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ガダーメスへ / To Gadames

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途中撤退したナールートにて。。

ガダメスへ / To Gadames

サハラのオアシス、ガダーメスを目指すが、革命後の混乱とリビア人のやる気の無さの合わせ技に加え、自らが選択した移動手段のまずさがとどめとなって、辿り着けなかった。

バスは運休してるし、乗り合いタクシーはお客さんが集まらず。。。結局、熱射病というお土産だけもらって途中の町で引き返し、嘔吐に頭痛な痛烈な打撃をくらい、24時間程ぶっ倒れてました。リビア手強し。 

ここ最近立て続けに世界遺産のあれこれに難癖を付けているけれど、砂漠の民ベドウィン文化が色濃く残ガダーメスは、旧市街の保存状態などもよく町が世界遺産に指定されているらしい。その上、文化的遺産ばかりでなく、町から数分も車で走れば、波打つ大サハラが果てしなく広がってるらしい。。。。なんて聞いたら、ちょっと行きたくなるよ。やっぱり。

よし、

砂丘に登って彼方に沈む夕陽を眺めロマンティックな気持ちに浸り、

「佐原」とか「鰆」とか。。。愛しいあの子のイニシャルやら。。

落書きし、写真に納めてやろうと思ってたんだけどなぁ。。。嗚呼、

「辿った足跡が、風紋の上で踊り、音符のようだった。」

なんて甘い事をほざこうと思ったのになぁ。

できんかった。。Deep Forestの"Desart Walk"もバッチリ、チュニジアでITunesに落としておいたのになぁ。

今のところ、アラビア語を解さない個人旅行者が、リビアで計画的に移動できるのは、地中海沿岸部に限られると思う。

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旧政府系のバス会社の内陸都市への運行は、運行本数が一日一本か二本ときわめて少なく不安定な上、運行時間は±1時間程度ずれる事もあり、不安定で、利便性が良いとはとても言えない。そんな状況だからか、利用した、ガダーメスとトリポリまでの中間地点、ナールートに向かったバスの乗客は、大型バスに関わらず、自分を含めたわずか数人だった。

そんな頼りないバス路線はリビアでも愛想を尽かされているのか、ナールートの鄙びたバス乗り場にバスが到着しても、ワラワラと寄ってくる人も無く、ガダーメス行きはおろか、乗り合いタクシーの声かけすら無い。

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ここで、周りの人とそこそこコミュニケーションができれば良いのだけれど、トリポリを出ると、リビアでは英語の通用度がかなり低くなり、ガッツが満タンでないと、そこから先の道を拓けなくなってしまう。

トリポリのバス停では、

「ガダーメスに行きたいなら、まずそのナールート行きに乗りなさい。バスを降りた場所から、ナールート行きの乗り合いタクシーが出るよ。」

ということだったのだけれど、バスを降り、周辺でいろいろ尋ねた上、バス停で2時間程粘ったけれど、トリポリ行きのタクシーすら人が集まらないようだった。周囲にはホテルも無い。頭痛は頭全体に広がり、思考と気力を乗っ取ろうとしており、堪え難い。。。

乗って来たバスがいつもより1時間も早く出発し、困惑していたバングラデシュ人看護師さんとタクシーをシェアし、トリポリに戻った。

午後遅くトリポリに到着。回復したのは翌々日の朝でした。

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現在のリビアは、革命とその後の混乱が落ち着いていない部分もあり、革命前に編集された「地球の歩き方リビア編10'〜11'」の記載と実情/現状には隔たりがある。歩き方リビア編の情報収集が進められ、編集された2〜3年前のリビアでの旅行は手配旅行が主流だったろうから(今後もそのような状況が続くかと思うが)、少数派の個人旅行者には地図情報などでも物足りない箇所(安宿や乗り合いタクシーが集まる場所が地図の欄外になるなど。)も多く、痒い所に手が届く、頼りになるガイドブックとは言い難い。

ただし、リビアのネットが不安定で、新鮮も旅情報が手に入りにくいのも現実。ガイドブック無しで、辿り着いた先で情報を集め、臨機応変に対応するという旅のスタイルは、時間もお金も高くつく。

だから、情報は革命前のモノとはいえ、助けられるのも事実なのだ。。

ららら、年を取ると言い訳がノタノタと長くなるなぁ。

自分は辿り着けなかったけれど、現在のガダーメス行きの方法を以下の通り纏める。。。

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途中撤退したナールートにて。。

☆ 個人旅行者としてガダーメスに向かう方法。 2012年10月現在

【乗り合いタクシー】

ガダーメスに行きを考えるなら、朝の8時頃出発のチュニスタクシー乗り場周辺で、根気よく尋ねる事。昼過ぎに探しても、「明日」と言われる事が多い。

【飛行機】

現在、1日1往復の航空便がある。Libya Airways/リビア航空。トリポリ中心部Haiti St.にオフィスがあり、片道ビジネスクラスが50リビアンディナール。約3,000円だった。エコノミーはいくらだ??ただ、翌日、二日後のチケットは手に入りにくい。限られた日程で飛行機を利用するなら、リビア航空のオフィスで早めの購入を。

個人的には、トリポリ到着後、すぐにリビア航空のオフィスに向かい、航空券の手配をしてしまうべきだったと痛感。

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トリポリとガダーメスのルート上にある、ナールートは、歩き方にもページがきっちりさかれ、自分があえなく撤退した町でもあるけれど、無理して途中下車する程の町でないと思う。


レプティスマグナ遺跡 / Leptis Magna Ruins

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レプティスマグナ遺跡 / Leptis Magna Ruins

サブラータを早めに出立し、トリポリに戻って宿を確保。荷物をベッドに放り投げ、身軽な出で立ちとなって乗り合いタクシーでホムスの町に向かう。1時間ちょいで辿り着いたホムスで、今度は乗り合いバスに乗り換えて数分、ホムス郊外の海岸に広がるレプティスマグナ遺跡に辿り着く。

リビア沿岸部は、真ん中がへこんだ鞍部のような形をしている。

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そのへこんだ鞍部がシルト湾。その湾の西が、トリポリを中心としたトリポリタニア地方、湾の東が、ベンガジを中心としたセレイナイカ地方に分類でき、文化的にも歴史的にも成り立ちを異にしている。

ざっくり分類すると、西のトリポリタニアにある遺跡はローマの影響が色濃く、東のセレイナイカ地方の遺跡は、ギリシャの影響が濃い。

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地中海をざっと見渡す地図があれば一目瞭然なのだけど、トリポリタニアはイタリア半島とシシリー島を介して繋がっており、セレイナイカとギリシャの間にはクレタ島がある。

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地中海を瀬戸内海に見立てると、ローマとトリポリタニアのつながりは、広島県と愛媛県、ギリシャとセレイナイカのつながりは、岡山県と香川県といったところかな。

この遺跡の見所は何と言っても円形闘技場。

ここまで辿り着いたら、是非、観客席に見下ろされる闘技場まで下り、剣闘士になった気分で目を閉じてく見ましょう。。

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聞こえますか?

「殺せ!」「やっちまえ!」「噛み殺せ!」

投げつけられる観客の声が。。。。

感じますか?

向かい合う奴隷の剣闘士の鼓動を、猛獣の息づかいを。。。




サブラータ / Sabratha

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サブラータ / Sabratha

トリポリのマハッタチュニスBus Stationから約1時間程走り、乗り合いタクシーが止まったのは、庁舎風の建物に囲まれた広場のはずれのモスク前。礼拝の時間と重なったため、モスク前は賑わっているが、真昼の広場に人影はなく、コンクリートが真昼の日差しを跳ね返している。

擱座した戦車や、空爆されたと覚しき無惨に鉄筋を晒した建物などをトリポリからの道中で見かけたけれど、サブラータの中心をなす官庁街は、目に見えて手ひどく打撃を受けている。人影がないのは金曜日だからではなく、破壊され、機能停止していることも大きそうだ。

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リビア実質一日目で、目にしたものは限られるけれど、内戦の傷跡は、無惨に崩れ落ちている兵舎や軍事施設らしき建物や庁舎などが中心で、無差別に住宅地が辺り一帯瓦礫化したような場所は見かけなかった。凄惨な市街戦が繰り広げられているシリアと違い、NATO主導の空爆で、一気に片がつくような戦いだったのだろうか。

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市中の商店や食堂は閉じていたシャッターを上げ、営業を再開しました。といった様子で、内戦中の混乱も過ぎたのかモノは溢れている。町を歩いていて革命や内戦があった事を感じさせるのは、革命の成就を祝うスローガンや絵が描かれた壁、内線で命を落とした男達の肖像など。。

けれど、どうも新生リビアが順調に歩みを始め、革命の熱気をまとって新国家が着々と建設されてゆく。。。という息吹は感じられない。どうも熱が冷めてしまったように映るんだよなぁ。

そういったどうした!という気持ちを増幅させるのは、街道沿いや町の至る所に散乱する信じ難い量のゴミ。ここまで書いて安直な物言いなのだけれど、一気に覚めさせられてしまう。それくらいリビアは汚れてしまっている。

多かれ少なかれ、アラブの町ではゴミをポイ捨てし、それを翌朝までにゴミ屋が掃除回収するスタイル。そういったシステムが日本人の感覚とそぐわない。。。を加味しても、酷い。

革命前のリビアも同じような景色だったかもしれないし。ようやく新生リビアが動きだし、端緒を開いたばかりで、こういった社会インフラの回復は、その途上にあるのかもしれない。でも、見た目はアウトだ。これじゃあ、ゴミ箱を蹴っ飛ばしてひっくり返しただけの革命だよ。しっかりしろ新生リビア。

なんて感じながら、サブラータのユースホステルを目指す。

コミュニケーションがうまく行かない上、傲岸不遜の固まりとなったタクシードライバーとのやり取りは大変だったけれど、なんとかユースホステルにたどり着く。地球の歩き方に「リビアで最高の」と謳われたサブラータのユースホステルは、ドミトリーの棟を改装中だったり、そもそもお客さんが訪れないという根本的な問題を抱えているとはいえ、いろんな物が麻痺したままの、新リビアを象徴しているような宿だった。

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最終的には宿のベッドでぐっすり寝て、無事に朝日が昇って来たのだから宿のグダグダな箇所をあげつらうつもりは無い。けれど、復興支援の意味をこめ、リビアをどんどん観光しましょう!なんて旗を振れる状態ではないなぁ。というのが心からの実感。

ひょんな事から、この町在住の、バンカーと航空機技師(ATR-42/72のスペシャリスト)。所謂、カダフィー政権下時代からのエリートと話す機会があったけれど、周辺の見所やサブラータの治安の良さ云々といった通り一遍の話しかできなかった。

サブラータ遺跡 / Sabratha Ruins

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サブラータ遺跡 / Sabratha Ruins

ある山陰のローカル線に揺られていた旅人が、とある駅で、おばちゃん達のおしゃべりで微睡みを破られる。

おばちゃん達は、どうやら運転手に何かを尋ねている様子だ。

「だからぁ、運転手さん。世界遺産があるのは、この駅なんでですかって聴いてるの。」

。。。。。

こういった手合いは、家で煎餅でも食って韓流ドラマでも見て、屁でも放ってればいいんだよ。。とその旅人は僕に語ってくれた。が、まあ笑えない話だ。

この滑稽なやり取りの中には、世界遺産のあり方や実情を象徴していると同時に、観光や旅とは何ぞやと考える以前に、心に留めておくべき何かが詰まっている。。。いるような気がする。

その一つは、世界遺産に指定される事で、好むと好まざるとに関わらず、想定外の阿呆や、思考停止した連中を間違いなく引寄せるという現実で、自分のよう阿呆が本日、今まさにこのサブラータ遺跡にノコノコとやって来ている状況だ。

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この阿呆は本当に質が悪く、ローマ時代の地中海世界に関しての知識はゼロに等しいにも関わらず、一端の旅人気取りをしているため、町が汚いだの、タクシードライバーが傲岸不遜だの、平気の平左で宣い、サブラータの与り知らないところ、遺跡の歴史的意義とは何の関わりもない重箱の隅を突ついていい気になったりする。

輪をかけて救い難いのは、この阿呆が高慢にもそれをネットの旅行記やFBにアップしたりすることだ。阿呆一人には、微塵の価値もないのに。もう悪癖というか疾患と呼んで差し支えない。ほとんどビョーキだ。

らら、

なんかこの期に及んで自分をディスるのも疲れるなぁ。

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トイレ

人類が後世に残すべき遺産に指定されるのは、同時に有象無象を招き入れる旗を立てることにもなり、相応な覚悟が必要かと思う。また、訪れる側は訪れる側で、「世界遺産」という印にただ引寄せられるだけでは、恥をさらす事にもなるよっていうことが言いたい主旨だ。

が、かくいう自分は、スタンプラリーを続け、貴重な時間と資源を数年に渡って浪費して来た正真正銘の阿呆なんだよなぁ。。。

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と、ローマ人が使用したという公衆便所の便座に腰掛け、意味を結ばない愚痴を、クドクドと頭の中でこねくるのでした。

トリポリ / Tripoli

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トリポリ / Tripoli

調子の良い運ちゃんの怪しい運転で、目当てのユースホステルにたどり着くが、どうやら半閉鎖状態の様子。

ユースが入っているビルの住人のゼスチュアを直訳すると。。。

「やってねぇ」

ぬぅ。

タクシーがビューッと走り去って、一人残された辿り着いたエリアはそれなりに明かりがあって、禍々しい空気は感じられない。けれど、見知らぬ町に夜に宿も確保せずにログインするのは、旅人として下策中の下策だ。ひとつも学ばず、一つも成長せずに最後の国巡りをしてるなぁ。

危険な情報やニュースしか届く事の無いリビアのような注意喚起国で、万が一厄介ごとに巻き込まれると、日本での扱いが戦時中にアメリカの捕虜になった日本兵状態になるのが悲しいところ。一族郎党、まとめて恥辱プレイを受ける事になる。猛烈な拘束力といえる。やだねぇ。。

ユースが入っているビルのトルコ料理屋に入り、まずはジュースを一杯あおる。

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トルコ料理屋のテーブルで、ピザが焼けるのを待ちながら、カダフィー政権時代に編集された、「地球の歩き方」の地図をチェックし、現在位置を再確認すると、安宿や中級宿が集まっているエリアまでちょっと距離がある。が、仕方が無い。行こう。

手持ちの武器は、トルコ料理屋で焼いてもらった熱々のピザのみ。暴漢に襲われたら、このピザを手裏剣のように、ビュビュビュと飛ばし。。。なんて考えているうちに、小綺麗なホテルが見つかる。

尋ねると120リビアディナール。ぬぅ、人心地つきたいところだけれど、7,000円ちょい。ううん。。予算オーバーだな。もう少し頑張ろう。

。。結局、ユースとトルコ料理屋のビルから3ブロック位、小綺麗なホテルから1ブロックの場所に、設備は今一歩だけれど、45リビアディナールと、予算内の宿が見つかり一安心。ザックを降ろし、ピザの紙箱を開けるとまだまだピザは暖かい。

ふぅ、まずは第一関門クリア。シャワーを浴びて寝る。

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朝。

思いのほか、涼しい。

浴室の窓を開けると、トリポリの町並みが広がっている。大通りからそれた安ホテルなので、見晴らしは今一歩。埃をかぶった凸凹の中小のビルが続き、ガイドブックに載っていたホテルも遠望できる。おお、リビアに着いたなぁ。

「無秩序」という程ではないが、「整然と」といった言葉からもほど遠い景色だ。所々、がっつり崩れた区画があったり、そこかしこに情け容赦なく捨てられたゴミが気にかかる。

荷物をレセプションに預け、出発。

金曜日という事もあって、朝から開いている店はカフェくらい。人通りも少なく、特に目を引く事もなく広場に出てしまう。あ、旧緑の広場、現殉教者の広場だ。ここで、大騒ぎしてたカダフィー支持者達は今、どうしているのだろう。。

カメラを構えている後ろから、チョイチョイと肩を叩かれるのは興覚めなので、やる気のなさそうな警官に写真を撮るゼスチュアを送り、オゲ!をもらってからパシャリとやる。

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ぐっと胸に迫る物は無いが、なかなか通じない英語や、至る所にはためく赤黒緑の新国旗、壁に書かれたスローガン。銃弾で穴ぼこだらけになったビルを見るにつけ、トリポリ/新リビアにやって来たことを実感。

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銃器の返却を促すポスター

日差しが強くなり、町歩きもしんどくなって来たので、乗り合いタクシーでサブラータに移動する事にする。




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