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岡城


岡城


築城期:文治元年(1185年)

築城者:緒方惟栄


場所


ここ最近、なんだかお城ファンの端くれくらいにはなれた気分。

満を持す。。にはほど遠いですが、念願の岡城を攻略です。


さて、




聞きしに勝るとはまさにこのことで、


断崖絶壁の丘の上に、高石垣を組み上げもさることながら、

その石垣は小さな町が入ってしまうほどの広さを囲い込み、

城内に入っても回廊が縦横に走り、曲輪群が連続し、それらを

区画する石垣が、垂直に近く切り立ったかと思えば、

波打つようにカーブしていたり。。。。


とまあ、ため息が出るようなものすごいお城なのです。


「城好きには二種類の人間がいる。。。。」


「岡城に行ったことのある城好きと、

 そうでない城好き、その二種類さ。。。」


ま、それくらいすごいお城です。ごにょごにょ言わずにいざ攻略!




断崖の下、総役所とよばれる平らかな場所から伸びる崖下の道を進むと。。。

岡城の碑と大手門へ続く道。




すぐに道を上らずに右手の道からお城を見上げると。。。

目のくらむような石垣。




蒲鉾型の石が石垣が最上部に積まれています。


築城や石材の加工技術の発達した江戸期に大改修された岡城。

垂直の石垣と曲線が、独特の雰囲気を醸し出します。




大手門


本来はこの上に堂々たる大手門櫓(復元されたこともある)が

のっていたのですが、櫓を支える梁をかけるためか、

門跡の最上部が凸凹になっています。


この凸凹と垂直に近い石垣は十字軍の城を思い起こさせるな。。。




大手門を越え、城内に入ってすぐのところに、旧大手門跡があります。

大手門の下には尾根を断ち切る空堀が残っています。


近世城郭化を進めるなかで、「朝日がまぶしい(西向き)」という理由で、

加藤清正が大手をこの旧大手から写したとのことです。。


太陽を背に敵に攻撃されるっていうのは、やはり不利に働くのでしょうか?




旧大手門下を進むと曲輪か、虎口の跡。あんまり探索すると崖から

落ちる可能性があるので、引き上げます。




一段下の曲輪から見上げた旧大手門。


このあたりは中世の城と近世城郭が溶け合うようで面白い景色です。

山並みに併せて積まれた石垣も、ウニャっと曲がっていて、古代の防塁の

ようで、これまた面白い。




家老の屋敷跡の区画を左手に本丸へ。


右手には土塁のような遺構もみられます。




本丸、二の丸、三の丸が配されている城の主要部は、尾根が東西で

きゅっと狭まる場所に櫓や石垣が構えられており、守りを固めています。


この岡城のシンボル的アングルは、その西の守り、西中仕切りからの

眺めです。




このように、城の主要部への直進を避けるべく折れがあり、

(西中仕切り)




城へ直進されないよう、工夫されています。東中仕切り

(砂利道の轍は直進されちゃってるけど。。。)




本丸に見下ろされながら、



二の丸跡へ、



滝廉太郎

雪を頂く峰で、どこかを遮られるような関東や長野の山々とは違い、
果てしなく山や谷が続くよう。

今回は、冬枯れに助けられ、城や石垣の見晴らしは良かったけど、
春や夏、そしてもちろん秋の岡城も良さそうだ。



本丸下の石垣を東に向かいます。



東中仕切りから本丸をのぞむ。

のんびりとした光景ですが、左右は絶壁。





清水門を上から下から眺める。

このあたりは荒城を彷彿とさせる。



このあたりから、緩やかに尾根が下り始め、石垣で区画された
平らな場所が続きます。。何度も言いますが、右手は絶壁です。



古い町並みのようですが、城内です。



なだらかな下りは



下原門でクランクします。



その先は、空堀と城へ上る道を挟んで小さな曲輪のようなものが
ありましたが、今は墓地になっていたので、退散。

道をしばらく下り、調査中の石組みをみて、城に戻ります。



カメラの電池が無くなったのでiPhoneに切り替え。本丸をスルーし、
空中都市を想起させる、城の西側に向かいます。



あれほど切り立っていた大手門のすぐ左手は、このような
広々とした曲輪。何百人が記念撮影できるような西の丸へ続く石段が圧巻。



大手門への道を見下ろそうとすると、この景色。





石垣の手入れをする方。これだけお城が大きいと大変だろうなぁ。。
ご苦労様です!

また、石垣からニョキニョキ伸びる木も素敵だ。



西の丸。野球ができるくらいのゆったりとした場所。先ほどの
崖の上にこんな場所があるなんて。。。



西の丸の北には曲輪が延びており、





西ノ丸の石垣下。



崖を見下ろさなければ、どこかの廃村に紛れ込んだかのよう。。。



近戸門、これまた十字軍の城のようだ。。。



この門から西へは空堀が掘られています。憎らしい演出だ。



城の北側の尾根も、石垣で区画されており、こちらの平らかな場所は
家老の屋敷跡。屋敷の基部を元に板が敷かれている。現在はこの曲輪は
発掘作業中か?





少し名残惜しいけれど、近戸門からお城をあとにします。



この門からの道は非常に険しい。七曲がりの道は岩殿城を彷彿とさせる。
。。。あんまり比較にはなりませんが、この道でお城を目指した人は、
このような急な崖の上に巨大な空中都市があることに驚愕するでしょう。
驚愕のあまり、くれぐれも転げ落ちないように。。。





七曲がりの石垣。

100%お城を見終えたわけではないのですが、残りは次回のお楽しみにして、
駅に向かいます。。。

駅に向かう途中で。。。



崩落防止の小径の向こうに怪しい石垣。。



上り詰めると、なんだか虎口のようなクランクがあり、
そこを抜けると岩壁に囲まれた石臼の底のような平らな場所に。。。



壁には明らかに人の手が入った石や、穴。





なんだか分かりませんが、石切場のような空気を漂わせていました。



岡城から駅に向かう道からは、自然地形ではあまり考えられない地形を
多く見かけます。明らかに石切場であったことを感じさせる絶壁もあれば、
崩落防止のため、コンクリートで塗り固められた壁もあります。

あれだけの巨大な空中都市を築き上げるためには、加工が容易な石材が
不可欠で、かつ城から離れていない場所からそれらを確保しなければなりません。

お城というのは、戦略的重要性や築城時の経済力を推測させるだけでなく、
地産地消という言葉があるように、その土地のものを生かした築城法
を今に伝え、現在のお城周辺の町の成り立ちにも色濃く残っているものです。

石切場跡?から駅に向かいながら、ちょんまげ姿の現場監督や石工、
かり出され、石垣を城へ運ぶ農夫の姿。。。。を思い浮かべ、

地方の特産品とは?地域活性とは?などについてない頭をひねる
運び屋なのでした。。。

竹田には、見事な石橋が無数にありますが、岡城の見事な石垣や、
渓谷の中の町であることを併せ考えると非常に興味深く、次回は
竹田の橋や、一山越えて通潤橋(なんて素晴らしい名前なんだろ)
なども見て回りたいなぁと思ったのでした。





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