calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2013 >>

categories

archives

メールとTwitterアカウント

courier_jpn☆hotmail.co.jp

☆を@に変えて!



Twitterアカウントはcourier_JPN

NH 782 CTS-FSZ

s写真.jpg


NH 782 CTS-FSZ

北海道では霙になっていた雪が、南野東北の豪雪地帯では大雪になったようで、雲間から除く日本海側の東北は真っ白。富士山の眺めを期待して、左側窓際に陣取ったけれど、分厚い雲が、富士の裾野から頂上までを覆ってしまっているようで、雲海の上からも、着陸寸前の駿河湾からも、富士の姿を拝めることができなかった。

母が田の実家が静岡県なので、この空港をなんとか利用できないものかといろいろ考えた時期があったけれど、思い倦ねるようなアクセスの悪さと、東京からの中途半端な距離で結局は利用する機会に恵まれなかった。。。

実際訪れて、感じたのも「何の為に。。。」なモヤモヤとした感情。富士山を隠してしまった天気同様、この空港が本当に必要だったのか?という問いがあれば、必要なかったと思う。

ただ、今日のような札幌と静岡県を合わせ技にしてしまう旅のルートなんていうのは、東京や京都を経験済な、海外からのお客さんなんかには売り込めるかもしれない。

そういえば、静岡空港は札幌以外に那覇や福岡とも結ばれていたっけ。

s601639_10202703052241435_1989911147_n.jpg

島田のお茶をズズズとやりながら、作ってしまった箱ものをどうやって。。。なんて考えながらJR島田駅にバス(500円)。そろそそ40だけれど、そこから青春18切符でのんびり東京に向かった。

札幌 / Sapporo

s東急inn札幌.jpg

札幌 / Sapporo

インターネットはもちろん、海外に行ったことすら無く、将来は「運び屋さん」なんていうニックネームで阿呆な旅人やるなんて、微塵にも予測できなかった高校二年生。

そんな若かりし頃の自分が、YA YA YA なんて言って初めて北海道に降り立ったのは、 昭和の中にようやく平成なモノの居場所が定まり始めた平成2年の初夏。道東の空港からの観光バスで札幌に辿り着いたのは3日目だったと思う。

sPC164141.jpg

だけれど、修学旅行の記憶は、「楽しかった」だけで、細かいディティールはほとんど思い出せず、思い出と記憶は断片的で薄ぼんやり。

最近ちょくちょく北海道を訪れるようになって、修学旅行で辿ったはずのルートと被る場所も旅したけれど、

四半世紀前の、高校二年生の自分がフッと現れて、

「おい、オッサンの俺!Hなことはしてるのかよ!財布に一万円札は入ってるの?」

なーんて言われるような、ビンビン来るような場所や瞬間、フラッシュバックの経験は残念ながら無かった。

そんな旅の最中に、なんとなく通った記憶のある北海道の風景や町中の画像を「高校の修学旅行で。。。」なんていう言葉を添えてアップデートすると、当時の思い出がコメントされたりしてなかなか面白く、盛り上がっているうちに、FBで繋がっている高校時代の友人のひとりが、なんと、当時の「修学旅行のしおり」の一部をアップデートしてくれた。
 
その中の、手書きコピーの当時の部屋割りをチェックすると、この札幌での宿泊先は、すすきのの近くにある有名老舗チェーンホテル。そのホテルの514号室に僕は同級生と泊まっていたようだ。

よし、機会があったらいつか高校生の俺が泊まった部屋に。。。

s537298_562144040532660_1521480360_n.jpg

なーんて思っていたのだけれど、、

今回の北海道旅で、念願が叶った。
ホテルの名前はほんの少し変わっただけで、「いるか」が「ドルフィン」みたいな大変化はなし。

シーズンオフの平日で宿泊料がリーズナブルだったので、部屋指定をするのは恐縮してしまったのだけれど、予約の段階で伝えていた「高校の修学旅行で514号室云々。。。」なストーリーをバチッと受け止めてくれたようで、チェックイン時に514号室の鍵を渡してくれた。

あっさり。

エレベーターを下りた瞬間に、真っ暗闇の世界が広がっていたりもせず、高校の頃に泊まった部屋の前に立つ。

がちゃん。

ドアをあけると、平板なツインルーム。

修学旅行の札幌以外のホテルが、温泉や観光地系ホテルの布団がダーッとひかれるような和室タイプだったため、どうも修学旅行の宿泊というと、そういった部屋で布団の上で同級生らと馬鹿をした印象が強い。そんなイメージのままだから、「あれ?こんな部屋だったっけ」と首を傾げてしまうだけで、フラッシュバックはおこらず、自分がここにいたことすらもイメージできない。

困惑しつつ、画像をアップして、FB経由で状況を高校の友人らに報告すると

「。。。俺も思い出せない。。」

といったコメントが続く。同世代の脳みその老化度合いが、自分のものと対して変わらないことに安心をしつつ、なんだか面白くないなぁ。。なんて思っていると、友人の一人が

「何これ?すげぇ!俺このホテル泊まって虫に刺されて顔中腫れた思い出あるよ。」

のコメント

「どうやってこの部屋に4人泊まったんだろう?エキストラベッド?いや、そもそも和室布団引きだったのかな?」

とその友人に尋ねると、

s1467227_562144093865988_306030752_n.jpg

s1488187_562144067199324_654694346_n.jpg

「確か倉庫から出してきたようなベッドだったよ。ジャイアンツの選手が北海道遠征の時に宿泊してたらしいから、岡崎が寝てたかも!って興奮して寝たら虫に刺された。」

ぬはは、

おそらく、エキストラベッドを出して、この部屋に4人詰め込むパターンだったんだね。

岡崎やジャイアンツの選手は、エキストラベッドには寝なかっただろうなぁ。。

スポーツ選手で岡崎と言ったら、巨人の岡崎!な人の比率はどれくらいだろう。岡崎は昭和と平成をまたいだプロ野球選手なんだねぇ。。





 

HD 11 HND-CTS

写真.JPG


HD 11 HND-CTS

ユナイテッドの日本国内路線マイル片道発券の必要マイル数が、2014年の2月以降(だったか)にグン!と上がってしまうらしい。ウン万マイルあった残高ももう残り僅か、せっかくだからオモシロルートを取れるうちに。。。と、

HND-CTS-FSZ

羽田発千歳経由静岡行きを発券した。

マイル発券されたANAの航空券は、同日の前倒しスタンバイ搭乗が可能だったはずなので、元々の夕方発夜千歳着便を大幅に大幅に早め、早い便の空席に潜り込んで羽田に飛んでしまうことにする。

sPC164098.jpg

PC164099.JPG

PC164095.JPG

ありがたいことに作戦成功。

一眠りして、目が覚めると、ターミナルのお店が開ききらない時間の千歳。

夜に降雪があったのか、ディアイシングの車両が大活躍している。頑張れ外の人。

UA 853 SFO-NRT

sDSC00053.jpg

UA 853 SFO-NRT

sDSC00054.jpg

sDSC00055.jpg

UA 268 DEN-SFO

sDSC00052.jpg

UA 268 DEN-SFO

UA 6358 IDA-DEN

sDSC00034.jpg

UA 6358 IDA-DEN

チェックインの時点で、遅延が確定。DEN-SFOの便が一便遅れることになる。SFOの乗り継ぎ時間がほぼゼロになってしまった。

sDSC00027.jpg

sDSC00028.jpg

sDSC00031.jpg

sDSC00036.jpg


sDSC00037.jpg


sDSC00039.jpg

sDSC00040.jpg

sDSC00041.jpg

sDSC00042.jpg

sDSC00043.jpg

sDSC00046.jpg

sDSC00049.jpg

 

Montana / モンタナ



Montana / モンタナ

10年近くになる、顔馴染みのモンタナ姐さんが、

「この前言ってたオーガニックビールができたよ、ほいっ!」

と、プレゼントしてくれた。

今回の倉庫整理で、アメリカの在庫はほぼ全て日本に移すことになる。

年末まで、いや来月末くらいまでは気合いを入れて、雨が降ろうが槍が降ろうが、フルパワーで黒岩寅次郎しなければ。



あ、西の空の色合いが、もらったビール缶のデザインに似てるなぁ。

日が暮れたので。。。。

るるるぅ〜 るるるぅ〜 るるるぅ〜
るるるぅ〜

いつかおまえの よろこぶような 偉い兄貴になりたくて

奮闘努力の甲斐も無く

今日も涙の 今日も涙の 日が落ちる 日が落ちる

さーて、頑張りますかぁ!いよーっし!

UA 6538 DEN-IDA



UA 6538 DEN-IDA

アイダホフォールズへの最終便のゲートに向かってしばらくすると、ゲートのエージェントから

「この飛行機の乗員をのせた飛行機が遅れているため、出発時間が遅くなり。。」のアナウンス。

結局、ただでさえ夜中の12時前スケジュールが午前1時着になってしまった。

遅れに合わせて開いていたレンタカーのオバチャンと立ち話すると、寒波の峠は越え、週末に比べればまだ暖かくなったみたい。

だけれど、それでも氷点下18℃。台北との温度差40℃ちょい。

12月上旬でここまで気温が下がった記憶は無いなぁ。

太ももと耳、足先が痛い。

UA 281 LAX-DEN

UA 281 LAX-DEN

機内では、佐々木譲の「カウントダウン」を読了する。

徒歩旅行のなかで、夕張は中心部を通らずに、玄関口の新夕張をかすめただけだったけれど、一気に人口が減ったんだなぁという集落の雰囲気や、旬を少し過ぎてしまったメロン。やたらと飛び跳ねていたトノサマバッタなんかのシーンがフラッシュバックした。

 

BR 2 TPE-LAX

sDSC00004.jpg

BR 2 TPE-LAX

今回は旅の計画をサクサクと決めた上に、台北麺ジュルジュル立寄りのオマケ付き!

なんてすごいんでしょ、私。。

なんてほくそ笑んでいたけれど、週末からアメリカが猛烈な寒波にみまわれ、文字通り怪しい雲行き。

世の中で怖いものと言ったら、地震雷火事オヤジでなく、自身戸締まり菓子、そして

吹雪のドライブ。

峠越えの最中にブリザードに遭った時の恐怖と、氷点下35℃の満州里で耳が凍ってしまった絶望感は、酷いトラウマで、旅の最中に起こったワースト大ピンチ。

それでも元のスケジュールで押し通すという選択も遭ったけれど、来月大台を迎えるいいおじさん。無理を通す年齢じゃない。台北グルメを優先するあまり、予定の倉庫作業や契約更新なんかができず、雪道で事故なんか起こしたらの世間の鶏魯飯モノ、いや噴飯モノ。セーフティーに行きましょう。

ということで、

深夜の台北出発、サンフランシスコで1泊、翌日午後アイダホ到着乗り継ぎ便を

夜の7時過ぎの台北出発、ロスとデンバーで乗り継いで深夜到着便

に変更する。

sDSC00001.jpg

台北ご飯が、アイダホジャンクフードに変わってしまった。

出発当日の朝に変更がさくっとできただけあって、機内はガラガラ。エコノミー最後の区画に座る乗客は、片手で数えられる程しかいなかった。

台北から飛び立って、昼過ぎに通ったルートと同じようなところを飛んでいると、激しい揺れ。冬の日本周辺上空でお馴染みの飛行機の揺れだけれど、コーヒーがズボンにバビバビかかってしまった。

フリーなお仕事ゆえの切迫感というか、焦りみたいなものを常に身に纏っているため、せっかくの機動力というか身軽さといった自分の長所?は、拙速。。につながることがある。

そもそも短い日程なのだから、疲労なども考慮して、細かいことやら「お得」にはこだわらず、最速最安全なルートを今回は選ぶべきだったか。。。。。と、更なる揺れで、飛び上がりそうになるコップや食器を抑えながら、考える。

sDSC00002.jpg

sDSC00003.jpg

揺れが収まって、食器の片付けが済むと、機内の照明が落とされる。アルコールも入っていないのに、エコフラットシートで、グッスリ睡眠できた。到着したLAXは沖止めボーディングブリッジにブロックイン。向かいはFiji Airwaysお隣はキャセイパシフィックだった。

| 1/2PAGES | >>