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木曽義仲館

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木曽義仲館

 

xxスクリーンショット 2017-04-07 9.37.43.jpg

 

場所

 

築城年 不明
築城主    不明

 

木曽町ができる際に合併したまちの一つが日義村。

 

朝日将軍木曾義仲が平家討伐の旗挙を行った地であることから義仲にちなんで「日義村」と命名され、

 

wikipedeiaで出身の有名人を調べると

 

出身有名人

 

    木曾義仲−平安時代の武将。源頼朝の従兄弟。

 

    中原兼遠−平安時代の武将。木曾義仲に仕えた。木曽四天王の一人。

 

    巴御前−中原兼遠の娘。

 

なんて出てくる。出身地というか、由来のある有名人だけれど。

 

徳川の祖である松平氏のような、山奥から平野にエイヤ!と出て、力をつけた一族が山から出た時に一気に版図を広げるようなケースはあるけれど、木曽から信州日本海を経て一気に京都に攻め上って平氏を追い払ったというのは、今の木曽に暮らして、乏しい生産力からするとなんだか怪しい気もする。翻って、その生産力の低さや環境の厳しさと京都に攻め上ったことのギャップは物語であると思うし、なぜ「木曽」という名前が旗印になったかを追ってみるのも面白そうだ。

 

なんて思い、いつもそばを通っている館跡と呼ばれている

 

伊那市の議員さんに「木曽は仕事がなくて大変だろう」と心配され、「いやいや、木曽もなかなか悪くないですよ」と答えた手前、なんだかスルーする気になれなかったのだ。

 

が、イマイチである。平安末期の居館があったとされる場所も、要害を頼むでもなく、方形の土塁が残るわけでもなく、ただただ、「挙兵の地!」みたいなのぼりが氷雨に打たれるだけの寂しい景色。町の広報誌に「義仲くん!」みたいな1ページの漫画が挟まれることはあるけれど、木曽義仲や平安末期の木曽がどのような場所であったのかにフォーカスする様子はあまりない。合併前はいろいろあったのだろうけど。

 


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