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セントヘレナからの手紙 / Letters from St. Helena

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セントヘレナからの手紙 / Letters from St. Helena

フォークランドと同じパターンで、フィラテリック経由でトリスタンダクーニャ島や、アセンション島からも葉書が送れるかなぁ?と思ったけどそんなに甘くない。トリスタンダクーニャ島、アセンション島の切手は手に入るのだけれど、経由投函は承っておらず、セントヘレナからはセントヘレナの絵葉書しか送ることができなかった。

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葉書を投函したのは29日午前10時。船が出発する前日午後イチ!がリミット。

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若干雑ながら、船の中で描き上げた絵葉書に切手を貼り付け、東京に向け送る。本当は船の中で出した方が、そのままケープタウン経由で早く届くんだけど。

セントヘレナ島 - ケープタウン航路 1日目 / Voyage from St. Helena to Cape Town Day-1

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セントヘレナ島 - ケープタウン航路 1日目 / Voyage from St. Helena to Cape Town Day-1

ターミナルへの集合は10時だったけれど、島の郵便局でもたもたしているうちに10時過ぎ。集合時間には30分ほど遅れてしまう。乗船手続きはかなり進んでしまっているようだけど、間に合う。

搭乗待ちの乗客と、船から降ろされた郵便物で一杯になっている小さなターミナルで、X線検査と出国審査を済ませていると、乗船手続きを既に済ませた乗客の半分くらいが、フェリー経由でRMS St. Helenaに先に搭乗していった。どうやら、フェリーの定員に制限があるため、乗船を2回にわけるらしい。

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今回のケープタウン行きは、明らかにアセンションからの便より乗客が多い。欧米のリタイア組の夫婦連れが半分以上じゃないかな?

やがて残りの乗客の呼び出しがあり、船に。

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前回のC46からC45に船室が移り、この航海は南アフリカのケープタウンから来た爺さんとの二人連れ。

船に乗り込んでから1時間も経たないうちに、安全ブリーフィングがあり、いつの間にか出港準備も住んだ様子。舟橋が外され、定刻通り12時の出港。

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慌ただしい出航の時間にもかかわらず、12時きっかりに後方のラウンジに昼食が並び、サラダやハムを突っつきながら短い滞在だったセントヘレナに別れを告げる。

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水平線の向こうに島が隠れるまで、甲板に出て時間を過ごし、夕食までは本を読んだりウトウトしたり。航海初日のエンターテイメントはBingo。ホスト役のパーサーが数字を読み上げるたびに、

「セントヘレナでお酒が飲んでよくなる年齢、18、エイティーン」

とか言葉を挟み、

「ナポレオンが無くなったのは?」
「51!」
「そう、51、フィフティーワン」

なんていいながら進める。

自分より少し年下のオージーのお姉ちゃんが弄られ役に指定されたようで、

「そこのお姉さんのナンバー、69!シックスティーナイン。」

なんてやられ、

「そうそう、彼女は。。ダウンアンダーからのお客さんですから。。。ワッハハッハ!」

ぐほ! そんな一日目。

セントヘレナ / St. Helena

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セントヘレナ / St. Helena

宿に立ち寄ることもなく、身一つでコリンズオジサンの車に乗り込み観光を始めたのは、午後の5時過ぎ。午後7時過ぎには日没な上、島の高所は深い霧、というか雲の中に入ってしまい、正直、ナポレオンの屋敷を出る頃には、さっさと町に帰ろうぜ!バディ!…...で、こちらはまったく問題ない状態だった。

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来た道をそのままとって返すと思いきや、仕事熱心なコリンズさんは、途中で来た道を折れ、「彗星の観測をしたハレーさんはこの山の上で」とか、「この先にも小さな集落があって」なんて言って、揺ったり車を走らせながら案内をつづけてくれる。

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暗く細い道を縫いながら、「お墓に行ければ十分」だった島の観光は、総督の館、断崖の上の集落と要塞、要塞に続く699段の猛烈な階段なんかも加わり、ことのほか充実したモノに。最後に自分の所で観光バスにも使っている、1930年製のシェビーまで見せてくれ、不在で入る事のできなかった宿のオーナーに直接連絡を取ってくれ、最後までキッチリ面倒を見てくれた。

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行き違いを殊更にわびるオーナーがこれまた親切で、島で食事が取れる場所を一つ一つ案内してくれ、翌日も出航の時間を気遣っていろいろ教えてくれた。

なんて思いながら、いい気持ちで晩ご飯。

中華レストランを語ってはいるけれど、首を捻ってしまうような、なんちゃってなお店だったけれど、アジア人のお客がよっぽど珍しいのか、フィリピン人の女主人がブッフェの料理を一から説明してくれたり、これまたフィリピン人シェフのお兄さんが、直々に巻き寿司を出してくれたりとこれまたハートフルな時間。

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料理の内容は、お世辞でも「うまい!」なんて言えるモノではなかったし、レストランのメインホールで食事をしているセントヘレナ人のグループのカラオケもピントがずれていた。

でも、まあ長い旅人生で、もっともかけ離れた場所で頂く晩ご飯が、こういう微妙で、支離滅裂で、ずっこけているのこそ、自分に似つかわしいなぁとも思うそんな夜。

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文字通りストップオーバーな滞在だった上、宿の久しぶりの常時接続のインターネットで、かなり夜更かししてしまい、翌日は朝寝坊。

結局、食事を終え郵便局との往復しているうちに集合時間。

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まともな会話をしたセントヘレナ人は、運転手のコリンズおじさんと、宿のオーナーのコリンズおじさん(島の二人のコリンズさんらしい)だけだった。でも二人の気遣い、満足のいく島観光のアレンジといい、陽気で真面目なセントヘレナは好印象に始まって好印象の内に終わった。滞在が短かったのが心残りだ。 

アフリカと南の島が持つ陽気さと、英国のキッチリした良い部分が駆け合わさったグッドクレオール(真逆なクレオールがカリブの一部にあるような気がする)な島!とセントヘレナを位置づけたい。できれば空港ができる2014or15年になる前に再訪したいなぁ。

ということで、短いセントヘレナ旅は終了。 この先は長い帰り道。

ナポレオンのお墓 / Napoleon's Tomb

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ナポレオンのお墓 / Napoleon's Tomb

子供の頃読んだ何冊かの偉人伝シリーズの中に、「ナポレオン」もあったかと思う。高校では世界史を選考しなかったことが決定的だったけれど、偉人伝を読んでからの約四半世紀の間、セントヘレナに向かうことを決めるまで自分の目の前にも、背後にもナポレオンが現れたことはなかった。

出発前に慌てて読んだナポレオン伝のひとつは、フランス革命と、その後のヨーロッパという歴史的文脈の中で、ナポレオンと同時に彼の周囲の人物を描くような視座に立っており、どちらかというと手に汗を握るような臨場感やシーンは、ワーテルローの戦いを除いてはなかった。ま、それはそれで面白く。だからこそ、一気に読み上げたのだけれど、

ということで、なんとなく、時間があった割りにナポレオンナポレオンせず(ってどんなこっちゃ!)に、セントヘレナに着いてしまい、船が遅れたこともあって、島や港に降りたった感慨も無く、ナポレオンのお墓の近くに、これまたなんとなく車で運ばれてしまった。

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島の道から少し離れてしまっているようで、その道から外れて下りて行く小径の先には小さなゲート。到着前に「大丈夫よ!」のメールを貰ったとおり、とっくに5時を過ぎ日が傾き始めているのに、ゲートが開かれている。

年配のドライバー、コリンズさんは、「雨で濡れているから気をつけて」と言って車に残る様子。小径を独りでトボトボと歩きながら、頭に浮かぶナポレオンを浮かべる。

やっぱり思い浮かぶのは、往年の名マジシャンコンビ?ナポレオンズ。マジックが得意のあの2人組。

パリかフランスのどこかで、いつものように冗談かましつつマジックを披露していると、「面白そうだねぇ」なんて言って、周囲の人や警官なんかが近づいてくるモノの、「ナポレオンズ」と自己紹介した所で、警察の態度が豹変。「ナポレオンを愚弄するのか!」と言って、しょっ引かれ、ぎっちり油を絞られる。。。というドッキリがあったなぁ。

なんでそんなこと思い出したんだろう。と思っているうちに、緑の谷の奥まった場所にナポレオンのお墓。

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この島で死ぬことになったらここに葬ってくれと、ナポレオンが生前に定めたお墓は、緑おりなし、花咲くような場所。暖かい雰囲気の中に、ちょっと空気がピーンと張り詰めるような場所だった。

日本で山城巡りや山歩きをしていると、覆い被さる木々が途切れ、ぽかっと日が差し込むような場所があるけれど、そんな陽が当たる場所と、少し奥まった清水が漏れ出し、その脇にぽつんと小さな祠が祀られているような、なんだか近寄りがたいような場所、その2つを掛け合わせたような所だった。

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ナポレオンを近しく感じるようなコレまでの人生でなかったこともあり、申し訳ないけれど、ここまで来たなぁというちょっとした感慨しか浮かばなかったのが正直なところ。

不敬罪で断頭台送りになるかもしれないけれど、ヨーロッパ旅行中に散々苦労して探し、ここまで一緒に長旅をしてきた「いいちこ」と記念撮影をしたりする。

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その後は、ナポレオンが事実上の幽閉を強いられていた島の屋敷に向かう。高温多湿な気候がナポレオンの死期を早めたなんて言うけど、セントヘレナの高所は、湿った大西洋の空気がぶつかって、雲となり雨を降らすことが多いらしく、自分が訪れた時も屋敷ごと霧に包まれてしまうのでは?という有様だった。

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遅くまで屋敷を開いて待っていてくださった、ガイドの方にエピソードを添えて、一部屋ごとに案内していただく。日本に帰ったらセントヘレナのナポレオンにフォーカスを当てた本でも読んでみようかな。と思った。


王立郵便船セントヘレナ号からの手紙 / Letters from Royal Mail Ship St. HELENA

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王立郵便船セントヘレナ号からの手紙 / Letters from Royal Mail Ship St. HELENA

南大西洋は、大きな地図で見ると頼りない島が点在しているけど、その多くが、イギリス領かイギリスが実効支配している島。

その島々を結んでいた王立郵便船は、島々を定期的に結んでいるという意味合いの強い「郵便船」の役割はもちろんのこと、船の中から葉書や封書を送ることができます。

ということで、この南太平洋から絵葉書を送ることができるのは、

フォークランド諸島
サウスジョージア&サウスサンドイッチ諸島
英国領南極
アセンション島
セントヘレナ島
トリスタン・ダ・クーニャ島

の6つの切手を発行している島に加え、

王立郵便船

の7箇所になります。 無理矢理過ぎるかな?

葉書を送ることができるか、船のレセプションで確認したところ、チーフパーサーのジョンさんが、「はい喜んでeahhh」とのこと。

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船からの投函は、出港して入港するまでの間、目的地のスタンプを葉書に貼って。。。という方法がとられるため、自分がまず乗船した

アセンションからセントヘレナまでは、セントヘレナの切手を貼って、
セントヘレナからケープタウンまでは、南アフリカの切手を貼って、

船のスタンプがパコン!と捺される方法。

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船の中には、気を利かせているのか、RMSセントヘレナが建造・進水から20年を記念した切手が売られており、せっかくなので、セントヘレナで投函するために準備していた葉書を船から発送することにしました。

地球の裏側の海から、ふざけた絵葉書が船にゆられたり、飛行機にのったりして日本を目指します。さて、どれくらいかかるかな?

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ちなみに、切手が発行される南大西洋の6つの島や諸島、基地?の人口を併せて、も1万人程度。その中でも異彩を放つセントヘレナ・アセンションおよびトリスタン・ダ・クーニャを構成する南端の島、トリスタン・ダ・クーニャ島への渡航もケープタウンの後に。。と考えたのですが、猛烈にアクセスが厳しく、今回は断念。

アセンション島 - セントヘレナ島航路 3日目 / Voyage from Ascension to St.Helena Day-3

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アセンション島 - セントヘレナ島航路 3日目 / Voyage from Ascension to St.Helena Day-3

午後早々に到着の予定だったセントヘレナへの到着が、午後3時過ぎに遅れるとのアナウンス。向かい風やうねりが思いの外アゲインストなのと、出航の際にもたついて遅れたのが響いているらしい。

結局船のエンジンが止まったのは4時過ぎで、船の中での入国審査やらを済ませ、島に降りたったのは、5時を過ぎていた。

船にはメールの送受信をする設備が整っており、有料で乗客にも開放されているのだけど、レセプションにもある船の端末経由で、パーサーさんが島の旅行会社やガイド、ホテルとも連絡を取ってくれる。

「午後着午前発の1泊だけのセントヘレナ滞在なのだけど、どうしてもナポレオンの墓と、幽閉された屋敷だけは見学したい。。。」

なんていう事前のリクエストには、お手の物といったところ。

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セントヘレナ到着のその日、朝食から部屋に戻ると、ベッドの上に、二つ折りにされた紙切れが置いてあり、明けてみると、島のガイドと船のパーサーがやり取りしたメールをコピーしたモノ。

「アレンジ承りました!運び屋さんを港でお待ちしています。」

の内容。早いうえに、メールコピーを到着前にこういったモノを手にできるのはなんとも心強い。

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船のラウンジに置いてあるセントヘレナの観光案内によると、ナポレオンのお墓は、予約の上、正午から数時間しか公開されていないようなのだけど、この船からのメール一発で、お墓に向かうゲートは開けておいてくれるは、ナポレオンの屋敷も午後6時過ぎなのにもかかわらず、公開してくださった上、丁寧にガイドして頂いた。

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RMSセントヘレナ、セントヘレナの旅行会社、そしてその結びつきの強さ。侮れない。万が一、同じようなルートだったりで、セントヘレナでの時間が余りとれず、観光の準備がままならなかった方、是非、船のレセプションにご相談を!

事情を知っているアシスタントパーサーさんが、船のメインラウンジで行われる入国審査の一番目に誘導してくださった上、船と船着き場を結ぶフェリーにも、自分だけを先に乗せてくれるなど、気を遣って頂いた。

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入国審査は、滞在先の申請と、旅行保険の提示が求められる。自分は、今回の旅だけに保険はかけていないので、クレジットカードに付帯されている保険で行うという旨を伝えると、OKとのことだった。

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2泊3日の船旅なかなか順調じゃないか。。

アセンション島 - セントヘレナ島航路 2日目 / Voyage from Ascension to St.Helena Day-2

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本日帰国!したのですが確定申告やらいろいろあり、今月末くらいまでは予定島子が続きます。ご了承ください!

アセンション島 - セントヘレナ島航路 2日目 / Voyage from Ascension to St.Helena Day-2

セントヘレナまでの航海は、乗客が少ないため。本来は相部屋上等なCデッキ2人部屋が1人で使えるのがありがたい。早めに目覚めるものの、狭い天井を見上げたりしてボンヤリ過ごす。7時頃にノックがあり、コーヒーのサーブ。

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朝ご飯はチョイスはあるモノの基本的にずっと一緒。

キャビンが狭い分、部屋がすぐにコーヒーの香りで満たされる。ドアしたから差し込まれた、Ocean Mail(その日のスケジュールが書かれた船の新聞)を読む。午前中に乗客チームと船員チームに分かれ、クリケットをやるらしいけれど、それ以外に、際だったあれこれはないなぁ。。。といった感じで船の1日は始まる。

クリケットには参加したものの、重いバットでバウンドするボールを打つというのは中々難しい。自分以外の英国人やセントヘレナ人も、バッティングのほうがうまくいかず、船上クリケット慣れした船員チームに完敗。

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食事をする以外は、基本的に自分のデッキに籠もり、船から直接出す絵葉書を描き上げるのに専念。そのあとは宛名書き。ようやく日が沈む頃になってデッキに出て写真を撮ったりして一日が終わる。


王立郵便船セントヘレナ号 / Royal Mail Ship St. HELENA

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王立郵便船セントヘレナ号 / Royal Mail Ship St. HELENA

空港を持たない、南大西洋の孤島セントヘレナへのアクセスは、船のみ。

今回乗り込む、セントヘレナ航路は、日の沈むことのない帝国の植民地間、本拠地グレートブリテン島を縦横に結び人や物、そして郵便物を運んできた由緒正しい王立郵便船最後の航路。2014年以降に完成予定のセントヘレナ空港の開港に伴い、廃止にならずとも、役割は大きく変わりそうで、ピン!と来る方は、是非早めに乗られたし。。

で、終わってしまうのもあれなので、少しこの王立郵便船セントヘレナ航路と航路の説明を加えると。。。。

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ケープタウン航路に使われていた船。

まずは、大英帝国が2つの大戦による消耗と植民地の喪失、客船による長距離移動・輸送が、航空機に取って代わられることにより、次々と王立郵便船の航路が郵便以外にも重要だった、旅客輸送という意味での役割を終え、グレートブリテン島とケープタウンを結ぶ路線も1977年に廃止となる。

そのケープタウン航路がなくなると、空路に頼ることのできないセントヘレナ島をはじめとする南大西洋の島が困ってしまう。。ということで、英国海外領土で、かつ飛行機でアクセスのないセントヘレナ島を結ぶ航路と、その需要に見合ったサイズの船をあらためて用意することとなり、ヴァンクーバーとアラスカを結ぶ航路に使われていた「Northland Prince」という船に白羽の矢が立ち、名前を変えられて、1978年に運航を開始したのが、初代「王立郵便船セントヘレナ号」。そして、新?セントヘレナ航路での運用が始まる。

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「初代王立郵便船セントヘレナ号」は、1982年のフォークランド紛争(船のパンフには戦争と記載)にも徴用され、後部甲板を改装して、ヘリコプターの離発着ができるようになっている画像なんかも船には飾られていた。ただ、次第に、老朽化に加え船のサイズが問題となり、2倍(乗客128名/貨物2,000トン)の大きさの「2代目王立郵便船セントヘレナ号」が、アンドリュー王子の名の下に(だからRoyalなの?)によって1989年に進水。その年の終わりに航路での運航を開始する。

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王立と冠したものの、エリザベス女王が、船でビールが何本売れたとか、を帳簿につけたり、チャールズ皇太子が、船から出される絵葉書にスタンプをぺたんぺたんやっているのではなく名前を冠しているだけ。

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現在は、Andrew Weir and Companyという19世紀から続く海運会社が一括して貨物および客船業務を行っているとのこと。船の紹介文には会社の運営は2001年からとなっているので、それまでは政府が関わっていたのかな?

日本から見ると、地球の真裏ということもあって、日本人の利用も滅多にないようだし、あまりにも日本とセントヘレナがかけ離れていることもあって、船員さんとの会話も一から日本のことを説明しなくてはいけなかったり、新鮮なことも多い。一般人も乗船及び予約が可能な”定期航路”で、”片道5泊”なんていうルートは、世界にはほとんど残っていないのではないでしょうか?

日本からのアクセスなども含め、お仕事をお持ちの方などは厳しいかもしれませんが、空港ができ、王立郵便船の役割を終える前に是非!


アセンション島でオカッパリ / Shore Fishing @ Ascension Island



アセンション島でオカッパリ / Shore Fishing @ Ascension Island

アセンション基地空港からホテルに向かう途中、気を遣ってくれた運転手さんが夜の米軍基地や、主都ジョージタウンをザックリ案内してくれ、船着き場にも立ち寄った。船着き場にある捌き台には、大きな魚。解体が進んでしまって魚種は特定できなかったし、どうせ船釣りでしょっていう気持ちもあるが、島にいる魚が大きいのはいいことだ。

その魚も大きかったけど、ライトに照らされた船着き場脇の海を見下ろすと、光に反応するのか、60センチオーバーのヒラアジ系が、数匹でグルグルと円を描いている。

にょ!この島期待できそう!

ということで、宿のチェックインもそぞろに、釣りの支度をして就寝。



アセンション島は、セントヘレナ・アセンションおよびトリスタン・ダ・クーニャを構成する島の1つで、これにてリビアを除く全ての国を訪問したっていう喜びやら感慨にふける暇は。。。。ない。釣り釣り。。

結果から言うと、今回の釣りは、オカッパリ人生で最高の釣果だった。

けれど、どうにもならないでかいのガッポーン!とやられ、早々にポッパーが全滅。その後も一度の根掛かりを含め、立て続けにルアーを奪われ、夕マヅメ時にはポッパーに続いて、中型ミノーも全滅するような消耗戦だった。

船の出発ギリギリまで竿を振ろうと思うので、一日目の釣果と画像をまずはアップデート!船の中で暇になりそう(ケープタウン着は3月5日)なので、詳細と後半戦の釣果の画像などは、改めて途中寄港するセントヘレナか南アフリカのケープタウンからアップデートいたします!

文章は追加せず、画像を追加!

オカッパリ馬鹿は、是非アセンションへ!


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ヒラアジ類のカッポレ

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ヒレナガカンパチ

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コックバーン(ソーントン)要塞 / Fort Cockburn, Thornton

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コックバーン(ソーントン)要塞 / Fort Cockburn, Thornton



場所

ナポレオン救出の拠点として島をフランス軍に奪われないよう、島の船着き場の丘に築かれた要塞。更に高所に位置するヘイズ要塞からも眺めることができるけど、釣りにかまけ、島を出発する際にチラリと要塞を見上げたのみ。ウエブから拾ってきた情報だと、まずはソーントン要塞として築かれ、稜堡などの施設が整った後に、コックバーン要塞と名前が変わったそうだ。ソーントンというとピーナッツバターだね。関連あるのかな?


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