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アップデートしきれていないもの。。。

アップデートしきれていないもの。。。


中国で食ったものシリーズ
羽田ー札幌
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札幌ー稚内
稚内
稚内ー利尻島鴛泊
利尻島鴛泊ー礼文島
礼文島ー利尻島鴛泊
利尻ー札幌
札幌ー名古屋

 

ビビビ備忘録

 

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CI 150 TPE-NGO

 

CI 150 TPE-NGO

 

古い機材なので残念ながら、機内エンターテイメントの不調はまあいいとしよう。出発が遅れ、その遅れを引っ張って名古屋到着は夜更け。地上職員に食ってかかるような人がいないところからすると、ほとんどが車で、それもそれほど遠くない場所から来ている人なんだろうなぁ。。と思う。

 

 

 

 

 

 

 

閉店間際のガソリンスタンドで油を入れる。

 

車には、四万十を旅したカヌー、久万高原の世話になっているお母さんから頂いたお米。台湾から持ってきた白い粉に中国で買ってきた、張飛印のお菓子。旅をしたって自分自身は何も変わらないけれど、旅ならではの生きていてヨカッタァ、旅に来たからこそ味わう苦痛やトラブル、紆余曲折七転八倒の20日間だった。

 

 

ガソリンは満タンにしたけれど、睡魔と脳の機能がガス欠し、春日井と中津川で大休憩を入れながらようやく木曽にたどり着いたのは、名古屋空港を出てから6時間後の朝4時。

 

さぁ、仮眠したら小学校の解体前の床剥がしだ。

 


CI 189 PUS-TPE

 

CI 189 PUS-TPE

 

189は東村山に住んでいた頃、まだ郵便番号が3桁な時代に慣れ親しんだ数字だ。

 

乗り継いだ先で、きっちり運転しなければならないので、美味しそうなワインリストを示してくださったけれど、いつものスーヴィニヨンブランをパピっと煽ったくらいで意識をぼんやりする方に持って行く。ほんの少し中国語が使える気持ちになっているからと、韓国-台湾路線ということもあって、日中韓英がグッチャグチャに混ざったサービスになって面白い。担当していただいた女性アテンダントの方も、サービスがしたくてたまらないみたいな根っからな方だったので、気持ちよく何杯もコーヒーを頂いた。

 

 

 

 

 

 

 

気がついたら台北。しっとり。台北から出て台北に戻るまで10日くらいたったけれど、梅雨にまとわりつかれる度合いは、日本の比ではなく、ほんと雨雨雨なんだよな、この時期の台湾。ほとんど雨だったんじゃないかなぁ、台北。

 


台湾で局留めしよう / 郵局 存局後領

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台湾で局留めしよう / 郵局 存局後領

台湾で買い物をしすぎてしまった。面筋、大根もちの粉に台湾サンダル、乾燥キャベツにカラスミ。フェイスマスクに肉髭。おっと、肉髭は日本への持ち込みが禁止だったか。

早朝便や深夜便での日本帰国の方にはお勧めできないのだけれど、地方の空港で買い付けをして、桃園から帰ったりする人にオススメなのが、桃園空港郵便局への局留め。

発送場所は、買いすぎたり手持ち無沙汰になってしまった場所の最寄の郵便局。台湾の郵便局(郵局)には、段ボール箱なんかも販売しているので、何かを大量に買って持って帰りたい場合は、

1、郵便局からほどない場所で買い付けるか、郵便局からほどない場所を見つけてから買い付け。

2、買い付けてから郵便局へ、

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3、国内発送の伝票の届け先を空港郵便局にし、

「在局後領」と記載し、引き取り(出発日)予定日を「領」の字を合わせての上、記載し、発送。

すればOK。発送元は自己責任になりますが、宿泊先のホテルとかでOKでしょう。

4、台湾国内なら、まず1泊で桃園空港に到着します。到着後、2週間取り置きしてくれます。

5、ピックアップ(郵務:08:30-17:00 )に、身分証明書(パスポート)と伝票でOK!

買い物に限らず、使わなくなった旅行道具やらをドンドン、桃園空港へ在局後領してしまえば身軽な旅ができるかもしれませんね。今回私は、先ずはの台湾旅行で買い付けたものをひとまとめにして局留め発送。釜山から台北経由便で名古屋に向かう3時間の乗り継ぎで、郵便局で荷物をピックアップし、中華航空にて荷物として再チェックインして、帰国しました。

皆さんの旅が身軽になったことで、いつもの一歩先、一歩深い台湾旅になりますように!


地震と串揚げ

地震と串揚げ

 

昨日は携帯がビービー鳴って驚いた。直接の関連性はないとの発表であるが、木曽町の中心から御嶽の方角の方向の地区、王滝村の震度が5強というのは、どうしても気にかかる。噴火の悲しみとその後の町がたどった復興/復旧の大変さ散々な思いは余所者の自分にさえ、肩を落とし言葉が続かなくなることばかりだった。余震が早く収まり、モヤモヤしたまま夏本番を迎えたくないものだ。

 

数日前には、四川の町で山崩れがあった。成都で乗ったバスは、都江堰から山に入り、中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州茂県を通って、松藩を経由して九塞溝というルートだった。

 

虎跳峡を歩いてから間もなかったにもかかわらず、見上げるような山と、流れを集めた川の勢いの間の道を登って行くルートは、しっかり作ったのだろうけど自然に比べると心細さに驚いたり、ドライブインの売り子の商魂に震えたりしたが、あそこで見た光景のほんの一部ではあるだろうけれど、それらがあっさり洗い流されてしまった。

 

開発や人間の業の深さなんかに打ち負かされ続けた旅だったけれど、岩石だらけで、ムラが消滅してしまった景色をみるにつけ、自然の力や摂理が侮れないこと、人間の弱さや人生のあっけなさを感じずにはいられない。

 

地震があった夜、大阪に来て名物の串揚げを食べた。

 

雨に降られ、荷物をゴロゴロ引き回し、ようやくたどり着いたサウナで、のぼせる寸前まで友人と話し込み、出かけた難波の串揚げがうまかった。思いがつまり過ぎてしまい、もうこんなうまい串揚げを食べることはないんだろうなぁ、ここで同じものを今またあげてもらったところで、こんな美味くはないだろうなんて考えながら食べた。幸せを噛みしめるたびにどこか寂しくなる串揚げだった。

 

お金をかけなくたって、体が壊れるほど働かなくたって楽しい人生だゼェなんて言ったきたけれど、一瞬一瞬、本当に大事だ。大阪に来て、友人が元気でよかった。

 

 


OZ 8531 ICN-PUS

 

OZ 8531 ICN-PUS

 

フライトの話でなくて恐縮だけれど、映画を楽しむ。航空会社によっては、離陸して適当な高度に達してから、機内エンターテイメントのスイッチオン、はいどうぞ!となるのだけれど、OZはさっさとエンターテイメントが起動して退屈しない。

 

釜山に無事到着、入国審査は釜山となり、通関も簡単に進んだ。

 

釜山は乗り継ぎだけの町で、予約したホテルがタバコ臭いモーテルだったことに愕然とした。まぁ、またリベンジしたい。


NH 77 HND-CTS

 

NH 77 HND-CTS

 

8時過ぎの便から、空席のあるこちらの便に変更!

 

同じフライトに日ハムの選手が搭乗しており、ちょっとしたヒーロー気分だった(笑)。

 


マジックマジャール / Magic Magyar

 

マジックマジャール / Magic Magyar

 

緩やかな町のBBQには町の総人口の0.7%くらいが集まったけれど、なんだか、ひょろっとした背高のっぽが混ざっている。どうやら友人のお母さんが二本木の湯でナンパした旅行者のようで、話してみるとマジックマジャール、ハンガリー人。聞き取りやすい英語を話し、マイナーな国に奥さんと赴任したこともある様子なのこと、長い休みを取れる商売をしていて、今回の日本滞在はずいぶん長くなりそうな様子。こんな物腰の人間には、アフリカや島国で時々出会ってきた。プロジェクトベースで世界を股にかけるコンサルや国際機関系のお仕事でもしてるんじゃないか?と推察した。

 

来るものを拒まない様子と、みんなで食事しているふるさと体験館でのBBQがおひらきになったら、この場に寝ていっていいか。。みたいなことを言うので、さらに話してみると、歩き旅をしている様子。なんと、鹿児島から宗谷を目指しているようで、やっぱり歩き繋げたいようだ。

 

鹿児島をスタートして、枕崎方面をのんびり歩き、錦江湾を渡って、佐多岬に行ってからのスタートするなかなかの猛者。開聞岳を同心円状にぐるぐる登山し、椎葉村でヤマメのテンカラを見させてもらい、石鎚、剣、白山にも登ったという。

 

明日の朝、ここまで戻ってきてあげるから、うちに泊まりに来いよというと、いいねぇなんて言って遊びに来てくれた。

 

どうやら歩きバカに加え、地理オタクの機能も備えている様子で、話が盛り上がる盛り上がる。ボイスパーカッションが上手なシンガポールのカウチサーファーなんかも来てくれて、なかなか盛り上がった。ピトケアン島やトケラウのパスポートスタンプを見て絶叫してくれる鹿児島から歩いてきたハンガリー人。自由にできるスペースや家を持ったら、旅な人生で借入金超過な恩を少しでも返していけたらと思っていたけれど、こんな気持ちのよい借金返済ってないなぁ。

 

妻が東京で、賑やかにも限度があったのが残念だったけれど、6時起きにもかかわらず、真夜中まで語り明かしてしまった。7/24に友

人と函館で集合するようで、梅雨空のなか、北に向かうそうだ。背の高い、黒い杖を突きながら北を目指している彼を見かけたら、声をかけてやってください。

そして、10人ぐらい来ても余裕で受け止めるスペースがある家なので、ブログの読者さんは遊びに来てくださいね!

 

 


木曽空き家プロジェクト Day - 060 小学校解体 / Kiso Project Vacant House Day-060

 

木曽空き家プロジェクト Day - 060 小学校解体 / Kiso Project Vacant House Day-060

 

お世話になっている方主催のBBQが木曽、妻の台湾との友人の会が東京であり、タイミングに感じたので帰国となった。完全燃焼とは言えないけれど存分に旅をし、やりきった気持ちで九寨溝の峠を越えたあとは、少しでもあの町この町でいい旅してやろう、いろんなもの見てやろうという気がスーッと抜けていき、広州や釜山では、早く日本に帰りたいモードになっていた。まあ新しいことでもう一踏ん張り!という気持ちである。

 

木曽に帰ってきたタイミングで、小学校解体スケジュールが早まったりして、急遽、床材のレスキューに出向くことになった。

 

住民が少なくなって、廃校となりその後は公民館として使われていた校舎の床材はしっかりとシア厚みがあって、まだまだ部屋に来る人々を支える気満々の様子。小学校ができたのが70年以上前、材が木として命が宿した段階からすれば、100年以上前のものを焼却処分から救い、信頼できる木を愛する木曽の男に引き渡すことができたと思う。

 

一枚一枚は大したことないけれど、釘が刺さったままの床材が、教室二つ分ともなると相当な量である。再利用には、加工が必要だけれど、その過程で愛着が増しどこかで床材としては第二。森で育った頃からすれば第三の人生を歩んでくれるだろう。

 

解体とそれに伴う足場工事の時間が少なかったために、SNS経由で拡散させたところ、思いの外反響があり、こちらの想定している以上の方が木曽まで出向いて、校舎に残ったあれこれを持って行ってくれたのだけれど、宝の山に見えてしまった方には近隣の皆さんという、地方独特の熱視線を受け止めることができなくなってしまったこともあったようで、地区の人からクレームを頂いてしまったり、年の常識と地方の常識のギャップなどを痛烈に感じてしまったこともあった。

 

 

でもよい、一番最悪なのは、材や古道具が何にも顧みられず、ゴミとして焼却されたり処分されてしまうこと。フリーライダー気味の方のやんちゃはあれだったけれど、燃やされるよりはマシ。古材のことを考えていた木曽のメンバーの中で、一番頑尽力されて、交渉ごとに関わってくださった方に余計な手間をさせてしまったのが無念で申し訳なかったけれど。ゼロではない。救いだったのは、手間を取らせてしまった方が、大変なのに清々しい顔をされていたことだ。

 

「古くて良い物を見直すのは社会が成熟してるのだ!」という上から目線にならず、「あなたたち、そんなものを持って行って何に使うの?」と見下され半分面白半分な、道化でも良い。価値観のギャップの間を行き来して、その上がりを頂戴する運び屋であろう。旅人であろうと感じたのでした。

 

 

そんなことがあった夜のバーベキューにはなかなかの珍客が乱入し、楽しい夜だった。まあ、それは別途アップデートすることにしよう。


OZ 370 CAN-ICN

 

OZ 370 CAN-ICN

 

日本も海外も佳作の連発なので映画館が無い田舎に住んでいる状況にグゥっとなる昨今だけれど、韓国映画も面白い。よって機内は退屈しなかった。

 

 

 

 

広州空港のチェックインでは、当たり前のように「荷物はそのまま釜山へ」という扱いだったので、これどうなるんだろ?と仁川到着後に心配になったが、仁川空港の旅客を誘導する案内板に「国際線乗り継ぎ 釜山 →」といった表記があり納得。仁川ー釜山は外航扱いなんだなぁ。


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