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ZV 252 TPE-HND

 

台北市内で仕事を終えて食事、空港に向かうとだいたい9時前。この時間になるとさすがに桃園の混雑に一喜一憂することはなく、焦ることもないので、松山空港近くで仕事を終えた妻と食事をしてから桃園に向かった。キャンペーンの航空券だったので、15Kの荷物の追加料金を加えても、1万円そこそこな総額だったと思う。

 

機内はそれなりの搭乗率だったけれど、

驚いたのは入国審査のレーン。数あるカウンターは深夜のため空いているものは少なかったけれど、日本人カウンターは一つで、その一つすら、外国の方を誘導しようとしていたくらい。

 

「あ、日本人だ」

 

みたいな表情を審査官にされて、対応され、自分への対応を終えると、列が途絶えない外国人レーンから人を呼び込んでいた。


朴子 / Puzi

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朴子

 

朴子市は嘉義の外港として栄えた町。

 

嘉義県では、嘉義市に続いて大きな町である朴子には、台湾最大の平らかな土地である嘉義平野で作られた作物が集まり、砂糖を中心に大陸や日本に輸出され栄えたそうで、鉄道が廃線になって、農作物がひっきりなしに積み出されるような感じが今はない。それなのに、店店は現在も軒を連ねなかなか賑やか。日本で鉄道が走らなくなった町、その中心がどういう歴史をたどったかを散々見てきているので、台湾ではこういった地方都市のごみごみ(笑)生き生きしている町の姿が、嘉義から車を走らせて町に入った時の印象で、興味深い。

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町には日本統治時代の建物だけでなく、清代まで遡ることのできる建築が残っており、それらの歴史的な建造物を保存する取り組みが進められています。昨日に引き続き、台湾の各地に残る日式建築の探訪の総仕上げをなさっていた建築士の渡邉さんが朴子の方々のお誘いを受け、フィールドワークに便乗させていただきました。

 

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まずは、公立病院として建設され、戦後は清木外科として開業された和洋折衷の昭和5年に建設された家の訪問。この清木外科から始まって、黄医師のお孫さんと史跡保存のお仲間にご案内いただき、深い町歩きをさせていただきました。細かい建物の意匠や歴史的価値などについてはまたいつか書こうと思いますが、台湾は有名都市ばかりでなく、中小以下の都市にも、日本統治時代の、教師や公務員などの宿舎がまとまって残っているエリアがなかなかの高確率で存在し、この全くノーマークだった朴子にもゆったりとした区画が保存されており驚きを隠せませんでした。どの町にも歴史的建築物を保存し、子々孫々に伝える使命感に燃える方々がいて、本当に頭が下がります。

 

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翻って俺と我が東村山。僕は今から45年ほど前に建設された、鉄道建設公団の宿舎で赤ん坊時代から中学まで暮らしたのですが、現在は跡形もなく、区画ごと建売業者に売られ、道すら残っていません。

 

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東村山に降り立つと、駅前で「ヒガッシー」が書かれた町の案内やパンフレットを配る団塊世代の人々がいたりしているのを何度も見ているのですが、彼らのように動いたり愛せたりしない自分がいて、そういう人々がいるにもかかわらず、現在の自分の状態を、母艦を失った艦載機というか、ホームランを打ったのに、ダイヤモンドを回るとホームベースがない。。。と見立てたりしまう。ああ、なんて俺って薄情なのかしら。。

 

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<中断/Anyway>

 

 

森羅万象、石っころから経済まで、その事象に対して熱い人が語ると、やっぱり面白くて、平面的に見たり素通りしてき情報や景色が、立体的になって、自分に染みていく感じがします。さぁ。頑張っていきますか。


嘉義城 諸羅城

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嘉義城

 

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場所

 

残念ながら嘉義城は跡形もありません。往時は城壁で囲まれ、四つの門が配された立派な様子だったそうなのだけれど、1906年の嘉義大地震で城壁や城門が崩壊してしまい、地震の後に城壁などの修復再建は行われれず、都市計画の下に城壁跡には道が通り、門があった場所の数カ所に円環が配されたようです。

 

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南門跡の円環

 

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東門跡の円環
 

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嘉義は、終戦の年にひどい空襲があったりしているにもかかわらず、日式の家屋や建設物が残されており、営林署があった市街北部には修復された上にかなり纏まっており、日本的な街並みが温存されてびっくりしたりするので、日本人としては少し申し訳ない気持ちもします。

 

そのような復興を遂げたため、現在、嘉義でお城があったことを忍ばせるのは地名のみ。東西南北、いずれの門の名前も、その門があった周辺の市場や通りに名前が残っています。


西螺 虎尾 斗南 斗六 / Xīluó Húwĕi Dŏunán Dŏulìu

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西螺 虎尾 斗南 斗六 / Xīluó Húwĕi Dŏunán Dŏulìu

 

台湾の各地に残る日式建築の探訪の総仕上げをなさっていた建築士の渡邉さんの台湾の旅に便乗し、雲林縣に散らばる歴史的建築の探訪に出かけました。渡邉さんに加え、店舗デザインの仕事をしている妻も同行してくれるのが心強く、GoogleMapにあっち行け、こっち行けと言われるがままに運転しているだけだったのだけれど、楽しい1日になりました。

 

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台湾には、台北や台南、そしてそこからアクセスできる観光地以外にも、精気に溢れるというか、元気で無名(少なくともわれわれには)な町が無数にあり、鉄道が通っていないのに商店街や夜市が生き生きとして、「どうして、なぜ?」と思うことがしばしばなのだけれど、今回急ぎ足で回った雲林縣の町も、文字通り血が通っており、歩いて楽しいところばかり。

 

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すれ違うのがやっとな路地の向こうに、現れた朽ちかけた戯院。老街を見物しているうちに、日本語教育を受け、丁稚から身を立ててたおじいさんが熱く語りかけてくれたおじいさん。丁寧に復元され、市民の憩いの場所になった建築の連続。

 

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台湾は散々出かけたし、歩いたし、もう行く場所はないや。。なんて言った過去の自分をぶっ叩きたきたくなるような気分なのです。


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ZV 203 NGO-TPE

 

新婚旅行で出かける友人と一緒に早起きしてセントレアへ。

 

ガラガラのチェックインカウンターで搭乗手続きをすませると、ボーディングパスには、Seq.10番台の記載。これは搭乗率低そうだなんて思いながら、済ませなければいけない用件もあるので、別の航空会社で別の目的地に向かう友人と別行動で入国審査のあとにパタパタとPCを弄る。

 

しばらくすると、全てをすませた友人夫婦が

「あれ、名前呼ばれましたよ!」

 

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なんて言いながらやってくる。そんなことにも気がつかなかった阿呆な私。結局、セントレアで働いている友人から、FBで

「お、来てるの?」

 

 

なんてメッセージされる始末。

 

理由はチェックインカウンターで、帰国のフライトが確認できてないから確認したいとのこと。こっちに言わせれば、あ、確認しないんだねぇ。さすがLCCなんて思ったのだけれど。

 

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搭乗率は3割以下のフライトで、バビューンと台北。到着したら英国がEUを離脱していた。刈谷インターで見たNHKの様子では、残留が優勢。。なんて言っていたのに。そうそう、中国語で機内販売にトライしたまでは良かったが、カップラーメンが二個きてしまった。


中山道(木曽街道)歩き旅 5日目 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-005 JR横川駅〜沓掛宿 Yokokawa-Sta.〜Kutsukake Station.

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中山道(木曽街道)歩き旅 5日目 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-005 JR横川駅〜沓掛宿 Yokokawa-Sta.〜Kutsukake Station.

 

坂本宿を抜けるとすぐに旧中山道は、国道や以前歩いた信越線軌道ルートから離れる。そして、壁のように立ちはだかると山をつづらに登る道となる。横川からの歩きが何の予行演習にも準備運動にもならない、40過ぎのおっさんにはきつい斜面なのだけど、「結構、高さ稼いだんじゃないの?」と思った頃に、木立が途切れ眼下の坂本宿が見えたりする。

 

この後にも何箇所か難所はあるのだけれど、きついのは初めの登りだけ。それ以降は、平坦で気持ち良く、「嗚呼、このまま死ぬまでこの木漏れ日の中を歩いていたい」と思うような箇所が所々にあり、おすすめ。力餅に、すっかり日本の避暑地に生まれ変わった軽井沢宿、新幹線で東京に戻るのに1時間ちょいしかかからず、5日間歩いたことが馬鹿らしかったか。。なんて思うかと思えば大違い、やっぱり歩き旅はいいっす。

 

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帽子と右足@長野県 左足@群馬県

 

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中山道(木曽街道)歩き旅 4日目 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-004 倉賀野宿〜JR横川駅 Kuragano-Shuku〜Yokokawa-Sta.

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中山道(木曽街道)歩き旅 4日目 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-004 倉賀野宿〜JR横川駅 Kuragano-Shuku〜Yokokawa-Sta.

 

倉賀野宿、高崎宿を過ぎると、現在の人と物の動きの本流から離れる分、中山道が本来の中山道らしさを取り戻し、歩くことが楽しくなる。。。なんて書きたいところだけれど、本日の気温は33度越えで、結構削られてる感がある。

 

現在の旧道は、歩き旅をする人の相手をする酔狂な店なんてものはなく、現在の国道を歩かない限り、給水地点にすら巡り会えないのだけれど、旧街道沿いだからこそ、道の脇に寺社仏閣が現れ、下手な迂回をせずとも、鎮守の杜や、御神木の根っこで休憩できるのが国道と違った素敵なところ。そんなふうに神仏のご加護を賜りながら前進した。

 

安中あたりから徐々に道に傾斜がつき始め、旧道らしい歪曲した景色の中を歩かせてくれて良い感じ。横川に辿り着く頃には足が豆だらけになっていたけれど、まあ水抜きすれば大丈夫だろう。明日は碓氷峠だ。

 

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中山道(木曽街道)歩き旅 3日目 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-003 熊谷宿〜倉賀野宿Kumagaya-Shuku〜Kuragano-Shuku

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中山道(木曽街道)歩き旅 3日目 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-003 熊谷宿〜倉賀野宿Kumagaya-Shuku〜Kuragano-Shuku

 

 

重たい雲に小雨というなんとも言えない天気の中、出発。ボリューミーだけど、ちょっと元気のない熊谷はささっと抜ける。次の宿は深谷。あのサイタマノラッパーでおなじみの深谷。映画に出てくる土手と変電所はどこだ。。と探したけれど、中山道からは外れているのか、それらしい眺めを歩くことはできなかった。

 

映画では、だサイタマの典型的な町のようなひどい扱いを受けていた深谷。確かに街道沿いの店は軒並み元気が無くって、まともに開いているのは昔からの銀行だけといった状態。映画でみた以上に酷い有様なんだけれど、スッカスカになって空き地や駐車場だらけになった分、昔は大きな店の裏手で、街道筋からは拝めなかった、蔵がボコンボコン建っているのが眺められ、ビンビンきてしまう。

 

先日、蔵巡りのフィールドワークに参加して、中規模以上の蔵だと、現在の物価にすると5000万円なんて話をしていたので、そんなものがボコンボコン建っていた昔の深谷は。。。なんて思う。

 

深谷の外れ、コンビニはおろか店も何もないぜといった景色の中に、小さな商店兼お茶屋さんのようなお店があり、吸い寄せられるようにお店に入る。こういった敷居が低くって旅人ウエルカムな店は、善根宿はおろか、気軽に座れるベンチだってないような未整備な中山道では本当にありがたい。飲み物とお菓子を買いながら店先でお話をさせていただき、周辺の見どころなどが記載された自作の首位の街案内をいただく。

 

お遍路をやっていると、こういう何気ない出会いや親切がガソリンになって、歩く原動力が尽きず、いつの間にか四国を一周しているのだけど、そんな出会いは滅多にないのがお遍路以外の場所での歩き旅。お遍路で接待されると次にお接待されたりするまで、その人のことを考えながら歩くのだけど、のだけど、今日はこのあと日がくれた倉賀野宿まで、おじさんのことを思いながら歩いた。

 

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深谷の庚申塚クラスター

 

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地蔵@本庄

 

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日本の近代を支えた縫製工場@本庄

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白壁、蔵@新町。ノーマークな場所でこう言った建築物に出会えるのが、街道歩きの醍醐味かもしれない。
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倉賀野宿の高札@倉賀野宿
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本日は熊谷から倉賀野まで!

中山道(木曽街道)歩き旅 2日目 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-002 大宮宿〜熊谷宿 Omiya-Shuku〜Kumagaya-Shuku

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中山道(木曽街道)歩き旅 2日目 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-002 大宮宿〜熊谷宿 Omiya-Shuku〜Kumagaya-Shuku

朝から雨。天気が悪いくらいの方が体力すり減らさないし、紫外線でげんなりやられないしいいや!と思ったら大間違い、はじめの2時間くらいはVan Halenを聴きながら、水たまりをJumpして、東進スクールの先生みたいに、Right Now!歩くなら今しかねぇ!なんて気分良かったのに、上尾を過ぎたあたりから黄色い信号が点滅し、桶川あたりで歯の根が合わないくらいのブルブル。

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@上尾宿

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庚申塚@上尾宿

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@上尾宿


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@桶川宿

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@鴻巣宿

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@簑田

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@荒川土手

マックに避難してコーヒーを注入したけれど、温まらない温まらない。台湾の歩き旅では雨降りに助けられたようなことがあったから、そのノリで行ってしまって大失敗だった。

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雨で地図を頻繁に確認できないこともあって、時々中山道から外れてしまうこともあったけれど、無事夕方には熊谷宿に到着。今日は桶川宿の街並みくらいしか中山道的なものを感じられなかったので、風情があるという次の深谷宿に期待したい!

中山道(木曽街道)歩き旅 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-001

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中山道(木曽街道)歩き旅 / Nakasendo-Kisokaido Walking Tour Day-001

今度は、東京から京都まで中山道を歩いてみようと思います。休みを利用するので途切れ途切れだけど、8月中には辿り着けるでしょう。今回も写真中心のアップデート

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@日本橋
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@日本橋

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@日本橋

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@万世橋

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@万世橋
 
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@神田明神
 
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@神田明神


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@東大赤門

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@巣鴨地蔵商店街  も中山道の一部です。

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@巣鴨地蔵商店街

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@都電荒川線をまたぐ

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@埼京線線をまたぐ

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@板橋駅前

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@板橋宿

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@板橋宿

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@板橋宿

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@板橋宿 板橋の名前の由来になっている橋

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@志村の一里塚

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@荒川の土手

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@さらば江戸 江戸時代には東京はないけれど、ここから武蔵国って感じがしたのだろうか。。この橋の少し下流に戸田の渡場があったようです。

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埼玉県にログインしました。

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@蕨宿手前、ソープランド

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@蕨宿 

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@蕨宿 

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@蕨宿を少し外れたところ。蔵が連続していた。
 

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@蕨宿の一里塚 外環道のわき

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@武蔵国の初めての難所。焼米坂(長野/信濃の峠に比べれば話にならないけど)

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@浦和宿

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@大宮宿 本日はここまで。    


 

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