正月四日
お正月の四日、新荘にある妻の父方の実家を訪ねた。
義父のお母さんは健在で、妻にとってはお婆ちゃんの家なのだけれど、お婆ちゃんに預けられていた時期のある(両親の実家に一時期子供を預けるのは、共働きが主流の台湾では一般的)妻にとっては、ちょっとした里帰りな感じかもしれない。
祖母に会うのは、今回が二回目で、1度目は祖母を囲む会が開かれた去年の母の日。子宝に恵まれた祖母のお腹から広がった一族が(まさに)一堂に会し、宴会場の大きな卓が子や孫にいくつも囲まれた母の日だったのだけれど、その時に初顔合わせだった自分を、おばあちゃんは笑顔で招き入れ、「おめでとうございます、ありがとう」と日本語で言ってくださり、70年以上前の日本人教師の名を教えてくれた。
現在の新北市にある新荘の国民学校を卒業した祖母は、日本の統治時代(もしくは植民地時代)を経験し、日本以上に激動であった台湾の現代史の中で子を残し、今は孫やひ孫に囲まれながら穏やかに暮らしている。話したいこと、尋ねしたいことが山ほどあるのだけれど、今までの不勉強がたたってどうにもならないのがもどかしい。妻を介して祖母にいろいろ尋ねたいと思っても、妻が台湾語が喋られなくなってしまって(子供の頃は普通に話していた)いる。そう、そして祖母は祖母で、台湾華語をあまり話さないのだ。
台湾のこういった複雑な事情に加え、僕のような新参者が紛れたこともあって、台湾のとある街のとある家のちょっとした里帰りなのに、話される言葉が入り乱れ、面白い。
まず、祖母の話す台湾語を妻や姉夫婦は現在ではあまり理解することができない為、要所要所は義父が訳して僕には英語で伝えてくれる。台湾華語の理解がまだまだな自分のために、姉夫婦は、英語や日本語を交えて会話してくれる。「なんで、そんなことしたの?」と祖母に一蹴されてしまった僕の旅遍歴の話になったときは、移住先のカナダのモントリオールから帰省していたお孫さんから、フランス語で声をかけられ、みんなで祖母を囲んで写真を撮ろう!ということになった時、お願いしたのは、インドネシア人のお手伝いの方。「テレマカシ」に「サマサマ」が返ってきた。
旅先のどこかでのお祝いや、集まりごとにお呼ばれして借りた猫のように、ちょこんと座って傍観を決め込み、その雰囲気だけでも楽しんえきたけれど、こういったせっかくの特別な場所で、英語(たいしたレベルじゃないけれど)しか使えないのは、悲しい。ただただ悲しい。このままではいけない。
夜は妻の実家近くのレストランで食事をご馳走になる。ご馳走再来。うまいものばっかり。。このままじゃいかん。。という気持ちがより強まる。