松倉城
松倉城
築城年 1579年 天正7年
築城主 姉小路(三木)自綱
細かい記述はしっかりしたブログにお任せすることにして、織豊時代に信長方となった飛騨の姉小路(三木)自綱の城。信長の死の混乱の中で飛騨を統一した三木氏でしたが、佐々氏と宜を結んでいたために、秀吉の家来である金森氏に責め立てられ、この城の築城から6年後の1585年(天正13年)に滅亡しています。
金森氏は、不便な松倉山を見限ったのか、標高が低い現在の高山城に築城し領国経営を始め、松倉城は廃城となったようです。
軽い気持ちで出かけたのだけれど、後ろを歩いている妻を放置プレイしてしまうくらい感動的な石垣が現れ、織豊時代とはいえ、これだけの石垣の城が築かれるって、飛騨は山国とはいえ、京都や当時の日本の中枢に近いわー。となんだか深く感じ入ったのでした。
立派な石垣の割に、周囲の縄張りが貧弱なのを「飛騨の人口が少なかったため」守り手が控えられる曲輪群が必要なかった。。。という記述を残しているブログも見かけましたが、その通りかもしれません。
飛騨の国盗り物語の過程で、激しく国人衆をひねり潰して行った三木氏はなんだか今の飛騨高山であまり人気がなく、金森氏が一番親しみを持って語られるような気がしますが、松倉城の石垣とそこからの北アルプスの眺めは天下一。飛騨の城巡りを始めるにあたり、一番美味しい城を真っ先にせめおとしがことで後々後悔することになるかもしれないけれど、初めて訪れた時の感動や、連れて来た外国の友人がことごとく喜んでくれるだけで、今後も飛騨の宝になってゆくでしょう。
- 2017.12.05 Tuesday
- 日本の城 / Japanese Fort and...
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- by 運び屋