滝山城
築城時期: 大永元(1521)年
築城 : 大石定重
場所
武田勢が三の丸まで攻め入ったにもかかわらず、
それを撃退したといわれる中世城郭。
お城好きの方々がうなる東京の中世城郭。
いろいろ知識は仕入れているんだけど、そんなにすごいのか?
と思っていましたが、行ってびっくり。
壮観の一言。
すぐ近くの道を、頻繁に通っていた時期などもあったのですが、
自然地形を巧みに利用し、断崖絶壁の土塁、空堀、
幾重にも重なり、複雑に連携する郭群。
こんな身近にこんな巨大要塞が。。。と呆けてしまいながら
ふらふらと探索しました。
中の丸と二の丸のを隔てる空堀。
本丸と中の丸を隔てる空堀も壮観でしたが、これらの
滝山城、主要部は更にぐるりとそそり立つ土塁/空堀で
隔てられています。
こちらは二の丸と馬出し部を隔てる空堀。
クランク状の虎口に加え、複雑に郭が土橋で連結しています。
感動のあまり、虎口付近で撮影する手が震えてしまった。。?
二の丸へ攻め入るには、複雑な進入路をくねくねと進まざるを得ないうえ、
上部の郭群から見下ろされ、更に左手(南西)の馬出しからも攻撃にさらされる。。
相当な防御力ですよ、これは。。。携帯の画像では、虎口やクランクの連続、
堀の深さなんかが表現できませんね。。残念。
二の丸からの橋を渡ると本丸。きっちりと虎口が残っています。
滝山城の主要な郭の出入り口は、ことごとくといっていいほど
虎口の加工がなされています。相当入念に築いた城ですね。
これまた虎口(本丸南東口)
本丸から多摩川を望む。
城の北側は、いまでこそ登山道のようになっていますが、
南側に比べ更に険しい断崖になっています。
中の丸の城の案内板に、城の北部は、自然地形を利用した要害で
「鉄壁の守り」!と表現されていましたが。それも納得です。
なんとなく、その文言をひねり出した方の気持ちも伝わります。
こちらは千畳敷と言われる、二の丸の一段下の
広いスペースなのですが、これらの郭群が、
巧みな技巧が施された塁壁上にある。ということが
この城のすごいところですね。
日本最大級の中世平山城の遺構だということですが、
大規模なだけでなく、防御的技巧が連続し、それらが
非常に良い状態で残っています。
実家の東村山からは少し離れていますが、
これだけのものが残っている東京も捨てたものじゃない!
と思うのでした。お近くの方は是非どうぞ!