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ピトケアンあれこれ 2 / About Pitcairn 2

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ピトケアンあれこれ 2 / About Pitcairn 2

1960年代となると、ニュージーランド等に移住し、島を出て戻ってこない人がぽつりぽつりと増え始める。お世話になったオリーブさんによると、島を離れ帰る家族が多かったのは1970年代だったとの事。

ピトケアンに限らず、日本の山間部や孤島でも(おそらく、この時期に高度経済成長をした世界中の国々で)、1950年代後半から始まる高度経済成長にともない、雪崩をうって農村部から都市部へ人口が移動していますが、ピトケアンの人口減少も日本と時期と時を同じくしています。いわゆる過疎の始まりです。

テレビも無ェ ラジオも無ェ 
自動車(クルマ)もそれほど走って無ェ
ピアノも無ェ バーも無ェ
巡査(おまわり) 毎日ぐーるぐる 
朝起ぎで 牛連れて
二時間ちょっとの散歩道
電話も無ェ 瓦斯も無ェ
バスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ
俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へでだなら
銭(ゼに)コァ貯めて 東京でベコ飼うだ

これは青森五所川原バージョンだけど、似たような事がこのピトケアンでも起きる。よし!行くぞぅNZに!が起る。

そういえば、ブータンはGNHなんていう不思議な指標を持ち出しているけれど、東京や仕事のある土地に出る、豊かな土地に移住する生活ってのが、「ほんとうにしあわせなのですか?」といった反論のようなものだなぁ。行き過ぎた過密やテクノロジー依存が辿り着いた先の幸せって?な話だ。

ま、話が横道にそれそうなのでピトケアンに戻す。

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島に到着して一発目のジョーク

ともあれ、人間の素朴な欲望に蓋をすることは難しいし、十分とは言いがたい高等教育も受けられなければ、これといった産業の無いピトケアン島での暮らしは楽ではないだろう。いわゆる次男三男はどんどん島を出て行った(出て行くしか無かった)かと思う。

1970年当時の細かい状況は分からないけれど、NZは第二次大戦で無傷だったこともあり、戦後景気などが相まって長く豊かな時代が続いており、同じ時代の日本の都市部同様、労働力をいくらでも必要としていたはず。当時は頻繁に島に立ち寄った船に乗れば(一週間以上かかるが)NZと簡単に行き来できたことも大きいかと思う。

で、それら出て行った人が帰ってこない。

70年代に人口は二桁になり、80年代にはついに50人台となり、90年代末の一時期に40人まで落ち込む。過疎化の進行によるインフラ維持の困難さなどから、日本ならば、人口が100人を切ったあたりで集落を閉じ、集団移住するケースだけれど、ピトケアンはそうならない。

そうならない理由はなんだかんだ言っても英国の沽券に関わり!「意地でも維持」したい太平洋の海外領土だから(だと僕は思う)。本来であれば人の営みが途絶えてしまう人口の急減を経験しているにも関わらず、島を英国領として維持し管理するような仕事、独自切手の発行による収入、立ち寄る船と小さなビジネス等があるため。最低限度ながら収入や雇用が維持され、島を愛する不便さを厭わない人々によってピトケアンは命脈を保ち、21世紀を迎える。

50人前後になってから、急増も急減も無く島の人口を30年程維持するってことが、むしろに凄いなぁと感じてしまう。



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件の事件のこともありますが、21世紀のピトケアンで起こっている問題は、いわゆる島民の高齢化と、寄港する船が少なくなった事による更なる絶海化。

まず、高齢化。

人口が100人を割って以降、交流に制限のある孤島であるがため、島の人々は、濃淡はあれ皆、従兄従姉のような関係になってしまい、これによって、島の中での結婚が難しくなり、バトンを渡すような世代交代ができなくなってしまったようだ。現在、島に24ある家(島外からの家を含む)で島の学校に通う子供を持っている家族は2家族か3家族。いわゆる結婚適齢期&働き盛りな20代〜40代がゴソッと抜けている印象を受ける。

島の人々の大マジョリティーは自分の両親と同じくらいな60代とその前後。さしずめピトケアンの団塊世代といったところ。

そんな彼らの井戸端会議に紛れ込み、盗み聴いたw話題は、

「オトメ(仮名)さんがボケてしまい、夜中にスーツケースに荷物をまとめ、『ピトケアンに帰る!』なんて言うのよ」

とか、

「あの人は、共有地の果物を根こそぎ収穫してしまう」

なーんていう、なんとも爺婆な内容や、政府サイドへの不満といったところ。

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現在、島の管理人的な仕事をしている人の半分以上が55歳以上。その団塊の皆様が島の65歳の定年を考えると、ここ10年くらいでゴソッとリタイアする人が出て来ると思われる。団塊が抜けた日本の会社と違い、ピトケアンは派遣社員で穴を埋める事はできない。さて、10年後が来るまでに何をするのか?

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彼らの仕事をきっちり引き受ける人をどうするかは、若い人ばかりでなく、海外在住のピトケアンにルーツを持つ子育てを終えたUターン組でもいいと思う。さもなくばIターンをきっちり受け入れる用意。それさえしっかりあれば、人口減少の上、ピトケアン消滅!アボーン!なーんていう、ここに辿り着く前に野次馬的に心配していた状況にはならない気もする。

住民が主体になってきっちり将来の道筋を作り、英国が海外領土をきっちり維持するという政治姿勢を維持するというのが前提だけど。

ということで、長々と支離滅裂な事を書いてしまったけれど、

ピトケアンは、本来であれば消滅しておかしくない状況だけれど、イギリス領である限り島から人はいなくならない。ただし、バウンティ号に由来する生粋のピトケアン人の比率は徐々に。。というのが自分の見解。

バウンティー号の反乱水兵の血をひく、生粋のピトケアン人が仕事をし、暮らす島の姿を目にする事ができるのは、あと5年、長くても7年位なのではというのが、残酷ながら島を見てきたアメリカ人や、冷静な島民の見立て。彼らが亡くなったり、島を離れたあと、残された数家族の比較的若い世代が、うまく旅行業などを導入できるかに存続はかかっているのかなぁ。

やはり、過疎/限界集落の問題というのは、「仕事」があるかないかと、気合いを入れて人口減少に官民が取り組むための使命感や大義名分なのかなぁと感じる。まあ「仕事」の内容が日本では問題なのだけど。。

絶海化についてはまた別途。。。

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