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ピトケアンあれこれ / About Pitcairn

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バウンティー号の大砲。


ピトケアンあれこれ / About Pitcairn

イクイク!

とさんざん前宣伝していたので、既にピトケアンとは何ぞや?をご存知の方もいるかもしれませんが、到着して見聞きした事を含めて、あらためて島の紹介。

ピトケアンに旅行者として訪れると、その小ささ、絶海っぷり、人口問題なんかに行き着くので、ダラダラ書いてゆく以下の文章は、すべてそれに関する事ばかり。ピトケアンというと心躍る人もいるかもしれませんがあしからずご容赦ください。

世界の全部の国や地域(あくまでも俺ルールですが)を訪問しようとする上での「全部の、国や地域」の中で人口が一番少ないのが、このピトケアン島。島の住人は約50ちょっと。そのうち10人はピトケアンの外から来ている人間の為、ピトケアン人は40人ちょっと。正確な人口は人によってまちまちだったので、あまり分からなかった。今はやりのアイドルグループよりちょっと少ないくらい。

PTK46?

結成されたら、子供が数人は混ざっているものの、全体的にメンバーの年齢は高めだなぁ。平均年齢50歳越えるんでは?

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島の集会場で昔の写真の鑑賞会。爺さん婆さんばかり。

ドメイン「.pn」、定住者がいる事、島の歴史と成立などから考えても、旅行者の判断としてもまあ「国や地域」に類するものを備えているかとは思う。世界にはこんな国があるんだねぇっていう場所。海の奇麗さ、息づく歴史なんかを感じたいのなら、ピトケアンに負けない島や場所だってたくさんあるはずだから、やっぱり物好きな暇人が来る場所だと思う。

今回のピトケアン旅で船が一緒になったのも、ピトケアンに衛星アンテナを設置しに、40年前に来島、そのまま島の女性と結婚した米国人のデイブ、海オタクの米国人トニー、旅行ライターのキウイのダニー、そしてピトケアン諸島を構成する(といっても、140キロ離れてるけど)ヘンダーソン島に調査員として向かうもう一人のキウイの4人。休みが取れたんでふらっと出かけたんですよ。。なーんて場所ではない。今回のスケジュールだと、タヒチからでさえ11泊12日になっちゃう。

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島をバギーで回った翌日、たいして変わらないルートを歩いて回ったのですが、そちらのアップデートは改めて。

話が横道にそれた。島の人口の事について話を戻します。

人口がこれほど少ないのは、総面積47 km²という小ささ(島の西側の一部を除いた見所全てを見て回るのに徒歩3時間もあれば十分くらいなサイズ。)に加え、人が住んでいる一番近い島(マンガレバ島/仏領ポリネシア)まで400Kmという絶海さ、おまけに海岸線のほとんどが絶壁で、島は山がちで生産力に乏しく、まあそんなにたくさん人は住めないよ!という土地だから。

現在、この島に住んでいる人は、捕まったら死刑な「船長に逆らい、船長を船から追い出す」という大罪を犯した英国海軍の反乱水兵と、彼らと連れ立った(拉致された?)タヒチ人の子孫達が主流。アメリカの捕鯨船の船員が島の娘達と結ばれて始まった家系(Warrenという姓)もあるYO!ということはさておいて、反乱を犯した水兵が誰にも見つからない、追っ手が来そうにない場所まで逃げる必要があり、白羽の矢が立つというか、辿り着いたのが無人島となっていたこのピトケアン。

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反乱の内容とその後のサバイバルな状況については、Google先生やWiki教授、そしてそのリンク先にお任せする事にして、島にたどり着いた水兵とタヒチ人は、かつて住んでいた先住ポリネシア人が残した食べられる作物などを探し出し、それにタヒチ人の南の島で生きる知恵、大英帝国の科学技術の一端を組み合わせ、凄惨殺し合い(といっても全ては薮の中、何が起きたのかは誰も分からない。。)を経つつも、島にきっちり定住してゆく。

ただ、起伏の厳しい小さな島な上に、大きな船が停泊できるような入り江、安全に上陸できるような海岸もなく、どう転んでも産業を興すことができる要素がない。人口が100人を越えると、水不足や過密状態などの問題が生じて自給自足が苦しくなり、一時は、全島民がオーストラリア領のノーフォーク島に移住したこともあったそうな。ま、人口がその倍の200人になったとしても、世界で一番人口の少ない国というポジションは揺るぎないのだけれど。

そんな時代を経たピトケアンだったけれど、島の黄金期と呼んでもよさそうな時代がパナマ運河の開通によってやってくる。ピトケアンはパナマ運河とニュージーランドやオーストラリアを結ぶ航路上に位置し、水や新鮮な魚、野菜の供給などができる島という事で、南太平洋を行き来する貨物船が頻繁に寄港(というより沖合に停泊するだけだが)したようだ。

船乗りにとって、由緒。。。というよりいわくの付いた島ではあったとしても、それが絶壁で囲まれていたとしても、広い太平洋をただただ航海する日常の中で、人が住んでいる島というのは、近づくだけでも、人心地つけるような、心休まるモノがあったに違いない。あ、船長さんは、島の歴史が歴史だけにあんまり気分よくなかったかな?

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右手奥がガバメントオフィス

資料を見たり話を聴くところによると、貨物船が大型化する少し前の1950年代頃は、多くの貨物船が島に立ち寄り、貨物船だけでなく多くの客船もやって来たそうだ。太平洋を越える手段が飛行機に取って代わられる以前の、「船旅の最後の黄金時代」だ。船上の様子や、艀を迎え入れ賑わう船着き場の当時の写真の中で、ピトケアンの人々は、生き生きとしていて若く輝いてた。

1960年代となると、島の過密さなどが手伝って、ニュージーランド等に移住し、戻ってこない人が増え始める。現在の島の中心、アダムスタウンのその名も「Main Road」は、メインロードなのに住居が点々としている感じで、家と家との間隔が空いており、そこは空き地やちょっとした家庭菜園、木々や草の生えるがままになっているのだけど、そこには家があり、ステイ先のスティーブ(60歳)が子供の頃は、今の3倍は人が住んでいたそうだ。

おっと、なんだかダラダラと長くなってしまった。

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夜の10時から朝の8時までは島の発電機が停止するので真っ暗。天の川はもちろんだけど、半月と星明かりだけで楽勝で歩き回れる。

現在の島が抱える過疎の問題は絶海故の不便さ、それと表裏一体な過疎な問題。島の人達に気になる点などをもう少し確認してから、このアップデートを更新する事できっちりまとめようと思います。

画像の時系列は完全に順不同。昨日が今日でも今日が昨日でも問題ない島なので、その辺りはご容赦を!

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