厳原、対馬
韓国から船でに三時間という距離感を強く意識するまま町を歩き、
しっかりとした石組みの武家屋敷や、江戸期の古地図と違わない現在の町割等、
興味深い歴史を感じることができたうえ、城バカにはたまらない、それぞれ
歴史的な重みのある城や城館跡を五つも訪れることができ、充実した滞在でした。
また、厳原は歴史だけでなく怪しい私のような一人旅行者がふらついても少年少女は
「こんにちわ」と声をかけてくれ、素晴らしい所でした。
町を歩き、歴史の一端に触れただけで、対馬はおろか、
厳原の歴史にさえ片足を突っ込んだ程度ですが、興味が尽きない島であります。
対馬の歴史と民族を研究した、田中健夫氏によると、対馬史の特質は、
1,山岳が重畳して農業生産が乏しく、経済基盤を島の外に求めなければならないこと
2,国境の島であり、国防の第一線であったこと
3,朝鮮半島や中国大陸への交通上の要地を占め、海外との文物交流の拠点だったこと
4,それにともなって外交や貿易の事務の専職者が必要となり、
そのことが対馬の文教が発達する基礎となったこと
5,宗氏の全島支配が長期にわたって続いたため、島内土着勢力の移動が少なく、
文書や記録は生活と密着した形で伝承され、質量共に優れた資料群をのこしていること、
6,対馬の歴史や習俗は常に二つの面を持っていること、すなわち島嶼でであるための
開かれた面と閉ざされた面、文化交流の道に位置しているための進取性と保守性、
朝鮮に向かう面と本土を志向する面、等々多くの相反する側面をもっていること、
などとしていますが、まったくその通りだと感じる。
桟原城の所にも偉そうに書いてしまいましたが、特に島嶼が経る独特の歴史や、
住む人の気分などの面では、日本が経てきた歴史や今後に通ずるモノがあります。
ここ数年で韓国の旅行者が増えたことによって、対馬が最近の話題にのぼる、
対馬の自衛隊基地周辺の土地の買い占め問題や、韓国の在郷軍人が対馬市役所前で
大騒ぎしたことなど(韓国からの旅行者が増えるのは構わないけど、
この市役所前での行動はどんな角度から見ても許せないな)にしても、これらの問題を
じっくり見据えてみれば、対馬が経済基盤を島の外に求めなくてはならないことや、
パチンコ店が韓国人観光客向けの免税店に。
終戦まで要塞化を進めてきた対馬独特の歴史、地方の切り捨てや衰退などといった
現在の日本が抱えるの大きな矛盾が集約されたモノのように感じる。
あらら、厳原の旅日記を書くつもりが、カチカチの文章になっちゃったな。。。
何か宣言すると、途端に宣言をくじくような事態が起こるのでブログで
ああだこうだ述べるのは控えようとは思っているのですが、
ちょっと対馬に関してはこれからも訪れていろいろ考えたいと思います。
何しろ、金田城や島の神社など、訪れていないところはたっぷりあるうえ、
繰り返しになるけど、子供が挨拶してくれるし、地域が活性化するよう
努力している町の人が、離島戦隊イキツシマン?に扮したり、町を歩いていても
商店などで、町おこしのためのヒアリングをしているのを見かけるし、
なんだか素敵な島なのです。
山が深いので、水も豊か。海から少し歩いただけでこんな清流も現れる。
うーん、外交とか、国家とかを感ぜずにはいられない場所が
九州には本当にたくさんあるな。。。私のような人間では、
ブログという場で求められる、日記的でスピーディーで正確な文章を
残せないよ。。ぐっすん。。
パソコンのテキストファイルにも、飫肥と小村寿太郎、鹿児島の加治屋町の二つは
なかなかまとめることができず、今も書き途中のままです。。。
とりとめもなくなりましたが、今年中に対馬にはまた来ようと思います。