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DL1149 JFK-SLC






DL1149 JFK-SLC


B757SLCへ、流石に早い時間帯だからか搭乗率は5割程度。

空いてさえいれば、4時間半のフライトさほど苦しくない。




米系メジャーキャリアのYの機内では珍しいパーソナルモニター。






オンデマンドの度合いも内容もなかなか。ま、それはそれで驚いたのですが、

もっと驚いたのはジェニファーロペスみたいなセクスィなアテンダントさん。

このジェニファーロペス的、セクスィー度をお伝えできないのが残念。









でも、エレベーターとかで一緒になったりすると、こういうタイプは

何考えているか、どんな声を発するのかも分からない雰囲気が、

ビーンと伝わってきて、どうも手に余るんだよな。。。。


つーか、女の人をああだこうだ言う資格は今も昔も俺にはないか。


そんなことより豚感冒の警戒度が上がった。今回は滅多に持ってでない、

栄養剤やビタミン剤なんかを持参しているが、それを飲んでホテルで

缶詰の中身になる予定。寝てしまいます。


AA22 LAX-JFK



AA22 LAX-JFK




日本の騒ぎはよそに、LAXも豚感冒に関しては平穏な印象。

マスクをしている人は殆どいない。


このLAX-JFK便でもマスクをしている人は見かけなかった。


病気とか風邪のようなモノに関して、日本人は、自分が死ぬより、

豚感冒にかかることで、自分が所属する社会や近所の迷惑というより、

そこに属せ無くなるっていう恐怖心(村八分に対する恐れ)が強いからなぁ。。。

アメリカに「死ぬほど恥ずかしい」とか言う言葉ってあったかな?


そういう先入観を除いても、アメリカ人はかかったら仕方がない、

マスク程度では防ぎようがない。。という感覚なのかな?

それとも、カーボーイ的に、マスクなんてする方が恥ずかしい的な

国民性なのだろうか??


機内ではラウンジでアルコールを注入したので食事も食べずに寝てしまい、

「ハッ」と気がついたとき、隣のシートの中華系のおばちゃんが

ひどい格好で自分を跨いでて、ビックリするぐらい。。。


で特筆するモノは無し。




相変わらずみんな地べたに座ったり、バスケを観たりして

荷物が出てくるのを待っている。。。。いつものJFKに到着。




うーん、日本の緊張感にしばらく併せて動こうと思うけど、アメリカが

この調子だと、なんだかどう対応した方がよいモノか。。。と思ったりする。




AA170 NRT-LAX






AA170 NRT-LAX





なんだろ?出発が30分ほど遅れる。なーんてとぼけている場合では

ないのですが、搭乗が遅れる。


飛行機が若干遅れたことに加え、機内検疫が行われたため、15時25分頃の

搭乗が、16時15分まで伸びる。状況の急激な悪化に、航空会社も検疫も

下手なことができないこともあって大変だろうな。。


航空会社の貨物部門で働いていたときは、競走馬がや動物が運ばれてきたときなんかに、

検疫官と一緒に飛行機の中に入ったりしましたが、そんなに検疫官の人っていたかな?

アメリカからの到着便をこうして防疫するとなると、検疫官や、消毒を行うスタッフの

数は、NWやUAの北米便が一気に押し寄せる時間帯に対応しきれるのかな?

そうそう、蛇足ですが、世界で初めて検疫所が設けられた港は、


クロアチアのドブロブニクです。


出発前に確認したビジネスクラスのシートマップでも明らかに空席が増えたし、

航空会社はまたもや試練の時を迎えたかもしれません。これ以上感染が広がったりすると、

冗談ですまない自体になるかもしれない。。。






どちらかというとアメリカ系航空会社の中で、ラテン度が高いAA。

搭乗口で待つ人の中にもマスクを着用した人がチラホラしています。

でも、搭乗便が遅れる中、ゲートのエージェントさんから、

かなり声がかかっているのを見受ける。なんかあったのかね?




それにしても、飛行機が遅れるとラウンジやらで頂く酒の量が増えたり、

精神的に疲れたりして抵抗力が弱まりそうだ。。。これはしっかり睡眠取らないと。。。


と思ったけど、何度も観ているんだけど。。。。




おーぅーーーーーーーさやーぁあああっと


「スラムドッグ$ミリオネア」を見てしまう。


この映画、映画でしかできないストーリー展開に、役者が揃い、その上

音楽も最高です。観るたびに涙出てくる。


勢いで取ったインドビザで今年の夏は初ムンバイだ。


ジャイホー!!!





入国管理も税関検査も至ってスムーズ。いつもはQFとか他の便とかぶって

完全停止不能状態になるんだけど、あっという間に入国でした。


ちなみにインフルエンザとかを警戒するものものしさもありませんでした。






JL870 PUS-NRT






JL960 PUS-NRT


朝8時発となると、かなりの早起きだなぁ。


釜山市内を6時前に出発し、チェックインをしてラウンジで

色々作業していると搭乗案内。


ガラガラのB767に沖留めのスポットから乗り込み、いざ東京へ。

B767の内側のシートだったのでノンビリ文章などをまとめて過ごす。




到着後の入国検疫では緊急事態が発生していることもあり、

入国審査同様、カウンターで検疫官に質問をするような体制が取られていた。


入国後は本を買い入れたり、PUSでは成田以遠のボーディングパスが

発行されなかったので、AAのカウンターに出向いてそれを受け取る。


乗り継ぎ時間は6時間。今日はラウンジでゆっくりしようと思う。


釜山


体を健康にしておかないといけないのと、豚も少し食べておくかということで、

ホテルの近くの焼き肉屋へ。一人焼肉ほどつまらない食事もないけど、まあ仕方がない。


ビールと牛、豚各一人前でおかずがついて20,000KRW。今のレートで1,500円位か。

確かに安いけど、韓国に来たからといって旨い肉にありつけると言えば、

そうはいかず。。不味い訳じゃないけど、思い出に残るような味でもなかった。


釜山のお城と船旅のアップデートをホテルで進め、遅くに就寝。

明日から日本経由でアメリカ。仕事とはいえ、今回はあまり気持ちが乗らない。





厳原-釜山


厳原-釜山


名残惜しいですが、対馬を後に。










厳原の乗船ターミナル奥のDAE-A EXPRESS SHIPPING/大亞高速海運の

事務所で、乗船券を搭乗券に引き替え600円の燃油税を支払う。




今回も日本人の乗船客は少なく、韓国の団体客が殆ど。

日本人がもう一人いたので、100名の乗船客として、98%が韓国人旅行者。






船はドリームフラワー号。釜山-厳原で乗船したシーフラワーII号よりは

新しい印象を受ける。






出国を終えた韓国のオヤジと、フェンスの向こうの港のオヤジ









釜山-厳原同様、出航予定時刻を少しはやめて船は岸壁を離れ、外海に。




天気晴朗なれど波高し。


船に乗っていると言うより、大型バスで坂を上り下りしているような気分になる。

1時間ほど左手に対馬の山並みを眺め、そのあとはひたすら釜山を目指します。




キッチリとした航路でもあるのか、同じような間隔を置いて韓国→日本/日本→韓国の

船が行き交っているような感じを受ける。。。やがて半島の山並みが見え始め、

灯台を過ぎると波が穏やかになり、影島の造船所の建造中のコンテナ船を

眺めている討ちに接岸。








到着は丁度5時頃。二時間と少しの船旅でした。




厳原/対馬



厳原、対馬


韓国から船でに三時間という距離感を強く意識するまま町を歩き、

しっかりとした石組みの武家屋敷や、江戸期の古地図と違わない現在の町割等、

興味深い歴史を感じることができたうえ、城バカにはたまらない、それぞれ

歴史的な重みのある城や城館跡を五つも訪れることができ、充実した滞在でした。




また、厳原は歴史だけでなく怪しい私のような一人旅行者がふらついても少年少女は

「こんにちわ」と声をかけてくれ、素晴らしい所でした。




町を歩き、歴史の一端に触れただけで、対馬はおろか、

厳原の歴史にさえ片足を突っ込んだ程度ですが、興味が尽きない島であります。


対馬の歴史と民族を研究した、田中健夫氏によると、対馬史の特質は、


1,山岳が重畳して農業生産が乏しく、経済基盤を島の外に求めなければならないこと

2,国境の島であり、国防の第一線であったこと

3,朝鮮半島や中国大陸への交通上の要地を占め、海外との文物交流の拠点だったこと

4,それにともなって外交や貿易の事務の専職者が必要となり、

  そのことが対馬の文教が発達する基礎となったこと

5,宗氏の全島支配が長期にわたって続いたため、島内土着勢力の移動が少なく、

  文書や記録は生活と密着した形で伝承され、質量共に優れた資料群をのこしていること、

6,対馬の歴史や習俗は常に二つの面を持っていること、すなわち島嶼でであるための

  開かれた面と閉ざされた面、文化交流の道に位置しているための進取性と保守性、

  朝鮮に向かう面と本土を志向する面、等々多くの相反する側面をもっていること、


などとしていますが、まったくその通りだと感じる。


桟原城の所にも偉そうに書いてしまいましたが、特に島嶼が経る独特の歴史や、

住む人の気分などの面では、日本が経てきた歴史や今後に通ずるモノがあります。


ここ数年で韓国の旅行者が増えたことによって、対馬が最近の話題にのぼる、

対馬の自衛隊基地周辺の土地の買い占め問題や、韓国の在郷軍人が対馬市役所前で

大騒ぎしたことなど(韓国からの旅行者が増えるのは構わないけど、

この市役所前での行動はどんな角度から見ても許せないな)にしても、これらの問題を

じっくり見据えてみれば、対馬が経済基盤を島の外に求めなくてはならないことや、



パチンコ店が韓国人観光客向けの免税店に。


終戦まで要塞化を進めてきた対馬独特の歴史、地方の切り捨てや衰退などといった

現在の日本が抱えるの大きな矛盾が集約されたモノのように感じる。


あらら、厳原の旅日記を書くつもりが、カチカチの文章になっちゃったな。。。




何か宣言すると、途端に宣言をくじくような事態が起こるのでブログで

ああだこうだ述べるのは控えようとは思っているのですが、

ちょっと対馬に関してはこれからも訪れていろいろ考えたいと思います。


何しろ、金田城や島の神社など、訪れていないところはたっぷりあるうえ、

繰り返しになるけど、子供が挨拶してくれるし、地域が活性化するよう

努力している町の人が、離島戦隊イキツシマン?に扮したり、町を歩いていても

商店などで、町おこしのためのヒアリングをしているのを見かけるし、

なんだか素敵な島なのです。



山が深いので、水も豊か。海から少し歩いただけでこんな清流も現れる。


うーん、外交とか、国家とかを感ぜずにはいられない場所が

九州には本当にたくさんあるな。。。私のような人間では、

ブログという場で求められる、日記的でスピーディーで正確な文章を

残せないよ。。ぐっすん。。


パソコンのテキストファイルにも、飫肥と小村寿太郎、鹿児島の加治屋町の二つは

なかなかまとめることができず、今も書き途中のままです。。。


とりとめもなくなりましたが、今年中に対馬にはまた来ようと思います。


宗氏 中村館



中村館


築城者:宗貞国

築城年:応仁2年 1468年


場所


対馬宗氏が、池の館に移る前に構えた館。


「中村」から館を「池」に移した、という文面は郷土史でも見かけたのですが、

館の場所の表記に「小学校があった場所」という記載がありました。しかし、

その小学校が対馬藩が1685年設立した、小さな子供(8-15歳)向けの藩校

「小学校」なのか、明治以降の小学校なのか分からず、特定できずにいました。。。




現在の中村には小学校はなく、藩校「小学校」の案内板にも特に記載がなかったなぁ。

等と思いながら探していると。。。南対馬警察署の片隅に、案内板がありました。


1468年は、宗貞国が政治の中心を佐賀(峰町佐賀)から国府(厳原)に移り、

この町が大きくなった歴史的転換点。風雨にさらされながらも、

きっちり案内板が残っているのは、いいことだなぁ。。と思ったのでした。


桟原城


主要部の石垣


桟原城


築城者:宗義真

築城期:延宝6年(1678年)


場所



厳原の町で見つけた古地図の桟原城。大きめの屋敷くらいしかない。


さじきばらと読みます。


桟原の地名の由来は、藩候が練武のため桟をもうけた場所とも、

宗重尚(宗氏初代当主)が、太宰府から兵を率い来島し、

この島で反乱を起こした阿比留親元を討ち、その首級を実験するために

桟を設けた所だったともいいますが、確実な由来はないようです。





だいぶ改変が進み、往事を偲ぶことは難しいが、

自衛隊駐屯地に向かうカーブの石垣の石積みに変化があり、

古地図にもある門か、小振りな櫓の印象も受ける。


ただ対馬の歴史に関わる著作に少し触れると、宗氏と宗氏に

島の統治者の座を奪われた阿比留氏の関係が浮かび上がってき、

この桟原という場所に、城館を構えた場所にそのような由来が残るのは、

宗氏が対馬の統治者であるということに「箔」を付けたような

後から付け加えたというか、出来過ぎな印象も受けます。



お城の西、ここに馬場があった。


現在、島には宗姓が居らず阿比留姓が多く残るそうです。実際、

名前を縫い込んだ作業着姿の方や、選挙ポスター、贈答品のお店などでも

「阿比留」を見かけたし、町割を探索しながら、町内区分図を見ても

「阿比留」の文字はそこかしこで見かけた。


戦国期、宗氏15代晴康の代に家臣団の宗氏に改称を命じたこともあるようですが、

対馬の統治者が島に残らず、はるか800年前、島の統治者であった氏族の

姓が多く残るというのは、もうそれだけで自体が歴史のドラマのような感じがします。



お城の北の崖、だいぶ改変が進んでいますが、

北側は要害の地だったかもれません。



お城の周囲3階から5階建ての社宅に取り囲まれて、お城を

観察しにくくしているのですが、そのうちの一つが、対馬名物

石屋根」をあしらっていたので、なんだか心が和む。


孤島の人々がそれまでの統治者を「パッ」と投げだし、外から現れた人に

統治を渡したり奪われてしまい、海の彼方の「モノ」を貴種とし崇めることは、

対馬ならず、日本の独特の地域性や国民性の一端を見るようで興味深いです。


うゎー、前置きが長くなりました。。。


お城は現在の厳原(厳原は明治以降の地名、それ以前は府中、府内とよばれた)の町の

奥に位置しています。戦国期の城館ではなく、太平の世を迎え戦が途絶えた時期の

延宝6年(1678年)、金石城から場所を移すように築城されたそうです。



武家屋敷と石垣が続く城下。対馬支庁の北の小径。



中村地区の武家屋敷の門



家老氏江家の長屋門。対馬支庁前。家老とはいえ、これだけの門を持つ藩。

このあたりから考えても、桟原城のささやかさは際だっているなぁ。





石積みでも高度な技術が必要とされる、鏡積みの石垣。

壱岐の勝本城でも見られるようです。


対馬藩宗氏の居城として明治を迎え、明治以降対馬が国土防衛の拠点とされたため、

厳原には明治19年熊本鎮台所属、対馬(對島)警備隊司令部が置かれ、歩兵中隊や

砲兵小隊が置かれ、現在は自衛隊の駐屯地になっています。駐屯地入り口の隊員の方も、

石垣だけしか残っていないとおっしゃっていました(駐屯地正門の撮影はもちろん断られた)。



藩校日新館の門。




周辺歩いた限りでは、大振りな石垣を確認できた他は遺構を確認することはできず、

お城の北側に小川が穿った小さな谷川と、崩落工事が施された崖がお城の雰囲気を

偲ばせるだけで、府内/府中(厳原)の町を併せたとしても要害の印象は受けませんでした。

ただ、町の石垣をたくさん見ましたが、石材の大きさだけは、この桟原城で

使われているモノが群を抜いていました。




桟原城の周囲は明治以降の日本各地の城とその周囲が辿ったのと同様に、

官庁やそこに勤務する方々のための官舎や公舎になっているようです。

少し鄙びた感じのする団地は味がありましたが、お城があった場所の周囲から、

かつてここに10万石の対馬藩の城館が置かれ、日本と朝鮮の橋渡しをしていた。。

というよすがは感じられませんでした。ま、この控えめなお城の縄張りこそが、

江戸の長きにわたり、朝鮮との橋渡しを担った宗氏のバランス感覚なのかもしれません。



桟原城の第三門であった別名高麗門。現在は郷土資料館脇に移築。


ただ、朝鮮通信使も立ち寄った港と彼らが立ち寄ったお城へ続く大通り沿いには、

まだまだ多くの屋敷やその石垣が残り、大通りから一筋それても城下の匂いを

漂わす路が現れ、10万石に相応しい武家屋敷の町並みを楽しむことができます。



宗氏 池の屋形/池の館/対馬府中城


池神社がある辺りが、池の館があった場所とされる。


池の館


築城者:宗将盛

築城年:大永6年(1526年)


場所


大永6年(1526年)、宗将盛が現在の厳原、府中の「池」に

少し内陸部の「中村」から館を移します。




館が建てられたため、付近を今屋敷とよぶようになり、池の神社前の

通りも今屋敷通りという名前が付いています。

ただ、この館が築かれた二年後の1528年、宗盛治の乱が起こり、

館は焼失。同時に宗家累代の古記録も消失。


残念。。


現在の池の神社の辺りにあったとされ、境内に案内板があり、

お隣には立派な復元された館跡と見まがうような御屋敷。




館が建てられたため、付近を今屋敷とよぶようになり、

池の神社前の通りも今屋敷通りという名前が付いています。



池の館、対馬府中城と言われる城の縄張り図。どこだかわからない。

そもそも内沢川という流れがどの川筋に当たるかが分からない。。



画像右端に池神社。このあたりの地形と重厚な上の縄張り図から想像される

場所が見あたらない。。。川からの堆積で海岸線が遠くなったとしても

何だかよく分からない。。




図書館の古地図と、池の館の古地図を併せてみましたが、

池の館にある古地図は、現在の地形と合わせて考えても

ずいぶん大きく書かれているし、江戸期以降の町割とは

大きく異なるようで、想像の翼が広がりませんでした。。。



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