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清水山城


対馬藩が築いた「やらい/防波堤」に風浪から守られた船だまりと、

厳原市街、それを見下ろす清水山城。


清水山城


築城者:毛利高政、近年では対馬領主宗義智とも。。

築城年:天正19年 1591年


場所





金石城の裏手に控える清水山に築かれた山城で、秀吉の挑戦出兵のおり

軍監毛利高政が築き(宗義智とも)、肥前の名護屋城、壱岐の勝本城、

この下対馬の清水山城と上対馬の撃方山城、朝鮮半島の倭城網と

兵站線を繋げた駅城の一つ。



一の丸頂上からの眺望


本土であれば、府中の浦と町を見下ろす絶好の場所に、戦国期に城が築かれても

おかしくないなぁ思うのですが、争乱の規模や対馬自体がが小さく、大勢力が

雌雄を決することがなかったこともあって、山城を築く必要にかられなかった

のかもしれません。



一の丸頂下の登り石垣


清水山城より先に築かれた麓の金石城との関係は、本土の城とは異なり


本土であれば、


1,中世の集落を見下ろす山の上に城(山城)が築かれ、

2,戦国の世が進み大勢力に集約されるにつれ、

3,一国の政治経済の拠点的役割を果たす大集落/町に発展した町や城が現れ、

4,所領に散らばっていた家臣団を城下に集め、

5,領国経営(藩政)の中心が必要になり、

6,山の上にあったお城が麓に下りてくる、もしくは新たな城が築かれる。


という経緯を辿ることが多いのですが、



左の山の頂上が一の丸、尾根伝いにぽこっとしているのが二の丸。

そして鞍部を置いて右手が三の丸。


このお城は、対馬という独特な歴史をたどった場所なだけに、


1,ノンビリとした港の近くに城館が築かれ、

2,それが内乱で消失し、背後だけは要害になった谷間の地に金石城が築かれ、

3,戦国時代が終焉を告げ、

4,いきなり秀吉が朝鮮に出兵する!ことになり

5,中継地点として対馬の中心、府中に兵站拠点が必要になり、

6、湾に睨みを利かせ、辿り着くモノに威光を知らしめる必要があり、

7,見晴らしの良い山の上に築城。


という、城がどんどん山に登って行くという珍しい歴史をたどっています。

宗氏にとっては、はた迷惑でならない朝鮮の役に用いられた城ということもあり、

朝鮮の役の後は放置され、強者どもの夢の跡となっております。

(江戸期の大部分は、金石城の跡に築かれた桟原城が宗氏の居城)



三の丸からみた麓の金石城の大手櫓


ささやかな城壁で囲まれた内部まで岩がゴロゴロしている所なんかは、

鎌倉〜室町初期の雰囲気も漂っていますが、三つの郭を連結する

登り石垣のような遺構や竪堀など、築かれた時代や、城の位置づけなど、

倭城と共通する遺構のも散見し、なかなか楽しめました。


周囲は総て敵の朝鮮半島の倭城と違い、物々しさの度合いは及ばないものの、

肥前名護屋城と朝鮮半島南岸の倭城を見て回ったなら、外せないお城。

対馬と朝鮮半島や日本を考える上で是非歩いて回りたい場所であります。


さて、登城


清水山城に至るルートはいくつかあるのですが、金石城をまず目指し、

その近くの案内板に従って金石城裏手の山を登っていけば良いと思います。



登城口には、立派な石組み。後生の居住用に築かれた石積みだと思いますが、

厳原はこのような立派な石積みが、府内/厳原の町を見下ろす斜面によく見られます。




三の丸へ登る道の脇には、府内の町に下りる稜線をなぞるように

大きく穿たれています。竪堀のようにも見られましたが、清水山城の

資料をさっと調べた限りでは情報が得られませんでした。


うーん、竪堀に見えるけど、自然の地形かなぁ?




少し登り進んで行くと、石垣が見えてきます。




麓の町からもこの石垣はちらっと眺めることができます。




三の丸の石垣の先端。




逆に先端部から見た虎口。




その虎口を、少し上から眺めてみる。


石垣の上の城壁が取り払われてしまっているため、あまり

物々しさは感じられませんが、つづらに登ってくる敵兵を

見下ろす意識は感じられます。








三の丸とはいえ、城壁に囲まれた区画の中は、大岩がゴロゴロしており、

なんだか室町以前のお城の雰囲気。城内と言うよりお寺なんかの庭園を

思わせます。








三の丸の先端部から、二の丸に向けて進んで行くとまた虎口。

遺構自体もアッサリしてなんだか、がっちりと守る印象を受けません。






更に進んで行くと城塁。岩山のため、堀切による区画が難しかったからか、

石積みによる城塁で区画しています。ここで三の丸に侵入された敵を

食い止めようとしたのかな?




城塁を少し下り、下から撮影。うーん、三の丸を独立させるための

遺構かなぁ?




三の丸と二の丸の間は岩がゴロゴロした尾根の道。




岩がゴロゴロした尾根の道。



明瞭な道が無く、ゴロゴロした斜面を登っていると、二の丸の城壁。






クランクがキッチリと石積みで形作られており、お城を歩いてみても、

この二の丸の虎口の遺構が一番キッチリ残っていると感じる。






二の丸はの左右にはキッチリとした石積みが確認できます。



二の丸と一の丸の間の城壁。





二の丸と一の丸の間は斜面になっており、左右は登り石垣の

遺構が見られます。



一の丸の城塁



一の丸の城塁、その2


一の丸の城塁、その3



一の丸の頂上からの眺め。



惜しい、こちらの方向に桟原城があるはずなのに。。。


対馬の山は想像以上に深かった。


頂上裏手に遺構もあるようですが、ちょっと風が強すぎで退散。

頂上部には、三角点の標柱が突き刺さっているだけでした。




自然地形に石積みを組み合わせたお城。倭城に通じる登り石垣や、

尾根伝いに侵入する敵に対しての城塁など、対馬という土地や

辿った歴史を感じることができるお城でした。




ホテルから見えると言うことは、ホテルも見下ろせると言うこと。

というあたりで清水山城の訪問は終了。