沼津 / Numadu
沼津 / Numadu
久方ぶりに、母親の実家で年を越すことになり、成田基地ではサラッとシャワーを浴びただけで、東京にも立ち寄らず、沼津に向かった。
本屋に立ち寄ったりしながら向かっているうちに、沼津港の夕暮れ時は過ぎてしまう。
身を切るような冷たい風に吹かれ、ジャケットの背中を丸めながら歩く。
生臭い通りにトラックが連なり、フォークリフトや台車が行き交い、コンクリートの溝にはどこかからこぼれ落ちた小魚の切れ端が挟まっていて、何も入っていないプラスチックの大樽に、太いホースから水が注がれ、溢れるがままになっている。ベルトコンベアで漁船から水揚げされ磨き上げられたような弾丸のような鰹。背後はごちゃっとした食堂と仲買人達の店店店店。ああ、この岸壁で、うなぎねらいの夜釣りをして、でかいゴンズイしか釣れなかったことがあったなぁ。。。
大きく様変わりした景色に加え、年の瀬の年も年の瀬、大晦日の夕暮れ時。自分の沼津港のイメージが、夏の騒々しい景色で彩られている為、なんだか孤愁にかられてしまう。
飽きもせず、釣れない釣りをした狩野川河口の突堤も、雰囲気は残っているけれど、防潮ゲートや冷凍倉庫の新設なんかで感じが変わっている。ああああああ、オッサンになったなぁ。
狩野川の河口に立つと南に迫り上がる青黒い山々が、伊豆の山塊だということ、空気が澄んだこういった日暮れ時に浮かび上がる北東の山が箱根山であること、遥か彼方まで広がっているように感じた狩野川の突堤の崎は、大瀬崎が立ちはだかり、日本の中心から伸びてきた山並みが落ち込んだ半島が覆い被さった。。。駿河湾の奥の奥であること。。。
が、今では分かる。
様変わりした沼津港と昔の面影、今だから感じること、理解できることなんかを天秤にかけつつ、港大橋を渡り、狩野川堤の遊歩道を歩く。
狩野川堤から、今では親戚の家になった母の実家までは、二ブロック程距離があり、遊歩道からはしごのような角度の階段を下りるのだけれど、対岸の景色と古い記憶とが旨くシンクロしなかったのか、降りてしばらく歩いても、お目当ての母の実家が現れない。
が、なんだか見覚えのある光景。
そういえば、子供の頃も、堤から下りる階段を間違えて、ここでキョトン?とし、少しジグザグに歩いて母の実家に向かったな。。。と思い起こし、歩き出した。
- 2012.12.31 Monday
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- 19:12
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- by 運び屋