calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2012 >>

categories

archives

メールとTwitterアカウント

courier_jpn☆hotmail.co.jp

☆を@に変えて!



Twitterアカウントはcourier_JPN

徒歩旅行 vol.0004 小頓別 - 天北峠 - 音威子府 - 美深町初野駅

R0010332.JPG

徒歩旅行 vol.0004 小頓別 - 天北峠 - 音威子府 -  美深町初野駅

昨日は、道中いろんな方にお世話になってしまった。

よし、今日はそれをお返ししよう!

ということで、

フルパワーのハイテンションで歩き出す。

R0010301.JPG

小頓別から天北峠までは、3キロ程。25分くらいで峠を越え、音威子府村に入る。

これまで歩いてきた宗谷支庁とこれから歩く上川支庁を隔てる天北峠では、まだ朝の6時過ぎだというのに道路の拡幅工事が進められていて、北の大地をショベルカーが削って、ダンプがどこかに運び始めてる。まだ6時台なのに。短い夏を余すところなく使う!おりゃ!な感じで。

R0010304.JPG

R0010305.JPG

頻繁にすれ違うそのダンプに向かい、何度も何度もフレディーマーキュリーばりのガッツポーズ(上)や、デストラーデばりのガッツポーズ(下)を送り続ける。今日は躁鬱病の躁のピークかもしれない。明日から自分の人生はストップ安かもしれない。けれど、体で北海道が最高だという気持ちをどうしても伝えたい気分。

R0010306.JPG
帽子にこの羽をつけて歩く。が、数日後その帽子を無くす。。

何度も阿呆なガッツポーズを繰り返していると、初めは招き猫の手チョロンみたいだった、レスポンスがVサインになり、山土を何処かに放って帰ってきたダンプが、こっちがガッツポーズを送る前にホーンを鳴らしてくれるようになってくる。もちろん全部のダンプじゃないですが。

今日の上川地方はこの夏一番の暑さの35度。道の彼方は蜃気楼。

R0010311.JPG
この旅で初めて、廃線でない線路。

R0010322.JPG

小頓別から16キロ程歩いてたどり着いた音威子府では、友人曰く、「正真正銘ド田舎そば」な真っ黒な駅そばを食い、ジュースをぐびりとやり、40キロぶりに現れたセイコーマートでは水やらを補充したけれど、足りない足りない。

R0010324.JPG
咲来駅近くの商店跡。歩きの人、自転車の人で南下する人はここで水分を補給しましょう。ちなみに部活動かなにかの学生さん達が、ガッツポーズにガッツポーズを返してくれた。ありがとう!

その上、音威子府からの、咲来(さっくる)の駅近くの商店跡の自動販売機から、約15キロ水分補給ポイントが無い。乾ききって、たまらず民家から水を頂く。ふぅ、農作業の合間にご在宅でよかった。

R0010328.JPG
蕎麦畑。稚内から牧草地がほとんどだったので新鮮。

水を下さった家の方は、

「日本で一番寒くなる場所だけど、今日は一番暑いかもね。」

とのこと。真夏の北海道の内陸は侮れない。

それでも、若干回数は減ったけれど、ガッツポーズを続け、なんとか距離を稼ぎ、30キロちょい歩いて、美深町の恩根内近くで休憩。日が傾き、ちょっとした日陰になっている。午後2時。

そんな道沿いで休んでいると、なんと!

ダンプがぐわーんとセンターラインを超え、休んでいる自分に突っ込んでくる。

ぬを!

と思ったものの動けずにいると、ダンプが目の前でスローダウン。窓ガラスがニュッと降りて、おじさんが目配せしてから、ポイッとペットボトルをこっちにスロー。

ふらつきながらも、ペットボトルをナイスキャッチ。

    「楽しんで!安全な旅を!」

と声をかけてくれ、またスピードをあげて、センターラインを戻り、プフォン!とホーンを鳴らして去ってゆく。

投げてくれたのは、イロハス。

挟んであった名刺の裏に、

「楽しい旅を!! ご安全に。」

    そんな四日目。

ったく、泣けてくる。



北海道とすれ違う人たちに感謝の気持ちを返すつもりが、またまた倍返しされてしまった。雪だるま式にご好意の借り入れが膨らんでゆく。。。

よし、更に更にハイテンションの躁状態でいこう!

おりゃ!

R0010343.JPG

R0010347.JPG

R0010350.JPG

美深中心部まではたどり着けなかったものの、道の駅びふかの温泉の休憩を挟み、初野駅まで歩ききる。初野駅の少し前、天塩川にかかる橋を渡ると、水田が広がっていた。少しずつだけれど前進してるなぁ。

R0010358.JPG

R0010361.JPG

R0010365.JPG

初野駅からは、宗谷本線に乗って名寄。名寄にて士別で樵をやっている友人にピックアップしてもらう。

R0010368.JPG
名寄でジンギスカン定食

明日は士別の樵の友人とチルアウト。


__.JPG

徒歩旅行 vol.0003 浜頓別クッチャロ湖 - 中頓別 - 小頓別

R0010263.jpg

徒歩旅行 vol.0003 浜頓別クッチャロ湖 - 中頓別 - 小頓別

浜頓別で、完全にオホーツク海とおさらばとなる。

そのまま宗谷国道を海岸線沿いに進めば、今週末は枝幸町で、「かに祭り」があるらしい。そこでは、豪快にかに汁なんかがタダで振る舞われるらしい。なんのなんの。俺は食い物なんかに釣られない。

「止めてくれるな おっ蟹さん 上川支庁が 待っている 
 男運び屋 どこへいく」

そうさ、俺はじゃんけんでチョキしか出せず、ハサミ撃ちみたいな卑怯な蟹なんかには用はない。

「男は四の五の言わず、食うもの食わずで歩くのさ!」

と5時半に起きて撤収していると、柏のおじさんが、

「おーい、牛乳あっためてるから飲んでいきなよ!」

グッスン。前言撤回。

アーモンドパン共々、遠慮ゼロモードで、ありがたく頂戴する。

朝の早いキャンパーの皆さん、柏のおじさんとNさんに見送られ、出発したのは朝の6時半。浜頓別の集落はあっという間に途切れ、すぐに畜産農家と牧草地な景色になる。

R0010209.JPG

R0010210.jpg

道路に白線を引く作業員の方が、7時にもならないのに仕事を始めていて、手を振ると笑顔やピースサインを返してくれる。おし、今日もなんだか大丈夫そうだ。

8時過ぎに、跡から出発したNさんに追い抜かれる。クラクションを鳴らし、車を止めてくださり、「気をつけて!よい旅を!福岡に来たときは是非楽しい話の続きね!」なんて言い、名刺を下さった。グッスン。はい、がんばります!

8時半、下頓別。

北海道には、東西南北より、地名に浜やら上中下をつける地名が多い。

今日歩いたルートは、浜頓別に始まって、下頓別、中頓別、上頓別、そして小頓別がゴールの頓別っぷりが半端ない一日だった。ちなみに頓別は、アイヌ語「トー・ウン・ペッ」(湖から出る川)が由来。

さて、その頓別な世界は、浜頓別町と中頓別町に別れており、この下頓別の集落が浜頓別町の最後の集落。

R0010215.JPG

補充しておいて悪いことはないので、早くから開いている商店で、飲み物を求めると、

「お!歩きかな?じゃあポカリスエットがいいでしょ!」

なんて言って、あ、ポカリスエットいいですね!なんて返事して、お金を渡すと、店のおばさんがそのお金を持って店の外にでて、店の自動販売機でポカリスエットを買ってくれる。ぐふぉ!

そいつを飲みながら店先で休憩していると、近所のおばさんが現れ、

「歩き?若いねぇ〜!」

なんて声をかけてくれる。

「いえいえ、そんなに若くないんですよ、それにまだ宗谷から歩いて三日目ですし。。おばさんだってお若いじゃないですか。。」

と返す。そのおばさんが近くに腰掛けてくれ、最初はヤマメ(北海道のこの辺りではヤマベという)釣りや、海でのサケ釣りの話をする。そのうちに、話がいつしかおばちゃんの身の上のものになる。

おばちゃんの半生とお子さんの話。

おばちゃんとの会話は時間にして20分間くらいだったけれど、中頓別の中心部までの2時間くらい、氷点下30度以下になるこの土地で、どんな心持ちで春を待つのか。人生を振り返ったり、お子さんのことを思うのか考えてしまった。

そうそう、話の合間に、店のおばさんがゆで卵とバナナをホイっと渡してくれ、近所のおばちゃんは、店で買ったほっけの薫製をごちそうしてくださったことも忘れちゃいけないな。ありがたいというより、なんだか申し訳なく思っちゃう。

R0010222.JPG

R0010223.JPG

R0010226.JPG

R0010230.JPG

R0010235.JPG

R0010236.JPG

北緯45度線を越えたり、初めてのトンネルをくぐったりして中頓別。

朝が早かったから、昼ご飯も早めにしようと食堂を探していると、目抜き通り?に八番食堂。のれんが出ていて営業中の様子。

のれんをくぐって、オススメを伺うと、蕎麦が打ったばかりだそうなので、そばを注文。700円。1,000円札を渡して、おつりでおむすびを作っていただけませんか?とお願いすると「あいよ!」なんて言ってくれる。

R0010238.JPG

蕎麦をズルズルやりつつ、おじさんに中頓別のレクチャーを受ける。

どうやら昔は、頓別村の一部であったこのあたりが、林業が盛んだった時期に分村。人口は最盛期に一時は9,000人を越えたけれど、今は林業が衰退し、砂金もとれず人口は1,900人ちょい。そういえば、中心部の町割りは、ゆったりしていて、サイズも小さくない。けれど、人気が絶望的に薄く、開いてた商店の品揃えも、必要最低限といった印象を受けた。

「中頓と言えば、砂金と林業の町だったのだけど、今じゃ借金と酪農の町になっちゃってねぇ、昔は夏に、ビートやジャガイモを作って、冬に林業。そうそう、その上の写真が輓馬だね。輓馬は頭がいいから、乗ってる人間が酒飲んでても、きっちり村の集材所に帰ってきたんもんだよ。」

なんて話してくれ、

R0010239.JPG

「土地なんていくらでもあるんだから、こっちに住んでみなよ。一人じゃうまく行かないから、気の合う仲間3人くらいでくればなんとかなる。」

移住のお誘いまでしてくれる。

暇と少々の蓄えはあるかもしれないけれど、自分には人生と向かい合う「覚悟」が全くないんだよな。これが浮浪になってしまった決定的な理由なんだよね。生まれてきてよかった!という実感はあるのだけど、現実に向かい合えない。だから、生まれてきてよかった感を!刺激を!なんて言って、こんな生活を続けてるんだよなぁ。ったく自分が何歳か思い知れよ!俺!

R0010240.JPG


R0010242.JPG

おじさんが補充して、冷やしておいてくださった水、用意してくれたおにぎりを担いで出発。時間は午前11時半。

国道沿いのセイコーマートで、次のコンビニや自動販売機までの距離を尋ねると、次のコンビニは、音威子府村とのこと。ぬぅ、音威子府村まで40キロ近くあるなぁ。

「この、上頓別には、自動販売機とかありますかね?」

と尋ねると、とんでもねぇお侍様!とばかり、いやいやいやといった手を振るゼスチュア付きで、

「上頓別!何にもありません!自動販売機も。。。ない!」

とのこと。どうやら上頓別の手前にある道の駅があって、そこで何か手に入るものの、道の駅までの15キロは何もなく、その先は、10キロ先の小頓別に自動販売機があるくらいらしい。ぬぅ。

大荷物になりたくないので、カロリーメイトやカロリーの高い菓子を購入する。そして出発。

頓別川に開かれた緩やかな谷をひたすら進む。道の脇まで林が迫っている箇所もあるけれど、概ね牧草地、もしくは元牧草地らしき草っ原といった景色。

そんな草っ原の中に、ポツンと小屋が残っており、独特の空気を醸し出していたので近づいてみると、やはり廃駅。駅名は松音知(マツネシリ)駅というらしい。

今日歩いている国道275線は、廃線となった天北線と並走する箇所もあり、鉄橋跡なんかが残っていたので注意していたのだけれど、本格的な駅舎跡が残っていたのは、この松音知(マツネシリ)駅跡が初めてだった。

注)駅舎と線路が残っていたので、小道を辿って休憩がてら撮影したが、所有者アリとの事で削除した。所有者さん、ご苦労様です。

廃駅休憩を挟み、道の駅ピンネシリに4時到着。

道の駅の名前にもなっている、敏音知岳(ピンネシリ)と青空が美しかった。

R0010258.jpg
電線工事。手を振ったら女性で、控えめに手を振ってくれた。

道の駅の向かいの温泉に使って回復。歩き出しから35キロを越えているし、道の駅には快適が約束された格安キャンプ場も併設されていたので、後ろ髪引かれる思いだったけれど、身支度し直し再出発。なんとか小浜頓別を目指そう。

途中、中頓別のセイコーマートで、全否定されていた上頓別の集落を抜けるが、なるほど、家が数軒あるだけの小集落。自動販売機はなく、集落の裏手の牧草地に鹿と狐がいたくらい。

R0010272.JPG

R0010273.JPG

R0010276.JPG

日も傾いてきたので、無理矢理テンションをあげるべく、すれ違う車にガッツポーズを送り続けていると、そのうちの一台が、遥か彼方で止まり戻ってくる。らら、ヒッチハイクと間違えられちゃったかと思ったらその通り、

「ああ、歩きの人だからヒッチハイクだとは思わなかったんだけど、だんだん暗くなってきてるから、心配になってさ!」

と車の中からお兄さん。紛らわしくってスンマせんと頭を下げると。

「がんばって!もう少しで小頓別だから!」

グッスン。

R0010286.JPG
お兄さん!ありがとう!お気持ち絶対忘れません!

R0010287.JPG

R0010295.JPG

小頓別にたどり着いたのは午後7時過ぎ。

自動販売機が一つあるだけ。元は大きな集落だったのか、バス停近くにゆったりとした公園があり、そこでビバークするか。と準備するが、猛烈な蚊の大群に襲われ、バス停に避難。そのまま終バスをやり過ごして夜明かし。

R0010296.JPG

バス停の管理者の方、お邪魔しました。

この道がこれからずっと続くのなら、精神が持つかなぁ。。なんて感じてしまう道だったけれど、朝から晩まで人に助けられ、勇気づけられ、50キロ近く歩きることができた。

冬になっても、どうせふらふらぼんやりしてるだろうから、一番寒い時期にこの宗谷バスを使って、下頓別、中頓別に立ち寄り、「ども!約束通りまた来ましたよ!」なんて言いたいなぁ。

穀潰し野郎で、覚悟は一切ないけれど、マイルと暇だけはあるんだよね。




__.JPG

徒歩旅行 vol.0002 浜鬼志別 - 浜猿払 - 浜頓別クッチャロ湖

R0010193.JPG

徒歩旅行 vol.0002 浜鬼志別 - 浜猿払 - 浜頓別クッチャロ湖

6時半起床。

のんびりとテントを畳んで、身支度。結局午前7時45分頃の出発。

お遍路から戻ってから一切歩かず、ウォームアップな一日にする予定だった初日の昨日は、フライトや交通機関の都合で、歩き始めも終わりも遅く、40キロ以上歩いてしまった。ちょっとはじめに無理しすぎた。テンションは決して低くないけれど、なんだか体が重い。

R0010139.jpg

R0010142.JPG

R0010144.JPG

R0010149.jpg

昨日は真っ暗だった道は、放牧地が広がる海沿いの道。酪農家の方と覚しき家を時々見かけるものの、まとまった集落はなく、海岸と付かず離れずしながらの歩きが続く。

歩き始めてから1時間くらい、吹雪よけのパーキングシェルターを通過したあたりで、浜頓別方面に向かう車が停車し、

「お兄ちゃん、急ぎかい?」

「??」

「俺んち農業やってるんだけど、急いでなかったら手伝ってくか?」

「!」

と、まさかのリクルーティング。

一緒に仕事をやろうよ!なんてお誘いいただくのは、いつ以来だろ。

「ありがとうございます。でも、士別で週末に友人と待ち合わせておりますので。」

と丁重にお断りする。年齢制限が引っかかる前に北海道の牧場か、シャケの加工場で住み込みバイトしてみたいものだなぁ。

あと一年ちょいで僕は40になるけれど、10年前、あと一年ちょいで30になろうとする頃、予定も立てずにこの道を歩いていたら。なんて考える。こんな年になって、浮き草のような生活をしているのなら、もっと早く浮き草になって、どこかでひっそり。。なんて。。。

おっと感傷的になってるかな?

よし、せっかくの景色だし、有名な歌の歌詞をそらんじてやろう。

知らない街を歩いみたい
どこか遠くへ、行きたい
知らない海をながめていたい 
どこか遠くへ、行きたい

最北の空港から一日も歩くと、歌詞ピッタリな情景やら感傷的な気持ちに包まれる。ま、歩いているところは街はおろか、集落すらない最果ての村。時々ホタテを採ってる船が浮かぶ海、その海岸だけ。。なのだけど。

sIMG_0070.jpg

午前9時、浜猿払着。

猿払川河口で、キャストを続ける釣り人。猿払川にはイトウも済んでいるらしいけれど、まさか。。サクラマスあたりかな?

浜猿払の集落を後にすると、宗谷国道238号線は、海岸沿いをそれて、内陸の道になる。

集落をつなぐというより、道立自然公園にもなっている草原、湿地帯を避けるようなルートで、途中の浅茅野、旧軍の飛行場があった、その名も「飛行場前」という天北線の駅があった交差点以外は、自動販売機のない、湿原、草原、牧草地が入れ替わり立ち代わる景色だった。

給水以外にも、四国の遍路道と違って、休憩場のような一休みできる場所に乏しく、道路沿いには木陰すらない。晴れて気温が上がった今日みたいな日は、そのあたりが問題で、休めるときに休んでおくといったタイミングで、橋の下やバス小屋のお世話になった。

sIMG_0071.jpg
テンションが高いのでエアギター

ふぅ、浜頓別にたどり着いて、クッチャロ湖畔の温泉で鏡に向かうと、首から上が真っ黒になってるなぁ。

出発時からの体の重さを引きずってしまい、本日の歩行距離はヘトヘトになっての30キロちょい、これくらいは文句を言わずに歩けよ!っていう距離の最後の5キロ、浜頓別町に入ってからがきつかった。目的地のクッチャロ湖のキャンプ場には午後3時半の到着。

R0010161.JPG
測量士さんが手を振ってくれる。

R0010168.JPG
橋脚の工事の人たちも手を振ってくれる。

R0010176.JPG
Nさん。なんと福岡から来た自転車乗り。

R0010174.JPG

ここまで歩けたのは、Vサインを送ってくれるバイクライダーさん達や、挨拶を返してくれる道路工事や測量中の皆さん、そして本日唯一といっていい人力で移動中の、自転車乗りのNさんとの会話だったりする。

R0010177.JPG

R0010184.JPG

R0010187.JPG

R0010188.JPG

夕日が自慢のクッチャロ湖のキャンプ場で、200円の利用料でテントを張っていると、自転車乗りのNさんと再会。温泉につかって食事をとり、キャンプ場に戻ると、Nさんがすでにお仲間にしていた、自分の父親くらいの年齢の、自家用車系北海道キャンプ旅行の皆さんのささやかな宴会が始まり、お邪魔しますと混ぜていただく。

R0010205.JPG

滅多に飲まないウィスキーを、お湯割りにし、ペットボトルでちびちびとやる。自分はそのスバラシさの「ス」も知らないけれど、北海道の素晴らしさやキャンプの楽しさを、おじさん達が愛情込めて語ってくれる。

こういったいい顔したおじさんとの夜は、うまく立ち回れば、まだまだ人生楽しいな。と予感させてくれるし、ちょっとした希望だなぁ。

さて、明日も歩くぞ!



__.JPG

徒歩旅行 vol.0001 富磯 - 宗谷岬 - 浜鬼志別

R0010116.jpg
知来別の夕日

徒歩旅行 vol.0001 稚内市富磯 - 宗谷岬 - 浜鬼志別

出発。

稚内空港に降り立ち、団体客、レンタカーやバスで市内や宗谷岬に向かうグループから離れ、一人、小さなターミナルから外に出てる。

着陸に向かう飛行機の中からは、牧草地も見えたけれど、駐車場の向こうに道が走り、その向こうは草っパラ。

これこれ、最果ての空港なんだから、そうこなくっちゃいけません。

R0010034.JPG

西の彼方に、利尻富士がボウッと浮かび、稚内市街のあるノシャップ岬方面には人の営みの気配がする。空港の南は草っパラと緩やかな丘陵地帯。北は海で、東は南から伸びる丘陵地帯がうっすら立ちはだかるように連なっていて、北に向かっている。この丘陵地帯の彼方に宗谷岬だね。

20分ほど歩くと、海沿いの国道238号線。

今回の歩き旅は宗谷岬から!なので、そこまでは!と、いきなり自分に甘々なヒッチハイクをスタート。数分で、宗谷岬の根元、富磯地区在住、稚内のホテルの朝の配膳仕事の帰りのおばさんの軽自動車止まってくださる。

「富磯までしかいかんけど、乗っていきなさい。」

その富磯がどこか分からないけれど、

「そこから車をまた捕まえるか、がんばって歩くかすればいい」

とのことだったので、お礼を言って車に乗り込む。

寒さは何とかなるけど、暑さがだめなのでまあやっていけますよ、何にもないけどね。。なんて話をおばさんがしてくれ、

「僕も暑くなると、頭が動かなくなるので、寒い方がいいですよ。」

なんて返す。

15分ほど走って、富磯の集落に到着。お礼を述べてお別れする。

R0010040.jpg

富磯は、稚内から東に伸びる砂浜が、南から伸びてきた宗谷丘陵に遮られるような、九十九里浜だと太東のような地勢。ヒッチハイクに頼ることが難しそうなので、セイコマートでカロリーメイトなんかを含めてお買い物。次のコンビニ、セイコーマートは本日のビバーク予定地にあるのだけど、宗谷岬経由だとそこまで約40キロくらいとのこと。

40キロっていうと、新宿から八王子、いやもう少しあるかな?

新宿から八王子の間に、一件もコンビニがないような世界を思い浮かべる。ぬぅ、イメージできん。ま、そんな世界の始まり始まり。

なんとなくヒッチで宗谷岬までの車をつかまえられなさそうなので、小休止の後すぐに歩き出す。道路標識によると岬まで約10キロ。2時間をメドに歩き出す。GPSのアプリもめでたくこの富磯から起動し、歩きのログをとり始める。

R0010043.JPG

R0010044.JPG

富磯は、その名の通り、確かに呼吸でもするような栄養豊富そうな磯が見渡せる。磯といっても、ぼこぼことした岩場に潮溜まりがあるようなそれでなく、珊瑚のラグーンの浅瀬が沖へ伸びるような海岸。干潮か満潮か判然しなかったけれど、くるぶしから腿までくらいであろう浅瀬。

同じような、沖まで浅瀬な海岸線は、富磯から北にもひたすら伸びていて。その浅瀬と、宗谷台地と段丘上の緩やかな崖の間、その間の穏やかな踊り場のような岸辺の平坦な場所に道も伸びている。

R0010049.JPG

R0010050.JPG

R0010053.JPG

R0010059.JPG

郵便局のある「宗谷」の集落をのぞいては小さな集落ばかり。

午後2時過ぎ、宗谷岬到着。富磯を昼過ぎに出たので時速5キロ以上で歩いている。悪くないペースだ。

R0010070.JPG

さて、宗谷岬。

平日の昼間、のこのことこんなところまでやってくるのは、元気な爺さん婆さん、たまたまカップル連れな様子で、宗谷岬のモニュメントを背後に写真を撮ってくれる人にお声がけするのも。。。と思ったら、お姉さん。

カメラを渡して、ハイテンションでポーズをとる。

「え?お兄さん歩いてきたの?乗ってく?」

と、日本の先っちょで逆ナンパされる。が、そのお姉さんのお母さんとおぼしき方。

「ここから乗っけてしまったら、大変だね。」

なんて言ってくれる。「お二人ともおきれいなので。。。。」なんて調子のいいことを言ってお別れする。

さて、出発だ!

と言いたいところだけれど、この先、食事がとれないかもしれないので、岬の前の食堂でイクラ丼。この季節にイクラ丼はないかぁ。。宗谷五色丼だったなぁ、なんて注文早々思う。

おなかを満たして、再出発。

R0010074.JPG
画像では分かりにくいけど、鹿がいます。

R0010075.JPG

看板がはがれ、「河  店」となっているお店で、ちょっとした食料を補充がてら、ご主人に尋ねると、

「歩きかい?あ、そう。途中で緩い峠があるけれど、大丈夫だよ。え?自動販売機?えっと、東浦いや、知来別にある。浜鬼志別?遅くなるけど行けると思うよ。」

なんて言われる。どうやら、時々、同じような道を歩く旅人がいる様子。どんな人がどんな気持ちでこの店に立ち寄ったんだろ?なんて思う。

このブログを読んで、歩き旅でこの店に立ち寄る方はいるかな?

いるとしたら、自分の気持ちは、「うっしゃぁ!いくぜぇえ!」なハイテンションでした。この店に立ち寄ったら、自分の残存思念を探し出して感じていただければと思います。

R0010081.JPG

宗谷岬の集落のはずれにある大岬小学校と数軒の家並みを抜けると、景色は黄緑色した丘、道、海だけとなる。音楽を聴きながら、ひたすら進む。

交通量も、宗谷岬までとは半分、いや1/4以下になった感じがする。

宗谷岬の南を大きく旋回した、稚内空港への侵入ルートから見た景色を自分が歩いているのを実感。海岸線、海岸線から離れ時々丘。

R0010088.JPG

R0010092.JPG

R0010093.JPG

そんな景色の中を、歩いていると、時々すれ違う車から、笑顔が飛んできたり、パトカーの中のお巡りさんが、敬礼に敬礼を返してくれたりする。後ろも前もまったく車の気配がしないときは、大声で歌ったりしながら前へ前へ。

丘をこえ、すれ違う車にガッツポーズを送りまくっていると、一台の車が、スピードを落とし、止まってしまう。

「お!乗ってっか?」

「あざっす!がんばって歩きます!」

「お、そうかい。きをつけて!」

なんていう会話。あと少しで40になろうとしているのに、なんだか学生時代に戻って貧乏旅行し、貧乏な分、人の暖かみや優しさが染み入る。な旅だなぁ。金銭的余裕が今もないのは差し置いて、とにかく気持ちが若返るなぁ。

走り去ってゆくトラック、そのトラックがたどった一本道、その一本道を挟み込むような、オホーツク海と宗谷の原野。

R0010095.JPG

そんな海沿いの景色から道は林の中のワインディングロードになる。ひたすら歩いてゆく。携帯は当然のことのように通じなくなる。

R0010107.JPG
日没と水が心配。

R0010111.JPG
小さな川の河口でヒラメを狙うおじさん。

500mlのペットボトル二つ分を小休止ごとに飲むが、つい先日から暖かくなったという宗谷地方。日が傾いても歩いていると喉が渇いてくる。昭文社の1/750,000の地図からすると、「峰岡」という地名をすぎ、「東浦」に向かっている道らしいけれど、まず、「峰岡」には集落はおろか、廃墟廃屋すらなかった。

さすが日本の果ての果て、手強いなぁ。と思っている頃に林が開け、海が見え、海岸線に港。

よ、これで飲み水確保は。。と思っていると、東浦らしき港のある集落には、人が住んでいる家があり、夕涼みの地元の方とすれ違うものの、自動販売機は無し。ぬぅ。遥か彼方にひとまとまりの家並みがあるけれど、そこまで水がもつか状態。いきなりこのひもじさは何だ?

救援を求められない場所があったり、水が補給できなかったり、歩き旅ならでは状態。

「ビルゲイツがここを歩き、ポケットに100兆円の残高があるATMのカードがあっても何の意味も為さないぜ、自分の足と気力と体力でのりきるんだぜ、オウオウオウ!」

なんて思うけれど、まあビルゲイツはこんなところに来ないし、歩かないよな。

宗谷岬から20キロほど歩き、猿払村に入ってようやく現れた少々奥行きのある集落にたどり着く。集落の名は知来別。

R0010113.JPG

午後7時前、ようやく自動販売機を発見。自動販売機どころか、商店も開いているので、たっぷり飲み物を購入する。

見落としがあるかもしれないけれど、宗谷岬以来初めての補給ポイント。店も自動販売機もない区間が20キロも続くなんて、1200キロのお遍路中でも記憶がない。せいぜい室戸近辺の15キロくらいだろう。やるなぁ宗谷地方。愛してるぜ。

商店で

「あ、歩き。野宿。それだと今日は浜猿払の道の駅?」

と言われたので、そこを目指すことにする。

R0010128.JPG
ボタ山ならぬ、ホタテの貝殻の山。 ホタ山。

浜猿払までの一本道で、8時を過ぎ、さすがに日没。

日は沈んでしまったけれど、開いていた食堂、「彩雅さん」で、ホタテ漁獲高全国一!の猿払のホタテ丼を頂く。近くで開いていたセイコーマートで朝飯よりは、と思ってメニューのおむすびを持ち帰りにしようと思ったけれど、一つの値段だと高いなぁ。ぬぅ、セイコーマートか。なんて思いつつお会計して出ようとすると。

「お兄さん!むすびでも持ってくかい?」

とおばさん。

R0010131.JPG

R0010137.JPG

空いたペットボトルに嫌な顔一つせず、水をついでくれた上、おむすびまで。。。ふとっちょの板前の息子さんに笑顔で送り出して頂く。

幸先いい!北海道!ありがとう!

真っ暗になって猿払の道の駅にたどり着いたのは、午後9時過ぎ。

トイレ近くの芝生に、ライトを口にくわえテントを張っていると、キャンピングカー退職後旅の男性に声をかけられる。

「歩きですか?」

「はーい!まだ一日目なんですけど。」

「じゃ、頑張って!これ!」

なんて言って冷え冷えのスーパードライを頂く。

R0010138.JPG

距離はあったけど、初めての景色の中を進んで、白地図に色を付けてゆくような歩き旅はやっぱり最高だった。歩き旅をまた初めてよかったし、富磯まで送ってくれたおばさん、宗谷岬の母娘、止まってくれたトラックに、ホタテ丼。枕元のおむすびとビール。すべて最高だ。



__.JPG



NH 571 HND-WKJ

R0010003.JPG

NH 571 HND-WKJ

窓際にしていただいて、若干もやった東北北海道の景色を空から堪能。

道北は、アメリカ便の帰り道なんかで空から何度もみているけれど、着陸態勢に入って、雲の下に出て見下ろしてみると、想像以上に人の営みがとぎれとぎれとなる、なかなかの最果っぷり。

R0010004.JPG

R0010010.jpg

R0010014.JPG


R0010015.JPG

R0010016.JPG

R0010018.JPG

R0010019.JPG

R0010024.JPG

R0010025.jpg

旅の始まりと、今日の夕方歩いているであろう景色を空から見下ろし、到着するというのは、なかなかテンションが上がる。

R0010028.JPG

R0010032.jpg

ターミナルを出た北海道の空気は、思いのほか柔らかく温か。初めて北海道に降り立ったのは、高校の修学旅行で訪れた釧路で、東京との温度差に驚いたあの感じはない。でも、とりあえず5日間くらいは仕事を忘れ、旅に突っ込んでゆく「さあ、行こうぜ!」なテンション。

R0010034.JPG

飛行機で降り立ったけれど、気持ちと心は、アドレナリンでフライハイ!

そんなフライト。

お遍路記、SDカード紛失のため、一時休止!


5月3日 霊山寺。

お遍路記、SDカード紛失のため、一時休止!

人生即遍路

ならば、

撮りためたお遍路の景色が残った大事なSDカードを失って、

完全停止思考不能鬱寸前愚惰愚惰状態

になったのも、現在の自分の状況もまた人生。

お遍路自体は無事終わっているのですが、旅のブログアップデートは途中でつまずいてしまいました。。

失った画像の分も、気合いを入れて文章を書かなければなりません。気合いを入れ直し、捲土重来し、必ずお遍路後半戦のアップデートを行いますので、しばらくお時間ください!



JL 922 OKA-HND

JL 922 OKA-HND

最終便の登場予定だったのだけれど、沖縄での予定が早まったので、便を早め、スタンバイで帰りたい旨をカウンターに伝える。マイル発券ながら、台風の影響で便を早めたい。。という理由をつけ、フレキシブルに対応してくださる。無事、早めのフライトに滑り込み、フライトが早まった。JL922便に搭乗したはずなのだけど、もしかしたらJL924便かも。ボーデングパスなんかをとっておかなかったので明確でない。。。

フライトアテンダントのお姉さんがふくよかで、棟方志功の板画から抜け出てきたのかと思った。ふぅ。


四国遍路 Shikoku Henro Day-19

DSC01513.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-19

柏坂

5時半起床、6時過ぎに出発。

DSC01459.JPG

ローソン愛南町平城西店で、朝の6時27分に買い物したレシートを確認すると、

セレクト チョコチップスナック8ポンイリ 138
セレクト ウーロンチャ          103
カゴメヤサイイチニチコレイッポン 200  108
手巻 シーマヨ (増量)           105

合計              ¥454

とある。

お遍路中は、荷物の重量を増やさず、体が重くならない程度の食事を自ずと選ぶようになり、荷物を担いで歩いている日中の買い物は、いつもこの程度。

小さな紙切れながら、コンビニのレシートにはなかなかの情報がインプットされていて、撮影した画像などと併用すると、旅を振り返り、ブログをまとめたりするのに重宝する。

DSC01462.JPG

あ、そういえば愛媛県に入ってしまったので、スリーエフ高知のありがたい「お茶のお接待」がなくなるなぁ。

四十番札所、観自在寺から四十一番札所、龍光寺までは、約50キロ。

地図を見る限りでは、柏坂の峠道、松尾トンネルの迂回峠が、難所といった様子で、40キロくらい先の宇和島市まで、辿り着けるかつけないか?といった所。途中25キロちょいくらいの津島で一泊するお遍路さんも多いそうだ。

DSC01465.JPG

DSC01467.JPG

DSC01475.JPG

さて、国道56号線をひた歩く。56号線は、海に迫る小山を避けるように伸びていて、傾斜地には柑橘系の段々畑。目指す峠は「あれか!」「いや、こいつか!」「ぬ!なかなか!」なんて思いながら歩くけれど、なかなか国道をそれ、柏坂に導く道標が現れない。

8時、ようやく旧御荘(みしょう)町を抜け、旧内海(うちうみ)村に入る。

海岸沿いの気持ちよい道になっていたのだけれど、内海の集落に近づくと、山が眼前に立ちはだかるようになる。「よし、あの山だな。」と気合いを入れ直していると、後ろに大きめのザックのオジサン。

語り口から、これは。。と思ったけれどやはり!茨城の方。

お話しすると、縦走にウルトラマラソン、トレイルランニングまで何でもこい!の健脚定年遍路さん、歩幅は短いのだけど、リズムがよくヒョイヒョイと進んでゆき、いかにも山慣れしてるといった方。そんなオジサンに、「早いですねぇ!」なんて言われ、ちょっと誇らしい気分になる。早く歩くのがいい事ばかりではないのだけれど。

歩き遍路で、一番ボリュームのある世代は、オジサンのような、定年後の60代男性な気がする。そして、その60代男性は、定年後に思い立ったゆったり歩きな方が半分と、もとから山好きの、ストイック(良い意味で)な方が60代男性の半分に別けられるような気がする。

山登り派は、貧乏歩き旅行などする必要などないのに、野宿で歩き続けたり何かを自分に課し、それを貫いて歩いてる人が多い。

今日は、震災で中断していたお遍路を再開して1日目、とのことで、いきなり御荘の橋の下でビバークしたらしい。1泊目が橋の下か。。。。

そのオジサンと、内海の集落に入り、56号を右にそれ、柏坂に向かう。

DSC01486.JPG

少し休憩する、あとで追いつくよ!というオジサンとしばしお別れし、お先に!と柏坂の遍路道に入る。

柏坂は、四国の山が愛南町内海と宇和島市津島の間、海までのびる四国の山がほんのり鞍部気味になっている所を越える道。峠の標高は、460メートル。海抜ゼロメートル付近から、見上げるような急傾斜を一気に登るようななかなか手強い峠。

DSC01489.JPG

DSC01497.JPG

昨日の松尾峠以上に、汗が吹き出るけれど、ここまで歩いてきたお遍路さんは、このキツさが快感になるはず。

午前9時前、柳水大師到着。

その名の通り、清水が涌いていて美味しく、ごくごく注入して小休止。オジサンが登ってくるまで待ち、言葉を交わし入れ違いに出発。

午前9時半、峠越え。ゆっくり目に歩き、しばらくしてからオジサンと一緒になる。オジサンと一緒になってからの下りはギアを二つくらい上げ、スピードアップ。

国道沿いの歩道をトップスピードで歩いても、バシバシと自転車や車に追い抜かれ、少々むなしくなることがあるけれど、山道で調子があがって歩く時の感覚は何か特別で、国道沿いの歩道を歩くのとは天と地程の差がある。

コーヒーゼリーにスプーンを入れるように、空気の壁を自らの力で突き破ってゆくような快感に包まれる。上がり気味のテンションに、軽妙な茨城弁トークがのっかり、気持ちよい。時々姿を現す由良半島と宇和海の景色、これがまた心を洗う。

DSC01505.JPG

DSC01510.JPG

柏坂を下り、津島町の上畑地の集落で田植え中の方とお話しし、

「このあたりは、お盆には刈ってしまうんよ。」

なんて言われる。

9月の残暑が厳しい頃、「新米」のシールが貼られた米袋を見ると、高知産だったり、愛媛産だったりするなぁ。9月になったら、このオジサンの顔や、四国の景色を思い浮かべながら新米を食べよう。あ、9月にもう一度来るか?

DSC01516.JPG

柏坂を下りきり、芳原川沿いの遍路道を行き、公民館前で一時休憩していると、地元の方がジュース代にとお接待。

12時、芳原川と岩松側が合流する津島の集落の外れに辿り着く。

火事があったのか、救急車や消防車が出動してゆくのとすれ違う。合併で大きくなった宇和島市だけれど、ついに宇和島に入った。けれど、午前中は頑張ってくれた天気が津島の集落に入ったあたりで怪しくなり、ポツポツと何やら落ちて来る。ららら、また雨か。

DSC01520.JPG

一旦、オジサンとお別れし、津島のコインランドリーを利用しようと思ったけれど、そのままやすらぎの里という、松尾トンネル前の道の駅と日帰り温泉などが一緒になった施設を目指す事にし、12時半到着。

12時半で、歩行距離はだいたい28キロといったところ。オジサンに引っ張られるかたちで、気持ちよく距離を稼げたなぁ。

2日ぶりな風呂にじっくり浸かり、食堂に顔を出すとオジサン。今日は松尾トンネルを越え、宇和島市街に入る前の公園でビバークとの事。松尾トンネルは抜けますか、それとも遍路道?と尋ねると、

「遍路道でいきたいねぇ」

とのこと。それそれ!いいねオジサン!

DSC01524.JPG

DSC01525.JPG

タップリ休憩したけれど、雨が止む気配も弱まる兆候も無い。ぬぅ、出発だ。カビ臭くなったポンチョを羽織り本日二つ目の峠に向かう。

ま、峠とはいえ、柏坂の460メートルに比べれば、小山程度。こちらも柏坂同様、地元の方が遍路道を整備してくれているのか、歩きやすい。雨水を集めた道がちょっとした川になっていたけれど。

DSC01528.JPG

峠越えのトンネル迂回路が再び国道56号に合流し、しばらくすると、番城という気になる地名。昔は宇和島の出城か、番所や木戸でもあったのかしらん。この地名を抜けるあたりから、道沿いの店舗や家々がぐっと密になり、名実共に宇和島に入った感じがする。

午後7時、40キロ程歩いたあたりの、宇和島警察署脇のJoyfulで休憩。向かいのスーパーの駐車場脇で寝られるかなぁなんて考えるが、目の前が警察署なんだよなぁ。

Joyfulを出発し、近くのコインランドリーでいったん素っ裸になったりして洗濯をし、洗濯機が回っている時間に大村益次郎が宇和島藩に抱えられていた頃の住居跡地を尋ね、尋ねがてら寝床を探すが人の生活が密になりすぎてビバークには厳しそう。

DSC01534.JPG

結局、再び歩き出し、道の駅さきいや広場の野外ホール脇にテント設営。

時刻は午後10時。駐車場には、夜明かし中の長距離トラックや、キャンピングカーなどが泊まっている。歩き遍路は好きでやっているし、歩き遍路には、夜明かし場所探しに苦労する事も含まれている。けれど、雨に濡れて、場所探しにすり減らされる今日みたいな夜は、キャンピングカーで旅する人が少し羨ましくなる。茨城のオジサンはうまく寝床を見つけられたかなぁ。。





四国遍路 Shikoku Henro Day-19

歩行距離 / 約42.15Km    観自在寺通夜堂 〜 宇和島道の駅きさいや広場
お寺 / 

お遍路旅の詳細はあらためて。。。

NH 135 HND-OKA

NH 135 HND-OKA

このフライトで那覇に到着。

翌日、調子に泡盛を飲んでカチャーシー♪♪♪

記憶喪失。乗って鞄ごといろんな物を失いました。

四国遍路 Shikoku Henro Day-18

DSC01391.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-18

土佐の旅が終わってしまって寂しかったとさ

早朝の撤収。

担ぐ必要の無い荷物を段ボールに放り込み、市営キャンプ場最寄りのコンビニから松山中央局に送付する。

具同から平田まではと土佐くろしお鉄道宿毛線で戻り、平田駅から午前8時半、歩き始める。

DSC01341.JPG

DSC01349.JPG

少し道を間違えるものの、三十九番札所、延光寺にほどなく辿り着く。ここでも、クロアチア人男性とまた会う。今日は、好きな魚釣りをアドリア海で。。の写真と、獲物の写真なんかを見せてくれた。かくいう自分は、東村山の写真やら、海外の釣りの写真をiPhone経由で披露する。

三十九番札所、これにて土佐の16の札所を打ち終えたことになる。

DSC01353.JPG

DSC01354.JPG

DSC01361.JPG

札所を打ち終えるとともに、1200キロとも1300キロとも言われるお遍路の道の中間地点はこの辺り。ふぅ、一区切り付いた。よく歩いたけれど、体に問題が無い事、支えてくれた色んなものに感謝だ。

あとは宿毛市外を抜け、遍路道経由で峠を越え、伊予愛媛に入るのみ。時間も読める。。。なんて思っていると、なんだか急に雲行きが怪しくなり、準備する間もなく、ポツンポツンと降り始める。

アルゼンチン系ブラジル人のひげ面お遍路さんと、宿毛市街に入ったあたりで一緒になり、

「このあとの天気はどうなるかね?」

「天気予報では、雨は明日からだって言ってたから。」

「おっし!頑張っていこう!バモスバモス!」

なんて会話をしながら少し歩いたのに、彼と別れて数ブロックのところで、土砂降り。

テンションを最高潮にして、その勢いで峠に突っ込んでいこうとした矢先の雨。ぬぅう。まさに水を差すとはこの事だなぁ。

DSC01368.JPG

雨脚が弱まらないので、完全雨装備にして再出発。56号沿いのローソンで、行動食を少し購入し「貝塚」なる地名の集落から宿毛市街を離れ、遍路道に入ってゆく。

四国の西岸、特に足摺岬から佐多岬までは、ぎざぎざのリアス式海岸が続き、入り江に町が点在している。

現在は海沿いに道も走っているけれど、昔は海岸沿いに道を通すのが厳しかったり、遠回りだったこともあってか、最短距離はこちらの峠道!とばかり、峠を越えては入り江の町、峠を越えては湾奥の町といった歩き遍路道が続く。

四国西岸の峠道なのだけれど、山深さや急傾斜が敬遠されたのか、旧街道が拡幅されてアスファルトの道となり。。。といったお決まりの歴史をたどっていない。現在の国道は、峠を迂回して海岸に出たり、トンネルが通ったりしており、脇道というポジションに追いやられ歩行者専用の遍路道となっているものの、峠道自体は、地元の方の整備などに支えられ、未舗装な昔のままの姿を残しているところが多い。

峠道!、歩き遍路にしか越えられないお遍路最大の魅力!

と言いたい所だが、無限峠シークエンスの一峠目、松尾峠。

この峠がいきなりキツい。ザックにくっつけたテントが重い重い。

松尾峠は、海抜300メートル程度の標高なのだけれど、最後の100メートルのつづらの上りは、立ちはだかるように行く手を阻んでいた。こういったときは、子供の頃からの友人やクラスメイトなんかの顔を思い浮かべたり、自分のザックより遥かに重い荷物を担ぎ、伊予と土佐の間を当たり前のように往来した昔の旅人に思いを馳せ、少しずつ力をもらって登る。

「うおおおりゃぁ!」と、上がらぬ腿に「独り喝!」を入れながら。

DSC01369.JPG

DSC01370.JPG

DSC01372.JPG

DSC01373.JPG


午後1時過ぎ、松尾峠。

自分が登ってきた方角に、「従是東土佐國」の標石。

これから進む方角に、「従是西伊豫國宇和島藩支配地」

うっっしゃああ!伊予!愛媛県!に入った!歩き通す事をあきらめる気は、さらさらなかったけれど、先輩お遍路に、

「土佐を歩き通した遍路は、もう大丈夫。八十八番まで行けるよ!」

と散々聞いていたので、緊張感を切らさずに愛媛を目指し、頑張ってきた。そして辿り着いた。

今まで歩いた距離と同じ距離を、もう一度、歩ききる事ができるかどうか?とふと思い浮かべる。

Oh Yeah! 大丈夫。

同じ道をもっと厳しい条件を課して歩いたお遍路さんはいくらでもいる。この先の道中にいくつか難所はある。でも人が乗り越えてきたからこそ、「道中の難所」と名付けられるんだ。。なんて思う。

テンションが上がりすぎて、山中でガッツポーズして大声を出し、雨もやんだのでポンチョを脱ぎ捨て、荷物を放り出して走り出す。

DSC01376.JPG

松尾峠からほどない、藤原純友が築いた住友城を見物にゆく。

中世、いや平安中期だから古代の城。ささやかな土塁しか残っていなかったのは想定内。けれど、この城跡には、物見櫓ならぬ展望台が設置されており、宿毛湾と沖に点在する島々を見渡せる。おお、美しい。

DSC01383.JPG

DSC01387.JPG

さらば土佐!

愛媛県に入ると、道がなだらかになり、きっちり整備された歩道になる。

松尾峠を下って一本松の集落に出ると、空気が湿り気を帯びず、からっとしてる。なんと!今日は朝から一粒も雨は降っていないとの事。要所要所で天気には見放され、長かった土佐が、峠を越えた以上に、遥か彼方に遠のいてしまったような感覚になる。土佐では歩きに集中し過ぎ、旨い地の物を食べなかった。グッスン。少し寂しい。

DSC01413.JPG

DSC01416.JPG

DSC01419.JPG

そんな気持ちで、感じるポイント少なめな、国道56号沿いを愛南町目指して歩く。四十番札所、観自在寺に、16時到着。境内で、これまでに何度かすれ違った山ちゃんと、3日目の焼山寺アタック前、鴨の湯泊以来の真言宗のお坊さんとタイミングが一緒になる。土佐を歩き通した日焼けしたお遍路さんの顔は、どこか自信に満ちて力強い。皆さんは自分の表情から何を読み取るのだろう。

納経を済ませ、通夜堂をお借りするため、住所などを帳面に書き付ける。

DSC01424.JPG

日没まで時間があるので、城辺の町の由来?にもなった常磐城を見物し、たらたらと歩き、なんとなくファミリーレストランJoyfulに入店。

お遍路さんの中には、愛媛の女性を絶賛して、高知の女性をけちょんけちょんに評価する人がいるけれど、どうだろう。評価する以前に、高知を歩いている間、あんまり土地の女性と喋らなかったからなぁ。

でも、言われてみれば、店のお客さんも店員さんもどことなく。。。なんて感じたのも束の間、

DSC01457.JPG

隣の席の男女の高校生が、胸が大きくなったならないの話を始める。

なんだなんだ?   ん?   なんだなんだ?

観自在寺に戻ると、通夜堂には、岩手から来たという、曹洞宗のお坊さん。バックパックは有名なアウトドアブランドのものだけれど、他の装備は、錫杖から袈裟、足袋に至るまで完全なお坊さん姿。

暑さにはまだ耐えられるのですが、アスファルトの下りが、足袋だと非常に辛く、そこでスピードが落ちてしまい、一日の歩行距離が、どうしても25キロから30キロくらいになってしまう。

なんてことを話す。

雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズに歩いてきたけれど、今夜もまた、気合いが入ったお遍路さんにお会いでき、これからの遍路道で、難所に向かい合った時、

「観自在寺でお会いした曹洞宗のお坊さんだって。。。」

と思い、どこかを歩いているこのお坊さんに支えられ、難所を越えてゆけるのだろう。。。なんつって。。。。

実家から持ってきた青汁の粉末を毎日飲んでいるからか、なんだか話が青臭い。

課すものが大きくなったり、律し過ぎると、感動や楽しみどころか、遍路の目的まで飲み込まれ、

何で歩いてるんだろう?

なんて思ってしまうこともある。でも、一日を振り返って、印象に残るのは、松尾峠の登りと、峠から振り仰いだ景色で、峠からこの観自在寺への道で見たものではない。嗚呼、こんな簡単なことにこの歳になるまで、何で気がつかなかったのか。。女子○生のおっ○いがうんちゃらかんちゃら。。の。。。。

ぶつぶつぶつ。。。




四国遍路 Shikoku Henro Day-18

歩行距離 / 約33.29Km    くろしお鉄道平田駅 〜 観自在寺通夜堂
お寺 / 39,40  延光寺 観自在寺

お遍路旅の詳細はあらためて。。。

| 1/2PAGES | >>