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ゲアン要塞 / ヴィン要塞 / Nghe An Ancient Citadel / Vin Citadel

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ゲアン要塞 / ヴィン要塞 / Nghe An Ancient Citadel / Vin Citadel

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場所

長時間外で城見物できるような天気ではなかったし、タインホア要塞が残念な感じだったので、GoogleMapの見た目に堀が宅地に押しつぶされているような面構えのこの要塞は正直ノーマーク。バスの乗り継ぎ時間にうまく見られれば良いや!程度だった。。。。。のだけど、どうしてどうして、なかなかのお城だった。

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東門近くの堀

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東の門。おそらく修復

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前門

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東門近くの堀

修復されているのだろうけど、三つをバイタクで見て回ることができ大満足。公園としての整備なのか、堀の浚渫なんかが行われており、しばらくしたらタインホア要塞のように、ゆったりお堀端を歩きながら、往時に思いをはせることができるかもしれません。

この要塞は、後から調べると、ネットにもそれなりに情報が載っており、

お城が建設されたのは嘉隆帝/Gia Long阮朝によるベトナム統一(1802)から間もない1804年で、当初は土塁(版築かな)で築かれた簡単なものだったようだ。明命帝/Minh Mang期(1831〜)にフランスのヴォヴァーンのスタイルを導入し、現在の六角形プラス稜方式にがっつり改変され、嗣徳帝/Tu Duc,1847年 - 1883年の時代に城壁は0.8メートル上積みされたとのこと。

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前門/Tien Mon。中国語だと前門はQian Men。やっぱり近いねぇ。なんとなくわかるもんなぁ。

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南に面した門(前門/Tien Mon)が正門で、東門と西門が、各方角にあり、西門は修復されていない様子が帰っていいかもしれません。やはり前門が現在も正門然(そんな言葉ないか)しており、ベトナム語の案内板などもきっちりついています。

各門の左右に城壁の残滓を辿ってみましたが、感じ取ることはできませんでした。。。

兎に角、1830年ごろから、フランスの支援なんかもあって、ベトナムの要塞の近代化が進められたことが分かったのは大収穫。フランスのヴォヴァーンなんて言葉が、ベトナムのお城を調べていてようやく出てきて、今後の見立てや推測に役立ちそう。

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バイタクでニケツしながら撮影

そんなお城ですが、20世紀初頭には、独立運動の政治犯を収容する刑務所として使われていたそうです。阮朝が建設して、フランスの支援で強固化し、いつしかベトナムが乗っ取られて収容所として利用。。。というベトナム史の生き証人ですね。バスの乗り継ぎの時間にでもどうぞ!


http://en.skydoor.net/place/Nghe_An_Ancient_Citadel

 

タインホア要塞 / Thanh Hóa Citadel

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タインホア要塞 / Thanh Hóa Citadel

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場所

灼熱のタインホアに到着。バス停で捕まえたバイク運ちゃんとのコミュニケーションに四苦八苦しながらも、要塞にたどり着く。要塞の東側はだいぶ堀が潰されてしまっているが、その箇所にこの省ラムソン出身の英雄・Lê Lợi黎利の大きな像が立っていた。そこから見物開始。想像はついたけれど、要塞を形どる堀が残っているのみで、残念ながら要塞やそれに類する遺構を確認することはできない。

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ここのお堀は、タインホア市民の憩いの場所になっていて東側の堀はおそらく拡充されて親水公園のような感じになっている。スワンボートに人気のない真昼の喫茶店。そして火炎樹いいじゃないか。

ソンテイ城 / Son Tay Ancient Citadel

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ソンテイ城 / Son Tay Ancient Citadel

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場所

ようやく案内板のあるお城に巡り会えた。

内容は自分のベトナム城知識の足りない箇所を補完してくれるものではなかったが。

案内板によると、この城は1822年、第2代明命帝の治世の時代に建設されたそうだ。城壁の外周が1306.8m、堀を含めた外周が1792mとのことで、堀は約26.8m、深さは4mとのことだ。この要塞は北ベトナムに残る美しい要塞のうちの1つで、1994年には国の史跡に指定されたと書いてある。うーん、内容薄いな。

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ネットで仕入れた知識なども動員して捕捉すると、どうやらこの要塞は、阮朝がフランスの援助を受けたのではなく、自前で建設したようです。ハノイから20bのバスに揺られて約1時間半で到着できる距離感などから、ハノイ(昇龍:タンロン)の西の防衛ライン、ホンソン/紅河を下ってくる雲南方面からの外敵を意識しているように思います。

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さて見物。

午前のバクニン城塞で滑ってしまったうえ、上昇を続ける温度にテンションを下げられヘトヘトだったのだけど、くっきり残る水堀と朽ちかけた北門の面構えに大感動。この瞬間にこれは来て良かった!と思ったのでした。城や歴史に興味のある方でハノイに来られる方がいたら、お勧めします!

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修復済みの城壁

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修復済みの城壁と昔の城壁。もう少し修復方法を考えたほうが良いかな?

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往時、3.5mあったという城壁の上には、竹垣が植ええられていたようですが、現在は南側の一部が復元されているのでその箇所で全体のイメージがつかめるかもしれません。そのほかの箇所は1.5mくらいの城壁の基部が途切れることなく残ってます。城門は西南北の3つが残っていて、熱帯の植物に侵食され、19世紀に建設された城塞というより、アンコールのような遺跡を思い起こさせるような面構えでした。

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ヴェトナムの旅行会社?のホームページに、歴史を感じながら緑の木立の中を歩いてみませんか?なんてことが書いてあったけどその通り。ぜひどうぞ!

 

北部ベトナム 2日目 / Northern Vietnam Day-2

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北部ベトナム 2日目 / Northern Vietnam Day-2

ハノイを起点にし、バクニン、ソンタイの要塞を見物。

夕方に出張でハノイ入りした、旅人仲間と再会し、会食。初めて会ったのは、真冬のNY。震災の直前で彼が学生だった頃。お会いするたびに色々なものが備わって、発する言葉の密度や重さが増していって刺激的だ。ベトナムの「今」の話に、なんだか彼方になってしまった国々の話がまさに交錯して楽しかった。いやぁ、今回のベトナムは楽しいぞ。

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バクニン城塞 / Bắc Ninh Citdel

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バクニン城塞 / Thành cổ Bắc Ninh / Bắc Ninh Citdel

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場所

Googleマップで見かけたときから一目惚れだったこの要塞。バスから降り、少し歩いて橋を渡ると、Hải Dương Citadelでは見かけられなかった城壁も城門もがっちり残っている。おお。バシャバシャ写真を撮りたいところだが、「写真撮っていいかなぁ」のゼスチュアを緑色の制服のベトナム軍の軍人から「撮影ダメよ」のゼスチュアが返ってきた。どうやらこちらのバクニン要塞、ほぼ丸ごと現役の軍事施設。

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5時起きしてハノイからバス(54番のバスでーす!)で1時間以上かけてやってきたにもかかわらずこの結果。恋は成就しなかったぁ。

現役の施設ゆえ、お城の来歴なんかが記載された案内板なんかはなく、

「立ち入り禁止」

の看板や、AKを持った守衛やら、休み時間に堀で釣りする兵隊やらを確認するのみ。城門近くで声をかけてきたバイタクのおじさんに、要塞を外周してもらい、とっ捕まらない程度に写真を撮っただけの片思いな要塞めぐりでした。まぁ、要塞外周の水濠/水堀はくっきりしているものの、城壁は南側を除いて、かなり取り払われている。。。ということがわかっただけでもよしとしましょう。

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東の稜方。少しだけ城壁のレンガと基部の土盛りが残っている。。。きがする。。。

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Bắc Ninh に漢字をあてると北寧。要塞を調べていると、どうやら清仏戦争(1884年)の激戦地でもあったようだ。そもそも清仏戦争は、台湾での戦いというより、ベトナムの支配圏をめぐる、清とフランスの戦いだったんですね。嗚呼、分からないことだらけだ。早く日本に帰って相応な資料を集めたい。wikiには鹵獲された清の大砲なんかの写真があったけれど、そうなるとこの要塞を建設したのは清なのか?阮朝?いやいやフランス?

嗚呼、ベトナムの城、わからないことだらけだ。。
 

Hải Dương / Hải Dương Citadel

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Hải Dương / Hải Dương Citadel

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場所

ハイズオン市(越:Thành phố Hải Dương/城舗海陽)は、1804年、城東(タインドン、越:Thành Đông)として設立。ハノイの東の町(城が町の意味)ということらしいが、名前からいきなりいい感じである。フランス植民地時代に海陽/Hải Dươngとなったようだ。ハイフォンや上海(シャンハイ)の「海」ですね。中国語表記のベトナムの地図なんかがあったら面白いかな?

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御多分に洩れず、Google Mapで城塞が建設されたのは間違いないものの、このHải Dươngの要塞の情報もnetで出てこない。wikiの英語版のページには往時の城門と4-5mくらいの城壁の写真が残っているが、城塞についての詳しい記載は少ない。阮朝が、フランスの力を入れてしまった後の時代に建てられた町/城塞がゆえに、ヨーロッパ形式の要塞にしたのでしょう(正直、情報不足で不確実ですが。。)。

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さて、要塞。

と言いたいところだが、このHải Dương Citadelを見物した限り、残っているのはCitadelを星型に枠取っていた水堀が残るのみ。超絶富栄養化というか、救いようのない汚染というかにまみれ、ホテイアオイな水面か、灰色を通り過ぎて黒い水をたたえてしまっている箇所なんかもありげんなり。わずかに要塞の内側に入ると、家並みや残された建築がフランス植民地のヨーロッパ式の倉庫跡なんかが見られたけれど、それが精一杯。現役の軍の施設が残っているような要塞と違って、のんびり見学できるのが唯一いいところかも?

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わざわざバスを降りて35度の町を歩いてこんなもんかよ。。。。フランスの力を入れて阮朝が作った要塞一号は、残念ながら外れ!次行こう次!

。。。と思ったけれど、この町では気持ちの良いおじさんとの出会いがあったりして、気分が良かったので問題なし。水堀だらけの大要塞祭りでごめんなさい。

北部ベトナム / Northern Vietnam

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北部ベトナム / Northern Vietnam

相変わらずですが、北部ベトナムでも要塞めぐりです。完全に破壊されてしまったもの、現役の軍事施設が故に近寄れないもの、なんかが多く苦戦していますが、堀跡の案内を買って出てくるおじさんや、江戸家猫八さんの生き返りみたいな豆腐屋の親父に、写真を撮れ!と命令されたりとかなりいい感じで楽しくやっています。

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Fort Annamite

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Fort Annamite


場所

Wikipediaの、

ハイフォン(越:Thành phố Hải Phòng/城舗海防)は、ベトナム北部の都市。

という記載を確認しただけで、クラクラしてしまう。ベトナム語も中国語の影響が濃いなぁと思うと同時に、町の名がそのままお城や砲台やらがあるのを匂わせ、なんとも言えない。が、調べれば調べるほどお城の類の情報が出てこない。元々のデータが社会主義時代やそれ以前の戦乱で断絶したりしている?上に、激しい北爆や経済発展にともなう土地の変化なんかがあるのかな?

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ということで、このFort Annamiteも、地元の人にいろいろ聞いても首を傾げられ、これだという残滓すら感じることができませんでした。1920年までには残っていたおそらくフランスが建築した、このお城は跡形もなかったです。ま、往時のものと推測される道と、城跡や堀を埋め立てた後に醸し出される「悪所」な空気は感じられたかな?まあ良いとしましょう。

ベトナムには古代の都市の遺跡から、稜方要塞まで、いろいろあるようなのですが、資料なんかがそもそもあまりないこともあって、GoogleMapでも確認できないような要塞は苦戦しそうだなぁ。。

BL 510 SGN-HPH

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BL 510 SGN-HPH

Jetstarに飲み込まれる前のPacific時代以来の搭乗。

遅くまで起きていたのに、更に3時起きだったために久しぶりの離陸したことにも気がつかない系のフライト。少し気になったのだけど気が付いたらハイフォン空港に着陸していた。

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3席を二人で分けた相棒が、ベトナム風ヤンキー兄ちゃん。所作がヤンキーだったけれど、他のベトナム人のように飛行機が止まった途端にワッと動くようなことはせず、のんびり余裕をかましているところが良い。いいぜいいぜ。

ホーチミン6日目 / Ho Chi Minh Day-6

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ホーチミン6日目 / Ho Chi Minh Day-6

3日目あたりから、ぐんと忙しくなってしまったけれど、仕事の方で納得できた部分があるのよしとしましょう。ホーチミンでは虫にやられて足がボロボロになったり、チェンマネ屋がウロウロしている時代にひどい目にあったりという思い出もありますが、そのあたりの悲しい思い出を刷新するくらいの気持ちの良い滞在でした。また来たいな。

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小学校の卒業式/終業式でした。今週末から夏休みだね!

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さて、北に向かいます。ブログの方にも力入れなおしますよ!

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