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UA 892 ICN-SFO

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UA 892 ICN-NRT

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JW 201 NRT-ICN

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JW 201 NRT-ICN

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UA 837 SFO-NRT

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UA 837 SFO-NRT

UA 1047 LAX-SFO

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UA 1047 LAX-SFO

UA 6465 SLC-LAX

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UA 6465 SLC-LAX

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UA 6470 LAX-SLC

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UA 6470 LAX-SLC

8時間の乗り換え時間にうんざりして、心がしなしな。砂漠の上の無いとフライトで、うとうとしながら見下ろした下界に、ラスベガスが見える。パソコンでぼんやり音楽を聴いていたら、到着前。客室乗務員さんに「パソコンしまって!」と言われちゃう。

UA 364 SFO-LAX

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UA 364 SFO-LAX

記憶無し!うぎゃ!

UA 872 TPE-SFO

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UA 872 TPE-SFO

搭乗率は7割くらい。

以前に比べて、ずいぶん充実して来たエコノミークラスの機内エンターテイメントを楽しんで過ごす。最近のUA利用の渡米続きで、既に鑑賞したものも沢山あるのだけれど、そんな乗客をモノともし無い充実っぷりだ。

ただ、悲しいかな、せっかくの充実のラインナップにも関わらず、自分のヒアリング能力が落ちている為、ドラマの内容は把握できないし、勧善懲悪もののアクション映画は、まさにアクションそれだけを追っかけているだけ。嗚呼情けない。

。。。そういえば、充実して来た映画ラインナップの対訳の優先度で、日本語が中国語や韓国語の後塵を拝しているような印象を受ける。いや、印象じゃない。現実だと思う。

合併や路線網の再編成を経たユナイテッドにとって、以前より日本/成田の重要性は薄れてしまっているのは確実だけれど、こういったささやかなところで、立ち位置の低下というリアルを突きつけられたような感じがする。

かくいう自分の運び屋仕事も、今まで通りのやり方が通用しなくなってきている今日この頃。今回の旅も、時代に取り残されないよう、今まで通りじゃ茹でガエルになっちまう業務を見直すようなお仕事旅。やれやれ、大変な時代だ。

早めの到着だった為、税関が開くまでジェットブリッジが飛行機につけられるのが保留されるが、機内待機は約10分。入国審査その他もあっという間だった。

 

台南府城 / Tainan City Wall

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台南府城 / Tainan City Wall



場所

オランダを下した鄭軍が清朝に下り、清朝の領土となった台湾島には台湾府が設立されたが、当時の台湾島の中心であった現在の台南がその地となった。けれど、都市囲郭をもたなかった為、朱一貴の乱などで、易々と台湾府は落とされてしまったため、清朝は台湾府を守る「城/都市囲郭」の建設に着手する。第一段階として、台湾府とその町を木材や竹を用いた囲いと門で固める都市囲郭を築き、乾隆帝の1788年に土づくりの都市囲郭を完成させた。これらの囲郭は、それぞれ「木柵」「土城」と呼ばれた。

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清朝の施政下に置かれても長いこと、台湾島のほとんどはフロンティアであり、台湾ネイティヴとの衝突の歴史が長く、台湾各地の漢人は、襲撃に備え「木柵」や「土城」で集落を守っていたようで、古地図には、おもちゃのように描かれた集落が、きっちり「木柵」や「土城」で囲われているものを見ることが出来、台湾の地下鉄にはそういった由来からくる地名が今も多く残り、台湾のMRTには、「木柵駅」も「土城駅」が存在する。

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ついでに言うと、「土城駅」は、釜山や天津にもある。

台南府城の城壁は総延長8873メートルと、長大で、現在の台南の主要部もきっちり内包するなかなかの規模。現在の皇居一周コースが約5キロというから、その城壁と台南府城の規模がなかなかのものだったのは納得いただけるかもしれない。

その城壁は日本統治時代の都市計画により撤去されてしまったが、一部の城門が残っている。

台北の城壁跡がほぼ完全な形の環状線になっているのとは違い、台南府城の城壁は、もともといびつな形をしていたため、そのまま環状線に出来なかったのか、往時の城壁跡が分かりやすく現在の主要道路になってたどることができるのは、西門路くらいとなっている。

今回は、いくつか保存されている城門のうちで、保存状態の良さそうな大南門を訪れたが、この日本の枡形/馬出しに相当する、大南門の甕城の遺構は、休園日?の為に見ることが出来なかった。

ゼーランジャ城/熱蘭遮城/安平古堡/Fort Zeelandia

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ゼーランジャ城/熱蘭遮城/安平古堡/Fort Zeelandia

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場所

ゼーランジャ城は、安平湾の入り口の岬に築かれたオランダの要塞。当時、台湾島随一の錨地であった安平湾につづく水道を城の大砲の射程内にすることで、オランダ以外の船から通行税をぶん取る関所のような役割を果たし、城は台湾防衛の要であると同時に、台湾経営の要でもあったようだ。

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現在、安平古堡とも呼ばれる城の周囲の干拓や埋め立てが進み、現在の海岸線は遥か彼方になってしまっている上、老朽化や、観光地化による城の改編で、ピラミッドのような佇まいになってしまっていた。台湾の歴史を語る上で、外すことの出来ない一級品の史跡に敬意を払いたいのだけれど、城馬鹿な自分からすると、要塞の「遺構」としてはなんとも冴えない感じを受ける。

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城の歴史をおさらいするべく、併設された資料館に入ると、白い帽子をかぶった大陸の回族の方達が台湾人のガイドさんに説明を受けていた。

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