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狩野川放水路

狩野川放水路
お袋が1944年に生まれたのは現在の沼津市口野。駿河湾の最深部。
お袋は子供の頃の磯遊びやアサリ採りなんかの話を本当に楽しそうに話してくれ、潮干狩りなんかの機会があると、年を取っても目を輝かせていた。そんな戦中生まれのわれわ海の子だったお袋と家族ののんびりした生活は、暴れ川、狩野川との関わりで激変する。
駿河湾の最深部であった口野は、入江の背後の山にトンネルを掘れば狩野川の中流である伊豆長岡までの最短距離に位置しており、お袋の生家があった場所は、狩野川の治水事業のため、長岡から分流された放水路の河口になることになった。
移住先は、狩野川の河口に近い、沼津市吉田町。その家が、東京で生まれた私のおばあちゃんの家になった。魚釣りに出かけるときに越えたり、花火を見上げた堤防が、狩野川台風から60年以上経った2019年、溢れそうになった。
予断は許さないけれど、あと少しのところで決壊は免れたようだ。
お袋の子供の頃の海辺の景色は大きな放水路の出口になってしまったけれど、今回の台風で、少なくとも狩野川に限っては、水死者がたくさん流れ着くような事態にはならなかった様子だ。放水路以外にも色々な治水事業が、今回の台風をやり過ごしたのだと思うが、お袋とその家族が故郷を離れる時、放水路を作るために移住する先が被災地、保証された土地があったとはいえ、思うことは沢山あったかと思うが、最終的に水害を減らすことができるのであれば止むなしと思ったのではないだろうか。
移住せずに口野の別の場所に住み続け、狩野川河口近くに移住することがなければ、今回の狩野川の決壊に冷や冷やするようなこともなかったかもしれないし、60年前に移住して狩野川放水路(を含めた治水が)ができたことで、その60年後、巨大な台風を母の姉が一時的な非難だけでやり過ごすことができたというのは、何かタイムパラドックスな匂いもするけれど、とにかく良かった。
これから水位が上がるような土地もあり、特に多摩川がきになる。川のそばの方々の不安を考えると、店を休む程度で済んでいることで申し訳ない気もするが、母に挨拶してひとまず眠ることにする。

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