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利尻島 / Rishiri Island

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利尻島 / Rishiri Island

 

北海道は、温泉付き、もしくは日帰り温泉のすぐそばにキャンプ場がある上、値段もお手頃なので本当に素晴らしいのだけれど、利尻島の「利尻島ファミリーキャンプ場ゆ〜に」も御多分に洩れず、素晴らしいロケーションだった。

 

6月下旬にもかかわらず、日が落ちると一桁台になるピリッとした気温、緩めの管理人さん、利尻富士はなかなか姿を現してくれなかったが、夜の早い町でほんのり光るセイコーマートのオレンジもヨカッた。なんだかパッとしない旅なので、少しでも嫌なことがあるとモヤモヤとした発火性のある心がボウッといきそうだけれど、静かに眠りについた。

翌朝は、港を見下ろすペシ岬に登る。

 

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さぁ、長旅もこれまで、高山で一踏ん張りしよう!という気持ちになっているので、ペシミスティックに似ている名前の山も一息で登り切る。

 

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山から下りると、出払っていたはずのレンタカーに空きが出て、あきらめかけていた島一周ができることになり、ぐるりと一周。

世界の言葉を日本に伝えたマクドナルドの上陸地、オタドマリ沼。ウニとり体験、ほっけ定食を経て利尻島を一周する。ドライブの途中で、利尻富士も全容を魅せてくれた。帰ったら「海の祭礼」を読むぞー!

 

そして、やっぱりウニよりホッケがいいや。以上!

 


礼文島 / Rebun Island

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礼文島 / Rebun Island

 

海岸から高山植物が咲き乱れるという礼文島の滞在時間は3時間ほど。

 

利尻島からやってきた船でシューっと上陸してシャーっと出航する。霧が降りてしまい利尻に比べると低いと言われている山並みすら感じられない、霧の礼文3時間旅は、船が出航する直前になって、その霧がさーっと晴れて!なんていうドラマチックな展開も訪れず、海と湿り気を帯びた緑の大地と、それに張り付いた人の営みをバイクで横切っただけの島旅となった。

 

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船で稚内や利尻島と繋がっているのはわかっているのだけれど、そこから先がない島で見通しのきかない景色になるとどんづまり感でギューっとなりますね。

 


豊島 / Teshima

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豊島 / Teshima

海と島とがミックスされたアートな島巡りは、芸術的センスゼロの自分でもなかなか楽しめるし、前回の瀬戸内芸術祭も存分に楽しんだのだけれど、妻が出張中ということもあり、一人でアートもあれなので、今回はお手伝い役としての一人参加することにした。

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小エビ隊に登録しながら、寮長に「島キッチン」じゃないかなぁ。なんて言われていたのだけれど、その通り、仰せつかったボランティアは豊島の「島キッチン」での配膳・皿洗いの担当。荒れ気味の瀬戸内海を渡って島にたどり着いたため、店にたどり着くのも遅れてしまい、開店準備を進めながら配膳やらの説明を受けるところを、開店準備のあとの配膳説明やらは端折り、掃除が終わって早々に「はい、お客さん来店です。いらっしゃいませー!」と、ほぼぶっつけ本番だった。

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豊島の「島キッチン」と言えば、芸術祭開催中は予約が取れなくなる有名店。粗相があってはいけないのはもちろんだけれど、直島がお休みな月曜日ということもあって、開店早々かなりの数のお客さんがいらしゃり、繁盛店ならでわな気が張り詰めており、おいおい大丈夫か。。。と緊張しきり。

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そんな中、いつの間にかお客さんのご案内から始まり、配膳組と皿洗い組に分かれた仲間と私の4人は、ベテランのスタッフさんのサポートを受けながらなんとか切り盛りし、気が付いたら5時間経って、最後のお客様を送り出していました。

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まかない

工場の再編やリストラで再雇用された僕らの同世代が、慣れない業種や、若者に混ざりながらもなんとか頑張ろうとするドキュメントなんかがあるけれど、豊島キッチンでエプロンして手ぬぐい巻いてる自分は画面に映ったあの人そのまま。初めはぐずぐずな接客を、半時間でいつの間にか最低限のレベルまで引っ張りあげてくれたスタッフさんや、ボランティア仲間に感謝です。また、不慣れな接客にもかかわらず、お膳を引き寄せてくださったりしたお客様、拙い英語や中国語の接客を喜んでくれたランチボックスを食べに来てくれた台湾やデンマークのお客さん、ありがとうございます。

久米島 / Kumejima

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久米島 / Kumejima

久米島でも竿を出し、チャレンジしたのだが、結果は散々。

離島とはいえ、手の届くところに那覇もある久米島は、宮古島をワンサイズ落としたようなコンパクトさなんかが感じられた。

ただ、カーラジオからは久米島の放送が流れ、

1、「病院はあるけれど、出産する施設がない。これで出産率をあげよう!といっても難しいですよね。」
2、「フェリーが那覇港にじゃんじゃん入っているのに、大きな埠頭がないためにインバウンドのチャンスや恩恵を受けていない。」
3、「旅行中でどこかに宿泊するときに、宿泊する部屋が自宅より汚かったりしたら、がっかりだと思うんです。旅行客を増やすには綺麗な宿泊施設が必要ですよね。そうしないと観光客は来ないですよね。」
4、「LCCが那覇には飛んできているのに、給油設備などの遅れもあって、久米島には飛んでこず。そもそも航空券が高い、きていない。」などなどをグチグチと、おっさんの居酒屋トークみたいに喋ってる。

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などとゲストだかDJだかが、久米島のことに色々語っているのが聞こえてくる。

しょうもない飲み屋の会話みたいに、対案や解決案がゼロ。驚いたことに話しているDJは議員さんだという。「久米島にあれがあったら、なかったら。。」ていうのを抑揚なく、延々と話すだけで具体的なプロセスの説明やら取り組みの話がなく、政治家って夢を語ったり雰囲気作っるだけでよいの??

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と納得できたような、いや納得しようとしてるんだおれが、といった微妙な気持ちに襲われる。

いろいろ問題はあるのはわかった。でもどれも大変そうだし、日本のどこも厳しい状況なのは一緒で、お金はどんどんなくなってるんだよ。何か一つ選んで、一点突破でいけよ。

久米島の議員さんより、自分自信に何者かが言い聞かせているんじゃないの?なんて感じてしまったラジオ。そんな久米島でした。

宮古島 / Miyako Island

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宮古島 / Miyako Island

ジャカルタから成田市内のホテル泊、乗り継いでの与那国、乗り継いでの多良間だったので、空港そばにMaxvalueもあれば、ドライブ中にはコンビニもあったし、宮古はなんだか久しぶりの何の不自由もしない感。適当に立ち寄った食堂も安くて清潔で質量ともに十分だった。

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今回は空港から池間島方面に直接向かい、そのまま帰ってるぐらいの時間しかなかったのだけど、道中は遺跡巡りでクラクラしてしまい、宮古ブルーの衝撃の余韻に浸るような時間はなかったのが残念だ。中心部の平良にも行けなかったんだけど、世界でも稀に見る美しい海と何不自由ない(台風や離島ゆえの何かあった時の費用は大変だろうけど)生活が同居していることは小さくない衝撃だ。

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LCCが飛び始めて、那覇には頻繁に来るようになったのに、貧乏暇なしのため、その先の島々まではなかなか出かけることができなかったんだけど、その食わず嫌いを大後悔。

衝撃が大きい分、この歳になるまで宮古を知らなかった喪失感まで味わされるという不思議な体験。また来よう。

池間島 / Ikema Island

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池間島 / Ikema Island

「チェーンジチェンジ、マジカルチェンジ、『島巡り』という字を一文字変えて、『城廻』」

嗚呼、

池間島も先島諸島火番盛探訪と3G環境下でのイライラ系Ingressをちょろりで終わってしまった。

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多良間島に戻って、島の人たちと飲んでいる後ろで流れてたニュースに、

「池間島の人口は、カツオ漁の不振、橋の完成以降の若年人口の流出などもあり、高齢化が進んでおり、津波発生などの緊急時に、高齢者を安全な場所に避難させる若者がいない。。」

なんていうニュースが流れていた。ここまでは旅した場所がその日のニュースになって出てくる地方旅あるあるなのだけど、

「そうなんですよ、僕も小学生まで住んでいた(中学からは平良に移ったそうです)んだけど、住民の避難場所、海抜ほぼゼロメートルの小学校でしたからね!ははは!」

なんてのが、同宿の宮古人から出てきた。

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宮古島に繋がっているんだから、車さえあればなんの問題ない場所に思えるんだけど、住む人にしてみればやはり不便なのかなぁ。。なんて思う。

多良間島 / Tarama Island

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多良間島 / Tarama Island

空港から宿に運んでもらいながら

「この時期に何しに来られたんですか。」

なんて聞かれる。宮古-多良間線は、国内線有数の近距離路線で航空券もお手ごろ。。。フライト回数によってマイルの。。。。。なんてことを語ろうと思ったが、割愛。

「多良間がどんなところか来てみたかったんですよ。」

「うはは、何にもないでしょ、平らでサトウキビとタバコの畑だけ。村の人口より牛の数の方が全然多いいんですよ。」

「そうなんですか」

「何にもなくって平らだから、かえって道に迷うんで、迷ったら、あの三本の鉄塔目指してください。あの鉄塔目指してたら、いつの間にか何か建物が見えてきますから。」

「何もないって言ったって、何かあるでしょ。」

「。。。。。。」

「海とか。。。」

「。。。でも、ダイビングされないんですよね?」

「あ、釣り道具は持ってきました。。。。」

「。。。。。。ここ数日は。。」

みたいな感じ。

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宿に着いて案内をしてもらったが、宿の設備説明に2分、島の説明に1分といったところだった。

何もないと言っていたけれど、

八重山そばや食事を出す食堂があるし、ボリューミーな惣菜店もある。
夜やっている食堂はないけれど、居酒屋なら2軒もある(いかなかったけど)。
島価格で購入意欲が失せ「節約」という大事な言葉を思い出させてくれる商店や農協がある。
見知らぬおっさんに、ケータイ電話をよこせという小学生がおり、彼には自ら生き抜いていく度胸や将来がありそう。
為替や日経平均なんていう言葉を忘れてしまうようなマッシブな空白の空気感がある。
観光に依存しない島だからこそ滲み出る、離島のリアル。

なんかが、30分の自転車調査で確認/判明できました。

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不便が当たり前な離島は、その不便っぷりで勝負すればいいという思いを新たにし、中途半端な魚肉ソーセージや缶詰ばかりの商品棚や、宮古島の残り物でできあがっているような空気感の商店より、手作り感でプロフェッショナル!みたいな、食堂や惣菜店の方がよっぽどいい感じです。

ま、こんなこと面と向かって言ったら海に放り出されるかもしれないけれど。

さて、

食物のでない素泊まりスタイルなのだけど、料理を作る気にもならず、一応はカップ麺なんかを買って宿に戻るが、そんな惨めな中年旅行者を待ち受けていたのは、宿のオーナーが刺身サラダをどっさり作ってくれての酒宴。仕事で一週間ほど滞在している農機具メーカーの方達が、晩御飯を多めに作り食卓がにぎやかになった。

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晩酌かとおもった宴は、一回表からストロング宮古島スタイルなオトーリ飲みとなる。

多良間島三人、宮古島二人の中に、大井町で1500円飲んだくらいで気持ち良くなっているような奴が混ざるなんて、ブラックバスしかいない池に放たれた金魚のようなもの。茨城のチャリダーおじさんに助太刀してもらいたかったが、おじさんは下戸だった。。気を使って標準語を交えてくれるのだけど、それがいつの間にか島の言葉になって分からなくなってしまい、また標準語に戻ったと思ったら、

「多良間はすることないから、出生率No.1なんだよ!」

なんて面白自虐ネタを放り込んでくれる。気持ち良く飲んで、休憩がてら外の空気に当たってると野良猫が寄ってくる。

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一度の酒量をほどほどにしてもらったこともあって、本来だったら2回の裏くらいにグデングデンになるところを、最後までお付き合いさせていただいた。

。。でも、きっちりアルコールは注入されたようで、

「留学先で電子辞書を忘れ、学校の授業その他がチンプンカンプン」

という悪夢に床に入ってうなされる、

単位が取れないやら、卒業できないやら、勉強してないやばい系悪夢に定期的に襲われるのは、自分を振り返る上でも何か鍵になりそうである。酒はそれなりに抜けているけれど、目覚めても、今日はテストなのに何にも準備していない系倦怠感だけは濃密に残っている。

ああ、ヤダヤダ。ここは南の楽園。多良間なのに。。。

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よっぽど辛かったのか、寝ている間に結婚指輪を外して枕元に置いたのにも気がつかないままぼんやりでかけ、電子辞書の次は、指輪がないない。。。なんて狼狽えるおまけ付き。

多良間での2泊目も、前日とあまり変わらず、ストロングオトーリ飲み、猫との戯れ、釣れない釣りで終わった。オーナーや、事務員さんの親切さもありがたかったけれど、農機具メーカーのサービス員さんの飾らぬ島人ぶりが響いた。名刺もいただいたし、末長く付合っていきたいものだ。

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宮古島の多良間には、水納島という宝物がぶら下がっているので、次回来ることがあれば、ウコンの力をダース買いするくらいの準備はして、この島にまた来てみたい。あ、日本酒も持っていくか。

与那国島 / Yonaguni Island

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与那国島 / Yonaguni Island


空港に到着するなり、

「宿ない」「レンタカーない」

のつれない、与那国のファーストコンタクト。あたってみたレンタカー屋は全滅、空港で表記のある宿も軒並みつれない返事。

「部屋もベッドもあるんだけど。。。」

とようやく取りつく島が!と思ったら

「。。。。もう飲んじゃったから迎えに行けない」

とのことなので、タクシーを呼んで空港に一番近くて大きい集落の宿に向かう。初乗りは400円だか430円だかだった。

レンタカー、タクシー兼業で、「レンタカーないよ」と返事をしてくれたそのおじさんだったので

「何かのイベントでもあるんですか?」

と尋ねると

「自衛隊の工事なんだよ、あのホテルもこのホテルも部屋貸し切られちゃってるし、ホテルから工事の場所までの足がないから、レンタカーもあんまり開かないんだよね。。」

とのこと。自衛隊welcomeと、自衛隊が来ると島が攻撃される、米軍も来る。。という弾幕がチラチラしていた。

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たどり着いた宿は、同宿者に漂着物の研究者がいたり、僻地医療の勉強に来ている医学生がいたりと、離島感たっぷり。着いて早々なのにも関わらず、BBQのご相伴にあずかり、離党トークと、与那国が国境の島で、台湾の密貿易が盛んだった頃は、人口2万人(今は1/10以下の1700人程度)も傷んだよ。。なんて話をして盛り上がった。

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翌朝、レンタカーというより、宿のご主人の車をリーズナブルな価格でお借りして島一周。今のシーズンは観光やマリンスポーツで賑わっているわけでないので、すれ違う観光客が極端に少ない。

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さて、最南端。

台北より南で、まだまだ日本円が通用して、地図で確認するとデリー、カラチ、ドバイよりも南にいて、日本にいるにもかかわらず、韓国や北朝鮮の西端より西に立っており、那覇に飛ぶよりよっぽど台北の方が近い。大阪より香港の方が。。。東京にハノイが。。。。札幌よりバンコクが。。。

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日本のどこの誰よりも、中国大陸や台湾の人々に触れた空気に触れ、フィリピンや台湾に打ち寄せた同じうねりも一番初めにこの浜に。。。なんて感傷に浸ってみたいところだったのだけど、

西崎から台湾は見えなかった。台湾が見えてしまうのは天気が崩れる予兆でもあるとのこと。今週いっぱいは島巡りなので、まあ良いとしよう。

奄美大島 / Amami Oshima

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奄美大島 / Amami Oshima

成田から到着したときには気がつかなかったけれど、奄美空港は奄美群島の玄関口になっていた。
この空港から、鹿児島や那覇からの便はもちろんのこと、喜界島や徳之島といった離島にもフライトがあるようで、小さいながらターミナルは賑やか。島ではこれと行った目的も果たせず、だらだら過ごしてしまったが、出発間際になってなんだか名残惜しくなってしまう。

滑走路の向こうに広がる海の水平線に、喜界島が浮かんでいる。

この喜界島へのフライトはこの空港からものの数分。多少、乗り継ぎ時間は空いてしまうけれど、NRTからのVanillaの便経由で同日着も可能だ。奄美の居酒屋のお姉さんは、「喜界では、山羊を生で食べることもあるんですよぉ」なんて行ってたなぁ。

そういえば、奄美大島の名瀬はトカラ列島をアイランドホッピングしながら鹿児島ともつながっている。ボーディングブリッジが一本か二本据えられた地方空港は日本に沢山あるけれど、東京や大阪に数便ずつ飛ばすのが関の山なあの空港やあの町なんかとはやっぱり雰囲気が違う。

今回は、激安キャンペーン価格にあやかってのお試し旅行だったけれど、日本で訪れたことの無い島や土地につながる場所であることをグワーンと認識。春にまたこよう。

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奄美の食べ物。薩摩文化も入っているので、スーパーでは、生の鶏もいただける。

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島ライブ You Are the Sunshine of MY Lifeのセッション。Live session
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神業な鰹さばきでお馴染み、宝勢丸と水産加工場。残念ながらお休み。サザエさんの弟は来ないように。
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トスバッティングで、柵越えを連発するプロ初打席HRの乙坂と、それを見守る「用具係兼ウナギ漁師 入来祐作」。奄美の山にこだまする、カコーンという球音が気持ちいい。「入来サン!名瀬の街中の川にもウナギがいるよ!」と声を掛けると、「裏の川でもう10匹とった。今日から大潮でもっととれちゃうかも」だって

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みき 奄美の発酵飲料。
原材料は砂糖と芋と米。作ってから時間が経つと発酵が強まり酸味を増すらしい。買ってすぐの飲み味は、ノンアルコールの甘酒。甘ったるいと思ったら、島の柑橘をパッション!と絞ればOK。スーパーの牛乳なんかと一緒に並んでいます。

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街中の川にカワセミとウナギ。 EEL & Kingfisher in the Central Naze City.
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周防大島 / Suou-Ohshima

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周防大島 / Suou-Ohshima

時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

これまた宮本常一の父、善十郎が故郷を去る息子常一に送った言葉。

今回は、珍しくお財布にはお金が入っているけれど、時間にゆとりがない。

といった旅だったので、レンタカーで大島をぐるり、山海の珍味をぺろりな旅にしようと思ったのだけれど、やっぱり甘くない。旅の神様は相変わらずスパルタな調子だ。

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まず、船で辿り着いた伊保田の港に何もない。

吉幾三の「ハァー」で始まる歌を思わず口ずさんでしまう。ハァー、テレビもねぇ、コンビニねぇ、商店ねぇ、レンタカーねぇ。。。。車を回送してくれるレンタカー屋さんがあるような心づもりだったのだけれど、島の反対側の町のレンタカー屋さん電話すると、箸にも棒にもかからないような対応。ふぅ。

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それなら。。と、見つけたバス停は、北海道や東北の山中に比べれば本数はあれど、一日4,5便、
2.5時間に1便といったところ。次のバスは2時間後の出発か。

あらら、これはまずい完全にまずい。この港、手ぶらの歩きで下船する港じゃない。予定を変更!柳井港まで船で行こう。。。。

と思ったが時、既に遅し。。。船は煙を吐きながら、スススと港を出ていってしまう。

やれやれ

携帯の地図で目的地、周防大島東和西方までの距離は約15キロ。まあ仕方ない。

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道沿いでおきた、あれやこれやを書いておきたいところだけれど、周防大島の東北の海岸線は、埋め立てで直線的になってしまい味気ない。海岸線から一本内陸に入ったかつての島の街道筋を歩いてみたけれど、深刻な過疎を覗き見しているような気分で、なんだかテンションが上がらない。

結局。。資料館まで3時間弱歩くことになった。。。

念願の島に来ているはずなのに、気分が上がらない。

宮本常一が残した島の景色、島の歩き旅は、点在する集落をつなぎながら、一休み。まさに津々浦々といった情景。それを長いこと思い描きながらこの島にきたのだけれど、現実はそう甘くない。民俗学の巨人が生まれた島だからといって、高度経済化世界の世俗化、一般化の圧力は容赦ない。

結局、気分の上がらないまま資料館まで歩き、資料館まで寸での所で、伊保田の港からのバスに追い抜かれた。

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ふぅ、アレコレでトホホな歩き道中だった。そんなこともあってか、宮本常一が愛用したカメラやバッグなどの資料、学芸員さんの親切さがカウンターパンチになって、ホロッと来そうになる。資料館には大きな書店でもなかなか手に入らない宮本常一の著作が豊富な上に、周防大島でまとめられた宮本常一「フィールドノート」、宮本氏のノートをそのまま装丁したような資料も購入できる。

濃密膨大なフィールドワーク、旅の軌跡にほんの少しだけ触れられたかな。計らずとも歩いてここまで来たことは、日本の習俗を徒歩で拾い集めた宮本氏の資料館へのアクセスとしてはわるくないかもしれない。

さて、資料館を後にして、

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幼少期の宮本氏が父や祖父とよく登ったという白木山をながめて歩き、旧東和町西方に到着。

が、集落から山に登る道にはいろうと思ったところで風を伴う霰まじりの雨。慌ててバス乗り場に避難する。白木山はあきらめるが、小振りになったので、辺りを歩く。下田八幡宮と西方公民館があるのでこの辺りが宮本常一氏が生まれた集落だと思うけれど、現在の海岸線は埋め立てで集落からはるか彼方になった上、護岸化され、沖にはテトラの消波ブロック。

生家は、冬の風が強い日には、潮が屋根に降ったという海岸線の御宅だったそうだったけれど、現在の海岸線は運動施設や道の駅になっている。

ぬぅ?ここが本当に?

なんて心配になるけれど、下田八幡宮近辺を散策ているうちに、息子さんご夫婦が今も住まわれている生家にたどりつく。明治になって姓を許された先祖が「宮本」姓を名乗ったのは、下田八幡宮に由来しているそうだけれど、まさに下田八幡宮のすぐ傍。お宅の前からは、八幡宮の森にあがる小径が伸びていた。

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普段は野良仕事、鰯が来たら浜に出る!という海と寄り添う瀬戸内のひとびとの生活に現在の西方の集落とは少し隔たりがあり、宮本民俗学のルーツに触れることができなかったけれど、最後の最後で、ご子息が丹精込めて育てた東和金時(サツマイモ)を、買い求めることができました。じんわり嬉しい。。

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代々受け継がれてきた宮本家の畑で育ったモノを手にできて大満足。

そのまま集落の定食屋で島料理を胃袋に詰め込むと、なんとなくバスの時間。

集落に辿り着いた頃には雨になって、そのあとすぐに夜になってしまったし、宮本民俗学の原点は心が躍るような景色が広がってるわけでもなかった。。。でも、バッグの中のお芋の重みや、まぶたの裏に浮かぶ、白木山の稜線は自分のもの。

ふふふ、今度は天気がよい日に、本州側からレンタカーで来るぞい。

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