アメリカビザB1/B2の申請を行い、10年ビザが発給されました。
https://japanese.japan.usembassy.gov/j/visa/tvisaj-important.html
米国は「ビザ免除プログラムの改定」の施行を開始します (2016年1月21日)
ワシントン – 2016年1月21日、米国は2015年ビザ免除プログラムの改定及びテロリスト渡航防止法の施行を開始しました。税関・国境取締局(CBP)は、毎日百万人を超える旅行者を米国に受け入れ、安全に対する厳しい基準を保ちつつ国境警備にあたり、旅行者の正当な渡航を促進することに全力を注いでいます。この法により、下記に該当する渡航者はビザ免除プログラムを利用して渡米することはできません。
ビザ免除プログラム参加国の国籍で、2011年3月1日以降にイラン、イラク、スーダンまたはシリアに渡航または滞在したことがある(ビザ免除プログラム参加国の軍または外交目的による渡航に対しては、限られた例外有り)
ワシントン – 国土安全保障省(DHS)は、2015年ビザ免除プログラムの改定及びテロリスト渡航防止法の施行を続けるにあたり、2011年3月1日以降に該当国へ渡航歴がある旅行者に対するビザ免除プログラム渡航制限で、更にリビア、ソマリア、イエメンの3ヶ国を該当国として追加すると発表しました。
2011年3月1日以降に上記該当国へ渡航歴がある旅行者は、渡米前に米国ビザを取得する必要があります。
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ああ、詰んだ。
アメリカに行けなくなった。。と思っていたのですが、同じような境遇の旅の大先輩さんは、168ドルの痛い出品を覚悟の上で、申請し、
「マルチのビザがもらえたよ。」
とのこと、マルチビザなら年数によってはESTAを忘れて疑惑で飛べなくなる。。なんてことも怒らないし、パスポートも取り直したし、長野に完全移住する前にと思って、まずはオンラインで申請、面談の予約を行いました。
http://www.ustraveldocs.com/jp/index.html?firstTime=No
さすがのビザ申請なため、
1、申請
2、面談
3、発給
というプロセスを経なくてはいけませんが、
結果から先に言うと、面談より申請の方に手間取った程度。こんなことなら、さっさとパスポートを更新し、申請しておけばよかった。。と後悔したくらい。旅の最中で直面する難関国のビザ申請の方がよっぽど大変です。同じシチュエーションな方、面談場所が遠くなると、会社を休んで。。なんていう面倒くささはありますが是非どうぞ。
アレヤコレヤをWeb上で入力しなければいけませんが、申請自体は導かれるまま順を追って入力すれば良く、それなりのボリュームだけど難しくはありません。私の場合は、入国の履歴を記載するところを細かく記載できる項。それを正確にやっていたら細かく書いていたらきりがないしので、問題になる国をきっちり書いた他は、ほどほどの入力にして申請しておく程度にしました(→ 僕の場合は問題無し。面談でも簡単に聞かれる程度でした。)。
また、個人事業主のような立場で、住所と職場が一緒になるようなことや、私自身が国際結婚をしているような場合も問題無し。申請範囲は自分の親兄弟と配偶者の記載が必要なくらいでした。
mた、申請作業に手間取った。。という問題なのですが、これは早とちりで申請を少しミスり、郵送での面談予約が確定されてしまった状態になった。。。のを、何かあればこちらへの、Skypeメッセンジャーのようなビザサービスの担当者さんとのチャット機能で、質問、変更した手間がかかってしまったこちらの問題。本来では半分で済んだはずのオンライン申請は、3時間くらいかかってしまいましたが、基本的に一本道。だれでも申請と面談予約を完了させることができるはずです。
さて、面接当日。
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大使館への持込み可能品目:
携帯電話1台(セキュリティゲートで預ける必要あり)
手持ち可能なバッグ1点 (25cm×25cm以下)
ビザ申請関連書類が入った透明なクリアフォルダー
傘、ただし荷物検査前にセキュリティゲートの外の傘たてに置くこと
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なんていうルールを知らず、入館する前にあっさり門前払いを食わされるという、帝国をなめるなよ的な経験もしましたが。地下鉄銀座線虎ノ門駅のコインロッカーでいろいろ預けて解決。無事に帝国の心臓部に入って行ったのでした。
来館の要件によって列に振り分けられ、要件ごとに番号を渡され、
1、必要書類提出
2、指紋採取
3、面談
というプロセス。面談は英語でしたが、
面「リビアやイラクに行った理由は?」
運「全部の国に行きたいと思っていて。」
イエメン、イランに行ったのは2011年以前ということでたいしたことはきかれず、
面「それじゃソマリアは?」
運「ソマリランドだけ。」
面「イランは?」
運「かなり前、ペルセポリスに行ったぞー」
面「なかなか楽しそうだな、アフリカは?あ、いったのか?気おつけていい旅してくれよ」
ということで面接終了。
調子に乗って、変な冗談まで行ってしまいそうなくらいフレンドリーな審査官で、毎回毎回のアメリカの入国審査より話していた時間も内容もシンプルだったかもしれません。
過去10年間のパスポートはその場で返却、「10年のビザを発給できそうだから、このパスポートを更新するときにまた来なさい。」
という事で帝国の審問は穏やかなムードで終了。最後の会話は正直100%聞き取れなかったのだけど、面接から3日後くらいに
Dear HAKOBIYA
パスポートは大使館・領事館より集荷されました。
返却されるパスポート番号は MU30XXXX 追跡番号はAWBです。 XXXXX4032
登録された書類送付先住所は次の通りです。
二葉00-00, 品川区, 東京都 1420000
ご質問やご不明な点があれば下記までお問合せください www.ustraveldocs.com/jp.
というメールが届き、
10年ビザが貼られたパスポートが貼られ、無事手元に帰ってきたのでした。