Bluff Fort
場所
アーチーズに向かう途中で、道路脇のモーテルが潰れてたり潰れていなかったりする町というより、集落を通り過ぎる。アメリカを旅していると、「Fort」を冠する村名や町名に時々出くわすが、モニュメントバレーとアーチーズの道すがらのBluffの町に「Fort Bluff」なる看板を発見した。道沿いの城址だか施設のようなので、迷わず減速し、看板を辿って、開拓時代の建物がひとかたまりになっている施設の前で停車する。開拓時代のオーク材でドスドスと差し連ねた壁のような開拓時代系城跡は見当たらない。はて、どうしたものやら。。
こちらが声をかける前に声をかけてきたオジさんは、どうやらこの「Fort Bluff」なる施設の整備をしている方なようで、「その博物館でここの歴史がわかるビデオがあるからさ、見ていきなよ。タダだし。」といいながら、開拓時代スタイルの建物を指差す。どうやら博物館のようだ。
博物館に入ると、今度は開拓時代の女性の身なりをした方がいる。
日本でいう民芸館と土産物屋さんが合わさったような屋内には、開拓時代のアイコンである幌馬車なんかが展示され、そういった部屋を巡りながらビデオを見るという仕組み。
内容は、西部開拓時代にアイオワからユタのsalt lakeに流れ、そこから開拓精神と宗教的使命感で新たなる土地を目指す数家族が、約束の地を見ざして、荒野をさまよい、たどり着いたというか、疲れ果て、ここでいいだろう。。という気分でこの土地に根付いたよ。というもの。クリスチャンソングが存分に織り込まれ、女性がミッショナリーの方がつける名札を胸につけていたり、
「ああ、日本からいらしたの。私の息子も沖縄に行っていたわ。」
「あ、息子さんは兵隊さんですか。」
「いいえ、ミッションで。。」
という会話があったりすることからもわかるように、モルモン教の純度が非常に高い映像だし、施設もそちらによったものだった。
こういった土地で暮らすことを決意したのも、住み続けてゴーストタウンになっていないのも、理念や信心に裏打ちされた強さ、しぶとさがもたらすものなのだろうなんて思いながら施設を後にする。施設の中で、なぜ「Fort Bluff」なのかという問いに答えてくれる資料は見当たらなかった。
帰りぎわに、施設の整備をしているおじさんに
「ここには城郭遺構的(Fortification System)なものが見当たらないけれど、どこかにありますか?」
と尋ねると、
「ああ、残っていないよ」
との答え。
「それじゃあ、なんで『Fort Bluff』と名付けたんですか?」
「ああ、開拓当初は、各家族の丸太小屋を垣根で連結させ、壁を作っていたんだ。ただ、インディアン対策というより、狼やらの動物よけの意味が強かったようだよ。」
とのことだった。あとでホームページなんかで調べてみると、彼の言ったことをなぞるようなことが書かれていた。外敵への対応という意味より、大自然からの結界のような役割で、開拓者家族たちが寄り添い支えあうような集落が、Fortになったようだ。