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有岡城

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有岡城主郭部

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大坂道のプレートにある有岡の古地図。そのまんま有岡城の城域。町を丸ごと抱きこんだ城ですねぇ、すごいすごい。

有岡城(伊丹城)

築城者:伊丹氏、のち荒木村重により大拡張。
築城年:南北朝時代

場所

今度大阪に行ったら帰りの飛行機を伊丹発にして、初期惣構(そうがまえ)の有岡城を見てやろうと思っていたところ、年末にその機会が到来。元城内にあるホテルに前泊していざ出陣。

まずは、JR伊丹駅に近い有岡城主郭部へ。

惣構とは、城下町を丸ごと土塁や水堀などの防御施設でぐるりと囲んだお城のこと。日本では小田原城などがはじめとも、この有岡城がはじめとも言われています。戦国時代の小さな集団の小競り合いが収まり、天下が定まり始めた時代になった安土桃山時代以降の築城は、基本的にこの築城システムがとられ、土木技術の発達と相まって城は大型化して行きます。乱暴に言い換えると城塞都市とも言えるかもしれません。

戦国末期に織田信長の家臣であった荒木村重(後に離反)により大拡張された有岡城は、近畿地方で初めての本格的惣構の城だったのですが、何故、その様な城が必要だったのか拡張の時期から推測してみると。。。

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市街化が進んで分かりにくいけれど、現在の伊丹市中心部を丸ごと抱える大きな城だった。

城が大拡張された1574年は、信長の生涯で大ピンチであった織田包囲網が、叡山焼き討ち(71年)、武田信玄の死去(72年)、浅井朝倉の滅亡(73年)で打破され、信長としては東や北の憂いが一段落(武田勝頼が多少頑張っているが)した時期で、当面の強敵は石山本願寺と毛利を初めとした中国地方の諸勢力となった頃と重なります。

それら西の大勢力との対決を前に、東西と南北の道が交差する伊丹の地に大きな兵站基地を築く必要があり、平定しきれていない大阪平野の情勢などを鑑み、「それなら町ごと城壁(土塁)で囲んでしまおう!」という当時としては斬新な築城方法がとられたのかもしれません。

ま、何の確証もないのですが、有岡城の惣構システムの採用理由は、家臣団を集中し領国経営を円滑にする!安土桃山時代以降の一国一城時代の大きな城!というより、情勢不安定な交通の要衝に大きな兵站基地を築く必要あり!それなら町を丸ごと城壁で囲むべし!という流れで築かれたカタチと推測することにします。

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赤枠内の7割くらいが有岡城の城域。伊丹空港と大きさを比較してみるとこんな感じ。

5万の大軍に包囲されつつも毛利や本願寺と連携し、10ヶ月も籠城戦が続いたことが往時の有岡城の堅固さを物語っていますし、戦後の荒木一族や家臣に対しての信長の処置の徹底的に処刑されているのは、毎度お馴染みの信長の怒りモード以上に、大拠点が丸ごと裏切ってしぶとく抵抗し、信長の天下統一を遅らせたことへの怒りのようなモノも感じられます。

「大事なところでとんでもねーことしやがったぎゃ!皆殺しじゃ!」

有岡城の遺構のほとんどは市街地に埋もれ、惣構の巨郭であったことを感じられるものは少ないのですが、主郭部の本格的な遺構や、城塁の拠点に築かれた砦の跡、城があった台地を思い起こさせる隆起やカーブ等が現在に姿を残しています。それらをつなげ一つの城であったと考えるとやはり大きい。また、旧城内には、そこに城があったことを想起させる地名や、古い町並みの残る街道が走っており、散歩するのも楽しい。

阪急伊丹駅前から、伊丹空港までバスも頻発していますので、空港利用時にでも時間をゆったり目にとって是非ドウゾ!

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有岡城主郭部

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1.有岡城主郭

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2.お城の碑。

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3.主郭内部

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4.主郭石垣

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5.主郭からJR伊丹駅を眺める。高低差があり、台地に立っていることが分かる。


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有岡城の北の要、岸の砦があった場所。現在では猪名野神社。

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大坂道の案内板にあった古地図より。

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6.発掘調査中

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7.鏃のようなカタチをしている猪名野神社。

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8.緑地保全区の木が生い茂っているところと土塁が重なります。

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9.猪名野神社の北。特に砦跡と言われる東側が崖になっている。岸の砦という地名とこの光景は重なるモノがあるなぁ。(岸ってのは水際という意味の他に、崖っていう意味もあるんだよ。)


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10.猪名野神社境内の西側の土塁は、かなり明瞭に残ってます。

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11.猪名野神社の西の駐車場。堀越という地名が気になる。有岡城の台地は西側の要害が甘いため、堀を穿って、防御力を高めたのかな?と推測。まぁ、こう無責任に推測しながら歩くのも城巡りの楽しみ。

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有岡城南部、鴨塚砦方面。

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12.大通り沿いに石垣?と高低差。怪しいと思ったら。。

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13.遺跡の案内板。

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有岡城最南部の古地図。追手口の記載がある。薬師堂の表記が鵯塚砦と思われる茂みとかさなるなぁ。古墳の上に祠ってのはよく見かけるパターンなので尚更怪しい!

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14.有岡城最南部。鵯塚砦という南の守りの要があったらしい。完全に市街化が進んでしまっているのだけど、うっそうとした茂みがある。。。うーん、鴨塚砦というだけあって、古墳を利用した物見台のような防御施設だったのでは?だとするとあの茂みが怪しいなぁ。。

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15.鵯塚砦?を眺めるためにお邪魔したアパートから北西方面を眺めると、段差と溝。この溝の右手が有岡城域。

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16.有岡城西部。右手が城域。


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