ。」

といきなりの切り口上。

部屋を準備するという事で、玄関でしばらく待たされる。

行動食もあるし、晩飯がでないのは承知の上だけれど、今日は頑張った間隔でいるので、

「食事だけでも食べられる所があれば、まずは荷物だけ置かせてもらって、そこで食べてこようと思う。お風呂が空いた頃には戻る。。。」

と伝える。が、ここで豹変。突然、何を取り違えしたのか、

「いい、もういい、いい、もういい」

の一点張り、それしか言わない。

「え?いいってどういう意味ですか?」と聞き返すと

「裏の椿荘さんは、板前もいるし、食事が出ますよ、そっちがいいですよ、うちはもういいですから。。」

と変な感じ。

「えあ?」

「いい、いいです」

引き続き「いい」の一点張り。

なんだ?

あ、そうか、この宿にお前みたいな糞虫は泊まらないで「いい」ってことか、「いい」を前面に押し出すのは、言葉尻をとられて、「宿泊拒否をした宿」の汚名を被りたくないのかな?

なんて、まずは驚いていると、

「もう泊まらないで、もう出て行ってください、椿荘さんなら、部屋もあるでしょうから。」

とのこと。

あ、宿泊拒否だ。

宿泊拒否しちゃったよ、この若旦那。。。と思うが、それ以上、怒りや悲しさを通り越したという感情でもなく、何の感情も涌いてこない。

長い旅人生で、人生で何百泊とゲストハウスからちょっとしたホテルまで、いろんな宿に泊まってきたけれど、こいつは初めての経験だ。

でも、以外にも冷静に状況を捉える感情にしかスイッチは入らず、逆上したり、沸々したりすることも無かった。「あ、そうですか」なんて気持ちで宿を去る。


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追い出された宿のすぐ裏手には「ホテル椿荘」の看板。

お、年季は多少入ってるけれど、れっきとしたホテルだな。ホテルに泊まる選択肢は無かった上、疲れてて民宿っぽいところばかりに声をかけてたから、見つからない訳だ。

フロントに向かい宿泊料金を尋ねると、部屋はあるようで、素泊まりで、5000円+消費税。まあ、足摺の民宿ホテルは高いという事だったし、今日は気力体力ともに尽きかけているので、それでお願いする。

記名やら、チェックインの手続きをしていると、フロントの奥からオバちゃんが現れ、

「お遍路さん!歩き?どこから?え?中村!一日で、あら!いやぁ!お疲れだったね。!」

と出迎えてくれる。そして、ゴニョゴニョと、フロントの息子さんであろう若旦那と一緒に部屋をどこにするか何やらやりつつ、

「お遍路さん!5,000円でいいから!5,000円。厨房締めちゃってて、晩ご飯は出せないんだけど、おばちゃんがおむすび作ってあげる。お腹すいてるでしょ?え?いいのいいの!あとでお部屋に持ってっとくから、先にお風呂でも入っててね!」

なんて言う。

じんわり。。。

ーーーーーーーーーーー

昔々。。。土佐の足摺に。。。

日がとっぷり暮れてから辿り着いた旅人がおったそうな。

旅人は、庄屋どんの家で一夜の宿を求め、

「ごめんください、一夜の。。。」

とお願いをしたのじゃが、言い終わりももせぬうちに、

「糞乞食!この穀潰し!税金泥棒!」

と罵られて蹴りだされてしまったそうな。。。

旅人がしょんぼりしていると。。。何やら、庄屋どんの家の隣のあばら屋から声がする。

「旅の人!狭苦しくてすきま風が吹いとるけんども、泊まってき。」

と、招く。

あばら屋の爺さんと婆さんは、旅人に精一杯のおもてなしをしたんだと。

。。。。。

で、その旅人が実は、なんと神様! チャッチャラー!

そこからは、

その夜を境に、庄屋どんの家の家運が傾き、貧しいお百姓さんの軒下からは、100兆両の小判が出て。。。。。

なんてのが日本昔話のお決まり。願い事を叶えてパターンもあるな。

神様役の自分が、

「これ、椿荘のおばさま、この椿荘を、我の神通力で、1000階建ての世界一のホテルに立て替えて進ぜ。。。。。。」

って言ったら、

「いえいえ、私たちは家族が元気で働いて食べているだけで、幸せなんですよ。私たちは足摺に遊びにきてくれる人が、1,000人増えてくれるだけで、嬉しいんです。それが望みでございます。」

なんて返していそうな、椿荘ホスピタリティーでした。

あ、これを聞いた宿泊拒否しちゃった方の宿の若旦那が、

「神様!椿荘の家が、何にも望まないんだったら、こちらのホテルを1000階建てにしてくだされ。。。。」

なんて言ったら、100兆回、宿の前でゲップすることにします。

ということで、完全停止不能状態からの、超絶前進快活状態。

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宿泊拒否された時、こちらから宿の若旦那に、罵詈雑言を投げなかったのは、自制できたというより、猫だましを喰らって気をそがれ、感情が出てこなかっただけなんだけど。。。。とにかく、怒らなくて良かった。

足摺岬が「怒りの岬」として記憶に残らず、おかげさまで、この先のお遍路でウジウジすることもなさそうだ。こういうまぐれがこの先も続いて、椿荘の親子に感謝して就寝。

明日は雨になりそうだなぁ。

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15日目   

歩行距離 / 約55.75Km    くろしお鉄道 浮鞭駅 〜 足摺岬 ホテル椿荘
お寺 /



四国遍路 Shikoku Henro Day-14

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四国遍路 Shikoku Henro Day-14

現在では四万十市となった土佐中村までは鉄道を使うかもという仁さんに挨拶し、早めの出立。三十八番札所、金剛福寺に向かう。

三十七番岩本寺からの金剛福寺までの距離は、約80キロ。

高知の札所も残るとこあと二つ。。。。なのだけれど、日本有数のアクセス至難の場所だけあって、人口も希薄になり、相応に札所の数も少なくなる。

三十六番札所 → 三十七番札所 約60キロ
三十七番札所 → 三十八番札所 約80キロ
三十八番札所 → 三十九番札所 約50キロ

と、土佐の最後の三つの札所間の距離は長い。

高知県は右手の甲の親指と人差し指の根元で、直角を作ると、距離感や感じが掴みやすい。親指の先端が室戸岬、人差し指の先端が足摺岬、指と指の間の水かきのような平かなあたりが高知平野あたりになる。

旨く説明しきれているか分からないけれど、土佐は、札所が集まっている水かきの部分、高知平野のを抜けてからが長い。窪川はどの辺りだろう。かなり歩いてきたけれど、まだ人差し指の第二関節あたりだ。

長さ、国道の脇の歩道の単調さが、修練の道場と土佐が称されるゆえんだけれど、旅の道連れさんや、日替わりエピソードで、危険信号が灯る事も無く乗り切ることができた気がする。そうそう、足の痛みが心配する程でなくなったことも大きい。

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7時、瑞々しく張りのある空気の中を、歩き始める。雨に洗い流され、まさに、「世界が新しく生まれ変わる」といった表現がピッタリな一日の始まりだった。

国道を進んでいると、岩本寺の宿坊に泊まっていたという山ちゃんとすれ違う。二回に分けた区切り打ちを、青龍寺辺りから始めたばかりで、「滝行」大好き!という面白いお姉さんだった。

5キロ程歩いて、片坂峠。

峠までは平坦と行ってもよい程の緩い上り、そして峠から急降下。まさに片坂な道。下りがキツいので、国道は傾斜を交わすためつづら折りになっており、土佐中村への鉄道は、この峠道を大きく迂回するように敷かれている。けれど、そんな峠の遍路道は足への負荷が程々な、気持ちよい山道。できるならこのままこの道が足摺岬まで続いてくれ、と思う程だった。

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山道を抜け、国道に合流する所で見覚えのあるお遍路さん。

あ、香ばしいご夫妻に捕まった卒業旅行の遍路さんだ。

どうやら、窪川では民宿に素泊まり、今日はできる限り歩いて、明日中に足摺岬!な計画な様子。しっかりとテンポの良い歩調そのままの好青年。ペースが同じなので、細い歩道を前後二人で並んで歩く。

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歩き始めて2週間が経ち、四国のはずれまで来て、出発日が一緒の歩き遍路の方と一緒に歩く。自分が歩いた道を歩き、感じた苦労や喜びは、同じかな、でも人はそれぞれ違うのかなぁ、なんて思いながら伊与喜駅までいの10キロ、2時間ちょいを一緒に歩いた。

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伊与喜の駅から熊井隧道経由の遍路道。

一人になってしまったけれど、天気がよく気持ちがよい。

遍路道から、国道56号に戻ったコンビニで休憩中、逆打ちの女性のお遍路さんに会う。今日はここから愛媛の女友達の車のお接待で、岩本寺、青龍寺を目指すとの事。愛媛の女の子が可愛くって、一緒に乗りたいくらいだったけど、2日連続で風呂に入ってないんだよね、俺。

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午前11時45分 土佐佐賀の集落着。

黒潮町佐賀公園駅と、井の岬トンネル手前のたこ焼き屋さんで休憩。

そういえば、高知はたこ焼き屋さんが多い。

今日は、早めに歩きを切り上げ、土佐中村市内でキャンプ予定のため、くろしお鉄道中村線浮鞭駅にて、午後2時40分。歩きを終える。

少し遍路道から外れる浮鞭の集落を通りながら駅に向かっていると、おばあさんに、

「杖を触らせてください」

とお願いされたので、喜んで差し出す。自分のような未熟者がついてきた杖で、おばあさんは幸せになれるか、願いは届くのかなぁなんて思う。

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浮鞭の駅では、乗り遅れそうになる列車が出発しないよう、運転手さんに声をかけてくださったり、鉄道の中では、缶コーヒーのお接待頂く。

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キャンプ場に向かう前に、中村市街で食材を買い入れ、コインランドリーで洗濯をし、局留めの荷物を引き取って、ハイヤーで四万十川河原の市営キャンプ場。

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初めてテントを貼って、初めての本格的な自炊。

初キャンプも嬉しいが、四万十川の河原でキャンプ!って、文字にするだけでなんだか酔っちゃうなぁ。なんだか嬉しいぞ。ま、キャンプ場は遍路道のルートからはかなり離れてしまっているんだけど。



よし、もう一度、文字に。

「足摺岬を目指すにあたって、この四万十川DSC01117.JPG

河原をベースにする!」

以上! 午後9時就寝。

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14日目   

歩行距離 / 約34.55Km    岩本寺近くのガレージ 〜 くろしお鉄道 浮鞭駅
お寺 /



四国遍路 Shikoku Henro Day-13

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四国遍路 Shikoku Henro Day-13

峠を越えると

本来、野宿するような場所でないので、5時起床、5時半に撤収&出発。

忍びのごとく、人知れず眠り、目覚め、去る野宿遍路の朝は早い。

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空気がピンと張りつめた浦ノ内の集落を進み、へんろ道標の矢印をたどりながら進む。リズムよく歩いてしまい、地図を確認するでも無くダラダラ前進してしまい、気がついたときは海岸線から遠くは慣れている。ら、山側の道経由で須崎市を目指す事になってしまった。

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山側の道は、集落と集落を結ぶ古い往還を舗装しただけといった状況で、裏道の裏道といった雰囲気。あまり人通りはなく、道の脇に野菜の貯蔵所か何かと思われる横穴がたくさんあって、昼までも少し気味が悪い。夕方以降にこの道を通るなら、ヘッドライトに加え、暗闇の圧迫を跳ね返す勇気も必要そうだ。

その上、さほどロスではないのだけど、上り下りの回数が多い。

結論。急いでいる人にはこちらの仏坂不動尊ルートはお勧めできない!

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午前7時半、須崎市街の外れに到着。埋め立て地で雰囲気のかけらもないけれど、昨晩からまともに食事をとっていないので、コンビニのスパゲティーが旨い旨い。スルスル頂く。ちなみに、須崎は中心部を通る事なく、国道を歩いているうちにスルスル通過。

道の駅では、鰹のタタキの実演販売が有名なのだけど、朝が早過ぎ、まだ開店前。せっかくの土佐名物を味わえず残念。あんまり踏ん張らず、どこかの民宿に泊まって、昼飯どきにこの辺りを通過するべきだったかなぁ、なんて思う。

せっかくの土佐なのに、なんだかまともなモノを食っていないなぁ、おむすびやら菓子パンばっかやないか、と悔やみつつ、情けない気持ちになりつつ、道の駅の先から始まる上りを歩いていると、香川ナンバーの社用車風のバンが目の前に止まる。

30代前半とおぼしき会社員の方が、降りてきて

「オハヨウございます。歩きですか?」

「おはようございます。歩きですよー!」

「少ないですけどこれで、何か食べてください。」と500円。

「有り難うございます。南無大師遍昭金剛….南無大師…….」

「今日は営業で高知なんですけど、歩いている人を見つけると、時々お接待するんですよ。。。。あ、通しですか、香川まで頑張って歩いてきてくださいね!」

「。。。。。ありがとうございます。」

と車がカーブで見えなくなるまで、手を合わせて見送る。

ったく、涙が出てくるなぁ。

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有り難く行動食を購入しました!

頑張ります。香川まで行きますよ!

須崎を抜けると入り江の多い、山が海に迫る伊豆のような景色が少し続き、海岸線が険しすぎ、入り江の奥の平らかな場所が少ないのか、国道が海岸線から離れる。

午前9時20分、安和の集落を抜け、午前9時45分、焼坂トンネルも通過。

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昨日の疲れが残っているけれど、それを上回るテンションが体に漲っており、調子が良い。

午前10時半に中土佐町、土佐久礼到着。

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ファミリーマートで軽食をとりつつ、七子峠に向かうルートを考える。うーん。遍路道を行きたいが、この七子峠ルートで二本ある遍路道のうち、土佐往還そえみず遍路道は、道は楽しそうだけど、標高差があり、大坂遍路道は、最後の急登が。。。。すれ違った逆打ちのお遍路さん曰く、

「国道はちょっと車が怖いですけど、見晴らしがよいですよ!」

とのことなので、国道56号をそのまま登ってゆく事にする。

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途中で雨がぱらつき始め、雨用のパッキングに切り替えたので、カメラを取り出すのが億劫になり、写真を撮ることができ泣けれど、車の通行も想定内。ダラダラの上り坂は好きなくらいなので、楽勝だった。

12時45分、七子峠着。カロリーメイトを頬張りながら、少し休憩。オージーのお遍路がいたら、カロリーメイトを「おう、カロリーマイトじゃ」
とごちそうしたいと思っているのだけど、なかなかチャンスが無い。

七子峠は標高にして300メートルにも満たないのだけれど、海抜ゼロメートルからの上りということもあって、振り返る景色はよく登ったなぁ、なんて自分をほめてやりたくなるような、なかなかの壮観。

が、その登った先、七子峠を過ぎ窪川に向かう道が、ほぼ平坦になる。

なんだか、台形の斜めの線をズイズイ登り、そのあと平らな上辺にたどりついた場所。といったところ。関東平野が尽きて、ぐいぐい碓井峠に向かって登り、峠に辿り着くと平らかだけど高原地帯。たいした下りはありませんよ!なあの景色に似ている。

そういえば、焼山寺を打ち終え、疲労困憊して辿り着いたキャンプ場は軽井沢キャンプ場だったなぁ。ああ、何言ってんだろ。。

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さて、再び歩き出す。高知の平野部では後半戦に突入した感のある田植えも、七子峠の上の高原地帯では、まだ始まっていない。田植えの前の代掻きか、蓮根でもとっているのか、泥まみれになって集団で働いている農作業グループが印象に残る。

峠から窪川までは17キロ。1/3が遍路道、残りの2/3が56号の歩道。遍路道の途中までは、のどかな道をのんびり歩きな、気持ちよい旅路。

が、遍路道が終わろうとする頃、天候が大きく崩れ、土砂降りに。

装備も雨用フル装備にならざるを得ず、「やれやれ、また雨かよ。」と思わず愚痴がこぼれる。

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コンパクトで過疎化の激しい窪川の市街地に入り、三十七番札所、岩本寺に着いたは、午後4時半頃。香川の会社員の方へお礼の気持ちを込め、雨だったけどなんとか辿り着けた事への感謝しながら般若心経。

ああ、今日も結局雨だったなぁ。高知市の大雨で濡れ鼠になったのは、一昨日。今日は風はあまり強くなかったけれど、平野部の雨と違い、窪川の雨は冷たい。

着替えても体が乾ききらず、気温が下がり寒い。そんな身も心も濡れ鼠な自分と岩本寺脇のガレージで、同宿二人したのは、清滝寺でもご一緒した、仁さん。ここから先の野宿場所、テントを貼ることができるポイントなど、を教えてもらい、iPhoneが割れてしまった昨日の出来事なんかの話をする。

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明日は晴れみたいだ。


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13日目   

歩行距離 / 約44.81Km    浦ノ内農協軒下 〜 岩本寺近くのガレージ
お寺 / 37    岩本寺

お遍路旅の詳細はあらためて。。。

四国遍路 Shikoku Henro Day-12-002

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四国遍路 Shikoku Henro Day-12-002

野宿場所を探して三千里

午後1時過ぎに青龍寺での納経を済ませる。

次の岩本寺までは約60キロ。できる限り前進したい気持ちもあるけれど、今日はいろいろあったので、急がない。

石段の下のベンチに腰掛け、スリーエフで挨拶だけ交わした物静かな中年夫妻に声をかけると、なんと華人系シンガポール人。乾燥イチジクを頂きながら、北京語語を少し喋る事のできる、東京から来たこれまた中年の女性と三か国語を交えて話す。シンガポールのお二人は、一度通しで回ったこともあり、今回は高知だけとの事だ。

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その年齢で、お遍路しにちょくちょく四国に来るとは。。。このときばかりは、シンガポールでどんな仕事をしているの?なんて、聞きたくなるが、「嗚呼、LAKSAが食べたい、チリクラブが食べたい、ホッケンミーが食べたい。。」なんて会話しているうちに、宇佐の集落近辺のお宿に向け、出発してしまう。一緒に話していた中年女性はここで今回の区切り打ちがひとまず終わり、種間寺の方から宿の車が迎えに来るらしい。

お遍路転がし?お遍路転向?の魔の手を振り払った学生さんは、彼女に便乗して、宇佐大橋のたもとまで車で向かい、そこから歩き遍路を再スタートし、できるだけ歩くという。

二人に誘われたけれど、打戻り(同じルートを戻る事)も含めて歩き通したく思っていたので、お礼を言い、少し休んでから出発すると伝える。というより少し強がってみせる。

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午後2時頃出発。宇佐大橋までの打戻りの道で、これから青龍寺に向かうお遍路さん、それもこれまで何度かお会いした方とすれ違う。

大日寺で言葉を交わしたカナダから若者。
止めるに値する理由が見つかったという事でこの青龍寺で終わりにする、徳島から抜きつ抜かれつしてきた男性。
そして、土佐国分寺から焼き物の事を話したアメリカ人女性。

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一人一人と短く会話して、別れる。この宇佐の集落から青龍寺までの道は、打ち戻るのを嫌がる方もいるけれど、自分の前後2時間くらいのお遍路さんとすれ違う確率は打ち戻りゆえ、高くなる。

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道を更に宇佐の中心部まで戻り、コインランドリーで洗濯がてら、コンビニで行動食と軽めの晩ご飯を買い入れる。なんだかダラダラしてしまい、出発は午後5時過ぎ。

できるだけ歩いて、遍路小屋か公園で。。。


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という計画だったけど、こういった行き当たりばったりの作戦が、この日はうまくゆかない。宇佐のはずれのバス停改造系遍路小屋を過ぎたあと、野宿可能なポイントがなかなか見つからない。やっと見つけた出水の遍路小屋にも、先客がおり、万事休す。

とにかく横になれる場所、横になれる場所。。。と、周囲に目を光らせるけれど、日が暮れてしまうと、野宿場所を見つけるのが更に難しくなる。野宿場所は、ただ平らな場所であれば、雨を凌げる場所であればというものではなく、人の家に近すぎても、道から遠すぎても、落ち着いて寝る事はできない。野宿場所は人によって好き嫌いが別れるけれど、個人的には、町外れの閉店した店舗の駐車場や、静かな公園みたいな場所が好み。ま、いずれにせよ、自分より遥かに慣れた旅人でさえ、野宿場所には苦労しているようだ。

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山がすぐ海まで迫っている道で、コレだ!という寝床候補地を見つけられない歩きが続き、節電のために電灯が少ない浦ノ内トンネルの通過で、精神力をついに使い果たし、真っ暗な浦ノ内集落までの道で根性の目盛りもほぼゼロに近くなる。

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どこでもいい!と思い、小学校に忍び込みかけるが、何かあって迷惑をかけたら大変なことと、夜の校舎の雰囲気に気圧されて断念。浦ノ内の集落まで気合いで歩き続け、集落に午後7時半に到着。

一歩も動けなくなる完全停止不能所帯直前で、農協倉庫の軒先が、ウェルカムしている感じがするので、そこにマットを敷く。この集落で女性に声をかけられたりしたら、間違いなく狐だなぁ。

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寝袋に潜り込むと、あっという間に意識が遠のく。

いろいろあった今日一日だったけど、思い返すことも無かった。

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12日目   

歩行距離 / 約33.63Km    清瀧寺通夜堂 〜 浦ノ内農協軒下
お寺 / 36    青龍寺


四国遍路 Shikoku Henro Day-12-001

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四国遍路 Shikoku Henro Day-12-001

身代わりiPhone

無理が続いていたので、久しぶりに朝寝するが、仁さんはまだお休みの模様。「納め札」にお礼を書き、起こさぬように出立する。

午前8時前に歩き始め、麓に降りた所で、さっそくおばあさんに飴玉をお接待して頂く。有り難うございます。

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この土佐市高岡の市街を抜けると、しばらく町らしき町はないという情報なので、コンビニ飯を避け、朝飯はすき屋の牛丼。どこでも同じな何の変哲も無い味だったけれど、店員の方が声をかけてくれる。

「お遍路さん、どちらからですか?」

「東京の田舎の方です。」

「少し前まで東京のどこそこで働いておりまして。」

「あ、自分の東村山からは遠いですが、職場がそっちだった」云々。

話の内容はともあれ、人との距離が縮まって近くなると、反射というかリズムで土佐の人は言葉をかけてくれるようなところがある。

「いい所ですね。海も山も自然もあって、皆さん優しいし。。。」

「そうなんですよ、東京もいいのですが、夜の星の奇麗さが。」

なんて。 

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人と人とのすれ違い、やり取りだけ取り出したら、平均的な日本コミュニケーションより、アメリカよりかもなぁなんて思う。

「青龍寺ですよね、あのあたりは山も良いですよ」

なんて言われ、すき屋をあとにする。

100円ショップなどもしばらく無いようなので、10時の開店までダラダラする。時間があるので、東洋町のおばさんから小夏と一緒にいただいてしまった、某新興宗教の小冊子を流し読み。

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世の中の事象をバターナイフで切る!と言ったところかなぁ。冊子を読む限り穏やかな宗教でさほど香ばしくないけれど、記事を書いている方々が自分の言葉で話しておらず、パンチもフックも無く、コレを読んだだけではこの宗教のどこかの布教所に自らが出向く。。。にはならないなぁと感じる。

買い物のあと、100円ショップのドリンクコーナーに、その小冊子を置きざりにし、出発。コンパクトな土佐市高岡の市街はすぐに途切れ、田んぼと里山な景色になる。

11時半、塚地坂トンネル入り口。立派な遍路小屋なので、休憩を入れる。峠越えもあるけれど、足の方が危険信号の前の危険信号といった調子なので無理は控える。地図でだいたいの本日の日程を組み立てた後、iPhone経由でブログのコメントに返信していると、遍路小屋におじさんとおばさんが現れる。

ご苦労様、などと言う前に、

「どちらからですか?」とおばさん。

「はい、東京です。」と自分。

「東京ですと府中ですか?」とおばさん。

なんだか変な感じだなぁ、なんで府中限定なんだ?

その上、おばさんもおじさんがなんだか急接近。

携帯を覗き込みそうな場所に二人が立つ。うーん?休憩所のベンチに座り、地図を確認しつつ携帯を弄くっている人間に、こんなに近づいて来るかなぁ普通。。などと思いながらも

「いや、府中からは少し離れてます。。」と返答すると、

「今日は暑くなりそうですね。」とおばさん

うーん、何が言いたいのか分からない。土佐の人の親切さに油断していたけれど、この二人からは、お遍路を支える感じはおろか、そもそも自分とコミュニケーションしようとしている感じが汲取れない。

それに、なんだろこの距離。

申し訳ないが、この香ばしい二人のオーラに着いていけず、ATフィールド全開!とばかり、半ば無視するように携帯と地図をチェックを続ける。拒絶反応を感じたのか、二人は自分と距離を置く。

変な感じだなぁと思っていると手が滑り、iPhoneを落としてしまう。

拾い上げると、ディスプレイが蜘蛛の巣状態。 のわ!割ってしまった!

お遍路をしている時、ピンチが訪れたり、ミスを起こしたりすると、日頃の行いが悪いから、気持ちの持ちようが悪いから。。。なんて考えてしまうけど、パッキパキになってしまったiPhoneを見てまず感じたのは、

「声をかけてくれた人との間に壁を作ったからだ。。。。」

だった。

ショックが大きいけれど、これもまた遍路で人生だ。

なんて思い出発する。

すると、黙って自分の表情を覗き込んでいただけだったおじさんの方が、トンネルに向かう自分に立ちはだかるように間合いを再度詰めてきて、開口一番。

「真言宗について、一緒に語りませんか!」



「何なんすか?自分はただ歩きたいだけなんだよ。」

と、言葉を返したい気持ちもあったけれど、無視。彼らを拒絶するのは、正解だったかもしれない。あまりにも香ばし過ぎる。

お前らなんなんだよ!ったく。という怒りを顔に出さず、おじさん、いやオッサンを無視してトンネルに入る。

ああいう連中を近づけてしまうのは、四国の人の優しさに甘えていたことに加え、遍路への善意を当たり前のごとく受け取り、食い散らかしていた、己の卑しさがあったから。。なんて思い反省する。

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トンネルを抜けると、スリーエフ。

夫婦らしきお遍路さんが、ベンチに腰掛けているが、声をかけるだけ。トンネルの中で自問自答した割に、スリーエフお馴染みの、お遍路さんへの「お茶」のお接待を見込んで、ドリンク系抜きのお買い物をする。

ったく、トンネルで反省したばかりなのになぁ。四国に頼りっぱなしだ。駄目人間だなぁ俺。

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宇佐大橋を渡りきると、遍路道へそれる道の案内。「おし、こういう時こそキツい道を!」なんていう気持ちで、山道らしきその道にそれる。

「お、山道を行くか、少し遠回りだけど、頑張れよう!」

なんて地元の方に声をかけられつつ、遍路道に向かう道ってゆくと

なんと!

前方にさっきの香ばしい夫妻。先を行く遍路と一緒に歩きながら、何やら話しかけている。

らら、お遍路さんを止めて、なんだか語りだしたぞ?

それにしても、どういうことだ?コンビニで買い物をしたとはいえ、まっすぐトンネルからここまで歩いてきたのに、なんであの二人がここにいるんだよ。クルマで先回りしたのかな?

登山口の三人を追い抜きながら、オッサンに「何してるんだよ」という視線を送るが、胸の高さ、肩幅くらいに手を広げ、お遍路さんに何か語りかけるのに真剣な様子。こちらは眼中に無い様子。

関わりたくないので、スルー。山道を進む。

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リスか、もう少し大きい明るい茶色のほ乳動物を見かける。地図をろくに確認もせず、なんだか遠回りしてしまったなぁ、なんて思ったけれど、この道は、すき屋のお兄さんの言う通り、気持ちのよい山道だった。

山道を下っていると、後ろからお遍路さん。

あ、さっき捕まっていた青年だ。

登山口でのやり取りに話を向けると、あの二人は正真正銘の香ばしい方々で、「真言宗の事について語りましょう!」で始まって、すぐに

「真言宗は駄目だ、そんな事をしていては幸せになれない」
「そんなまやかしの宗教は駄目だ」

という流れになり、いいやと思って歩き出すと、

「空海なんて信じても駄目だ!」

「○○○○大先生じゃなければ、駄目なんだ!」

といった内容と展開、結末だったそうだ。

ったく、分かりやすい。香ばしく感じた「まま」の人達だったようだ。

歩き遍路の前に立ちはだかって、

「あなたがやっている事は間違っている!」

と、いきなり諭すってのは、どういう了簡かと思うし、歩き遍路が必ず通過する場所に、車を使って待ち伏せするなんて明らかにルール違反かと思う。まあ、遣り込められるつもりは無いけど。

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ただ、一緒に歩いている青年遍路君と違い、かくいう自分は修行の足りない短気な癇癪持ち。

あのトンネルの前で、更に間合いを詰められ話をする事になり、最終的に「○○○○大先生!」ってやられたら、罵り合い、怒りの言葉を投げつけ合うような結末になっていたかもしれないなぁ。なんて思う。札所で上げる、十善戒のうち、「不悪口」は、確実に果たせなかったな。

まあ、そんな事になる前に、iPhoneが身代わりになってくれ、気がそがれたのかもしれない。身代わり地蔵ならぬ、身代わりiPhone。

まったく、次から次へ色んなことが起こるなぁ、お遍路は。


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