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四国遍路 Shikoku Henro Day-12-002

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四国遍路 Shikoku Henro Day-12-002

野宿場所を探して三千里

午後1時過ぎに青龍寺での納経を済ませる。

次の岩本寺までは約60キロ。できる限り前進したい気持ちもあるけれど、今日はいろいろあったので、急がない。

石段の下のベンチに腰掛け、スリーエフで挨拶だけ交わした物静かな中年夫妻に声をかけると、なんと華人系シンガポール人。乾燥イチジクを頂きながら、北京語語を少し喋る事のできる、東京から来たこれまた中年の女性と三か国語を交えて話す。シンガポールのお二人は、一度通しで回ったこともあり、今回は高知だけとの事だ。

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その年齢で、お遍路しにちょくちょく四国に来るとは。。。このときばかりは、シンガポールでどんな仕事をしているの?なんて、聞きたくなるが、「嗚呼、LAKSAが食べたい、チリクラブが食べたい、ホッケンミーが食べたい。。」なんて会話しているうちに、宇佐の集落近辺のお宿に向け、出発してしまう。一緒に話していた中年女性はここで今回の区切り打ちがひとまず終わり、種間寺の方から宿の車が迎えに来るらしい。

お遍路転がし?お遍路転向?の魔の手を振り払った学生さんは、彼女に便乗して、宇佐大橋のたもとまで車で向かい、そこから歩き遍路を再スタートし、できるだけ歩くという。

二人に誘われたけれど、打戻り(同じルートを戻る事)も含めて歩き通したく思っていたので、お礼を言い、少し休んでから出発すると伝える。というより少し強がってみせる。

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午後2時頃出発。宇佐大橋までの打戻りの道で、これから青龍寺に向かうお遍路さん、それもこれまで何度かお会いした方とすれ違う。

大日寺で言葉を交わしたカナダから若者。
止めるに値する理由が見つかったという事でこの青龍寺で終わりにする、徳島から抜きつ抜かれつしてきた男性。
そして、土佐国分寺から焼き物の事を話したアメリカ人女性。

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一人一人と短く会話して、別れる。この宇佐の集落から青龍寺までの道は、打ち戻るのを嫌がる方もいるけれど、自分の前後2時間くらいのお遍路さんとすれ違う確率は打ち戻りゆえ、高くなる。

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道を更に宇佐の中心部まで戻り、コインランドリーで洗濯がてら、コンビニで行動食と軽めの晩ご飯を買い入れる。なんだかダラダラしてしまい、出発は午後5時過ぎ。

できるだけ歩いて、遍路小屋か公園で。。。


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という計画だったけど、こういった行き当たりばったりの作戦が、この日はうまくゆかない。宇佐のはずれのバス停改造系遍路小屋を過ぎたあと、野宿可能なポイントがなかなか見つからない。やっと見つけた出水の遍路小屋にも、先客がおり、万事休す。

とにかく横になれる場所、横になれる場所。。。と、周囲に目を光らせるけれど、日が暮れてしまうと、野宿場所を見つけるのが更に難しくなる。野宿場所は、ただ平らな場所であれば、雨を凌げる場所であればというものではなく、人の家に近すぎても、道から遠すぎても、落ち着いて寝る事はできない。野宿場所は人によって好き嫌いが別れるけれど、個人的には、町外れの閉店した店舗の駐車場や、静かな公園みたいな場所が好み。ま、いずれにせよ、自分より遥かに慣れた旅人でさえ、野宿場所には苦労しているようだ。

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山がすぐ海まで迫っている道で、コレだ!という寝床候補地を見つけられない歩きが続き、節電のために電灯が少ない浦ノ内トンネルの通過で、精神力をついに使い果たし、真っ暗な浦ノ内集落までの道で根性の目盛りもほぼゼロに近くなる。

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どこでもいい!と思い、小学校に忍び込みかけるが、何かあって迷惑をかけたら大変なことと、夜の校舎の雰囲気に気圧されて断念。浦ノ内の集落まで気合いで歩き続け、集落に午後7時半に到着。

一歩も動けなくなる完全停止不能所帯直前で、農協倉庫の軒先が、ウェルカムしている感じがするので、そこにマットを敷く。この集落で女性に声をかけられたりしたら、間違いなく狐だなぁ。

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寝袋に潜り込むと、あっという間に意識が遠のく。

いろいろあった今日一日だったけど、思い返すことも無かった。

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12日目   

歩行距離 / 約33.63Km    清瀧寺通夜堂 〜 浦ノ内農協軒下
お寺 / 36    青龍寺


AA 167 JFK-NRT

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フライトレポート無し!すんません。

四国遍路 Shikoku Henro Day-12-001

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四国遍路 Shikoku Henro Day-12-001

身代わりiPhone

無理が続いていたので、久しぶりに朝寝するが、仁さんはまだお休みの模様。「納め札」にお礼を書き、起こさぬように出立する。

午前8時前に歩き始め、麓に降りた所で、さっそくおばあさんに飴玉をお接待して頂く。有り難うございます。

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この土佐市高岡の市街を抜けると、しばらく町らしき町はないという情報なので、コンビニ飯を避け、朝飯はすき屋の牛丼。どこでも同じな何の変哲も無い味だったけれど、店員の方が声をかけてくれる。

「お遍路さん、どちらからですか?」

「東京の田舎の方です。」

「少し前まで東京のどこそこで働いておりまして。」

「あ、自分の東村山からは遠いですが、職場がそっちだった」云々。

話の内容はともあれ、人との距離が縮まって近くなると、反射というかリズムで土佐の人は言葉をかけてくれるようなところがある。

「いい所ですね。海も山も自然もあって、皆さん優しいし。。。」

「そうなんですよ、東京もいいのですが、夜の星の奇麗さが。」

なんて。 

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人と人とのすれ違い、やり取りだけ取り出したら、平均的な日本コミュニケーションより、アメリカよりかもなぁなんて思う。

「青龍寺ですよね、あのあたりは山も良いですよ」

なんて言われ、すき屋をあとにする。

100円ショップなどもしばらく無いようなので、10時の開店までダラダラする。時間があるので、東洋町のおばさんから小夏と一緒にいただいてしまった、某新興宗教の小冊子を流し読み。

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世の中の事象をバターナイフで切る!と言ったところかなぁ。冊子を読む限り穏やかな宗教でさほど香ばしくないけれど、記事を書いている方々が自分の言葉で話しておらず、パンチもフックも無く、コレを読んだだけではこの宗教のどこかの布教所に自らが出向く。。。にはならないなぁと感じる。

買い物のあと、100円ショップのドリンクコーナーに、その小冊子を置きざりにし、出発。コンパクトな土佐市高岡の市街はすぐに途切れ、田んぼと里山な景色になる。

11時半、塚地坂トンネル入り口。立派な遍路小屋なので、休憩を入れる。峠越えもあるけれど、足の方が危険信号の前の危険信号といった調子なので無理は控える。地図でだいたいの本日の日程を組み立てた後、iPhone経由でブログのコメントに返信していると、遍路小屋におじさんとおばさんが現れる。

ご苦労様、などと言う前に、

「どちらからですか?」とおばさん。

「はい、東京です。」と自分。

「東京ですと府中ですか?」とおばさん。

なんだか変な感じだなぁ、なんで府中限定なんだ?

その上、おばさんもおじさんがなんだか急接近。

携帯を覗き込みそうな場所に二人が立つ。うーん?休憩所のベンチに座り、地図を確認しつつ携帯を弄くっている人間に、こんなに近づいて来るかなぁ普通。。などと思いながらも

「いや、府中からは少し離れてます。。」と返答すると、

「今日は暑くなりそうですね。」とおばさん

うーん、何が言いたいのか分からない。土佐の人の親切さに油断していたけれど、この二人からは、お遍路を支える感じはおろか、そもそも自分とコミュニケーションしようとしている感じが汲取れない。

それに、なんだろこの距離。

申し訳ないが、この香ばしい二人のオーラに着いていけず、ATフィールド全開!とばかり、半ば無視するように携帯と地図をチェックを続ける。拒絶反応を感じたのか、二人は自分と距離を置く。

変な感じだなぁと思っていると手が滑り、iPhoneを落としてしまう。

拾い上げると、ディスプレイが蜘蛛の巣状態。 のわ!割ってしまった!

お遍路をしている時、ピンチが訪れたり、ミスを起こしたりすると、日頃の行いが悪いから、気持ちの持ちようが悪いから。。。なんて考えてしまうけど、パッキパキになってしまったiPhoneを見てまず感じたのは、

「声をかけてくれた人との間に壁を作ったからだ。。。。」

だった。

ショックが大きいけれど、これもまた遍路で人生だ。

なんて思い出発する。

すると、黙って自分の表情を覗き込んでいただけだったおじさんの方が、トンネルに向かう自分に立ちはだかるように間合いを再度詰めてきて、開口一番。

「真言宗について、一緒に語りませんか!」



「何なんすか?自分はただ歩きたいだけなんだよ。」

と、言葉を返したい気持ちもあったけれど、無視。彼らを拒絶するのは、正解だったかもしれない。あまりにも香ばし過ぎる。

お前らなんなんだよ!ったく。という怒りを顔に出さず、おじさん、いやオッサンを無視してトンネルに入る。

ああいう連中を近づけてしまうのは、四国の人の優しさに甘えていたことに加え、遍路への善意を当たり前のごとく受け取り、食い散らかしていた、己の卑しさがあったから。。なんて思い反省する。

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トンネルを抜けると、スリーエフ。

夫婦らしきお遍路さんが、ベンチに腰掛けているが、声をかけるだけ。トンネルの中で自問自答した割に、スリーエフお馴染みの、お遍路さんへの「お茶」のお接待を見込んで、ドリンク系抜きのお買い物をする。

ったく、トンネルで反省したばかりなのになぁ。四国に頼りっぱなしだ。駄目人間だなぁ俺。

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宇佐大橋を渡りきると、遍路道へそれる道の案内。「おし、こういう時こそキツい道を!」なんていう気持ちで、山道らしきその道にそれる。

「お、山道を行くか、少し遠回りだけど、頑張れよう!」

なんて地元の方に声をかけられつつ、遍路道に向かう道ってゆくと

なんと!

前方にさっきの香ばしい夫妻。先を行く遍路と一緒に歩きながら、何やら話しかけている。

らら、お遍路さんを止めて、なんだか語りだしたぞ?

それにしても、どういうことだ?コンビニで買い物をしたとはいえ、まっすぐトンネルからここまで歩いてきたのに、なんであの二人がここにいるんだよ。クルマで先回りしたのかな?

登山口の三人を追い抜きながら、オッサンに「何してるんだよ」という視線を送るが、胸の高さ、肩幅くらいに手を広げ、お遍路さんに何か語りかけるのに真剣な様子。こちらは眼中に無い様子。

関わりたくないので、スルー。山道を進む。

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リスか、もう少し大きい明るい茶色のほ乳動物を見かける。地図をろくに確認もせず、なんだか遠回りしてしまったなぁ、なんて思ったけれど、この道は、すき屋のお兄さんの言う通り、気持ちのよい山道だった。

山道を下っていると、後ろからお遍路さん。

あ、さっき捕まっていた青年だ。

登山口でのやり取りに話を向けると、あの二人は正真正銘の香ばしい方々で、「真言宗の事について語りましょう!」で始まって、すぐに

「真言宗は駄目だ、そんな事をしていては幸せになれない」
「そんなまやかしの宗教は駄目だ」

という流れになり、いいやと思って歩き出すと、

「空海なんて信じても駄目だ!」

「○○○○大先生じゃなければ、駄目なんだ!」

といった内容と展開、結末だったそうだ。

ったく、分かりやすい。香ばしく感じた「まま」の人達だったようだ。

歩き遍路の前に立ちはだかって、

「あなたがやっている事は間違っている!」

と、いきなり諭すってのは、どういう了簡かと思うし、歩き遍路が必ず通過する場所に、車を使って待ち伏せするなんて明らかにルール違反かと思う。まあ、遣り込められるつもりは無いけど。

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ただ、一緒に歩いている青年遍路君と違い、かくいう自分は修行の足りない短気な癇癪持ち。

あのトンネルの前で、更に間合いを詰められ話をする事になり、最終的に「○○○○大先生!」ってやられたら、罵り合い、怒りの言葉を投げつけ合うような結末になっていたかもしれないなぁ。なんて思う。札所で上げる、十善戒のうち、「不悪口」は、確実に果たせなかったな。

まあ、そんな事になる前に、iPhoneが身代わりになってくれ、気がそがれたのかもしれない。身代わり地蔵ならぬ、身代わりiPhone。

まったく、次から次へ色んなことが起こるなぁ、お遍路は。


DL 1830 SLC-JFK

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フライトレポートはありません。あしからず。

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フライトレポート無し!すんません。

四国遍路 Shikoku Henro Day-11

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四国遍路 Shikoku Henro Day-11

水も滴る四十路遍路

昨日歩みを止めた、土佐電鉄後免線の県立美術館前駅から出発。

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ザックを担いだ途端に雨が降り始め、竹林寺のある五台山に登り始める頃には、土砂降りになってしまう。晴れていれば高知市街を一望に見渡すことができるという五台山からの眺めを楽しみにしていたのだけど。

植物園と背中合わせな、深い緑に囲まれた堂々たる伽藍。眺望よし、と見所満載のお寺なのだけど、雨が降ってはどうにもならない。テンションがあまり上がらぬまま、三十一番札所、竹林寺に到着。

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こんな雨の日は、人目を忍ぶ逢い引きなんかに最高なシチュエーションかもしれないけれど、荷物を担いで歩くお遍路にとって、ただただ面倒なだけのグッスン。

濡れないよう防水バッグに入れておいた納経帳を、参詣の度にザックを開け、取り出し、寺を発つ前にもう一度しまい直すという一連の作業を、お堂のひさしの下で、あれこれ済ませなければならない。今日のようにお寺が多い日はこれの繰り返し、正直煩わしい。

午前8時半、竹林寺を出発。

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下田川伝いに東に進み、武市半平太の屋敷を通り、十時過ぎに三十二番札所、禅師峰寺に到着。雨は引き続き本降り。本堂のひさしの下で小休止、郵便局前のスーパーで昨晩買っておいた特売のおにぎりを頬張る。

午前10時半、出発。

雨風が強く、雪渓寺に向かう浦戸の渡し、は、高知県営フェリーを使う事にし、へんろ道の道しるべや途中の休憩所の地図などを頼りに進んでゆくが、竹林寺からの道が事前に頭に入れておいた地図情報や距離感より、どうも長く感じられる。

スーパーマルナカで、お弁当と菓子パンを注入。種崎のフェリー乗り場に到着したのは、12時前。なんとか12時10分の便に間に合う。すぐにやってきた渡船には、小型バイクの青年と、おじさん、雨をものともしない二ケツの女子高生、そして自分。

桂浜や浦戸城がある竜頭岬が、高知港の出口を覆うように出っ張っており、岬の裏を進む渡し船に太平洋のうねりは届かず、短い航海で揺れは無い。けれど、風が強く、船に乗った所で雨から逃れるすべがほぼない。

けれど、体を休めているうちに、前進できるって「乗り物」ってのは素晴らしい。

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ほどなく長浜に到着、ザックを担ぎ直しストレッチしていると、跡から渡船を降りた女子高生が、

「お兄ちゃんカッコいい!頑張って!」

だって。

嬉しいねぇ、女子高生にそんな事言われたの人生で初めてだねぇ。ここはほんと修行の道場の土佐か?お遍路中じゃなかったら、飯でも奢ってやる所だぜ。が、修行の身の上、変な事は考えず。

「おうよ!がんばるぜー!」

とガッツポーズしながら返事する。

「学校もあんまさぼらずに時々行けよー!」なんて言う野暮なオッサン臭い言葉は、胸の内にしまいつつ。

午前12時半過ぎ、三十三番札所、雪渓寺に到着。

長宗我部信親の墓所があったりし、境内は広くはないものの、本堂や大師堂の並びがパチッとし、周囲の町ともどこか馴染んでいて雰囲気のある札所。もっと ゆっくりしたいのだけれど、ダラダラと雨宿りしてしまうのは、止む気配のない風と雨に負かされるようで、気合いを入れて身支度。午後1時頃出発する。

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土佐藩が拓いたという新川川、唐音の切り通しを抜け、暴風雨に飛ばされそうになりながら、三十四番札所、種間寺を目指す。

このあたりは、高知の友人の地元で、彼がお遍路をしたときのブログノ印象が強く残っており、景色に馴染みがある。

ただ、彼のブログの写真で光り輝いていた、夏の青空の下の東小学校や新川川沿いの景色は、暴風雨のためひっくり返したような灰色と緑と茶色の世界。ポンチョが風を受け、本当に転びそうになる。

土佐に入って気持ちのよい出会いばかりだったのに、君の地元に来た途端にこの試練とは。。。

「おう、今、種間寺に向かっている所。君が子供の頃飛んだりはねたりしてた世界の中を歩いてるよ!」

なーんて、電話でもしようとでも思っていたのだけれど、それどころでない。ったく、あいつめ。。俺に恨みでもあるのか。。。なーんて思っていたら、少し先を歩いていた女性が傘ごと突風に煽られて、道路脇の側溝に落ちてしまう。

慌てて、ザックとポンチョを捨てて駆け寄り、手を伸ばしておばさんを引きあげる。

幸い、服が泥だらけになるだけで、けがは無く、大事はなかったようだけど、あまりのことにびっくりしてしまった様子。「まったく、凄い風ですねぇ」なんてしばらくお話をする。大丈夫そうなので「お気をつけて」と声をかけ、種間寺を目指す。

止まない雨にさすがにうんざりしつつ、三十四番札所、種間寺で納経を済ませたのが午後2時半。次の札所、三十五番清滝寺までは、約10キロ。午後5時の納経にはなんとか間に合う。でも、あんまり休み時間はないなぁ、なんて思いながら、

本日何度目かの、防水パッキング&ポンチョ羽織り!Yeah! 西へ。

大雨と田んぼの水が入ってか、濁ってしまっている仁淀川を15時半過ぎに渡り、土佐市高岡町の市街を抜ける。清滝寺にはきれいな通夜堂があるが、近くで食 料が手に入らないと聞いていたので、国道56号沿いのファミリーマートで夜食を買い込む。トイレもお借りし、ファミリーマートを出ると、一気に雲が晴れる。

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田んぼの中の道をジグザグに進んでいると、道しるべの先に山があり、その中腹といったあたりに立派な屋根。あの屋根が「清滝寺」の境内なのだろうけど、

「信じたくないものだな、自分自身の疲れゆえの錯覚というものを」

なんて、シャア・アズナブル風にひとりごちる。ああ、俺疲れてるなぁ。

ここまで10日間歩いてきて、ピンチはあったけれど、基本的に快調なペースで飛ばし、すれ違ったり、追い越しつつ、お遍路さんに、「早いねぇ」なんて言われ、

「そんなことないですよ!お先に!」

なんて格好つけていたけれど、

本日午後、颯爽度はゼロ。

体力があればなんでもないはずの、最後の清滝寺までの登りがキツく、先に到着して休憩していたお遍路さんに声をかけて頂いたのに、まともに返事すらできないくらいだった。

納経を済ませ、通夜堂をお借りする旨をお寺の方に伝え、ようやく気分的に楽になり、「申し遅れました、歩きで回ってる運び屋と申します。」なんて言って同宿のお遍路さんに挨拶をしつつ、今日もやりきったぜ!感に包まれる。ふぅ。

そういえば、スタート地点は違ったけれど、土佐出身の友人は、完全ホームグラウンド、実家の裏庭とも言える景色の中を歩きながら、土地の言葉で地元の人達 と触れ合い、お遍路している。この三十五番清滝寺を打ったあとは、荷物が少ないのをいいことに「走り」で、三十六番札所青龍寺を目指し、2時間足らずで辿 り着いてたっけ。

景色の移ろいがあるだけで、この辺りの景色はたいして変わっていないのだろうけど、歩いている時の心持ち、目に映ったもの、人と交わした会話。等々は、自分と友人では全く異なる。

言うまでもないけど。ま、人の数だけ「何々」があるうんちゃらかんちゃら。。。。

そんなことを考えると、こんな旅をブログに書き留める事に意味があるのか?なんて思うこともあるし、国巡りやブログのアップデートに注力し、引きずられ、一財産と30代の貴重な時間をぶち込んだ、自分のここ数年間に意味があったのか。。。なんて考えてしまったりもする。

多分、人生は間抜けで馬鹿で阿呆で無意味で無価値であると同時に、素晴らしく輝いていて、かけがえが無く、愛おしく、意味と価値がある。

達観でもなんでもないのだけれど、四国を歩き始め、濃い日々を重ねるにつれ、こんな風に思うようになる。

そう捉えたならば、

いつ死んでも後悔しない生き方やらを、コンプレックスやら、将来、人それぞれの不安感/安心感なんかとうまくしようと思うし、前向きな意味で、東京に戻ったらアレをしよう、アレを片付けよう。。なんて思う。

ま、実際の所は。。。

お遍路を終え、東京に戻ったら怠惰度が再上昇して、完全停止不能状態。元の木阿弥になるのだろうけど。。。

おっと、40を目前に控えた独身オヤジがグチグチとまた始(恥)めてしまった。

そんなモヤモヤを瞬時に忘れてしまうような、気持ちの良い野宿系お遍路「仁」さんと、本日は通夜堂で同宿。

四国は歩くと決めている、ライダー系遍路さんで、話が面白い面白い。

北海道の旅の話なんかを聞いていると、このまま歩き旅を続け、北海道に向かい、秋は鮭バイト!なんてプランしちゃうじゃない。。お遍路も何度目とのことで、テントの設営場所や、この先のルートなど足で稼いだ情報が心強い。

三日目にお会いしたHさん、十一日目にお会いした仁さんといい、お遍路をしていると、アドバイスをくれ、ケツを蹴っ飛ばしてくれる頼もしい先輩に巡り会う。

さっきまでの疲れはどこへやら、夜が更けるまで馬鹿話を続け、寝袋に潜り込む頃には「明日もフルパワーでいくぜい!」になっていた。



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11日目   

歩行距離 / 約36.1.8Km    土佐電鉄ごめん線 県立美術館通駅 〜 清瀧寺通夜堂
お寺 / 31,32,33,34,35    竹林寺    禅師峰寺    雪蹊寺 種間寺 清瀧寺

四国遍路 Shikoku Henro Day-10

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四国遍路 Shikoku Henro Day-10

高知、俺はお前の事が大好きだ。

朝、四国だから野宿していいという法律は無いし、お遍路の身なりをしていれば無理が通るというものでもない。当然、全ての四国の人がお遍路に寛大だと思ったら大間違い。

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でも、マナーを守って暗くなってから寝床に潜り、早朝に撤収するならば、通報されたり、職務質問を受けたりするようなことが四国はやはり少ない。お遍路中の何度か野宿をしたけれど、全て無事に気持ちよく朝を迎えられ、この安芸市の朝がその一度目だった。

とはいって、やはり職質やら襲撃やら悪戯への心配が100%拭えない分、野宿の朝は、一日がただ始まったばかりなのに、何かをやり遂げたような感じがして、宿泊費を浮かすことができた嬉しさも加わる。

「よし、朝だ。問題なく朝を迎えられた!あざす!」

朝を無事に迎えさせてくれた四国、何も心配せずに寝起きできる家のありがたさ、家が無い人の辛さを知る。。。なんて言ったら大げさかな。

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さて、出発。5時半。

昨日は朝の7時から休憩や食事を挟みつつも夜の9時過ぎまで歩いた。けれど、10時には寝ていたので、朝5時起きでも睡眠は7時間。

野宿歩き旅は、起きたら歩く、歩みを止めたら寝るといった究極のシンプル旅になる。朝食を待つ必要も、布団が敷かれるのを待つ必要も無いので、距離が伸びる伸びる。ま、距離が伸びるといったって「歩き」なので、自動車自転車にバシバシ追い越されるんだけど。

昨日の強行軍が功を奏し、今日はなんとか高知市内に辿り着けそうな予感。ずいずい歩く。

が、やってしまう。

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7時過ぎ、歩いている時にサングラスを公園に忘れた事に気がつく。

りょりょ!ったく、相変わらずだな。

携帯の時刻表で調べると、まずはこのまま進んで、くろしお鉄道赤野駅に向かい、そこから引っ返して、サングラスをピックアップ、そして戻れば1時間のロスにもならなさそうなのが不幸中の幸いだ。

サングラスは既に傷だらけな上、ストラップを含めても7ドル程度。アメリカのウォールマートの釣りコーナーで買った安物。そのままでも構わないのだけど、ゴミとして捨てられるのと、せっかく朝を迎えさせてくれた場所に申し訳ないし、何よりあの偏光サングラスが無いと、四国の清流を泳ぐ「お魚チェック!」ができない。

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ということで、赤野駅からくろしお鉄道に乗り、安芸市の学校に向かう学生さんにもまれつつ球場前駅に戻る。公園のベンチで無事、サングラスを見つける。そしてほどなくやってきた、ごめん方面に乗り、赤野駅にもどる。

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赤野駅からは、海沿いの遊歩道を歩く事になる。せっかくの海沿いの道なのだけれど、午前中はロスを取り戻す!な勢いでずいずい進んでしまう。ま、防潮林や堤防で海を望める場所も限られてるし、いいや。。。と。途中、休憩中のアメリカ人女性とすれ違い様に会話する。

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午前10時、旧夜須町の道の駅を通過、少し先の空き地で休憩。ここから海岸沿いの道を離れる。

午前12時前、二十八番札所、大日寺に到着。

納経していたのは、名古屋からの女性二人、先ほどのアメリカ人女性、何度も抜きつ抜かれつしている、長い付き合いのクロアチア人男性、そしてカナダ人男性。外国の方が多い。4月1日の出発は、区切りが良いこともあってたくさんのお遍路さんで賑わうかと思ったら、やっぱり世の中の人は真剣にお仕事する季節なのかな?

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同世代、少し広げて20-40代の日本人男性ってのは、結構少数派なのかもしれない。ペースがあうあわないというのもあるけれど、同世代と話をしたい!という気持ちにおそわれる。

大日寺に入る以前から、高知の平野部にでたけれど、網の目のように伸びる疎水、水路などから田んぼに水が行き渡り、そこかしこで田植えが始まっていた。田植えに限らず、高知平野では社会科の時間で習った通り、ビニールハウスを使っての野菜の栽培も盛ん。土地改良と毛細血管状の水路がセットになった、アメリカやオーストラリアと比べたら、切なくなるような規模だけど、きめの細かい、日本の農業が実感できる。

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そんな道を歩いていると、行商だかお裾分けだかのおばさんがクーラーボックスを開け、遍路道脇で、魚をすくってる。

小さな鯖に鰈、小魚を追っているうちに網にかかってしまったのかアオリイカなんかが入ってる。地引き網かなんかの外道を配っているのかもしれないけれど、これぞ土佐な光景。いいなぁ。

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へんろ地図の距離表示がなんだか疑わしいのがたまにきずだったけれど、大日寺〜国分寺間は、気持ちのよい歩きだった。そして、午後2時半。二十九番札所土佐国分寺に到着。

平野部のお寺は、結界を破られて、俗世世俗な空気が満ち満ちて残念なお寺が少なくないけれど、この、土佐国分寺は別格。鎮守の杜のような緑に囲まれ、境内は周囲の喧噪から断たれており、「厳か」と言ってもいいようなピンとした空気で満ちている。

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ここで、大日寺でお会いした名古屋の女性とまたご一緒になり、あのアメリカ人女性も納経を終え、ベンチで話をする。名古屋のお二人は、少し距離のある三十番札所善楽寺までタクシーを利用するらしいので、アメリカ人女性を気遣って、「ご一緒にどうですか?」と言う。

「No.30に、ご一緒にどうですか?とこのお二人が言ってるけど、タクシーを利用しますか?」と通訳すると、「歩いていく」とのことだったので、三十番の途中まで向かう事にした。

彼女は、NYの大学で陶芸を教えている教授!とのこと。

有田、伊万里、唐津のような産地だけでなく、瀬戸、美濃、常滑といった産地と特性なんかにも通暁しているのが嬉しい。「常滑」の読み方は、例によって「トコナミ」になっちゃってたけれど。

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彼女と10分程話をしながら歩き、札所間にある名城、岡豊城に向かうべく城山の麓で別れる。ちょっと時間が怪しいけれど、土佐に来て岡豊城を外すのは、焼き肉屋に入って、チョレギサラダをバリバリやって、コムタンスープをすすって帰るだけと同じ。城馬鹿を自称するのなら、登らねばならぬ。

城への道を探していると、制服姿の中学生が通りかかり、彼に道を尋ねる。

丸坊主のふっくら体型なのに、耳に小さなピアス(偽?)をしていたり、やんちゃな盛りといった感じ。ら、失礼だけど尋ねる人を間違えたかなぁ、と思ったら。。。

「はい、お城の正確な場所は分かりませんが、歴史博物館の裏の方だと思います。そこまでの道は、小学校時代にも通った道で、分かります。」

と、凄く丁寧親切。

自転車を降り、「こちらです。」

と道をそれ、先導してくれる。なんだかホロっと来てしまい、大きくなって中学生になったら、こんな中学生になりたいなぁと思った。

ここまでくれば大丈夫!なところでお別れし、お礼を言う。握手させてもらった。

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この出会いが自分の心のやわらかい部分にでも振れたのか、嬉しさがこみ上げ、体に力が漲り、歴史博物館までを駆け上がってしまう。脇の登城道から、疲れを忘れ、一気に「詰」と呼ばれる本丸跡までぐいぐい上がる。

のんびりと公園化された古城というのは、想定内で、雨が近いのか眺望も良くない。その上、文字通り走り抜けた訪問でじっくり城の遺構も味わうことができなかった。けれど、親切な中学生のおかげで、岡豊城巡りは、生涯忘れない城になるなぁ。ったく、本丸跡で大声で叫んでしまったじゃないか。

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そういえば、越後の春日山城でも、地元の小学生にカウンター気味に元気に挨拶されて、泣いてしまったなぁ、なんて思いながら善楽寺を目指す。

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テンションが上がりに上がっているので、道ですれ違う人に、ガンガン挨拶し、水路でバス釣りしてる人には、「もう、スポーニング(産卵に向けた巣作り)始まってますか」なんて声をかけてしまう。

そういえば、こんな感じのテンションの高いオヤジと一日目の夜に会ったなぁ。俺も20年後はあんなオッサンになるのかなぁ。。

挨拶を繰り返しつつも、時計を気にしながら進んでいると、すれ違いさまに挨拶した、犬を連れたお姉さんに、呼び止められ

「頑張って!これでコーヒーでも飲んで!」

と500円玉のお接待。有り難い。

この人と話すとスイッチが入って、感情が破れてしまうかもしれないので、南無大師遍昭金剛と三度唱え、「有り難うございます。大切に使わせていただきます」とお礼を言い、頭を下げる。「失礼します」少し歩いて、もう一度頭を下げる。

その後も、たいして賑やかなルートでもないのに、

「あと少し、5時までには間に合うよ!」「頑張って!」

なんて声をかけられる。

その応援のおかげか、三十番札所、善楽寺に納経受付の10分前に到着。先に納経帳への墨書と御朱印を済ませる。

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中学生や、犬を連れたお姉さん、お菓子を大量にお裾分けしてくれた名古屋の女性のことを思い浮かべ、ゆっくり読経する。信心は引き続き、うっす薄だけれど、今日ここまで辿り着けた事、忘れ物もあったけれど、そのずっこけが、気持ちのよい一期一会を引寄せた事に感謝する。

般若心経も少し様になってきたかな?

ザックを置いたベンチに戻ると、自分より少し前に辿り着いた、アメリカ人陶芸教授女史。心が折れてしまったのか、ここからはタクシーを使うという事で、

「高知駅の方まで向かうけど、ご一緒にどうですか?」とどこかで効いたようなお誘いを受けるが、「歩いていく」と、これまたどこかで効いた事のあるような返事を返す。明日の天気を心配する話をしているうちにタクシーが来て、「また!良い旅を!」とお別れする。

ポツポツと怪しい天気の中を、三十一番所に向けて歩き出す。

昨年9月、歩き遍路を通しで結願し、高知県出身の友人に電話する。今日打った札所の話をし、今歩いている場所から見える景色のことを伝えると、「お、その辺は高校の頃のデートコースだよ」なんて言う。

うーん、田んぼと工場しかないぞ?

デートじゃなくて、ザリガニ獲りかバス釣りじゃないの?と返そうと思うが、おっと危ない「天に唾する」ってこのことだ。東村山の高校生のおデートだって、酷いもんだったじゃないか。

高知県立美術館まで歩いた所で、本日の歩きは終了。路面電車に乗り換え、高知駅に向かう。

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辿り着いたホテルで、

「申し訳ございません、禁煙をご希望との事でしたが、あいにく禁煙ルームが満室でして。。消臭スプレーをお渡ししますので、気になりましたら。」

とのこと。

アメリカのホテルチェーンが高知の中堅ホテルを買収したパターンのホテルで、喫煙ルームが少なくない様子だけど。。。でもさ、禁煙を。。。と思い、キャンセルしようかと思うが。。。

部屋は少々タバコ臭いかもしれないが、一番臭いのは昨日野宿で、風呂にも入れなかった自分だ!と気がつく。そんなことを、フロントの方に頭をかきながら伝え、チェックインしていただく。

「お遍路さんですよね?うちの兄も、体の調子が良くなるよう、歩いてお遍路したんですけど。。。」

なんて会話をする。

徳島の平等寺近くの郵便局から出していた局留め郵便物を、高知中央郵便局で無事受領。テントと煮炊きの道具を引っ張りだしたいけれど、明日と明々後日の天気予報は雨。足りなくなった蝋燭と線香を必要な分、少し抜き出す程度で、荷物を土佐中村局に送る。

晩ご飯は、郵便局の向かいのスーパー、鰹のたたきやらお惣菜。

そういえば、お遍路始めてからお酒飲んでないな、着の身着のままで、居酒屋に入る気にもならないし、一人で晩酌はやらない質。そういえば、飛行機の中と、飲み会でしか、俺って飲まないなぁ。

ということで、せっかくだからお遍路中はアルコール断ちする!と決める。ま、楽勝だろうけど。

明日の雨は少々気が滅入るが、今日が素晴らしいかったので、今夜はびくともしない。





10日目   

歩行距離 / 約42.8Km    球場前駅近くの公園 〜 土佐電鉄ごめん線 県立美術館通駅
お寺 / 28,29,30    大日寺    国分寺    善楽寺

お遍路旅の詳細はあらためて。。。

四国遍路 Shikoku Henro Day-09

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四国遍路 Shikoku Henro Day-09

祝!初本格的野宿!YEAH!

9日目は、金剛頂寺を打って、28キロ歩いて神峯寺を打つという作戦の宿泊先未定パターンだったけれど、足の調子も問題なさそうだったし、暗くなってもテンションが下がらず、結果から言うと猛烈に歩いてしまった。GPSソフトの測定を鵜呑みにはできないといえ、約51キロちょい。へんろ地図換算でも約45キロは歩いたことになっている。

室戸への道を進んでいるうちに、ひたすら歩く事の退屈さ、退屈だけれど少しずつながら前に進み、文字通り「足で」道路標識の距離を減らしてゆく充実感が心地よかった。

朝食を済ませ、出発したのは午前7時過ぎ、四国山地から伸びる小高い場所にある二十六番札所、金剛頂寺には7時半過ぎに到着する。

「四国のお寺は登らせられる。」

なんて、日和佐の日帰り湯を浴びている時に何度目かのお遍路さんに言われ、心構えはできていたけれど、200メートルくらいの標高差ならば、足も体力もなんとなかるくらいになってきている。少しは成長したかな?

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さて、そんなに甘くないであろう神峯寺に向けて、納経を済ませてすぐに出発。8時半過ぎに吉良川の味のある集落を通過。匂いに引寄せられ、集落の中にある徳屋という屋号のパン屋さんで、ぼうしパンを買うと、「頑張って!」なんてお声をかけてくださった上、あんぱんをお接待にいただいた。有り難うございます!

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吉良川集落を抜け、旧道が国道に合流する場所にある休憩所で、一休み。ここで、食べるタイミングを逃していた、生見でいただいた小夏を頂く。これまた旨い。おばさんの顔を思い浮かべる。今日も、山にミカンを鳥にでかけているかなぁ。

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10時前に再出発、ひたすら進む。左手に海、右手は海岸まで迫る四国の山な景色。そんな道を歩く。岬を目指し、その岬の向うに辿り着いても、またそのまた遥か彼方に岬、そしてちょっとした海沿いの集落に漁港の連続。けれど、向かう先は遠いとはいえ安芸市や高知市と言った町がある。退屈したら、コンビニで菓子パンでも食って、休み休み進めばいい。進もう。

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奈半利の町で途切れていた鉄道が再開し、川を越えて田野町。二十三士が処刑された公園と、お墓参りをする。

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短い休憩を挟みつつ、昼食はコンビニのものを歩き食いしながらひたすら進み、安田町に午後2時前に入る。安田町は土佐の真縦(まったて)と形容される、二十七番札所がある町。

海に迫る幾筋かの山を眺め、アレかなコレかなと思いながら歩いていると、道しるべやお遍路宿の看板などが集まる、土佐くろしお鉄道の高架近くの、まったりとした交差点に辿り着く。

どうやらここが登り口。

時刻は午後2時半。地滑りでも起らない限り、神峯寺で問題なく納経できそうなので、納経を済ませ山を下りたあと、今日はどこまで歩くかなんかを考えながら、一休みする。

ザックを近くの茂みに隠し、身軽になって登攀開始。

へんろ地図には乗っていない新しい農道が引かれていたりするものの、難なく道しるべを辿っているうちに、本格的な登りとなる。

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そういえば、登りの手前で、鶴林寺で元気に自分を抜き去っていった若者とすれ違う。どういう遍路スタイルなのか知らないが、納経帳は?くらい小さなデイパックのみの軽装で、纏っている空気も軽快。

日程なんかの話を少しして、「お気をつけて!頑張って!」と声をかけて別れる。もう彼には追いつけないだろけど。

ふと気がついて振り返り、「写真とるよ!ポーズ!」

と言うと、ばっちりポージングしてくれた。いいねぇ。

やっぱ、遍路も人生も身軽が一番だなぁ、頑張れ若者!と思う。

彼のようなお遍路さんや人と出会うと、東京に置いてある商品在庫やら、一年に一度も目を通さない書類やら、煩わしいものがどっさりある、自分の重さを改めて痛感する。

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そういえば、このブログを介し、年の離れた友人ができたけれど、彼は、社会人になる前に、身の回りのものを捨てに捨て、削りに削り、ついには大小のスーツケース一つずつ、それっきりにしてしまってたなぁ。

そんな事を考えているうちに、遍路道の直登、急傾斜の車道を歩きついで二十七番札所、神峯寺。麓から45分くらい。楽じゃないけれど、恐れる程でもないなぁというのが上り下りりしたあとの実感。

二十七番札所は、阿波の山寺同様、杉の大木が林立する素晴らしい場所にあるのだけれど、寄進やら浄財やらの名前入り石柱だらけで、他の多くの札所同様、興ざめな空気で、100点満点にはほど遠かった。そういえば納経所の方が、若い女性。なんでこんな山の上で?といった印象を受けた。大騒ぎのマイクロバスで上がってきたグループがたくさん入ってきたので、山を下りる。

身軽な若者、ゴテゴテとした山寺、そこの納経所にいた女性、大挙押し寄せるバス遍路。なんだかモヤモヤしたまま山を下る無職遍路。

山を登って降りての部分だけを切り取って思い返し、世の中には色んな奴がいる云々と語るのはわざとらしいし、とにかく父ちゃん母ちゃんありがとう!なんていう境地には辿り着かない。けれど、また一つ、難所と言われるお寺を打ち終えた。さ、前に進もう。体力もまだ残っている。

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この時点で、休み休みでよいから安芸市まで行こうと決める。まあなんとかなるだろう。

日が傾き、落ち、ついには海に沈んでゆく。



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今日は、あまり人とも関わらず、ひたすら歩いただけの一日だったけれど、安芸の町の灯りをたぐり寄せるようにして、防波堤沿いをひた歩き、安芸市に入ってもそれを続けた。

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安芸市街を抜けた球場前駅近くの公園に頃合いの良いベンチを発見。早々に撤収すれば周囲にご迷惑をかけるような場所でもないなと見立て、寝袋に入り込む。

初めての本格的野宿だったけれど、色んな事を気にするより、「もう歩けない。寝たい。良さげなベンチがあるからここで寝る。」という感じ。



9日目   

歩行距離 / 約44.9Km    金剛頂寺麓の民宿 うらしま 〜 球場前駅近くの公園
お寺 / 26,27    金剛頂寺    神峯寺


四国遍路 Shikoku Henro Day-08

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四国遍路 Shikoku Henro Day-08

「室戸だ」

5時半起床、東洋大師の住職さんに改めてお礼を言って、6時15分に出発。

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野根川を渡り、定置網が広げられた野根の漁港を過ぎ、伏越ノ鼻を越えるとおまっとさん!これより空海山の道となる。

日和佐から野根までは、岬に挟まれた入り江、川、集落、そしてまた岬な光景続きだったけれど、東洋町野根から室戸市佐喜浜の集落までの15キロ弱は、四国山地がそのままズズンと海にまで落ち込む、人を寄せ付けない地勢、期待通りの景色だった。

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人間がやっとの事で、護岸と治山して道を通してる。蜀の桟道ならぬ土佐の桟道といったら大袈裟かな?そんな一キロごとの距離表示標柱がなければ、無限にも思えてしまいそうな道をひた歩く。途中で海岸で岩を拾っているお遍路さんに大声で朝の挨拶。

おじさんは石を拾っているようだけれど、海に入って潜っている素潜りの漁師もいる。更にその向うには定置網。

海で獲って、山で採って、それを喰らって生きている感が四国には漂っているけれど、土佐に入るとその感じがひと際強くなる。高知の森林率は日本一、沖には黒潮。そりゃぁ、人間だって豪快になるわと思う。

そんなことを思いながら歩いていると、目の前で自動車が停車。あ、さっき海岸で石を拾ってたお遍路おじさんだ。お話しすると何度も回っておられる広島からの先達さん。明日から高知スタートの団体さんを先達するそうで、「少ないけれど、これで栄養でもつけてください。頑張って!」と500円の現金お接待。

言葉だけでもありがたい、おいらは無職の穀潰し系遍路。500円なんてもらって良いのかしらん。東京に戻ってバイトしたって、時給1,000円だってもらえないかもしれない俺なのに。

楽しみにしていた、山が海に突っ込んでゆく海岸をそんなお接待に感謝しつつ歩ききり、佐喜浜の集落に到着。野根の集落から約3時間が経っていた。佐喜浜のモンマートで食料を注入し、ベンチで小休止。軽トラで現れたお兄さんが、エロ漫画を颯爽とお買い上げし、去っていった。

更に南へ。

佐喜浜からは、山が海に落ち込むようなダイナミックな地形はなりをひそめ、広くはないけれど田んぼや家並みなどが転々とするようになる。

そういえば足の方も、海部のドラッグストアで購入した湿布が効いているのか、昨日の40キロ越えの歩行距離にも関わらず、好調。少々突っ張る感はあるけれど、それが激痛に変わりそうな予感は無い。

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11時20分頃、室戸市椎名漁港。ここでまた休憩。

定置網で獲れたブリが、氷詰めのプラスチック製コンテナに満杯になり、フォークでそのままトラックに積まれてゆく。漁師のおじさんと話すと、

「定置網は、夏の台風の時期だけ陸に上げるけれど、それ以外は一年中こうして漁に出てるんよ。ブリだけでなく、鰯からクジラまでなんでもとれるぞい!」と息荒い。

椎名漁港を越えたあたりで、室戸への距離表示が15キロくらいとなり、室戸岬が射程圏に入る。午後1時45分頃、空海が悟りを拓いた御蔵洞に到着。

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修行の為に住み着き、洞窟から見える景色が空と海だけだったから、「空海」になったという有名な洞窟。明星が口から体の中に飛び込んで悟りをひらいた場所。

残念ながら、大型バスの到着とその元気なガイドさんの声が響き渡り、空海が感じた景色や空気を自分のものにし、一体感を得る事はできなかった。

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そして、ようやく久しぶりの二十四番札所、最御崎寺へ。

標高165メートルの室戸の崖の上のお寺。友人のブログでも雰囲気が良いと書いてあったけれど、海に囲まれた岬の上に立っている事を忘れさせるような静けさの境内に、山門から本道までスッと石畳が延びていており、齷齪歩いてきた気分を洗うようなお寺だった。

室戸岬の灯台で記念撮影し、二十五番札所、津照寺へ。読み方は「しんしょうじ」で成田山と音は同じだ。つづらの道を下り、厳つい堤防で固められた室戸の海岸や港の脇を北へ向かう。

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午後四時過ぎ、津照寺到着。

海の安全を司るお寺との事で、そう遠くない将来、小型漁船で石垣から屋久島へ船を回航するガクさんの船旅の安全を祈念する。

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曜日もあるのか、どうも活気がない室戸を抜けながら、ビバーク場所を探しながら二十六番札所までの道を行くが、今日は自分にご褒美なつもりで民宿に泊まる事に決め、道すがら何度も見かけた民宿「うらしま」へ投宿する事にした。





8日目   

歩行距離 / 約41.8Km    東洋大師 〜 金剛頂寺麓の民宿 うらしま   
お寺 / 24,25    最御崎寺    津照寺

四国遍路 Shikoku Henro Day-07-002

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四国遍路 Shikoku Henro Day-07-002

修行の道場にログインしました。

砂利運搬船らしき、内航船の出港を那佐湾の港で見送り、午後3時前、日の高いうちに宍喰の集落に到着する。今日の目標を東陽町の生見か野根と定め、万が一の野宿に備え、道の駅脇ホテルの海野見える温泉に浸かる。

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おじいさん漁師さん達の、

「水が冷たくて、水揚げはたったの7,000円だったよ」

なんていう会話を盗み聞き?しながら、足をマッサージし旅の垢を落とす。

午後4時、宍喰を出発。水床トンネルを抜けると高知県。

高知県の始めの地方自治体は東洋町。東陽町だったら、なんだか地下鉄で行けちゃいそうな地名だけれど、こちらのとうよう町は、徳島から続いてきた鉄道が途絶える場所。終点は甲浦(カンノウラ)駅。ここから南、室戸までの公共交通機関は、一日数本のバスのみになる。鉄道が途絶えるというのは、そこから人口が減り、鉄道を敷設するに厳しい地形になることも意味してる。

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甲浦で思い出すのは、征韓論に破れ下野し、その後、佐賀の乱で破れた江藤新平が逃亡中に捕縛された土地。自らが整備した警察制度、人相書きに変わる写真手配によって甲浦で捕まったんだよなぁ。キレキレ脳に滾る血潮な直情型。江藤新平は大村益次郎の次に好きな幕末明治の偉人。ああ、司馬遼太郎の「歳月」が再読したいなぁ。時間があれば由来のある場所や、石碑などを訪れたかったのだけれど。。。残念、傾き始めた陽に急かされ、生見の集落まで進む。

生見も海部などと同じく、波乗りの盛んな集落だけれど、四季を問わず収穫される柑橘系でもお馴染みの模様。役場からまっすぐ伸びる道沿いに、直売店が並ぶ。そのうちの一軒からお声がけ。

「兄さん、小夏たべてきなさい」

ありがたく頂く。

おばさんと話すと、味に遜色は無いのだけど出荷するには見た目が今一歩な品をお裾分けしてくれるみたい。美味しい。今出荷される小夏はオレンジくらいの大きさのものと、小さな蜜柑サイズのものがあるようだけど、オレンジサイズ小夏は皮が厚い。

おばさんが包丁で、表面の黄色い部分を除くだけのように切ってくれる。どうやら皮ごとモリモリ食べるそう。なるほど、食べると厚手に残した白い皮が、具を包むお菓子の生地みたいな感覚で頂ける。

寒さにやられないよう、一個一個大事に紙でくるんまれ、冬を越え、腰を曲げたおばさんが急斜面で採った小夏。遠慮せず、心していくつも頂く。この小夏にも宿毛や、宮崎など、育つ場所や細かい品種によっていろいろ味が変わるそうだ。あー、うまい。

徳島ではお接待していただいた八朔が、クラクラするくらい旨かったけど、高知の小夏も痺れるなぁ。

そして、小さな蜜柑サイズの小夏をどっさりお土産に持たされる。僕のような穀潰しに声をかけてくださり、苦労して育てた果物を。。。

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旅仲間、土地の人々の助けに支えられた世界の旅に一区切りがつき、皆さんにお礼の気持ちだけでも遍路を通してお返ししよう。。。と思ったのがお遍路に出た理由の一つでもあるのだけど、更にお世話されてしまってばかりだ。

生見の集落から一山越えると夕闇になる。

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なんとか歩き通し、午後6時半に東洋大師に辿り着く。今日お会いした人、接待をしてくださった方、ふと思い出した幼なじみの姿を思い返しながら納経し、断って通夜堂をお借りする。

通夜堂は6帖程で、室内は整然としており、空海や真言宗関連の書籍も多い。

今日はよく歩いた。そういえばお風呂にも入った。

寝袋に入って電気を消す、最後に時計を見た記憶は午後8時過ぎ。



7日目   

歩行距離 / 約42.0Km    薬王寺前 善根宿はしもと 〜 東洋大師
お寺 / 参詣なし

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