武雄 / Takeo
基本的な技術すら学ばず、ろくに扱えもしないFM2を片手に、学生時代に旅をしていました。
20年前のカンボジアは、日本の自衛隊が主導するPKOが地ならしをしたとはいえ、新カンボジアは、政府組織から国民意識に至まで、何から何まで始まったばかり。まだまだジャングルにポルポトの残党や残党崩れがいると言われていて、プノンペンからシエムリアップまでは、トンレサップルートの船便か、飛行機でしかアクセスできない、カンボジア全土に新生カンボジアが染み渡っていない状態でした。
ピリピリとした空気、混沌、それでも何かが始まろうとしている有象無象が何から何まで刺激的なカンボジアは、「戦場カメラマンになる!」なんて嘯いていた自分を毎分毎秒、刺激してくれたのでした。そんな1日(市内をバイタクでぐるぐる回った程度。。)を終えて安宿に戻ったあとは、プロペラファンの回るベッドの上でカメラをいじり、悦に入っていたのでした。
要するに、自意識超過剰だったのです。
戦場カメラマンの一ノ瀬泰造さんの本や、石川文洋さんの分厚い朝日文庫の著作を、プノンペンに持ち込んで、キャピトルホテルの1Fで蠅にたかられつつ読んでいただけで、「何か」をしていた気分に浸れていた、あの頃の青臭さが懐かしい。
そんな思い出に耽っても、気恥ずかしさなんてものすらなくなるいいオッサンになってしまいましたが、そんな学生の頃に慕っていた一ノ瀬泰造さんのお墓にお参りしてきました。
結局サラリーマン様になってどんどん社会に漂白され、卒業後の20代はろくに旅もしないまま過ごし、カメラなんか手にすらしませんけど、妥協して選んだ世界も、なかなか厳しい世界だったんすよ。
「とったとられた」の丁々発止をライバル会社と繰り返し、業界の中で、傷つけ合い、上司や部下には誤爆され、生きてる意義に自問自答して鬱になったり。。。。。と、現代の戦場でしたよ。。
なんて思いながら、お墓に手を会わせてきました。
同業者の死屍累々を乗り越えながら、何とかやれている、引き続き命がけじゃないけれど、生き馬の目を抜くフリーランスワールドで、もうしばらく頑張ることをお伝えしました。
ブログを書くことは「戦場カメラマンになりたい」という果たせなかった(まあ、本気じゃなかったんでしょう。。)思いを、ほんの少しだけ代償してくれた上、フワフワな自分を、世の中につなぎ止めてくれていた大事なもの、最近は内容も更新の頻度も酷い物ですが、旅に絡んでいるうちは、続けていこうと思ってます。