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BAHLA FORT



BAHLA FORT


オマーンには、何でそんなに?というくらいお城がゴロゴロしているのですが、

まずはハジャル山脈南麓のBAHLA FORTを目指します。

マスカットを朝の8時に出発し、3時間半ほどでBAHLAの集落に到着。



塔の明かり取りが、顔みたいになってるぞ。はに丸かよ。


バス停からほどない丘にズドンと鎮座している城砦は、高い城壁を巡らし、

要所に塔を配したなかなか立派なモノ。現在修復作業を進めているためか、

城壁の周囲の1/3程に足場が組まれています。




補修作業の様子を見ると、泥に藁を混ぜ、それらをある程度寝かしてから

城壁に塗り込んでいる様子。






ゲートのおじさんは、英語が駄目で、フランス語ならOKとのことで、

あまりお話を伺えなかったけど、城門から覗いた限りでは、城壁内は




ちょっとした都市のように通路や建物が組み合わさり、

城壁と同じく思い切った修復作業が進められているようで、

全体的にかなり気合を入れているように感じました。。。


ただ、城壁の下を一周し、修復作業が済んだ箇所と修復中の城を比較すると、

現在進めている作業は、修復と言うより、朽ちかけた古城跡を一気に

新築の城に建て替えるような完璧な作業。修復後しばらくすれば味わいも

出てくるのだろうけど、個人的にはこういう修復はあんまり好きじゃないなぁ、

作業に当たっているのも、パキスタン人やバングラデシュ人だったりだし。






城の周囲には、有機的かつ立体的に建物や道が組みあわさる灰色の旧市街が

あるのですが、人気(ひとけ)が殆ど無く、廃墟のような感じで少し寂しげ。








人が住まなくなると、家はどんどん朽ちてゆくっていうけど、その典型的な

姿を見ているような気がする。。。




城の修復に併せ、立ち退きなどで人がいなくなったのかもしれないけど、

家畜やゴミでグッチャグチャになった、現役の旧市街の背後に、古城。

というシチュエーションの方が僕は好きなんだよなぁ。







といいつつも、廃墟をしばらく散策し、旧市街のゲート跡らしき場所をみたり、

旧市街の縁に建ち、城塁のような雰囲気すらを感じさせる家の屋根に登ったりし、

楽しむ。。。




が、暑い。。。44度。。




風は吹くんだけど、熱気をぶつけられるようでちっとも涼しくなく、

肌を出している場所が、ヒリヒリする。こんなに暑いのも久しぶりだな。




南アジアの人間は暑さに強いなぁ。。


うーん、シリアのパルミラのお城に行った以来だなぁ、などとボンヤリ

頭に浮かべていると、オアシスの集落をぐるりと取り囲む城塁に辿り着く。




周囲12キロあるという城塁は、高いところで5メートル程で、所々に

物見台が配され、なかなか立派なモノ。よく見ると、砂漠の城の崩落の

原因である、城塁の基部に簡単な補強が施され、良い感じ。




よく見ると城塁や塔の基部が補強されている。



じっと見ると、狭間の下に武者返しのような、薄い石組みがみられる。


そうだよ、これくらいの修復や補強が程よいよ。。などと灼熱の中でつぶやきながら、

城塁を辿り、BAHLA城砦を見下ろすような小高い丘に登る。




背後の岩山の色に溶け、日差しが強すぎるためか、丘から城砦を見下ろしてみると、

「なんだ、こんなもんか」という感じがしないでもないが、オアシスの緑と

周囲の山、そして果てしない砂漠との組み合わせはなかなか。





城塁の上を歩いていると、小さな貝殻をよく見かける。




こうして回ってみると、せっかくいろいろなものが集落に残っているのに、

城砦と旧市街と外城にあたる城塁の関連性が絶たれてしまっており、

ちぐはぐな印象を受ける。





うーん、修復が完了し、城砦内部をサラッと回ってしまうだけの

観光地になってしまうのなら、何のための修復?ということに

なりかねないなぁと思いながら、BAHLAの集落をあとにしました。



NIZWA FORT



NIZWA FORT


お城の知識がたいしてあるわけでもないのに、ああだこうだうるさいのが

玉に瑕な運び屋ですが、NIZWAを町の脇の道から眺めた第一印象は、


あ、なんだこりゃ?ディズ○ー・シー?




パチッとし過ぎて、なんだか城壁や城門がアラブのスークに並んでいる、

素焼きのお土産みたい。なんだかねぇ。




ただ、このお城はオマーンにとって重要なお城のようで、

RO 5のお札の意匠にも用いられているし、内部は博物館になっていて、

展示にも力が入っていた(訪問客は運び屋だけだけど)。






城砦部に施された侵入者を撃退する仕組みなども、

分かり易く案内されているんだけど。。。うーん、運び屋的には、

がっつり修復が行き届きすぎて、味わいが感じられないし、



一部、修復を一時停止?している箇所あり。こちらの方が味わいがある。


普通の旅行者の人がこの博物館を回っても、「だから?」

くらいにしか感じないんじゃないかなぁ。。。




ただ、城砦部の区画はNIZAWAの町のほんの一部のようで、博物館の

外壁になっている壁がそのまま市街地に伸びているようなので、

そちらを辿ってみることにしました。




外壁が伸びていた方角にはBAHLA同様、人気が無くなった旧市街のような

街区になっており、



寺院跡?


イスラム寺院の跡と思われる廃墟や、水路がひかれて

いたことを想像させる窪みなどがあり、興味深い。



配水システムの施設に思えたのだけど、深読みしすぎかなぁ


が、お昼寝タイムということもあってどうも人気(ひとけ)がない。。。




さて、目的の城塁ですが空き地の奥にひっそりと佇んでおり、城壁上部への

階段があり、登ってみると人が歩ける回廊と、凸凹の遺構がきっちり

残っていました。。。




色が変わっているところから、NIZWA FORT博物館。



城塁は続く



が、途中からゴミ捨て場と化してしまう。。


空き地からもずっと、城塁は続いているようなのですが、このNIZWAも

ご多分に漏れず町外れの城塁脇なんて言うのは、ゴミためにされちゃうようで

危うく変なモノを踏みそうになりましたよ。。。



空き地に住んでいたミャンマー(ビルマ人と自分では言っていた。)人の兄ちゃん。


お札にもなっているオマーンにとって大事な場所が、頭隠して尻隠さずでは、

ちょっと寂しいのではないでしょうか。。。。っと


うーん、なんだかこんな書き込みばかりだなぁ。。


G9 117 SHJ-MCT






G9 117 SHJ-MCT


パスポートのページを何度もめくり、一向にチェックイン手続きを進めない

カウンターのお兄ちゃんに、「何さがしてんの?ビザ?」と聞くと、

「何も」の返事。おまけに、「急いでるの?」と質問を返してくる。


出た!分からないのを認めたくない系アラブ人だな。。。ったく、

その兄ちゃんが、スーパーバイザーらしい人物にパスポートをようやく

見せに行き、確認をとりはじめるけれど、そのスーパーバイザーらしき

兄ちゃんもパスポートのページをペラペラめくって、ウンともスンともいわない。


いい加減待ちきれないので、そのスーパーの肩を叩き、

「何さがしてんの?ビザ?」とまた聞くと、「何で肩叩くんだ?」

だって。。。ったく。。


都合15分くらいで手続きされたので、まあいいのだけど、

なんだか面倒なチェックインだったなぁ。たった40分のフライトなのに。。


さて、出国審査に向かうと、ここでもカウンターのお姉さん(奇麗)が

パスポートを何度もチェックし、首をひねる。。。どうやらUAEの

ビザを探している様子で、


「日本人はUAEの短期滞在はビザいらないんだよ」

「ほら、ここに(さっき)入国スタンプあるでしょ」


と説明しても、困った顔して応えられない様子。。。。。。

うーん。パスポート番号を打ち込んで、入国データを調べるだけの

問題のような気がするのだけど。。。。あらら。。。

結局、隣ののブースのオバサン審査官に助けを求めてるぞ。。。


シャルジャ空港がAirarabiaのハブになりほぼ独占状態で、その路線網が

中近東の主要都市と南アジアに広がっており、そのなかでも南アジア路線は

UAEに行き来する越境労働者の利用が多い。


おそらくこの空港の出国管理は、彼ら労働者の就労ビザの有無や期限の確認を

することなどが、大きなウエイトを占めているのでしょう。。


ま、その後すぐに開放され無事出国しましたが、なんだかチェックインから

出国まで、余計な時間がかかったなぁ。。


出発まで一時間ほど、ターミナル内のネット屋でインターネット(20AED/H)。


沖留めのスポットまでバスで向かい、KHI-SHJ便に続いて定刻前に出発。




ドバイの脇を掠め、グングン西に向かうとあっという間に窓の外は

砂漠と乾ききった岩山で、人の匂いは薄い景色。

ハジャル山脈を越えながら高度を下げ始め、海沿いに建物が目立ち始めたと思うと、

すぐに着陸。あっという間のフライトでした。。。





イスラム国なので紅新月社マークです。


機内で書かされた検疫表の徴収もかなりいい加減だし、入国審査も

アライバルカードの記載などはなく、いたって簡単。ビザも審査前の

TRAVELEXで両替すると同時にいつのまにやらRO6が天引きされ、

支払いが済まされるようで、ビザもただのスタンプタイプのモノ。


搭乗機に外国人が少ないこともあってか、オマーン人より早く

開放され、あっという間に到着ゾーンに出てしまう。


空港前のタクシーの運ちゃんは中心部までRO5と言ってくるので、

駐車場を抜け、横断歩道を渡り、空港の前のスルタン・カブース通りから

丁度停まった乗り合いタクシーに乗る。




市内まで500BZs(125円)。もう少し安くなったかもしれないけど、

荷物が大きいし良いでしょう。初めての国の移動にしてはまあ上出来でしょう。


G9 546 KHI-SHJ




G9 546 KHI-SHJ


カラチのサダルから空港まで、ホテルが呼んでくれたタクシーで350Rs.(約440円)。

カラチ空港は、イスラマバード空港より遙かに大きく、古めかしいものの国際空港

らしい堂々たるターミナルにサテライトを配した空港でした。


予定時刻より30分ほど早く出発した546便の乗務員さんは、ウズベキスタン人と、

たっぷりキルギスやカザフの血が入ったロシア人の中央アジア系チームでした。


このブログで何度も書いていますが、ウズベキスタン人は本当に分かり易い

顔立ちしてる。



KARACHI



ま、予測はしていたモノの。。太陽に照らされたカラチのサダル周辺は、

パキスタン(やインド)都市部おなじみの、有機的無機的なゴミやらなんやらが

ぐっちゃになったカオス。ローカルフードやら屋台のジュースに手を伸ばしたいけど、

立ちこめる空気にやられてしまい、どうも手が伸びない。。。




バクテリアにも細菌にもやられない強靱な内蔵があれば、がんがん行きたいのだけど、

ちょっとガッツが湧いてこない。




ということで無難なカレー屋でチキンカレーとナンを頼み、最後のパキスタン料理とする。

食い終わり、立ち上がった瞬間に、横から現れたホームレス?の兄ちゃんに

カレーを持って行かれ、食い終わったんでしょ?OKダヨネ?的な視線を送られ、

少し唖然としたが、せっかくだからナンくらい奢ってやれば良かったと後悔。。。


それにしても廃墟みたいな所に人が住んでるよなぁと今更ながら思う。ぱっと見なら、

「北斗の拳」とか「AKIRA」の世界だぞ(人も含めて)、サダル周辺。



RAWALPINDI - KARACHI



ラワルピンディの郊外にあるイスラマバード国際空港。というと変な感じだけど、

イスラマバード自体が、建国後にラワルピンディに建設された新都市なので、

まあ双子のような都市。空港からは少々ぼられ? 250Rs.でラワルピンディ駅に向かう。


駅から少し離れた予約センター?で当日のカラチ行きを頼むと、

午後1時のAWAN Exp.という列車があるそうで、A/C Sleeperはないけど、

A/C Standardの席がある模様。手を枕にして寝るゼスチュアをすると、OK

みたいな感じだったので、一応寝台で横になれそうだ。2320Rs.(約2900円)




切符も用意できたし、出発まで時間があるので駅舎のレストランで食事。

テレビではNURASAT FATEH ALI KHANがユラユラ揺れながら叫んでて、

テーブルにはチキンピラウ。うーん、最高にパキスタンなシチュエーションだなぁ。




食後のチャイを頂いていると、列車が到着してホームが騒がしくなり、

その喧噪に太鼓やラッパの音が混ざる。。。音楽につられてホームに出てみると、

どうやら偉い人が到着したようで、花輪を首に提げ、ゆったりお仲間を従えて

風格あるオヤジが歩いてる。




そのオヤジを導くように楽士が奏でる音色に合わせ、

オヤジと爺さんがぐるぐる円舞してる。あー、いいねぇパキスタン。




男臭過ぎるのが玉に瑕だけど、人間が生き生きしてるんだよなぁ圧倒的に。

笑顔にはかならず笑顔を返してくるし、手を挙げたらぜったい手を挙げ

返してくれるもんなぁ。




ひたすら感心していると、AWAN Exp.が入った模様。チェックして列車に向かうと、

10両ほどの客車と電源車を従えたディーゼル車が準備万全な様子。

使い古した感じが渋いなぁ。。



瓶入りミニッツメイド。オレンジ味の砂糖水でした。





列車に乗り込むとどうやら開放寝台の模様。






たまんないね、この長距離列車の出発前の雰囲気って言うのは。。。




出発すると、窓の外はあっという間に田園風景。パンジャブは相変わらず

肥沃であります。ご存じの通りパンジャブは、panj(五つの)ab(川)の意。

四川省や三河の国と兄弟のような場所ですね。豊かで肥沃な場所というのも

共通項。あぁー、育むねぇ、ゆりかごだねぇ河は。。。






ということで、グジャラワラで少し長めに停車した以外は、ほとんど休み無しに

パンジャブの大地を駆け抜け、午後7時頃にラホールに到着。





車内で無料スプライトを配るのプロモ。残念ながら男だ。


ラホールでは、ここからの客車を連結するようで、目の前に出されるまま、

チキンピラウやチャイやアイスクリームをむさぼっているうちに、

いつの間にか列車は20両編成くらいに。




ホームは真っ直ぐなのだけど、最前列の気動車も

最後の客車も霞んでるし、ホーム自体もごった返しててなんとも旅情をかき立てる。


一時間近く停車し、列車が動き出す頃には動けないくらい腹に詰め込んでしまい、

開放寝台の最上段(三段式)に横になると、すぐに寝てしまう。ったく、

パキスタンに来て痩せようと思ったのに、腹も下さずに食ってばかりで、

太ってしまった。。。。どういうことだ??




何度か夜中に目を覚ましたような気もしましたが、いつの間にか朝。

食堂車?から給仕される朝ご飯を、他の乗客の皆さんがモサモサ食べている。




車内から見える景色は、引き続き畑畑畑。時々田圃。田圃には水が引かれて、

手植えで女達が作業してる。。。。GILGIT周辺の金色の小麦畑でも、体を

丸め手鎌で収穫していたけど、パキスタンの農民は大変だなぁ。ただ、

やっぱり豊かだよなぁ。この田植えだって二期作の二本目ぇー!だろうし、

パキスタン国民が食う分は、まちがいなく自給自足してるよな。




パンジャブ州最後の駅(多分)


そんな豊かなパンジャブの最後の駅を正午前に通過、シンド州へ入ります。

シンドは、「大洋・川」を意味する言葉から来ているらしいけど、列車が

走っている辺りはすぐ近くまでタール砂漠が来ているはずで、線路脇も

ギンギラな太陽に照らされ、運河で水を引かないと、あっという間に砂漠化

してしまいそう。そういえば、パーム椰子畑が州境を超えた辺りから目立ち始める。




その辺りで車内定食120Rs.(約150円)を頂き、食べ終わる頃に

Rohri Junction駅に到着。




ラホールからの鉄道が、クエッタ方面とカラチ方面に分岐する駅だからか、

この駅の停車は比較的長め。


いまさらだけど、列車が一時停車しているときのプラットフォームって言うのは、

人に動きがあって、楽しい。



氷の微笑



充電屋



氷売り



バーガー屋。バルガルバルガルと声を張り上げるオヤジ。


このRohri Junction駅では30分ほど停車。Rohriは車窓から見る限り、

乾ききった大小の丘がボコボコし、街の脇をインダスが貫いている様子。

線路脇は相変わらずのスラム&ゴミ捨て場化しており、ひどいモノだけど、

このRohri Juncitionは、郊外の分岐専用?駅ながら、働いている人が陽気で、

表情豊かで楽しかったなぁ。こんど改めて来てみようかな?




梅ジャムみたいなケチャップが添えられた20Rs.(約25円)やらをたべて、

またしても腹がふくらみ、またまた寝てしまう。


シンド州に入ってから電気が止まって、エアコンはおろか扇風機まで停まってしまい、

なんどか汗でグチャグチャになり、車内が良い匂いになったりするモノの、

田園を列車はひた走り、シンド州第二の都市ハイダラバードに到着。




ここで、ごいっしょしていた自動車の部品を商うじいさんと別れる。

英語が話すことのできるパキスタン人は、話しているうちにいつの間にか、

パキスタンの難しい状況を憂うあまり、愚痴っぽい話になったりするけど、

年寄りで相手してくれる人は、ひたすら明るかったりすることが多い。


この爺さんとも、日本とパキスタンの寿命の話で弾んだりしたのだけど、

爺さんが平均寿命オーバーなのをいいことに、


「なんでくたばんねぇんだよ、じいさん!」


的なことを毒蝮風に突っ込むと、


「仕事が日本車のパーツを扱ってるから、ワシの寿命は日本人並みなんだぁ」


などと返してきたりする。







トイレの水なんかを交換中。動いちゃ駄目のマーク。


ハイダラバードは爺さん以外にもごそっと乗客が降りたようで、

カラチまではがらっとし、火が消えたみたいに静かな車内でした。。


真っ暗で何もないところに停車したり、極端にスピード落としたりしながらも、

12時過ぎにようやくカラチ=キャントンメント駅に到着。だいたい6時間遅れ。




車内に入ってきたポーターに荷物を担いで貰い、駅からほどない食堂で一休み。




列車でたっぷり寝ているので、頭も冴え、本を読みながら食事をし、




リクショウでサダルに向かい、宿にチェックインしたのは結局二時でした。。。




あー、やっぱり鉄道の旅は楽しいなぁ。



PK606 GIL-ISB



PK606 GIL-ISB





ゲストハウスから10分ほど歩いて空港へ、


航空券が手に入るか心配だったものの、前日の午後にGILGITのPIAで

6320Rs(8000円弱)で購入でき、早めのチェックインが良かったのか、

左側窓を指定できました。おお、良かった良かった。


このGILGIT-ISLAMABAD間はパキスタン二番目の高峰、ナンガパルバット8,125Mの

西の渓谷、いわゆるKKHをなぞるように飛びマウンテンフライトを楽しめる。


なーんていうのが売り物ですが、バスでは22時間、工事中の現在のKKHだと24時間を

要するギルギット-ラワルピンディ間をわずか1時間で結んでしまう、飛行機の本領発揮

ルートなのです。バスでは個人的にも昨年、かなりのたいへんな思いをしたこともあり、

午前中にイスラマバードに着いてしまうなんて、夢みたいだねぇ。








待合室では、M.ジャクソンが亡くなったニュースが延々と流れていますが、

お客さんはあまり興味を引かれる様子もなく、待合室が混んできたなぁと

思った頃に搭乗開始。機材はATR42のようです。





渓谷に沿って高度を上げていくと左手にディラン。




右旋回し、南に機種を向けたあたりで、ナンガパルバットが現れます。

山の恰幅が良すぎるため、高さを誇るというより黒々とした岩山を従え、

堂々たる風格で勝負する山のようであります。



カラコラムハイウェー


見た目が険しく無さそうなので、

サウジかドバイかで中止になった1000メートルのビルを乗せて、

なんちゃって世界最高峰を目指してほしいくらいだなぁ。






ナンガパルバットを過ぎると、真っ白な高原地帯。雪が消えた辺りで高度が下がり始め、

ラワルピンディの南を掠めてISB空港に到着。




やったぜまだ午前中だ。


GILGIT


GILGIT


去年も感じましたが、フェーン現象で熱風が谷を渡り。。。暑い。

それに、人が固まって住む場所では避けられないゴミ問題やら過密さが

加わると、歩いてるだけで体力が。。。。



飛行機の出発を眺めるギルギットの人。


なーんて、フンザを出た途端やられてしまいますが、ま、これが夏のパキスタン。


ただ本日は、フンザからは4時間程で来られたものの、毎度の19人乗りハイエース。

体の節々が鬱血したのも加わって、メインの通りを行ったり来たりし、




パキスタン航空のオフィスにチケットを買いに出かけるのが精一杯でしたとさ。。


ALTIT FORT



ALTIT FORT


フンザの主要な城郭であるBALTIT FORTは、アーリアバードの町を

城下町とし、ゆったりと農地を山麓に広げていますが、ウルタルからの

谷川を隔て、少し下った平らな場所にはアルティットの集落が広がり、

その集落の崖っぷちにALTIT FORTは築かれています。



城下


もともと、フンザの代々の王様/ミールはこのALTIT FORTに住んで

いたのですが、兄弟で王位継承事件が起こり、それが起因となり王宮が

BALTITの城が築かれ、そこにシャー・アバス王子がそこに移り、

ALTIT周辺の人が、弟のアリ・カーン王子をたて、アルティットに留まって

分裂。最終的にはアリ・カーン王子が暗殺され、その流れでBALTIT FORTが

フンザ王の居城となったようです。




アルティットの集落の崖っぷちにあるため、集落から見るFORTは

ちょっとした居館跡程度にしか見えませんが、実際にFORTに近づいてみると、

FORTの集落側は来るモノを拒むかのように入り組んだ旧市街に取り囲まれ、

崖は恐ろしく急峻。




長い修復が続いており、去年に引き続いてお城の中に入ることは

できませんでしたが、アルティットの子供達が元気だったので楽しい

散歩でした。。


また来年来るぞ。


フンザ/HUNZA Day-5 ガニシュ村 Ganish


本日はカラコラムハイウェー沿いまで谷を下り、ガニシュ村へ。

詳しいサイト


このガニシュ村は正直忘れ去られてしまっている感があるのですが、

フンザ最古の村であると同時に、村の入り口にはキャラバンサライ(隊商宿)が

あり、その前にはハウズのような小振りな貯水池があり、


なによりも、


町の脇に大昔のシルクルート/シルクロードが昔の姿がそのまま残っているという、

なかなか魅力的な場所。インドと中国を繋いだ村(私的には城内とも)のモスクには、

彫刻などにチベット文化の影響が色濃く残っており、フンザが東西の文化だけでなく、

ヒマラヤの文化も閉じ込めていることも感じることができます。



隊商が歩いたカラコラムハイウェー/シルクロード


フンザの谷は素晴らしい場所なので、トレッキングやリラックスすることに

どうしても偏りがちで確かにそれでも大満喫なのですが、



キャラバンサライ(隊商宿)


現在のカラコラムハイウェーが旧シルクルートから少し離れてしまったり、

車が行き交う堂々たるモノになってしまったからこそ、昔の隊商や仏教僧、

近代の探検家が昔日のフンザの人々とすれ違い、言葉を交わした場所を

見逃して欲しくないなぁ。。と思う運び屋なのでした。





そうそう、村長さんも、ガイドも、ここが故郷のメダカちゃんも、

この集落の歴史やフンザでのポジションを丁寧かつ熱く語ってくれ、

そのあたりも素晴らしいなぁと思ったのでした。


画像の一部がうまくアップデートできないので、「城」のカテゴリにし、


アルティットフォートとバルティットフォートと併せ、

ネットの状況の良い場所からアップデートいたします。





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