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ラロトンガ島 / Rarotonga Island 中編

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ラロトンガ島 / Rarotonga Island 中編

クック諸島は、ニュージーランドの一部でもなければ、独立国とも言えないちょっと不思議な立ち位置の国。ニュージーランドとは、旧宗主国と自治領といった関係でなく、対等な自由連合協定という関係を結んでいる。

クック諸島とニュージーランドの関係を簡単、自由連合協定をザーッと書いてみると、以下の通り。

この人口1.5万人の「国」は、その名の通りクック船長に1770年に発見され、イギリスの保護領となる。その後、1901年にNZの属領となる。ただ、属領となったとはいえ、NZ自体がイギリスから独立したのはそれから46年後の1947年。それまで緩くイギリスがNZに任せていたクック諸島の統治は、NZに晴れて完全委譲される。

さて、NZは張り切って統治に力を入れたものの、そのNZの統治(張り切り)がクック諸島の伝統などに合致せず、クック諸島の住民の反発を招き、自治を要求する声が強くなってしまう。結局、クック諸島は独自に憲法、議会、首相を持つ、もう一歩踏み込めば独立といったレベルの高度な自治を有することになる。

通常であればこのまま近隣諸国と外交関係を結び始めたり、国際連合に加盟したりして独立に向かうのだけど、クック諸島はNZと対等な関係を持ち外交や安全保障を委ねるという選択をする。

それが自由連合協定。1965年に締結。

NZと結ばれた自由連合協定では、NZで働き、クック諸島に送金もできれば、NZパスポートで自由に海外を往来することもできる。これといった産業のないクック諸島では、このような条件は独立することより捨てがたかったのだろう。

現在、NZとしては、遙か彼方(東京から香港くらいの距離)の1.5万人の諸島の面倒を見なければならず、連合協定はさっさと解消し、独立してくださいよというのが本音らしいけど、クック諸島側は否定的とのこと。

え?

尚更分からない。それでは、お笑い芸人に例えてみよう。

一郎という大御所芸人の事務所から、一郎の一番弟子である二郎が一郎のお墨付きをもらって独立する。一郎は、一郎の事務所の新入りで二郎の付き人であった三郎も二郎のの独立に合わせ移籍させる。

さて、独立した二郎。新事務所設立で張り切る余り、三郎への指導が行き過ぎる。ここで、付き人な上に芸歴も浅い三郎が反発。二郎はすぐに破門でもすればよいものの、事務所自体が小さな所帯ということ、気の迷いが相まって、二郎は三郎を一人前の相棒としてしまい、コンビ「二郎三郎」を何故か結成してしまう。

無名無芸の三郎にとって、人気お笑い芸人である二郎とコンビ「二郎三郎」を組んだのは全くの僥倖。「二郎三郎の三郎です!」と自由に芸能活動する有様。

二郎はほぼ100%ピン芸人として活動。とんだお荷物を師匠から預かってしまったと思いつつ、生来のお人好しさもあって、売れない芸人の渉外活動の肩代わりをしてやることも多々あり、正式にコンビを解散するに至らない。やんわりと解散を打診しても、知らぬ存ぜぬの三郎に参っている状態。嗚呼、不景気だし、困ったもんだといったところ。

一郎が英国、二郎がNZ、三郎がクック諸島。

余計こんがらがった? すいません!

兎に角、

「英国がクック諸島をNZの属領としたこと」

ここが、ターニングポイント。これに尽きる。この英国の線引きが、自由連合を結ぶ根拠となり、NZが一存ではクック諸島を切り離せない論拠となり、クック諸島が大きく出る力の源になっている。

イギリスが、クック諸島の統治を国連の信託統治等なんかに託していたら、切り離されるように独立し、ツバルやキリバスのような厳しい国家運営という茨の道を歩んだと思われる。イギリスが何故、NZの属領にしたのか?そのあたりに興味が湧く。クック諸島という名前故か?

そんなことを考えながら、クック諸島の国旗のユニオンジャックを見上げると、なんだかその部分だけがいつにも増してピカピカ光るように感じる。

まあ、勝手な放言はこの辺りにしておこう。兎に角、変わった経歴・状態の国なのです。

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三日目は祝日。

ゴスペルデーらしい。なんだ?ゴスペルデーって。

祝日は島のバスが日曜スケジュールとなり、町もひっそりとしてしまうとのこと。幸か不幸か前日の晩から天気も悪い。ということで朝方まで読書をし、朝遅くに目を覚まし、ボンヤリと釣りに出かけ、宿の前のラグーンで小さなハタを釣ってすぐに引き上げ、戻ってハンモックにゆられて読書、炒飯を作って、また読書、時々PC。

なんていう一日を送る。

天気は悪いが過ごしやすい。日本の5月くらいの感覚。


コメント
きたーーー!
10月28日投函のラロトンガからのエアメール、15日かかって11/12に千葉着! ながい旅だったね〜。キミを書いた張本人は、その32時間後に千葉に着いたのに!
クック諸島の「二郎」との微妙な関係、とてもわかりやすかったです。独立のたに血を流す国もあれば、従属を望む国もある。バルカンでも感じたことではあるけれど、「世界はあまりにも多様だ」という見本みたい。もちろん、その一方で、旅に出るたびに「人間はやはり同じだ」とも感じるけど。
南太平洋、あまりになじみがなさすぎたので、ある戦闘機パイロットの回想録『還って来た紫電改―紫電改戦闘機隊物語』なる本を読みました。
太平洋戦争自体に対する批判的な視座はあまりなく、違和感がないわけではないですが、海原にうかぶ島々の名前と運び屋さんのリポートが交錯して、感慨深いものがありました。
  • w_yoshi
  • 2010/11/14 10:46 PM
w_yoshiさん

ラロトンガで葉書を投函したのは頼りない空港のポストだったので安心しました。

独立するかしないかという立場にいる国はじっくり見ると面白いですね、そういった国が日本の周りには実に多く、ちょっとした旅のテーマになり得るなぁなどと思ったりします。

私も、南の島にはラバウル航空隊の本や、少年通信兵の本を持っていきましたが、私が持っていった本も、太平洋戦争自体に対する批判的な視座が無かったような印象を受けました。

派遣された場所によって大きく運命が変わったりすることもあったようで、蛙跳び作戦で飛び越えられた島の守備隊の話しなんかはなんだか間が抜けた印象すら受けました。
  • 運び屋@成田
  • 2010/11/16 10:57 PM
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