calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< January 2009 >>

categories

archives

メールとTwitterアカウント

courier_jpn☆hotmail.co.jp

☆を@に変えて!



Twitterアカウントはcourier_JPN

機張/Gijang/기장



機張 GIJIANG  기장


前回、西生浦倭城を訪れましたが、その西生浦倭城と釜山を

結ぶ海岸線にもいくつか倭城が築かれており、今回はその機張倭城を

訪問しました。ただこの機張、お城を訪れるだけでは勿体ないような、

賑やかな市場や美味しい食べ物があるようなので、お城を訪れたあと、

ふらっと、市場と町を眺めてみることにしました。



釜田駅


ちなみに、この機張には、釜山のローカル駅、釜田駅からKORAILか

海雲台のバスターミナルから向かうことになります。






釜山は広域市指定されているだけあって、一山越えてもごちゃっとした

住宅地が連なっていたり、地下鉄で結ばれているエリアのほとんどは

まんべんなく市街化が進んでいるような印象ですが、釜田駅、東莱駅、

海雲台駅と列車で走り、海雲台(ヘウンデ/Haeundae)駅を過ぎると、

市街が薄れ、そこから東の海岸線は海沿いの浜辺にちょっとした

リゾートの松亭(ソンジョン/Songjeong)などがあるだけで、

田舎な風景になります。


この松亭、列車で通り過ぎただけですが、波乗りしている人がいます。

ショート二人、ロング一人程度。ビーチが南東に向いていており、

北西がオフショアになり、冬は条件が合えば良さそうです。


1/31日の午後1時頃と午後6時前くらい、キッチリまとまったうねりが入り、

サイズは胸くらい。人も少ないし良さそうな感じ。

ビーチの大きさは千倉に似てるかな?好きな方は、

今日の日本海の天気図とタイドグラフを控え、サーフトリップにどうぞ。




さて、機張。


お城見物を終え、バスで市街に戻り、なんとなく

歩いていると市場にたどり着きました。市場の規模は

それほど大きく無さそうですが、密集した感じと、近くの人が

ぽっと買い出しに来るような感じが素晴らしい。アジアだ。





ギジャン シジャン。。。機張 市場。。。


 「おお、読めるぞ、私にもハングルが読める。」


とすっかりシャアアズナブルな気分。


目の前のおばちゃんもシャア専用の服を着て、花札に興じている。

今日の売り上げを賭けてるのかな?









真っ二つにされ、内蔵を引きずり出される鱈?鰰かな?


アンコウにメジナ?にカレイ。どれも新鮮そうだ。。。




真っ赤なシャア専用キムチに、キラキラ太刀魚。

ピューピュー潮吹きスルメイカ。イカ臭いぞこら!


韓国ではボラもエイも食べるんですね。ふーん。なかなか興味深い。

そんなふうにして、冷やかしをしていると、カニ屋が連なるエリアに。




その場でもりもりカニを食べさえてくれるようです。

これだけカニがウニョウニョしていると、「Deadliest Catch」とかを

思い出すなあ、凍てついた海の底から根刮ぎ採ってきたんだねぇ。




日本の領海で採ってないよな?と少し怪しみながら、その場でカニを蒸し、

食べさせてくれる食堂で頂くことにします。




突き出しに出されたキムチ(画像左端中段)の中に、こりこりとした食感のお魚?

きいてみるとこれが「エイ」らしい。アンモニア臭さを唐辛子と

ニンニクで消して食べるようだ。そういえば、枕崎に出かけたとき、

寒すぎて頴娃(エイ)城を訪問できなかったなぁ。。。うーん、エイが

そのまま出てきたらグラブロそのままだなぁ。。。ぶつぶつぶつ。。。




チジミなんかが途中で出てきて、最後に出てきました。




シャア専用ズゴック。。。。。のパーツ。

分解されちゃってますけど。。。




頭から湯気が出るほど!という訳ではないけど、やっぱりうまい。

アメリカの中華バイキングで出てくるカニとは違うんだよ、カニとは!

(おそらくうまいカニ料理の店のカニ三昧とも違うだろうけど。。。)




最後はカニ味噌チャーハン(美味しい)をいただき、お食事終了。


カニ1Kg 20,000KRW ビールやら付けて27,000KRW

だいたい1800円くらいでした。




韓国名物、店舗オープンの大騒ぎと踊るマネキンお姉さん


を眺めながら駅に向かい、一時間に一本来るか来ないかの

釜田駅行きの列車に乗り込みました。


韓国の地方都市気分とお城、そしてカニ。華はありませんが、
時間のある方、是非どうぞ。

機張倭城/機張竹城里倭城 キジャンウェソン/キジャンジュクソンニウェソン



機張倭城/機張竹城里倭城

キジャンウェソン/キジャンジュクソンニウェソン

(キジャンのキはギとキの中間くらいの発音。)


釜山と西生浦倭城の中間くらいに位置するこの機張倭城。




まずは案内板の説明をそのまま記載しよう。


機張竹城里倭城   釜山広域市 指定 記念物 第48号


この城は1593年日本軍が南海岸に長期間駐屯するために積み上げた

城である。竹城里の後ろ側の海岸の要衝地に位置していて多くの船舶を

収容できた。蔚山の西生浦と鶴城(注*蔚山城のこと)そして釜山城を

連結する中間の要地に位置している。


ちなみに、英語版の表記には


きっちり黒田長政築城と、城が築かれた理由も「長期間駐屯するため。」

という記載でなく、「朝鮮軍からの攻撃から守るため築かれた。」

この城は三郭(三階建ての天守?)であった旨と、お城の規模が記載され、

石垣であるため、昔の姿を残している的な内容。


微妙にこのお城が持っているニュアンスが違ってくるなぁ。






ハングルではどのくらいの誤差があるんだろ。


お城の築かれ方をみれば、海にのぞんでいて、海からの補給を

キッチリ受け止める役割を果たしていたこととか、

がちがちに上り石垣&土塁で固めているところなど、


麓の町や村を丸ごと抱えた防衛拠点というより、軍事的にこのあたりを

守るのが精一杯な雰囲気は出ています。秀吉の侵略は、とらえ方の酷さは

異なるとはいえ、馬鹿げた侵略だったということは日本人だって理解してるから、


お城の表記は、どの言葉で書いても同じような意味合いのあるものに

すればよいのに。。。と思う。


さて、行きは機張駅から歩いてしまったので、なんやかんやで

45分くらい、お城にたどり着くまで時間がかかってしまう。

(行き方は、この書き込みの一番最後に記載します。)


機張からの林の道がようやく海に向けて開けてきたな。。。

と思うと、イカの干し場が見えてきて、





右手に竹城初等学校が現れます。




その初等学校を抱えるような小山がありますが、頂上を見ると

石垣が見えてきます。お、倭城だ。


初等学校を背に少し進んだところに上り坂があるので、そこを

迂回しながら登るとお城への入り口が見えてきます。西生浦倭城に

比べるとかなり小振りな感じはありますが、




お城に登ってゆくにつれ、小山の頂上部の石垣や登り石垣/土塁が、

海から主郭部へ連なっており、海からの補給や救援にたより、

周囲は皆敵。。。な往事の状況を偲ぶことができます。



さて、倭城は縄張り図なんかの資料が、近くの本屋やネットでは

調べきれないので、日本海側を東とし、内陸側を西とします。




まず、主要部に入るまでに大振りな切り岸で区画された曲輪などが

登り石垣/土塁の内側に見て取れます。





枡形のようなお城への入り口を撮影しましたが、撮り方が悪く

何が何だか分からない。。。


そのあといよいよお城の主要部に入っていきますが、

枡形と門の跡がうっすら残っているのがわかり、

現在の登城ルートから登ってきた敵に対しての守りは

キッチリしているなという印象です。






で、主要部にはいると、広々とした曲輪。寒風吹きすさぶ感じが

たまりません。海側の曲輪伝いに奥(北側)に進むと、

曲輪を連結するような縄張りが見て取れるのですが、




本丸東の曲輪の端から、北へ延びる曲輪の東側の石垣をながめる



海側の郭と北側の郭との間の枡形?左手の郭が馬出しのような感じになる。



主郭の北東先端(少しだけ算木積み)と北側の曲輪。






とげ植物に行く手を阻まれ、あえなく断念。

眼鏡をかけていなかったら、伊達政宗になるところだったぞ。。。


で、この北側の曲輪の連なりの先端には、子城が設けられているらしく、

そんなことは知らない運び屋は、そちらに潜入するのを怠ってしまう。

西生浦倭城の縄張りが頭にこびりつきすぎて、海に向かう稜線だけに

気を向けてしまったのがいけなかった。。。


さて、まずは主郭に侵入。こちらはいったんスルーして、

主郭側の北側の石垣の裂け目を通って、北側の郭へ。そのまま、その北側の

郭と連結する東側(内陸側)の曲輪を歩いて見ます。



主郭の北側。真ん中に搦め手門でもあったのか?それとも大手か?



主郭西側(内陸側)の石垣。真ん中あたりに段差。なんだろ?



主郭南西端。粗めの石積みが渋い。



主郭南の石垣を西から


櫓が無くなっているので、あんまり急峻な印象を受けない石垣と、

のっぺりとした曲輪が主郭部を取り巻いているため、堅い城のようには

映りませんが、主郭部をとりまく曲輪の周囲はきっちりと切岸加工されています。



主郭南の石垣を東から


冬枯れの草原になっている主郭周囲の曲輪自体には、あまり技巧や

目にとまる遺構はありませんでした。



主郭。


南東部に入り口があったのか、石垣が途切れています。主郭を囲む

石垣も南側の石積みが他と比較して高いので、こちらに大降りの櫓か天守台

防御拠点を設けて、お城に攻め入る敵を最後の最後で退ける厚めの

櫓などで見下ろされていたかもしれません。




天守台跡?主郭内部では一番石垣が高く積まれ、分厚い。


さて、このあたりから海を眺めるとなんとも良い景色。


城を取り巻く空気が前回訪れた西生浦倭城にそっくりです。ま、

倭城そのものが、日本や主要な拠点からの海からの補給に頼った

お城だったので、このような眺めは近いうちにまた見ることになるでしょう。





主郭西側の塁上を歩き、右手を見ると主郭を巡る土塁/石垣と海。




西側の塁上はちょっとした歩道程の幅があります。



西側を眺めると、ゆったりした曲輪が連なっている。



足下は、侵入者に対してのセンダングサ攻撃!

さすが、船団を囲い込む海の城だ。。。


まずは、お城の主要部の探訪は終了。派手さはないけど雰囲気があって良いなぁ。


海辺の集落だけど、大蒜は自前で作るみたいだ。


で、本来の子城/出丸的な小高い丘を目指さず、

お城を訪問したときは、出丸か、舟入の監視所と思っていた、

海側の小高い地点を目指します。




小高い地点には、祠と松の大木がずしんと生えており、お城の

方角を見るとやはりここが、舟入を監視する場所に相応するなぁ

などと勝手に想像したりしました。




で、更に港の方を見ると、昔は島であったであろうちょっとした高みが。。。




機張倭城を親とすると、子城(じゃないらしいけど)の子城、

孫城にあたる高みに登り、全体像をながめてお城をあとにしました。


画像を見直してみると、少しだけ本来のお城の子城が、画面右端に見える。



///機張倭城への行き方///


まず機張へ


☆釜山-機張



釜山/Busan/부산

釜山


列車で到着後、何も考えずに東横インへ、チェックインには早いので、

国際フェリーターミナルまで出かけ、対馬フェリーのスケジュールを

調べたり、



100JPY=1515KRW。。ということは0.0666を切る

レートでKRWを買えるということ。迷わず両替。


両替したり、




領事館でパスポートの増補を行ったりする。






ホテルでチェックインし直し、色々作業を進めながら、

同時に洗濯物(洗濯し忘れてた。。。)を洗濯しているうちに夜に。。。




大通りを一ブロック入っただけで、妖気を放つ釜山。

ロシアのおばちゃんが、ウオッカやらの立ち飲み屋みたいな

露店を出していて、まさにこれが「露店」だと思ったりする。




晩ご飯は、ビビンミョン3500KRW。日本円で250円にもならない。


このビビンミョンを食べた上の階が「サマルカンド」っていう

ウズベキスタン料理屋?今度行ってみようかな?


ソウル-釜山 KTX


ソウル-釜山


あたふたしながらプラットフォームに向かい、

韓国高速鉄道/KTXで釜山に向かいます。





51,200KRW。


どうせソウルに戻るのだから、コリアレールパスを

買っておけば良かった。ネット経由であれば、

韓国国内にいてもチケットを手配でき、バウチャーに相当する

ページをプリントアウトすれば、それで乗れたのに。。。と少し後悔。



座席に着くやいなや、車両が動き出す。残念ながら不人気の

進行方向を背にした座席だ。。。まぁいいや。窓側に人がいないから

二席占有できたし。。。


でも、夢の超特急の割に座席は狭く感じます。台湾高鐵のゆったり感

が感じられない。。。なんでだろ?景色を見ている内になんだか

ウトウトしてしまい、デジョン(大田)でとまったなぁ。。。なんて

思っていたら、いつの間にやら完全に記憶がなくなり、気がつくと

大きな町を通過中。あ、釜山支城とその周辺らしき景色。。。




なんておもっていたら、コンテナヤード沿いの港の雰囲気。

あ、釜山に着いちゃったよ。。。


進行方向を背にして走ると、なんだかChemical Brother'sの

「Star Guitar」を思い出すなあ








なんだか、不完全燃焼の旅でした。



ソウル

入国のプロセスをすべて終えたのは9時20分頃、

急いでバスチケットを買いましたが、


仁川空港発21時25分の普通バスを乗り過ごしました。

次のバス21時45分の確か、6001番のバスに乗り、

ソウル駅に向かいます。ただ、このバス。金浦空港や、

龍山駅、その他でもちょくちょくとまる鈍行だったため、

到着はなんと23時3分。(8000KRW)


ソウル発釜山行きの夜行ムグンファは、

ソウルを23時に出発するようで、一応駅舎に入ってみるが、

なんだか、「蛍の光」みたいな音楽が流れている。


あらら、やってしまった。


高速バスターミナルに行けば、24時までターミナルは

開いているようなのだけど、今回は荷物が多いので、

駅の外の食堂でひとまず食事でもすることにする。




さて、食堂でチゲ鍋をつつき、さあ宿でも探しますか

と外に出ると。いきなりおばさんに声をかけられる。


お、ゼスチュアからすると宿の案内。


終電を乗り過ごした旅行者には宿、通勤客には白タクらしい

勧誘が駅前にはけっこういて、この瀬戸内寂聴に髪の毛を

生やしたようなおばさんは「2万KRW」でどうだという。


うん、まあそれなら問題ない。


駅から程無い丘に荷物をひいこら引きずり上がってゆき、

STX財閥のビルのすぐ裏の民家に宿泊。




部屋に入るなり、後ろから寂聴オモニアジュマが、全世界共有の

ゼスチュアで、アガシをどうだ?と声をかけてくる。。。


今日はもう疲れたし、チゲチックな口の中やらでそんな

気分になる訳もない。。でも、ぱっとしない部屋ながら、

なんだかエロい感じはするなぁ。。。ちょっとモヤモヤする

微妙な残り香というか、空気が部屋に漂う。

電気毛布のあたたかさとか、布団の重さとかがなんだか

懐かしい。目が覚めたら昭和になってそうだ。


それにしても、駅前でおばさんに声をかけられるまま宿屋に向かい、

荷解きする横でエロい系をどうだ!なんて声かけられるのは久しぶりだなぁ。


さて、朝寝坊してまたまたソウル駅。




ムグンファでゆっくり釜山に向かいたかったのですが、

KTXが走り始めてからかなり間引かれてしまい、午前中は

2時間に一本くらいしかない。その一本に乗り遅れたため、

結局KTXに乗ることにします。


切符の時間を見ると発車間もないので、慌てて列車に乗り込みました。



UA881 NRT-ICN





SFO-NRTでよく見かける女主人&中国系?アメリカ人の方がパーサーでした。

Cはがらがら。



入国書類は変わっていませんが、
税関申告書が初めて見るフォームになっています。

ほぼ完璧な日本語で書かれると、日本語でそのまま書きそうになるけど、
一応、アルファベットと英語で記入する。

結局どの言語で記入するべきなんだろ?

空港から直接ソウル駅へ向かい、夜行に乗ろうと思いますが、
列車に間に合わなければ、その辺のホテルに泊まる予定。



本所税務署



去年の9月に解散した運び屋会社の最終作業。

法人での所得を本所税務署で確定させ、確定申告に備えます。
ここで確定させた所得を今度は東村山税務署に持って行き、
さらに、確定申告へ記載する、よりどころとします。

まあ、身も心もお金も削って勉強したわけですが、
景気が悪くなったとき、少ない人数で切り盛りしている
零細企業は、本当に大変だし、社会保障費や税負担が
本当に重いなぁと、税務署をあとにしながら、改めて感じる。

また、当然なことだけど、お金を稼ぐことも大事だけど、
いかに節税するかとか等を含め、きっちり考えないと
会社なんてやれないよ。。。と痛烈に実感しています。

高い授業料でしたが、ま、これを今後に生かしていきますよ。



山口城


山口城

築城年:平安末期
築城社:山口氏


堀跡
実家に帰るたびに周辺の変わりように驚き、
愕然とするのだけど、今回、近くを散歩していたら、 「水の武蔵野に住まう 森と清流でココロを潤す」 なーんていうのをうたったマンションの看板が目に入った。 こんなどうでもいい田舎をところを開発したところで。。。と思うが、 このあたりに建築するマンションで

「水の武蔵野」

という文言にはさすがに笑ってしまう。
国分寺や三鷹、立川のハケ沿いの湧水の側に立つマンションならまだしも、
このあたりは昔から水に恵まれず、掘っても掘っても砂や粘土。
水脈に当てるため、井戸を深く掘らなければならず、
少しでも深く掘るため「まいまいず井戸」で水を確保したり、
玉川上水ができ、その支脈の野火止用水が18世紀にひかれ、
ようやく作物が実るようになった場所なのだ。
なはは、なんにも育たなくて、雑木林とススキのノッパラだったので、
鷹狩りの場だったんだよ。。。
そういう昔っから米が作れない生産力の低い場所だったために、
手の届くところに古墳があるような、成田のような土地と違い、
昔の人たちが住んでいたという息吹を感じる遺跡や歴史的建造物に
東村山は乏しい(正福寺はあるものの)のが、歴史好きとしは悲しい。

これからこの土地に根ざす人が、「水の武蔵野」という なんだか間違ったイメージで居つくのもどうかなぁと思うの今日この頃。 そういえば、市の真ん中を貫く川の名も「空堀川」だったりする。 本日の空堀川も断流寸前だったぞ。 からっとした土地柄なのに、ネチネチジメジメと小言を書いてしまったが、 まあ、いつかしょうもないこの故郷を、
じっくり見つめ直そうと思っています。。。

土塁
さて、そんなこともあって東村山市にはめぼしい城がない。。。 田圃がなかったからね。取り合いにもならなかったのかな? ということで、実家から一番近いお城らしいお城を訪問。
多摩湖と西武園に挟まれた道を通って所沢に侵入。
しばらく走るとそこが山口城址でした。



国道沿いだとか住宅街の真ん中にあるとはいえ、 どうでも良い何かの店が、土塁に囲われている状態。 どうやらお城がある土地はスーパーに売られてしまったようだ。




斜向かいのマクドナルドから、コーヒーを飲みながら、 コイン洗車の看板と土塁を眺めることができる、なんとも
へんてこりんな城址。



じめっとした堀跡やゆったりとした土塁があるのに、
なんだかもったいないな。


「水の武蔵野」といい、この城といい、山口氏の詰めの城
(戦時緊張時に立てこもる城)の根小屋城が狭山貯水池の
敷地内で、公開すらされず、遺構を探ることすらできないし。。。。


地主の志の低さや、私のような新住人の無責任さ、そして
国や自治体の体たらくが凝縮されているようで、なんだか
悲しい気分になりましたが。。。。

近くの小学校からは、寒いのに元気に遊ぶ子供たちの声が聞こえ
少し安心する。頑張れ子供たち。

A300-600ST

本日は実家に帰宅中。

ドイツに行っている間、参加できなかった
大学の部活の同窓会のあれこれがあるかな???と

いろいろあって、戸棚やらを整理していると



こんなもんや



こんなもんが出てくる。

エロ本や、青林堂の漫画。ガロなんかは
ほとんど捨てられてしまいましたが、

写真だけは親が暇な時に整理していてくれたみたいで、

子供の時分から始まって、学生時代や



羽田のバイト時代や




A300-600STと写っている、
カーゴマン時代の写真なんかが出てくる。。。

うーん。今でもカーゴマンな気持ちでいるけど、
昔を懐かしむようでは、遊牧民失格。

ということで、今夜もICN発券を進めます。




UA853 SFO-NRT

 




UA853 SFO-NRT


飛行機が離陸できなくなるんじゃないか?

くらいだったFRA-SFOのB747の次は

ガラガラのSFO-NRT。機材はB777。


Y+の搭乗率は3-4割。Y-の搭乗率は5-6割くらい。


行きのNRT-SFOはY+5-6割。Y-の搭乗率は

7-8割くらいだったし、ビジネスクラスも空席が目立つ。


年が始まって数回のフライトで判断するのもあれだし、

そもそもオフシーズンなのは分かる。


でもちょっとお客さん少ないぞ??うーん。

ここ最近、UAを利用していてガッカリすること、

言い方を変えれば、いわゆるサービスレベルの改悪が続いていて、

そのことと、客離れは関係あるのかな?


と、だーっと書いたんだけど、結局愚痴。

もう少しブラッシュアップできればアップします。


ざーっと書いてみて振り返ると。。。


NWや日系が積極的に席を埋める施策をうっているのに、

UAはそのあたりの施策面で遅れており、新シート導入の遅れなどもあって、

あらら。。。という部分が目立つ。。。。っていうことになります。


使える部分が無くなったわけではないので、

何とかして欲しいものです。。



| 1/6PAGES | >>