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カバーナ要塞 La Cabaña



カバーナ要塞 La Cabaña

場所 Google Map

*09年2月に訪問

ハバナ湾が窄まり、カリブ海に流れ出す水道があるが、ハバナ市の
対岸は丘陵となっており、市街を見下ろすような地形。

今でもハバナ市街を見晴らす絶好の場所になっているくらいなので、
往事、この丘を敵に奪われようモノなら大変なことだっただろう。。

中世から近世のハバナは、スペインの植民地経営の拠点として
グイグイ発達したのものの、イギリスとの7年戦争で徹底的に
痛めつけられる。その反省からハバナのさらなる要塞化が
求められ、少々時代遅れとなった水道の出口に位置する、
16世紀のモロ要塞を補完する形で、建設が始められたそうだ。。。

財政的な問題を抱えながらも12年ほどの歳月をかけ、
1774年に完成。

この要塞を築いたところで、南米のスペイン領は次々に独立し、
最後の最後で、このキューバも独立。。。。

キューバをよすがに帝国復活を夢見た、スペインを感じ、
その後のアメリカとの組んずほぐれつのキューバを垣間見られる
要塞です。

能書きはこの辺にして、頼りない画像ツアーの始まり始まり。




1,ハバナ湾の出口のモーロ要塞と、石垣組の段差が続いており、
  モーロ要塞に近づくと、塹壕のような回廊がある。なんだろ?


2,1の石ぐみをたどると、カバーナ要塞の北西端。
  1から2のアタリまでなだらかなスロープ。いあゆる射堤に
  なっている。水道対岸のハバナ側からは、ハバナに睨みを
  きかせるように聳える要塞に見えるけれど、この要塞に
  北側から近づくと、丘陵に巧みに身を潜め、敵を待ち構えるように
  かなり
実質的に築かれている。
  

3,右手の胸壁の銃口と、左のなだらかな射堤がぴたっと合わさった
  アングル。




4,


5,


6,



7,ぐいっと突出した半月堡への入り口。本来、この位置に城門が
  あったのかなぁ?この入り口のように修復がバチッと決まっている
  箇所と、進んでいない箇所、いろいろです。


8,半月堡塁の壕


9,半月堡塁の壕その2


10,ようやく要塞主要部に。半月堡からの眺め。


11,半月堡と凹堡の間の壕


12,要塞主要部と凹堡の間の壕、西側


13,要塞主要部と凹堡の間の壕、東側。凹堡がかっこいいので、
   城壁に登って、あとから見下ろしてみることにする。


14,城門内部は工事中でした。


15,要塞は、陸軍の基地や監獄として使われていたらしい。
   要塞内部はいがいとすっきりしている。


16,城門東の稜堡の内側。フットサルなら楽勝で行けそうな
   かなりのスペースだ!


17,凹堡がきりっとしてかっこいいぞ。


18,もう一丁!凹堡!


19,稜堡の上から、半月堡をながめる。


20,張り出し櫓。スペインの要塞っぽいね。




20,お、ソビエトのロケットだ。


21,ハバナを見下ろす丘を守るために要塞は伸び、人気(ひとけ)は
   ないけれど、大型の半月堡が
もう一つ築かれている。



22,これまた大きな凹堡。こちらの区画は適度に荒れていて雰囲気良し!


23,


24,稜堡内部その2


25,丘陵の北側は、かなりガッチリディフェンスしているけれど、
   ハバナ側は、それなりに崖になっているからか、砲台をずらりと並べ、
   にらみを利かせるだけ。あまり技巧は感じられない。


26,撃墜された米軍の偵察機U2の破片


27,要塞の南東の区画。暑さでまいってしまい、城壁上から
   さらっと撮影したのみ。クレムリンの書き割りが、
   ソ連との蜜月時代を偲ばせる。


28,





29,


30、南東の区画はガッチリと築き上げられた様相。ただ、この先の
   方向がズラリと並んだ区画までは見学できなかった。。残念。

コメント
 いあ、これは面白いなあ。
 前よりはちょっと知恵がついているので、改めて見ると、この要塞面白いです。GEで見つけたときはそんなに感じなかったんですが。

 で、感想を。

 スペインは矢頭型の稜堡を伝統的に使ってますが、この要塞の稜堡は、flank(17番あたり)が大型化、堡塁化、隣の稜堡前面の堀内を火線の射程に入れている(17番の写真、凄くよく解ります)等々、17世紀末からのオランダの流れ(Nieuw Nederlands Vestingstelsel、個人的に新オランダ方式と呼んでいるメンノ・ヴァン・クーホルンが確立した形式)を汲んでるように見えます。

 一方でtenaille(凹堡)はフランス(要するにヴォーバン方式)っぽいし、堀の深さ(同時期の他の国に比べて狭くて深い)や18世紀半ばでまだ張出櫓があるところなんかはスペインぽい。堀の幅が一定ではなくて稜堡先端に行くに従って狭くなってるのも独特ですね。

 一番面白かったのは、12の写真。オランダなら堡塁化したflankからの火線で稜堡間の塁壁(curtain)前堀内と隣の稜堡前面の堀内を同時にカバーするんですが、おそらく凹堡の存在と濠が深いことからそれが出来ないため、curtain前射撃用の大砲狭間が別途に作ってあるんですね。平面構造はオランダ風だけど、立面構造はそれ以前の矢頭型稜堡を引き継いでいる感じです。これなんかはGEの航空写真だと全く気づかない。現地を訪問した方の写真ならではです。

 しかし、堀が深いなあ。特に半月堡前面。これは古いというより、近代要塞的な考えの下での深さなのかな。あと稜堡自体の大砲狭間の数が凄く多い。いろいろ考えさせられます。

 いい勉強になりました。ありがとうございます。
  • うさぎ
  • 2010/04/04 5:26 PM
うさぎさん

こんにちわ、この要塞でまず驚かされたのは、要塞の丘に近づいてもほとんどその全容がつかめず、近づく方角によっては、丘の上に平屋の美術館でもあるのか?くらいしか感じられないことでした。

気がつくと、要塞からずらりと並んだ銃丸からぴったりの角度な射堤に突っ立っていることになる上、そこをなんとか凌いだとしても、要塞に近づくにつれ、その堅固さ、入念さに圧倒される。。という威圧感がありました。

ご指摘いただいたように、がっつりと壕が穿たれており、稜方や凹堡の真下に入り込まれることを覚悟の上なのかなぁなどと思いながら歩いておりました。どうなんでしょう?

攻城兵器などに関しては余り詳しくないので、何ともいえないのですが、重厚な丘陵北側の備えに比べ、やはり崖側の南やモロ要塞に続く西側の備えが甘いような感じを受けました。。

書き込み頂く度に、少しずつ知識が深まるようで、今後の要塞攻略に弾みがつきます!有り難うございます。
  • 運び屋@バルパライソ
  • 2010/04/04 8:54 PM
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