初めて訪れた94年のプノンペンは
ようやくUNTACが平和維持活動を終え、
各国の支援でなんとか動き始めたという状態でした。
ポル・ポト以後のカンボジアの歴史をおさらいすると 。。。
自分の国が生み出したポル・ポトという恐怖政治を
仇敵ベトナム(79年)が追い出す。
しかし、ポル・ポト政権の後のヘン・サムリン政権は
ベトナムの傀儡政権とされ、国際的な支援を受けられたうえ、
(国際的な承認すら受けられなかった)
そのベトナムがASEANや中国に包囲された社会主義陣営の
最貧国。内戦を陰に日向に支援する国家はあっても、
へとへとのカンボジアの復興を支援する国や国際的枠組み
のない、停滞の80年代。
ベトナムの政変によりベトナム軍が撤退し、
80年代末に内戦が再燃。激化。
ベトナムが去ったこともあり、
ようやく、国際的な内戦の調停と支援が始まり
カンボジア和平パリ協定(91年)が結ばれ内戦が終結。
92年からUNTACが暫定統治。
93年に選挙監視任務を終え暫定統治終了
新生カンボジア王国に。。
それから15年。時々ドタバタしていますが、
それまでの歴史と比べれば比較にならない
安定した時代をへて現在に至っています。
プノンペンはヘン・サムリン政権下で復興を進めたとはいえ、
上の歴史の通り、限られた支援であったこともあって
主要道路も穴ボコだらけ、雨が降ったら大洪水状態。
停電や断水も日常茶飯事のひどい社会インフラでした。
町自体もポル・ポト時代の断絶の時代。
プノンペン強制移住(75-78)が尾を引いているのか、
なんだか廃虚のにおいが残っており、人の表情も
お隣のタイに比べるとひどく暗い感じがしました。
ただ、当時も子供たちは川と化した路地裏で元気に駆け回り、
ゲーム屋のストリートファイターで大盛り上がり。
なんでそんなに明るくなれるの?
なーんていう。
若いバックパッカーが陥りがちな感慨に浸っていたものです。
やきそば5000リエル(約120円)
まだまだ貧しいですが、今のカンボジアは
バイクタクシーにしても、元兵士!みたいな鋭さは薄くなったし、
相変わらず子供たちは元気。
復興というより,発展という方が似つかわしい首都らしい
生き生きとした町になっています。
冷戦が終わり、国家が国家を侵略するなんていうことが
表面場だけとはいえ少なくなった今、
政治の腐敗
都市と農村の貧富の広がり
これだけには気をつけて!
発展してくださいと祈るのでした。