calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2020 >>

categories

archives

メールとTwitterアカウント

courier_jpn☆hotmail.co.jp

☆を@に変えて!



Twitterアカウントはcourier_JPN

山形城

sDSC01222.jpg

山形城

築城者:斯波兼頼
築城年:1356年



場所

インターネットが発達したとはいえ、情報にはノイズも入れば濃淡があり、それを自分のような阿呆がへらへら検索するんだから見落としや過信もある。そんなんだから、生きていると時々「オモシロ」や「オドロキ」が起こる。

sDSC01208.jpg
佇まいが江戸城っぽい。飯田橋や四谷な雰囲気。

山形城が最上氏の城で、関ヶ原の戦いでは、この最上や伊達をおさえられなかった為に、上杉勢が家康の背後を突けず、家康が正面の西軍に向かい合えた。。なーんて予備知識はあったけれど、この山形城が、総構で、恐ろしく巨大なお城だったとは思いも寄らなかった。「信長の野望」で上杉謙信を担当すると、山形城は三匹の子豚の藁の家くらいな貧弱なお城だったのに。。

sDSC01226.jpg
枡形!でかいでかいでかい!


sDSC01230.jpg
分かりにくいけれど、この写真の全面積の1/3は城域。


sDSC01236.jpg

sDSC01238.jpg

sDSC01239.jpg
山形城は輪郭式と言われる形の城で、簡単に輪郭式を説明すると、三の丸→二の丸→本丸、例えると大きな茶碗の中に、中くらいの茶碗、その茶碗の中に小さな茶碗をいれるような形状をした城。山形だけに山形。。。じゃない。。。。

sDSC01243.jpg

sDSC01247.jpg

sDSC01251.jpg

話がそれちゃったけど、その一番大きなお椀のサイズ、そのお椀のサイズが半端ない。

駅で頂いた歴史地図の地図が半端ない。今の山形の中心部はほぼ入っちゃってる。

AKIRA

で、「やまがたぁあああああ!」

という超有名シーンがあるけれど、それぐらい驚いた。駅の観光案内所でお借りしたレンタサイクルごと堀に落ちそうになった。三の丸が取り囲む城域は大阪城に匹敵し、日本で5番目か4番目に大きな城(平城限定かな?)だそうだ。

sDSC01252.jpg
埋められた三の丸の外周、土塁や水堀が引かれていた場所沿いを歩くけど、なかなか残滓を見つけられない。

sDSC01254.jpg
左が山形三中の敷地。この排水溝を挟んだ右の道との高低差は、かつての城域をなぞっていたかと思う。


sDSC01255.jpg
堀を埋めて作った公園。

関ヶ原の功もあって、最上氏は57万石の大藩で江戸時代にこの山形で治世を始めるんだけれど、世継ぎ問題やらで改易。改めて入った鳥居氏も改易。。結局、57万石は細かく刻まれて、最終的に巨大な山形城を維持できるような石高でなくなり、水野家の時代に、僅か5万石となった山形藩は明治を迎え、新政府に降伏して消滅した。

sDSC01259.jpg

sDSC01260.jpg

本丸や二の丸以上に熱を入れ、レンタサイクルを利用して三の丸の残滓をたどってみる。残念ながらバッチリ残っているのは歌懸稲荷の裏だけ。長大だった土塁がほとんど残っていないのは残念だけれど、想像力をかき立てるに十分だからいいか。他にも山形三中とその西側との高低差、太めの排水溝なんかからは、城外と城内を隔てる土塁や堀があった事を感じさせた。

sDSC01263.jpg
この土塁はすごい。この土塁が現在の山形市中心部をぐるりと取り囲んでいたと思うと、膝ががくがくしちゃう。。

オイ!とツッコみたい箇所もあるけれど、それはご愛嬌。せっかく巨大なお城に来たんだから、広い心でいたいのさ。

sDSC01266.jpg

sDSC01267.jpg

sDSC01268.jpg

日本の城下町で時々見かけるキャッスルホテルが、この山形にあったのもなんだか嬉しいし、二の丸東大手門のそばを奥羽本線が走っていて、江戸城のお堀端、四谷や千駄ヶ谷な見た事のあるような光景なのも面白い!

そしてそして、二の丸東大手門近くの最上義光歴史館。収蔵されているものはたくさんじゃないかもしれないけれど、ボランティアや歴史愛好家の愛が詰まっていて素晴らしい。

sDSC01276.jpg

山形にいらしたら、サクランボ食べながらシロサンポ。

山形城!山形城をお忘れなく!(選挙風)


sDSC01256.jpg
堀を埋めて作った公園の案内板。

「この場所は、当時の三の丸稲荷口付近の塁濠跡にあたり、昭和48年までは水を湛えた堀が残っていました。この由緒ある旧跡を遺すため、その形状を生かした公園として整備したものです。」

ぬぅ。「遺すため」が「潰すため」に見えちゃう。。。

本丸の石垣の壮麗さ、威風堂々たる最上な山形城を復活させるのもアリだけれど、山形城が山形の町を内包した大城郭だった!という遺構もきっちり遺して欲しいよ。。



コメント
地元の城を評価していただけると嬉しくなります。
意外と知られていない、三の丸の広さ。
政宗や兼続と割と互角に戦った最上義光への過小評価。
あなたの様な人がいてくれることがまた嬉しいですね。
  • 2013/09/24 11:40 PM
晴様

ご指摘の通り、山形城は江戸期の山形藩の縮小に伴って、義光公とともに過小評価され過ぎかと思います。

山形市を取り囲んでいた土塁の残滓を拝見しただけで、ゾワッとした2013夏。

僕は忘れませんよ!

  • 運び屋@松山
  • 2013/09/30 8:22 PM
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック