calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2020 >>

categories

archives

メールとTwitterアカウント

courier_jpn☆hotmail.co.jp

☆を@に変えて!



Twitterアカウントはcourier_JPN

四国遍路 Shikoku Henro Day-11

DSC00891.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-11

水も滴る四十路遍路

昨日歩みを止めた、土佐電鉄後免線の県立美術館前駅から出発。

DSC00869.JPG

ザックを担いだ途端に雨が降り始め、竹林寺のある五台山に登り始める頃には、土砂降りになってしまう。晴れていれば高知市街を一望に見渡すことができるという五台山からの眺めを楽しみにしていたのだけど。

植物園と背中合わせな、深い緑に囲まれた堂々たる伽藍。眺望よし、と見所満載のお寺なのだけど、雨が降ってはどうにもならない。テンションがあまり上がらぬまま、三十一番札所、竹林寺に到着。

DSC00875.JPG

こんな雨の日は、人目を忍ぶ逢い引きなんかに最高なシチュエーションかもしれないけれど、荷物を担いで歩くお遍路にとって、ただただ面倒なだけのグッスン。

濡れないよう防水バッグに入れておいた納経帳を、参詣の度にザックを開け、取り出し、寺を発つ前にもう一度しまい直すという一連の作業を、お堂のひさしの下で、あれこれ済ませなければならない。今日のようにお寺が多い日はこれの繰り返し、正直煩わしい。

午前8時半、竹林寺を出発。

DSC00876.JPG

下田川伝いに東に進み、武市半平太の屋敷を通り、十時過ぎに三十二番札所、禅師峰寺に到着。雨は引き続き本降り。本堂のひさしの下で小休止、郵便局前のスーパーで昨晩買っておいた特売のおにぎりを頬張る。

午前10時半、出発。

雨風が強く、雪渓寺に向かう浦戸の渡し、は、高知県営フェリーを使う事にし、へんろ道の道しるべや途中の休憩所の地図などを頼りに進んでゆくが、竹林寺からの道が事前に頭に入れておいた地図情報や距離感より、どうも長く感じられる。

スーパーマルナカで、お弁当と菓子パンを注入。種崎のフェリー乗り場に到着したのは、12時前。なんとか12時10分の便に間に合う。すぐにやってきた渡船には、小型バイクの青年と、おじさん、雨をものともしない二ケツの女子高生、そして自分。

桂浜や浦戸城がある竜頭岬が、高知港の出口を覆うように出っ張っており、岬の裏を進む渡し船に太平洋のうねりは届かず、短い航海で揺れは無い。けれど、風が強く、船に乗った所で雨から逃れるすべがほぼない。

けれど、体を休めているうちに、前進できるって「乗り物」ってのは素晴らしい。

DSC00878.JPG

ほどなく長浜に到着、ザックを担ぎ直しストレッチしていると、跡から渡船を降りた女子高生が、

「お兄ちゃんカッコいい!頑張って!」

だって。

嬉しいねぇ、女子高生にそんな事言われたの人生で初めてだねぇ。ここはほんと修行の道場の土佐か?お遍路中じゃなかったら、飯でも奢ってやる所だぜ。が、修行の身の上、変な事は考えず。

「おうよ!がんばるぜー!」

とガッツポーズしながら返事する。

「学校もあんまさぼらずに時々行けよー!」なんて言う野暮なオッサン臭い言葉は、胸の内にしまいつつ。

午前12時半過ぎ、三十三番札所、雪渓寺に到着。

長宗我部信親の墓所があったりし、境内は広くはないものの、本堂や大師堂の並びがパチッとし、周囲の町ともどこか馴染んでいて雰囲気のある札所。もっと ゆっくりしたいのだけれど、ダラダラと雨宿りしてしまうのは、止む気配のない風と雨に負かされるようで、気合いを入れて身支度。午後1時頃出発する。

DSC00886.JPG

土佐藩が拓いたという新川川、唐音の切り通しを抜け、暴風雨に飛ばされそうになりながら、三十四番札所、種間寺を目指す。

このあたりは、高知の友人の地元で、彼がお遍路をしたときのブログノ印象が強く残っており、景色に馴染みがある。

ただ、彼のブログの写真で光り輝いていた、夏の青空の下の東小学校や新川川沿いの景色は、暴風雨のためひっくり返したような灰色と緑と茶色の世界。ポンチョが風を受け、本当に転びそうになる。

土佐に入って気持ちのよい出会いばかりだったのに、君の地元に来た途端にこの試練とは。。。

「おう、今、種間寺に向かっている所。君が子供の頃飛んだりはねたりしてた世界の中を歩いてるよ!」

なーんて、電話でもしようとでも思っていたのだけれど、それどころでない。ったく、あいつめ。。俺に恨みでもあるのか。。。なーんて思っていたら、少し先を歩いていた女性が傘ごと突風に煽られて、道路脇の側溝に落ちてしまう。

慌てて、ザックとポンチョを捨てて駆け寄り、手を伸ばしておばさんを引きあげる。

幸い、服が泥だらけになるだけで、けがは無く、大事はなかったようだけど、あまりのことにびっくりしてしまった様子。「まったく、凄い風ですねぇ」なんてしばらくお話をする。大丈夫そうなので「お気をつけて」と声をかけ、種間寺を目指す。

止まない雨にさすがにうんざりしつつ、三十四番札所、種間寺で納経を済ませたのが午後2時半。次の札所、三十五番清滝寺までは、約10キロ。午後5時の納経にはなんとか間に合う。でも、あんまり休み時間はないなぁ、なんて思いながら、

本日何度目かの、防水パッキング&ポンチョ羽織り!Yeah! 西へ。

大雨と田んぼの水が入ってか、濁ってしまっている仁淀川を15時半過ぎに渡り、土佐市高岡町の市街を抜ける。清滝寺にはきれいな通夜堂があるが、近くで食 料が手に入らないと聞いていたので、国道56号沿いのファミリーマートで夜食を買い込む。トイレもお借りし、ファミリーマートを出ると、一気に雲が晴れる。

DSC00900.JPG

田んぼの中の道をジグザグに進んでいると、道しるべの先に山があり、その中腹といったあたりに立派な屋根。あの屋根が「清滝寺」の境内なのだろうけど、

「信じたくないものだな、自分自身の疲れゆえの錯覚というものを」

なんて、シャア・アズナブル風にひとりごちる。ああ、俺疲れてるなぁ。

ここまで10日間歩いてきて、ピンチはあったけれど、基本的に快調なペースで飛ばし、すれ違ったり、追い越しつつ、お遍路さんに、「早いねぇ」なんて言われ、

「そんなことないですよ!お先に!」

なんて格好つけていたけれど、

本日午後、颯爽度はゼロ。

体力があればなんでもないはずの、最後の清滝寺までの登りがキツく、先に到着して休憩していたお遍路さんに声をかけて頂いたのに、まともに返事すらできないくらいだった。

納経を済ませ、通夜堂をお借りする旨をお寺の方に伝え、ようやく気分的に楽になり、「申し遅れました、歩きで回ってる運び屋と申します。」なんて言って同宿のお遍路さんに挨拶をしつつ、今日もやりきったぜ!感に包まれる。ふぅ。

そういえば、スタート地点は違ったけれど、土佐出身の友人は、完全ホームグラウンド、実家の裏庭とも言える景色の中を歩きながら、土地の言葉で地元の人達 と触れ合い、お遍路している。この三十五番清滝寺を打ったあとは、荷物が少ないのをいいことに「走り」で、三十六番札所青龍寺を目指し、2時間足らずで辿 り着いてたっけ。

景色の移ろいがあるだけで、この辺りの景色はたいして変わっていないのだろうけど、歩いている時の心持ち、目に映ったもの、人と交わした会話。等々は、自分と友人では全く異なる。

言うまでもないけど。ま、人の数だけ「何々」があるうんちゃらかんちゃら。。。。

そんなことを考えると、こんな旅をブログに書き留める事に意味があるのか?なんて思うこともあるし、国巡りやブログのアップデートに注力し、引きずられ、一財産と30代の貴重な時間をぶち込んだ、自分のここ数年間に意味があったのか。。。なんて考えてしまったりもする。

多分、人生は間抜けで馬鹿で阿呆で無意味で無価値であると同時に、素晴らしく輝いていて、かけがえが無く、愛おしく、意味と価値がある。

達観でもなんでもないのだけれど、四国を歩き始め、濃い日々を重ねるにつれ、こんな風に思うようになる。

そう捉えたならば、

いつ死んでも後悔しない生き方やらを、コンプレックスやら、将来、人それぞれの不安感/安心感なんかとうまくしようと思うし、前向きな意味で、東京に戻ったらアレをしよう、アレを片付けよう。。なんて思う。

ま、実際の所は。。。

お遍路を終え、東京に戻ったら怠惰度が再上昇して、完全停止不能状態。元の木阿弥になるのだろうけど。。。

おっと、40を目前に控えた独身オヤジがグチグチとまた始(恥)めてしまった。

そんなモヤモヤを瞬時に忘れてしまうような、気持ちの良い野宿系お遍路「仁」さんと、本日は通夜堂で同宿。

四国は歩くと決めている、ライダー系遍路さんで、話が面白い面白い。

北海道の旅の話なんかを聞いていると、このまま歩き旅を続け、北海道に向かい、秋は鮭バイト!なんてプランしちゃうじゃない。。お遍路も何度目とのことで、テントの設営場所や、この先のルートなど足で稼いだ情報が心強い。

三日目にお会いしたHさん、十一日目にお会いした仁さんといい、お遍路をしていると、アドバイスをくれ、ケツを蹴っ飛ばしてくれる頼もしい先輩に巡り会う。

さっきまでの疲れはどこへやら、夜が更けるまで馬鹿話を続け、寝袋に潜り込む頃には「明日もフルパワーでいくぜい!」になっていた。



IMG_2087.PNG

11日目   

歩行距離 / 約36.1.8Km    土佐電鉄ごめん線 県立美術館通駅 〜 清瀧寺通夜堂
お寺 / 31,32,33,34,35    竹林寺    禅師峰寺    雪蹊寺 種間寺 清瀧寺

四国遍路 Shikoku Henro Day-10

DSC00760.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-10

高知、俺はお前の事が大好きだ。

朝、四国だから野宿していいという法律は無いし、お遍路の身なりをしていれば無理が通るというものでもない。当然、全ての四国の人がお遍路に寛大だと思ったら大間違い。

DSC00750.JPG

でも、マナーを守って暗くなってから寝床に潜り、早朝に撤収するならば、通報されたり、職務質問を受けたりするようなことが四国はやはり少ない。お遍路中の何度か野宿をしたけれど、全て無事に気持ちよく朝を迎えられ、この安芸市の朝がその一度目だった。

とはいって、やはり職質やら襲撃やら悪戯への心配が100%拭えない分、野宿の朝は、一日がただ始まったばかりなのに、何かをやり遂げたような感じがして、宿泊費を浮かすことができた嬉しさも加わる。

「よし、朝だ。問題なく朝を迎えられた!あざす!」

朝を無事に迎えさせてくれた四国、何も心配せずに寝起きできる家のありがたさ、家が無い人の辛さを知る。。。なんて言ったら大げさかな。

DSC00751.JPG

さて、出発。5時半。

昨日は朝の7時から休憩や食事を挟みつつも夜の9時過ぎまで歩いた。けれど、10時には寝ていたので、朝5時起きでも睡眠は7時間。

野宿歩き旅は、起きたら歩く、歩みを止めたら寝るといった究極のシンプル旅になる。朝食を待つ必要も、布団が敷かれるのを待つ必要も無いので、距離が伸びる伸びる。ま、距離が伸びるといったって「歩き」なので、自動車自転車にバシバシ追い越されるんだけど。

昨日の強行軍が功を奏し、今日はなんとか高知市内に辿り着けそうな予感。ずいずい歩く。

が、やってしまう。

DSC00754.JPG

7時過ぎ、歩いている時にサングラスを公園に忘れた事に気がつく。

りょりょ!ったく、相変わらずだな。

携帯の時刻表で調べると、まずはこのまま進んで、くろしお鉄道赤野駅に向かい、そこから引っ返して、サングラスをピックアップ、そして戻れば1時間のロスにもならなさそうなのが不幸中の幸いだ。

サングラスは既に傷だらけな上、ストラップを含めても7ドル程度。アメリカのウォールマートの釣りコーナーで買った安物。そのままでも構わないのだけど、ゴミとして捨てられるのと、せっかく朝を迎えさせてくれた場所に申し訳ないし、何よりあの偏光サングラスが無いと、四国の清流を泳ぐ「お魚チェック!」ができない。

DSC00756.JPG

ということで、赤野駅からくろしお鉄道に乗り、安芸市の学校に向かう学生さんにもまれつつ球場前駅に戻る。公園のベンチで無事、サングラスを見つける。そしてほどなくやってきた、ごめん方面に乗り、赤野駅にもどる。

DSC00758.JPG

DSC00759.JPG

赤野駅からは、海沿いの遊歩道を歩く事になる。せっかくの海沿いの道なのだけれど、午前中はロスを取り戻す!な勢いでずいずい進んでしまう。ま、防潮林や堤防で海を望める場所も限られてるし、いいや。。。と。途中、休憩中のアメリカ人女性とすれ違い様に会話する。

DSC00770.JPG

DSC00775.JPG

午前10時、旧夜須町の道の駅を通過、少し先の空き地で休憩。ここから海岸沿いの道を離れる。

午前12時前、二十八番札所、大日寺に到着。

納経していたのは、名古屋からの女性二人、先ほどのアメリカ人女性、何度も抜きつ抜かれつしている、長い付き合いのクロアチア人男性、そしてカナダ人男性。外国の方が多い。4月1日の出発は、区切りが良いこともあってたくさんのお遍路さんで賑わうかと思ったら、やっぱり世の中の人は真剣にお仕事する季節なのかな?

DSC00785.JPG

DSC00787.JPG

同世代、少し広げて20-40代の日本人男性ってのは、結構少数派なのかもしれない。ペースがあうあわないというのもあるけれど、同世代と話をしたい!という気持ちにおそわれる。

大日寺に入る以前から、高知の平野部にでたけれど、網の目のように伸びる疎水、水路などから田んぼに水が行き渡り、そこかしこで田植えが始まっていた。田植えに限らず、高知平野では社会科の時間で習った通り、ビニールハウスを使っての野菜の栽培も盛ん。土地改良と毛細血管状の水路がセットになった、アメリカやオーストラリアと比べたら、切なくなるような規模だけど、きめの細かい、日本の農業が実感できる。

DSC00792.JPG

DSC00795.JPG

DSC00798.JPG

そんな道を歩いていると、行商だかお裾分けだかのおばさんがクーラーボックスを開け、遍路道脇で、魚をすくってる。

小さな鯖に鰈、小魚を追っているうちに網にかかってしまったのかアオリイカなんかが入ってる。地引き網かなんかの外道を配っているのかもしれないけれど、これぞ土佐な光景。いいなぁ。

DSC00799.JPG

DSC00800.JPG

へんろ地図の距離表示がなんだか疑わしいのがたまにきずだったけれど、大日寺〜国分寺間は、気持ちのよい歩きだった。そして、午後2時半。二十九番札所土佐国分寺に到着。

平野部のお寺は、結界を破られて、俗世世俗な空気が満ち満ちて残念なお寺が少なくないけれど、この、土佐国分寺は別格。鎮守の杜のような緑に囲まれ、境内は周囲の喧噪から断たれており、「厳か」と言ってもいいようなピンとした空気で満ちている。

DSC00808.JPG

ここで、大日寺でお会いした名古屋の女性とまたご一緒になり、あのアメリカ人女性も納経を終え、ベンチで話をする。名古屋のお二人は、少し距離のある三十番札所善楽寺までタクシーを利用するらしいので、アメリカ人女性を気遣って、「ご一緒にどうですか?」と言う。

「No.30に、ご一緒にどうですか?とこのお二人が言ってるけど、タクシーを利用しますか?」と通訳すると、「歩いていく」とのことだったので、三十番の途中まで向かう事にした。

彼女は、NYの大学で陶芸を教えている教授!とのこと。

有田、伊万里、唐津のような産地だけでなく、瀬戸、美濃、常滑といった産地と特性なんかにも通暁しているのが嬉しい。「常滑」の読み方は、例によって「トコナミ」になっちゃってたけれど。

DSC00811.JPG

彼女と10分程話をしながら歩き、札所間にある名城、岡豊城に向かうべく城山の麓で別れる。ちょっと時間が怪しいけれど、土佐に来て岡豊城を外すのは、焼き肉屋に入って、チョレギサラダをバリバリやって、コムタンスープをすすって帰るだけと同じ。城馬鹿を自称するのなら、登らねばならぬ。

城への道を探していると、制服姿の中学生が通りかかり、彼に道を尋ねる。

丸坊主のふっくら体型なのに、耳に小さなピアス(偽?)をしていたり、やんちゃな盛りといった感じ。ら、失礼だけど尋ねる人を間違えたかなぁ、と思ったら。。。

「はい、お城の正確な場所は分かりませんが、歴史博物館の裏の方だと思います。そこまでの道は、小学校時代にも通った道で、分かります。」

と、凄く丁寧親切。

自転車を降り、「こちらです。」

と道をそれ、先導してくれる。なんだかホロっと来てしまい、大きくなって中学生になったら、こんな中学生になりたいなぁと思った。

ここまでくれば大丈夫!なところでお別れし、お礼を言う。握手させてもらった。

DSC00813.JPG

この出会いが自分の心のやわらかい部分にでも振れたのか、嬉しさがこみ上げ、体に力が漲り、歴史博物館までを駆け上がってしまう。脇の登城道から、疲れを忘れ、一気に「詰」と呼ばれる本丸跡までぐいぐい上がる。

のんびりと公園化された古城というのは、想定内で、雨が近いのか眺望も良くない。その上、文字通り走り抜けた訪問でじっくり城の遺構も味わうことができなかった。けれど、親切な中学生のおかげで、岡豊城巡りは、生涯忘れない城になるなぁ。ったく、本丸跡で大声で叫んでしまったじゃないか。

DSC00822.JPG

そういえば、越後の春日山城でも、地元の小学生にカウンター気味に元気に挨拶されて、泣いてしまったなぁ、なんて思いながら善楽寺を目指す。

DSC00847.JPG

テンションが上がりに上がっているので、道ですれ違う人に、ガンガン挨拶し、水路でバス釣りしてる人には、「もう、スポーニング(産卵に向けた巣作り)始まってますか」なんて声をかけてしまう。

そういえば、こんな感じのテンションの高いオヤジと一日目の夜に会ったなぁ。俺も20年後はあんなオッサンになるのかなぁ。。

挨拶を繰り返しつつも、時計を気にしながら進んでいると、すれ違いさまに挨拶した、犬を連れたお姉さんに、呼び止められ

「頑張って!これでコーヒーでも飲んで!」

と500円玉のお接待。有り難い。

この人と話すとスイッチが入って、感情が破れてしまうかもしれないので、南無大師遍昭金剛と三度唱え、「有り難うございます。大切に使わせていただきます」とお礼を言い、頭を下げる。「失礼します」少し歩いて、もう一度頭を下げる。

その後も、たいして賑やかなルートでもないのに、

「あと少し、5時までには間に合うよ!」「頑張って!」

なんて声をかけられる。

その応援のおかげか、三十番札所、善楽寺に納経受付の10分前に到着。先に納経帳への墨書と御朱印を済ませる。

DSC00851.JPG

中学生や、犬を連れたお姉さん、お菓子を大量にお裾分けしてくれた名古屋の女性のことを思い浮かべ、ゆっくり読経する。信心は引き続き、うっす薄だけれど、今日ここまで辿り着けた事、忘れ物もあったけれど、そのずっこけが、気持ちのよい一期一会を引寄せた事に感謝する。

般若心経も少し様になってきたかな?

ザックを置いたベンチに戻ると、自分より少し前に辿り着いた、アメリカ人陶芸教授女史。心が折れてしまったのか、ここからはタクシーを使うという事で、

「高知駅の方まで向かうけど、ご一緒にどうですか?」とどこかで効いたようなお誘いを受けるが、「歩いていく」と、これまたどこかで効いた事のあるような返事を返す。明日の天気を心配する話をしているうちにタクシーが来て、「また!良い旅を!」とお別れする。

ポツポツと怪しい天気の中を、三十一番所に向けて歩き出す。

昨年9月、歩き遍路を通しで結願し、高知県出身の友人に電話する。今日打った札所の話をし、今歩いている場所から見える景色のことを伝えると、「お、その辺は高校の頃のデートコースだよ」なんて言う。

うーん、田んぼと工場しかないぞ?

デートじゃなくて、ザリガニ獲りかバス釣りじゃないの?と返そうと思うが、おっと危ない「天に唾する」ってこのことだ。東村山の高校生のおデートだって、酷いもんだったじゃないか。

高知県立美術館まで歩いた所で、本日の歩きは終了。路面電車に乗り換え、高知駅に向かう。

DSC00861.JPG

辿り着いたホテルで、

「申し訳ございません、禁煙をご希望との事でしたが、あいにく禁煙ルームが満室でして。。消臭スプレーをお渡ししますので、気になりましたら。」

とのこと。

アメリカのホテルチェーンが高知の中堅ホテルを買収したパターンのホテルで、喫煙ルームが少なくない様子だけど。。。でもさ、禁煙を。。。と思い、キャンセルしようかと思うが。。。

部屋は少々タバコ臭いかもしれないが、一番臭いのは昨日野宿で、風呂にも入れなかった自分だ!と気がつく。そんなことを、フロントの方に頭をかきながら伝え、チェックインしていただく。

「お遍路さんですよね?うちの兄も、体の調子が良くなるよう、歩いてお遍路したんですけど。。。」

なんて会話をする。

徳島の平等寺近くの郵便局から出していた局留め郵便物を、高知中央郵便局で無事受領。テントと煮炊きの道具を引っ張りだしたいけれど、明日と明々後日の天気予報は雨。足りなくなった蝋燭と線香を必要な分、少し抜き出す程度で、荷物を土佐中村局に送る。

晩ご飯は、郵便局の向かいのスーパー、鰹のたたきやらお惣菜。

そういえば、お遍路始めてからお酒飲んでないな、着の身着のままで、居酒屋に入る気にもならないし、一人で晩酌はやらない質。そういえば、飛行機の中と、飲み会でしか、俺って飲まないなぁ。

ということで、せっかくだからお遍路中はアルコール断ちする!と決める。ま、楽勝だろうけど。

明日の雨は少々気が滅入るが、今日が素晴らしいかったので、今夜はびくともしない。





10日目   

歩行距離 / 約42.8Km    球場前駅近くの公園 〜 土佐電鉄ごめん線 県立美術館通駅
お寺 / 28,29,30    大日寺    国分寺    善楽寺

お遍路旅の詳細はあらためて。。。

四国遍路 Shikoku Henro Day-09

DSC00728.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-09

祝!初本格的野宿!YEAH!

9日目は、金剛頂寺を打って、28キロ歩いて神峯寺を打つという作戦の宿泊先未定パターンだったけれど、足の調子も問題なさそうだったし、暗くなってもテンションが下がらず、結果から言うと猛烈に歩いてしまった。GPSソフトの測定を鵜呑みにはできないといえ、約51キロちょい。へんろ地図換算でも約45キロは歩いたことになっている。

室戸への道を進んでいるうちに、ひたすら歩く事の退屈さ、退屈だけれど少しずつながら前に進み、文字通り「足で」道路標識の距離を減らしてゆく充実感が心地よかった。

朝食を済ませ、出発したのは午前7時過ぎ、四国山地から伸びる小高い場所にある二十六番札所、金剛頂寺には7時半過ぎに到着する。

「四国のお寺は登らせられる。」

なんて、日和佐の日帰り湯を浴びている時に何度目かのお遍路さんに言われ、心構えはできていたけれど、200メートルくらいの標高差ならば、足も体力もなんとなかるくらいになってきている。少しは成長したかな?

DSC00666.JPG

DSC00670.JPG

DSC00674.JPG


さて、そんなに甘くないであろう神峯寺に向けて、納経を済ませてすぐに出発。8時半過ぎに吉良川の味のある集落を通過。匂いに引寄せられ、集落の中にある徳屋という屋号のパン屋さんで、ぼうしパンを買うと、「頑張って!」なんてお声をかけてくださった上、あんぱんをお接待にいただいた。有り難うございます!

DSC00678.JPG

DSC00679.JPG

吉良川集落を抜け、旧道が国道に合流する場所にある休憩所で、一休み。ここで、食べるタイミングを逃していた、生見でいただいた小夏を頂く。これまた旨い。おばさんの顔を思い浮かべる。今日も、山にミカンを鳥にでかけているかなぁ。

DSC00682.JPG

DSC00676.JPG

DSC00685.JPG

10時前に再出発、ひたすら進む。左手に海、右手は海岸まで迫る四国の山な景色。そんな道を歩く。岬を目指し、その岬の向うに辿り着いても、またそのまた遥か彼方に岬、そしてちょっとした海沿いの集落に漁港の連続。けれど、向かう先は遠いとはいえ安芸市や高知市と言った町がある。退屈したら、コンビニで菓子パンでも食って、休み休み進めばいい。進もう。

DSC00693.JPG

DSC00697.JPG

奈半利の町で途切れていた鉄道が再開し、川を越えて田野町。二十三士が処刑された公園と、お墓参りをする。

DSC00703.JPG

短い休憩を挟みつつ、昼食はコンビニのものを歩き食いしながらひたすら進み、安田町に午後2時前に入る。安田町は土佐の真縦(まったて)と形容される、二十七番札所がある町。

海に迫る幾筋かの山を眺め、アレかなコレかなと思いながら歩いていると、道しるべやお遍路宿の看板などが集まる、土佐くろしお鉄道の高架近くの、まったりとした交差点に辿り着く。

どうやらここが登り口。

時刻は午後2時半。地滑りでも起らない限り、神峯寺で問題なく納経できそうなので、納経を済ませ山を下りたあと、今日はどこまで歩くかなんかを考えながら、一休みする。

ザックを近くの茂みに隠し、身軽になって登攀開始。

へんろ地図には乗っていない新しい農道が引かれていたりするものの、難なく道しるべを辿っているうちに、本格的な登りとなる。

DSC00709.JPG

そういえば、登りの手前で、鶴林寺で元気に自分を抜き去っていった若者とすれ違う。どういう遍路スタイルなのか知らないが、納経帳は?くらい小さなデイパックのみの軽装で、纏っている空気も軽快。

日程なんかの話を少しして、「お気をつけて!頑張って!」と声をかけて別れる。もう彼には追いつけないだろけど。

ふと気がついて振り返り、「写真とるよ!ポーズ!」

と言うと、ばっちりポージングしてくれた。いいねぇ。

やっぱ、遍路も人生も身軽が一番だなぁ、頑張れ若者!と思う。

彼のようなお遍路さんや人と出会うと、東京に置いてある商品在庫やら、一年に一度も目を通さない書類やら、煩わしいものがどっさりある、自分の重さを改めて痛感する。

DSC00710.JPG

そういえば、このブログを介し、年の離れた友人ができたけれど、彼は、社会人になる前に、身の回りのものを捨てに捨て、削りに削り、ついには大小のスーツケース一つずつ、それっきりにしてしまってたなぁ。

そんな事を考えているうちに、遍路道の直登、急傾斜の車道を歩きついで二十七番札所、神峯寺。麓から45分くらい。楽じゃないけれど、恐れる程でもないなぁというのが上り下りりしたあとの実感。

二十七番札所は、阿波の山寺同様、杉の大木が林立する素晴らしい場所にあるのだけれど、寄進やら浄財やらの名前入り石柱だらけで、他の多くの札所同様、興ざめな空気で、100点満点にはほど遠かった。そういえば納経所の方が、若い女性。なんでこんな山の上で?といった印象を受けた。大騒ぎのマイクロバスで上がってきたグループがたくさん入ってきたので、山を下りる。

身軽な若者、ゴテゴテとした山寺、そこの納経所にいた女性、大挙押し寄せるバス遍路。なんだかモヤモヤしたまま山を下る無職遍路。

山を登って降りての部分だけを切り取って思い返し、世の中には色んな奴がいる云々と語るのはわざとらしいし、とにかく父ちゃん母ちゃんありがとう!なんていう境地には辿り着かない。けれど、また一つ、難所と言われるお寺を打ち終えた。さ、前に進もう。体力もまだ残っている。

DSC00718.JPG

DSC00724.JPG

この時点で、休み休みでよいから安芸市まで行こうと決める。まあなんとかなるだろう。

日が傾き、落ち、ついには海に沈んでゆく。



DSC00733.JPG

今日は、あまり人とも関わらず、ひたすら歩いただけの一日だったけれど、安芸の町の灯りをたぐり寄せるようにして、防波堤沿いをひた歩き、安芸市に入ってもそれを続けた。

DSC00741.JPG

安芸市街を抜けた球場前駅近くの公園に頃合いの良いベンチを発見。早々に撤収すれば周囲にご迷惑をかけるような場所でもないなと見立て、寝袋に入り込む。

初めての本格的野宿だったけれど、色んな事を気にするより、「もう歩けない。寝たい。良さげなベンチがあるからここで寝る。」という感じ。



9日目   

歩行距離 / 約44.9Km    金剛頂寺麓の民宿 うらしま 〜 球場前駅近くの公園
お寺 / 26,27    金剛頂寺    神峯寺


四国遍路 Shikoku Henro Day-08

DSC00579.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-08

「室戸だ」

5時半起床、東洋大師の住職さんに改めてお礼を言って、6時15分に出発。

DSC00569.JPG

DSC00570.JPG

DSC00573.JPG

野根川を渡り、定置網が広げられた野根の漁港を過ぎ、伏越ノ鼻を越えるとおまっとさん!これより空海山の道となる。

日和佐から野根までは、岬に挟まれた入り江、川、集落、そしてまた岬な光景続きだったけれど、東洋町野根から室戸市佐喜浜の集落までの15キロ弱は、四国山地がそのままズズンと海にまで落ち込む、人を寄せ付けない地勢、期待通りの景色だった。

DSC00587.JPG

人間がやっとの事で、護岸と治山して道を通してる。蜀の桟道ならぬ土佐の桟道といったら大袈裟かな?そんな一キロごとの距離表示標柱がなければ、無限にも思えてしまいそうな道をひた歩く。途中で海岸で岩を拾っているお遍路さんに大声で朝の挨拶。

おじさんは石を拾っているようだけれど、海に入って潜っている素潜りの漁師もいる。更にその向うには定置網。

海で獲って、山で採って、それを喰らって生きている感が四国には漂っているけれど、土佐に入るとその感じがひと際強くなる。高知の森林率は日本一、沖には黒潮。そりゃぁ、人間だって豪快になるわと思う。

そんなことを思いながら歩いていると、目の前で自動車が停車。あ、さっき海岸で石を拾ってたお遍路おじさんだ。お話しすると何度も回っておられる広島からの先達さん。明日から高知スタートの団体さんを先達するそうで、「少ないけれど、これで栄養でもつけてください。頑張って!」と500円の現金お接待。

言葉だけでもありがたい、おいらは無職の穀潰し系遍路。500円なんてもらって良いのかしらん。東京に戻ってバイトしたって、時給1,000円だってもらえないかもしれない俺なのに。

楽しみにしていた、山が海に突っ込んでゆく海岸をそんなお接待に感謝しつつ歩ききり、佐喜浜の集落に到着。野根の集落から約3時間が経っていた。佐喜浜のモンマートで食料を注入し、ベンチで小休止。軽トラで現れたお兄さんが、エロ漫画を颯爽とお買い上げし、去っていった。

更に南へ。

佐喜浜からは、山が海に落ち込むようなダイナミックな地形はなりをひそめ、広くはないけれど田んぼや家並みなどが転々とするようになる。

そういえば足の方も、海部のドラッグストアで購入した湿布が効いているのか、昨日の40キロ越えの歩行距離にも関わらず、好調。少々突っ張る感はあるけれど、それが激痛に変わりそうな予感は無い。

DSC00602.JPG

DSC00603.JPG

DSC00605.JPG

11時20分頃、室戸市椎名漁港。ここでまた休憩。

定置網で獲れたブリが、氷詰めのプラスチック製コンテナに満杯になり、フォークでそのままトラックに積まれてゆく。漁師のおじさんと話すと、

「定置網は、夏の台風の時期だけ陸に上げるけれど、それ以外は一年中こうして漁に出てるんよ。ブリだけでなく、鰯からクジラまでなんでもとれるぞい!」と息荒い。

椎名漁港を越えたあたりで、室戸への距離表示が15キロくらいとなり、室戸岬が射程圏に入る。午後1時45分頃、空海が悟りを拓いた御蔵洞に到着。

DSC00612.JPG

DSC00616.JPG

DSC00622.JPG

修行の為に住み着き、洞窟から見える景色が空と海だけだったから、「空海」になったという有名な洞窟。明星が口から体の中に飛び込んで悟りをひらいた場所。

残念ながら、大型バスの到着とその元気なガイドさんの声が響き渡り、空海が感じた景色や空気を自分のものにし、一体感を得る事はできなかった。

DSC00632.JPG

そして、ようやく久しぶりの二十四番札所、最御崎寺へ。

標高165メートルの室戸の崖の上のお寺。友人のブログでも雰囲気が良いと書いてあったけれど、海に囲まれた岬の上に立っている事を忘れさせるような静けさの境内に、山門から本道までスッと石畳が延びていており、齷齪歩いてきた気分を洗うようなお寺だった。

室戸岬の灯台で記念撮影し、二十五番札所、津照寺へ。読み方は「しんしょうじ」で成田山と音は同じだ。つづらの道を下り、厳つい堤防で固められた室戸の海岸や港の脇を北へ向かう。

DSC00651.JPG

DSC00650.JPG

午後四時過ぎ、津照寺到着。

海の安全を司るお寺との事で、そう遠くない将来、小型漁船で石垣から屋久島へ船を回航するガクさんの船旅の安全を祈念する。

DSC00652.JPG

DSC00660.JPG

曜日もあるのか、どうも活気がない室戸を抜けながら、ビバーク場所を探しながら二十六番札所までの道を行くが、今日は自分にご褒美なつもりで民宿に泊まる事に決め、道すがら何度も見かけた民宿「うらしま」へ投宿する事にした。





8日目   

歩行距離 / 約41.8Km    東洋大師 〜 金剛頂寺麓の民宿 うらしま   
お寺 / 24,25    最御崎寺    津照寺

四国遍路 Shikoku Henro Day-07-002

DSC00562.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-07-002

修行の道場にログインしました。

砂利運搬船らしき、内航船の出港を那佐湾の港で見送り、午後3時前、日の高いうちに宍喰の集落に到着する。今日の目標を東陽町の生見か野根と定め、万が一の野宿に備え、道の駅脇ホテルの海野見える温泉に浸かる。

DSC00522.JPG

おじいさん漁師さん達の、

「水が冷たくて、水揚げはたったの7,000円だったよ」

なんていう会話を盗み聞き?しながら、足をマッサージし旅の垢を落とす。

午後4時、宍喰を出発。水床トンネルを抜けると高知県。

高知県の始めの地方自治体は東洋町。東陽町だったら、なんだか地下鉄で行けちゃいそうな地名だけれど、こちらのとうよう町は、徳島から続いてきた鉄道が途絶える場所。終点は甲浦(カンノウラ)駅。ここから南、室戸までの公共交通機関は、一日数本のバスのみになる。鉄道が途絶えるというのは、そこから人口が減り、鉄道を敷設するに厳しい地形になることも意味してる。

DSC00530.JPG

甲浦で思い出すのは、征韓論に破れ下野し、その後、佐賀の乱で破れた江藤新平が逃亡中に捕縛された土地。自らが整備した警察制度、人相書きに変わる写真手配によって甲浦で捕まったんだよなぁ。キレキレ脳に滾る血潮な直情型。江藤新平は大村益次郎の次に好きな幕末明治の偉人。ああ、司馬遼太郎の「歳月」が再読したいなぁ。時間があれば由来のある場所や、石碑などを訪れたかったのだけれど。。。残念、傾き始めた陽に急かされ、生見の集落まで進む。

生見も海部などと同じく、波乗りの盛んな集落だけれど、四季を問わず収穫される柑橘系でもお馴染みの模様。役場からまっすぐ伸びる道沿いに、直売店が並ぶ。そのうちの一軒からお声がけ。

「兄さん、小夏たべてきなさい」

ありがたく頂く。

おばさんと話すと、味に遜色は無いのだけど出荷するには見た目が今一歩な品をお裾分けしてくれるみたい。美味しい。今出荷される小夏はオレンジくらいの大きさのものと、小さな蜜柑サイズのものがあるようだけど、オレンジサイズ小夏は皮が厚い。

おばさんが包丁で、表面の黄色い部分を除くだけのように切ってくれる。どうやら皮ごとモリモリ食べるそう。なるほど、食べると厚手に残した白い皮が、具を包むお菓子の生地みたいな感覚で頂ける。

寒さにやられないよう、一個一個大事に紙でくるんまれ、冬を越え、腰を曲げたおばさんが急斜面で採った小夏。遠慮せず、心していくつも頂く。この小夏にも宿毛や、宮崎など、育つ場所や細かい品種によっていろいろ味が変わるそうだ。あー、うまい。

徳島ではお接待していただいた八朔が、クラクラするくらい旨かったけど、高知の小夏も痺れるなぁ。

そして、小さな蜜柑サイズの小夏をどっさりお土産に持たされる。僕のような穀潰しに声をかけてくださり、苦労して育てた果物を。。。

DSC00558.JPG

旅仲間、土地の人々の助けに支えられた世界の旅に一区切りがつき、皆さんにお礼の気持ちだけでも遍路を通してお返ししよう。。。と思ったのがお遍路に出た理由の一つでもあるのだけど、更にお世話されてしまってばかりだ。

生見の集落から一山越えると夕闇になる。

DSC00563.JPG

なんとか歩き通し、午後6時半に東洋大師に辿り着く。今日お会いした人、接待をしてくださった方、ふと思い出した幼なじみの姿を思い返しながら納経し、断って通夜堂をお借りする。

通夜堂は6帖程で、室内は整然としており、空海や真言宗関連の書籍も多い。

今日はよく歩いた。そういえばお風呂にも入った。

寝袋に入って電気を消す、最後に時計を見た記憶は午後8時過ぎ。



7日目   

歩行距離 / 約42.0Km    薬王寺前 善根宿はしもと 〜 東洋大師
お寺 / 参詣なし

四国遍路 Shikoku Henro Day-07-001

DSC00471.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-07-001

室戸へ

5時半起床、6時前に出発する。

二十四番札所、最御崎寺までは75キロ。途中からはJRも第三セクターの鉄道も途切れる、

歩け!心が折れぬよう!

な道の始まり始まり。

四国山地がズドーンと海に落ち込む海、そして空だけ。。の景色を期待していたのだけれど、日和佐から牟岐町までは山道、そこから先も、海南町や海部、宍喰などの町などを通り過ぎる事になり、美しい海辺の景色が続くものの、人の営みから切り離されるような景色はあまり無い。少なくとも海洋町の宍喰市街までは、食料や水分補給などの問題はあまりないなというのが一日歩いた感想だった。

DSC00475.JPG

足の痛みは気にならない程度になり、マメは処置済みで歩きを妨げる程でない。一昨日の状態を考えたら快調そのもの!

日和佐のコンビニで買ったメロンパン、かじりっこ納豆巻き、おいなりさん五目おむすびを、牟岐町までの約15キロであっさり消費する。途中の道では田植えが始まっていた。

満開の桜、田植え、上級生に引率されて歩いている姿、背景の山と川。老人が何かを思いながら海を見つめる姿。四国を歩きながら色んな景色と人を目にしたけど、時々、何か心を揺さぶられ、歩きながら涙がドバーッと出てしまう事がある。なんでだろ?

DSC00485.JPG

DSC00488.JPG

牟岐町のサンクスでの足休め中に、東村山に住んでいたこともあるという野宿系、年の頃は六十歳くらいのお遍路さんと一緒になった。一日25キロくらいのゆっくりな野宿ペースで回っているそうで、昨日は日和佐を抜けた遍路小屋近くで夜明かししたとの事。

気合いを入れ、進もうとすると牟岐警察署脇で声をかけられる。

あ、ガイドブックや友人のブログにも乗っている牟岐警察署前接待所だな?とピーンと来る。歩いていると、警察のパトカーが目に見えて自分の近くで減速したり、追い抜いたパトカーが、何処かで引き返し、あらためてまたすれ違ったり、思い過ごしな部分もあるかと思うけどあまり気持ちがよくなかったので、暖かいお接待に少々恐縮してしまう。

お礼をして出発。

DSC00494.JPG

DSC00501.JPG

二つトンネルを抜けると、ようやく海が見え、さらに歩くと鯖大師。

別格の鯖大師で足休めをしていると、立江あたりから抜きつ抜かれつの50代の男性Mさんと一緒になる。

「お、別格も回っているんですか?」と声をかけられる。

「いや、八十八カ所からそれていない所をチョイチョイいこうかと」

と返す。お名前は伺わなかったけれど、二度目のお遍路で、今回は色々あって通し打ちを断念、高知市周辺を打って一旦終わらせるとの事だった。

そういえば、

「歩きをやめるもっともな理由があればねぇ、今回はなんかちょっと疲れましたよ。」

なんて一昨日は言ってたっけ、お遍路を中断する理由が見つかったのかな?

気侭な生活を続け、旅に身を置く事は長かったけれど、ちょくちょく日本に戻るスタイルだったから、結婚式やらの予定が早いうちから決まっているイベントには参加できたし、旅を中断せざるを得ない突然のアクシデントや不幸といったことがあまり無かった。

唯一、緊急帰国したのは、ベトナムで知った幼なじみの突然の死だった。Mさんと話しているのだけど、頭の中は、幼なじみの口癖や、一緒に闘将ダイモスの超合金で遊んだ幼なじみの家の様子、少年野球チームで惨敗した景色なんかを思い出した。

DSC00505.JPG

DSC00513.JPG

午後一時過ぎ、海陽町中心部を抜け、海部川を越える。

20代の時、波乗りのイロハを教えてくれ、仕事に追われ精神状態が危なかった時に世話になった恩人は、海部の波が大好きで、

「四国の川は、短くて急でさ、石が小さくなる間もなく海に流れ出して、海部あたりの海岸線は、丸石なんかでゴロゴロしてる。だから、大雨が降ると、川から流れ出した石でリバーマウスの地形がばっちり決まって、その大雨が台風だったら、うねりと風がばっちりになって、波が安定するんだよ」

なんて、四国の様子を語ってくれたなぁ。

さて、歩くこと自体に慣れてしまえば、40キロオーバーくらいの長距離にならないかぎり「疲労」を感じる事はない。このあたりが、動けない!なピンチを招いた理由でもあるのだけど、ランニングと大きく違う所。

ただ、長距離を何に道も歩き続けると、時折、四国の花鳥風月に心を癒されたりしつつも、頭の中は、昨日の出来事や昨日会った人、友人や家族の事を思い出したりするくらいがやっとになる。次の札所や目的地にたどり着く事のような直近の事に集中してるからか、お遍路が終わったあとのことを含め、将来の事を考えたりすることはあまり無かった。

一歩一歩、一日一日がやっとだからこそ、将来の事はもちろん、雑多な事を考える余裕のない、それどころではない状態といったところ。心の器が、空っぽになった「無心」状態というより、一つの事で満たされ、他のものの入る余地がない「無心」といった状態になる。

歩き旅が終わり、人との関わりの中で生きる社会に戻ったなら、この状態は、即ち思考停止でもあり、考えものだけれど、お遍路している間くらいは、こんな思考停止状態も良いのかもしれないし。徒歩旅の魅力は、まさにこの状態なのかもしれない。

四国遍路 Shikoku Henro Day-06

DSC00433.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-06

三期三会

痛みは少し引いた。

けれど、階段の上り下りや座卓での着席する様はけが人のそれ状態。食事を済ませテーピングでがっちり足首を固めて身支度する。

同宿の横浜からの自転車遍路さんとご一緒だったけれど、本日は100キロ以上走るとのこと。自転車だと徳島の山の中から一気に室戸岬まで行ける自転車姿と、健康な体が羨ましい!いってらっしゃい!

さて、7時過ぎに出発。歩き始める。

スピードは今までの半分。約2.5キロくらいのノロノロ。それでも、旅を中断を覚悟した昨日の午後よりは良い。少なくとも前進できるのだから。

DSC00413.JPG

足の状態が酷いので、大根峠を越える遍路道をパスし、阿瀬比の集落から国道195号を阿南市山口町まで進み、剣道84号線経由で二十二番札所平等時を目指す。5キロくらい歩くと、痛みはあるけれどその痛みにもなれ、スピードも少し回復する。

平等時近くの新野の集落が見えた所で脇から、外国人遍路さん。

あ、昨日、足を痛めて動けなくなっていたときも言葉を交わしたクロアチア人の男性だ。

日本語を福岡で勉強してから旅を始めたという事だけれど、なんとなくよりスムーズにコミュニケーションできる英語で会話する。どうやらリエカ近郊、イタリ アにすぐの海沿いのご出身の様子。歩き続けているけれど、そろそろ足が痛いし、ザックが合わず肩も疲れ、バスや電車を使う予定との事。そうだなぁ、その装 備でデニム姿だと腿が上がらず登り辛いだろう。

こちらも昨日動けなくなって、東京に帰ろうかと思ったよとか、ようやく歩きの調子が戻り始めたことを伝える。

今日は自分が宿泊した龍山荘の近くの宿からの出発らしく、外国のお遍路さんに向けて書かれたガイドブックを読んでいるうちに道をそれてしまったようだ。

おっと、

尿意を催したので、平等寺が見えた所で一旦分かれ、道をそれ小用する。

と、なんだか自分の下半身からほとばしる瀧の向うに木片。

ぬ?

誰だよ!こんな所に金剛杖を放り投げた奴は!

なんと、誰かが忘れたのか、捨てたのかしれないけれど、金剛杖にバシャバシャと。。。ぶっかけて。。。

DSC00418.JPG

繰り返しになるが、金剛杖はお大師様の化身。こんな罰当たりな事をしたら、頭の上に雷が落ちかねない。。ららら、すぐさま、近くの川に持っていき洗浄。

平等寺まで二本杖で向かい、納経所脇の杖がたくさん置かれている場所に一礼して、お別れする。

DSC00420.JPG

平等寺は縁起によると、

弘法大師がこの地を訪れたとき、空に五色の瑞雲がたなびき、金色に輝く大日如来の梵字が現れ、大師が歓喜したという。大師はこの梵字の瑞相(吉兆とかめで たい事みたいな意味)に加持すると、功名が四方に輝き、その梵字が薬師如来の尊像に姿を変えた。そこで大師が加持水を求めて杖で井戸を掘ると、乳白色をし た水が涌き溢れ、その霊水で身を清めた大師は、百日間の修行の後に、薬師如来を刻み、本尊として安置した。

とのこと。

そんなお寺のすぐ近くで、霊水いや、小便をお大師様にひっかけてしまった自分。さて、こっから先どんな艱難辛苦が待っているやら。。。

DSC00422.JPG

クロアチア人の男性と境内で少し話し、お見送り。

9時45分頃に出発。

徳島から局留めで新野局までテントやらを送っていたのだけれど、足の調子が悪く、計画が乱れていた上しばらくは重量を軽くしたい。ということで、いっきに高知市中央局まで先送りする事にした。

DSC00424.JPG

平等寺の先は、人気の海側ルートを断念し、距離が短めながら退屈の国道55号ルートを選択し、足休めを何度も挟みながら、20キロ程の距離を、6時間かけて歩く。

室戸までの距離表示に、猿を見かけたこと、そして、パトカーが監視するように何度かすれ違った。

DSC00426.JPG

DSC00448.JPG

日和佐の模擬天守っぽいお城も、二十三番札所薬王寺も桜が満開。

2日目と4日目にお寺で出会った女の子と再会する。明日からの長い室戸への道は、鉄道とバスを乗り継いでゆくようで、納経を一緒に済ませ、

「これも何かの縁ですね、一緒に写真でもとりませんか」と言われる。

女性からのお申し出!当然二つ返事。

スピードを出しすぎたり、足の調子が悪くなったからこその、三期三会だったけれど、愛知から来たという彼女と会うのもコレが最後だろうなぁ。

DSC00451.JPG

DSC00454.JPG

DSC00455.JPG

そんなことを思いながら桜をバックにカメラに納まる。

薬王寺近くで野宿でもするかと思うが、はしもと善根宿さんに連絡すると、「どうぞ」とのこと。バスを改造した宿までは、近くにいらしたご主人にクルマで送っていただき辿り着く。

同宿は、徳島出身の地元お遍路さんと、おじさんとチェコ人遍路、そして自分。

今日、クロアチア人お遍路さんと、「クロアチア語でアリガトウは、ディクエだったけ?」と尋ねたら、「それはチェコ語だなぁ」と言われたばかり。自分のス ペースを作ってくれたチェコ人の彼に、さっそく、「ディンクエ、ディクエ」とお礼する。正確にはヂィクユみたいな発音らしいのだけど、ナイスキャッチして くれたのか、言葉が伝わり、嬉しそうな顔をしてくれた。

あ、そういえば足の痛みが、劇的に治まってる。

お大師さんに小便をかけ、パトカーを睨み心の中で悪態をつき、女の子にあらぬ気を起こしそうになった罰当たりな一日だったのに。

明日は室戸アタック初日。気合い入れていくぞ!

IMG_2078.PNG
画像は2日分

四国遍路 Day-5&6

5日目   

歩行距離 / 約24.5Km    立江寺近く民宿 鮒の里 〜 太龍山麓の民宿 龍山荘   
お寺 / 20,21    鶴林寺    太龍寺

6日目

歩行距離 / 約26.7Km    太龍山麓の民宿 龍山荘 〜 薬王寺前 善根宿はしもと  
お寺 / 22,23    平等寺    薬王寺   





四国遍路 Shikoku Henro Day-05-002

DSC00397.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-05-002

ら?歩けないのですが?

さて、この太龍寺の下り。二十二番札所平等寺を目指す。

太龍寺山のアスファルト道を下っていると、

ズキン!

と右足アキレス腱とふくらはぎの間あたりに、突然の激痛。

「ぬほ!何のこれしき!」

と、歩き続けようとするが、僅か20メートルくらい進んだところで騙し騙しの前進すらできなくなる。

ら?

左足の同じ場所が、関東での予行演習、箱根の坂を下っているときに痛くなったことはあったけれど、痛みの度合いが異次元。

よ?

試行錯誤の末、左足を前方に、痛めた右足を真横にすれば、ペンギンのように進むことは出来るけれど、スピードが大幅に落ちるだけでなく、続けて100メートル歩くのがやっと。

体調も万全で疲れもない。ただ足だけが動かないのがもどかしい。

なんとか、顔をしかめながら進み、道の脇の沢で足を冷やす。

下りてくる何人かのお遍路さんには、「ちょっと足が痛くなっちゃって」
なんて言って笑顔を返すけれど、心中は穏やかでない。こんな動けなくなるような痛みは、四国遍路を初めてはおろか、学生時代の部活、いや人生で初めてかもしれない。混乱しつつ対処法などを検討したいが、山中のため、携帯電話も「圏外」だ。

頭に浮かんでは消えるのは、

「おいおいおい、学校も仕事も長続きしない奴が、お遍路なんてするもんじゃないねぇー、何?まともに一国歩き通すことも出来なかったの?この糞虫!」

という嘲笑やら、それにどう言い訳すりゃあいいの。。。とか。

沢で冷やしているうちに、疲れと自暴自棄な気持ちから意識が遠のく。

気がつくと目の前に立っている指をくわえた、汚らしい洟垂れ小僧がポツンと一人。どうやら腹を空かしている様子。

「ほう坊主?どうしたこんな山の中で、ん?腹が減ってるのか?よし、1本だけで申し訳ねぇが、おいらがもっとる最後のカロリーメイト、これでも食って日が暮れないうちに帰りなさい」

と、頭をなで、ザックから最後の行動食を取り出して渡す。

ふと目をそらすと、その小僧がいなくなっており、気がつくと足の痛みが嘘のように無くなっている。やった!と思って歩き出そうとすると、ザックが重い。ぬ?と中をのぞくと100兆円。

なーんていうのが、理想的な日本昔話系ハッピーエンドだけど、そうはいかない。

何とかしますよ、と楽天的な空気を放ち、通りがかりの地元の爺さんにも

「ちょっと足を痛めまして」

以上の深刻な状況は顔に出さず、説明しない。

「ここで、足を痛めるお遍路さんがたくさんおる。もう少し先に民宿があるけ、そこまで歩けるかい?お、歩けそうか。それじゃ大丈夫。」

といった会話で収まるよう、水を向ける。

ピンチなので、「車を呼ぶかい?」なんて言われたら、迷わずそれに乗っかってしまいそうだ。

二十一番札所、平等寺の本日の納経は、愛川欽也的に、

「はい消えた−、完全に消えたぁー」

だ。。。けれど、時間がかかってもいいから四国を歩き通したい。

ザックの脇に傘を差した欧米系遍路さん、自転車遍路さんに先を行かれ、1時間近く冷却と休憩をして、再出発。スピードは上がらないけれど、痛めた右足を進行方向直角にし、痛めた箇所に衝撃が伝わらないようにすればなんとか前に進めそう。よし。

DSC00401.JPG

DSC00402.JPG

15時過ぎに、ようやく太龍寺をおりて一番目の民宿、龍山荘にたどり着く。飛び込みでも構わないとのことなので、本日のお遍路はこれにて終了。

DSC00404.JPG

足を温めないようにしつつ風呂に入り、食事もキッチリ頂くものの、痛みはいっこうに引かず、部屋までの上り下りが辛い。ぬぅ。

一晩寝たくらいで、歩けるようになるだろうか。

不安な気持ちのまま布団に入り、午後8時には寝てしまった。

四国遍路 Shikoku Henro Day-05-001

DSC00354.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-05-001

道中最大のピンチ、五日目

お遍路さんになって五日もすると、早い人は、足の豆なんかを克服し、ぐいぐい距離をのばす方もいるようだけれど、自分にとって道中最大のピンチ、遍路を続行することが出来るか否かの瀬戸際に立たされたのは、この五日目だった。

威勢良く四国入りした分、足を動かせなくなって山の中で身もだえ、頭を抱えたこの日の日記(といっても走り書き程度)を読み返すと、この痛みが続くとなると、四国はおろか徳島一国さえ、寺の巡拝を終えることが出来ないかもしれない。。。。なんてことが書いてある。

DSC00343.JPG

素泊まりだけどおにぎりを作って頂き、午前6時の出発。そんな一日は、地獄の「じ」の字すらのぞかせず、快晴の空の下で始まる。

二十番札所、鶴林寺までの距離は平かな県道沿いが10キロと少し、そのあとは急な登り。五日目、中高年が少なくない歩き遍路で巡拝する人の中では早めなペース。県道をひた歩き、時々お声がけしつつ前を行く方々を追い越しながら歩く。

7時過ぎにへんろ地図にも載っている勝浦町沼江("ぬえ"と読む)のローソンで休憩。伊藤園の野菜ジュースを注入。8時に鶴林寺に続く登山口にたどり着き、そこでまた小休止して、生名の集落を抜けながら登って行く。

へんろ道ぞいの川に沢山の魚がおり、地元の方に名前を聞くと

「ここらでは”ハイ”とよんどるね」

うーん、オイカワかなウグイかな?オイカワにしては少し大きいのだけど。集落を抜けると柑橘畑。この柑橘畑を縫うような道、集落の背後、標高にして60メートルから180メートルまで、地図で見てもたいした標高差ではない20分間の登りがきつかった。

DSC00349.JPG

DSC00351.JPG

DSC00352.JPG

整備された未舗装の山道を30分ほど登り続けて、尾根となり、眼下に蛇行する那賀川。二十番札所、鶴林寺には、9時半頃にたどり着く。山門前では、昨日飴を頂いたご夫妻と再会した。

DSC00356.JPG

DSC00361.JPG

石段や参道を掃き清める方々が沢山おり、立江の夫婦のことを思い出す。八十八箇所の札所となっている寺は、莫大な納経料が安定的に納められるため、近在の檀家さんをおろそかにする寺もある云々。。なんて話を聞くこともあるけれど、昨日の夜、移住のことを話をした女性は「お鶴さん」と親しげにこのお寺のことを話していた。このお寺はなんだか大事にされている印象が強いなぁ。厚い信仰心に支えられている。辿り着く苦労も加味されるけれど、やっぱり山の上のお寺は良い。

そんな鶴林寺で納経を済ませ、休憩も程々に御前10時には山を下りる。

焼山寺の難所っぷりにお遍路を始まる前、戦々恐々としていたけれど、個人的には鶴林寺への上り、そして「急降下」と言い替えても差し支えなさそうな、コンクリ丸太階段系段差。これが自分には。。。堪えた。

DSC00362.JPG

那賀川の水、白い河原に緑の山、そして抜けるような青空を独り占めにしながら橋を渡り、渓流沿いの道をしばらく歩き、山道にそれて登って行くと、二十一番札所太龍寺。

DSC00379.JPG

DSC00395.JPG

台風の影響で本堂が大々的な修復中ながら、石垣が見事な、ちょっと手を加えれば、見事な山城になってしまいそうなお寺。イタリア人お遍路さんと、少し言葉を交わし、タイミングをずらして納経を済ませた。


四国遍路 Shikoku Henro Day-04-002

DSC00319.JPG

四国遍路 Shikoku Henro Day-04-002

町を抜ける

徳 島市街を抜けるとき、焼山寺までとその後の山道とのギャップ、賑やかさに、里心が湧く遍路もいるという。自分として焼山寺の難所をクリアした安心感と先は 長いけれど小さな達成感があり、前へ!という気持ちは折れなかった。ま、何より、友人や周囲に歩いてまわると宣言してしまったことが、枷にも後押しにもな り、それは次へ!に繋がる。

荷物を徳島駅のロッカーに残し身軽になって再出発。

徳島県庁近くを12時半に通過。国道55号が始まり、道路標記には室戸134キロ。つい数日前に、チラホラとだけ咲いていた桜が満開だった。

桜 が一気に満開になるのは有り難いけれど、日差しが急に春めいて、なかなか。このあたりの国道55号の歩道は、ゆったりとして凹凸もなくありがたいのだけれ ど、日陰がなくて始終照り返され、一気に日焼けしてしまった。また、交通量に反して自転車や歩きの人が少ない時間帯で、挨拶する相手すらおらいない。札所 間の距離も相まって、退屈だった。

そんな国道55号沿いをひた歩き続けていると、脇道にそれるへんろ道の道しるべ。15時前に十七番札所、恩山寺に到着する。

DSC00304.JPG

時折休憩を入れ、スピードにも変化をつけたけれど最後まで退屈で気分が乗らなかった。お寺で納経しても、なんだか気分が上がらない。

唯一の救いは、切幡寺でお会いした、20代?の女の子と少し言葉を交わしたこと。昨日の雨の話をすると、申し訳なさそうに焼山寺はバスを利用したと言う。「お気をつけて、お先に」と声をかけ、恩山寺を出る。


DSC00314.JPG

DSC00317.JPG

へんろ地図の東西南北に少々戸惑いながら、十八番札所、立江寺へ。

国道をそれ、交通量の少ない郊外の里山を縫うようにして歩く、途中、お京塚という小さなお寺と、花火工場の近くで桜が輝くように咲いていた。

ここ数年は、桜が咲く前に確定申告やらの作業を済ませ、それが終わると逃げるように海外という生活リズムが続き、桜をじっくり拝むのは、なんだか久方ぶり。皆に愛され、可憐で潔い桜のような生き方。。

うーん、無理だなぁなんて思う。

田圃の水でも入ったのか、濁った立江川にかかる橋を渡り、十八番札所、立江寺。

高 野山真言宗別格本山らしいが、信仰心もなければ、「別格」や「新何十何カ所巡り」なんていう言葉に既に食傷気味だった自分に、ありがたさは伝わらない。立 派な本堂や、大師像が、小さな立江の町に囲まれ、コンパクトにまとめられているという印象。納経を終え、山門前で休む。

DSC00322.JPG

DSC00324.JPG
マメが欲しいならヤルぞい

見覚えのない、初老のご夫婦に

「国分寺でもお見かけしました、国道沿いでも休んでおりましたね、しんどいですか?」

と声をかけられ、素直に、札所間の長さや道の退屈さに退屈辟易したと返す。これどうぞ、と不二家のミルキーを頂く。ご夫婦が去ったところで、足と靴下を乾かしながらミルキーを放り込むと、紙包みに「大吉」の印字があった。

一息つけたので徳島市に戻るべく立江駅に向かう。無人駅の立江駅で休んでいると、

「昨日は大変だったでしょう」

と年配のご夫婦に声をかけられる。

このあたりがご実家で歩きのお遍路をよく接待するそうで、飴を頂く。昨日の天気や、今日のお遍路のアレコレなんかを話す。ご主人は言葉数少なめだったけれど、奥さんは、この先の鶴林寺のあたりのご出身のようで、歩き遍路向けの善根宿なんかを気遣ってくださった。

その気遣いは、東京に住んでいる事にまで及び、徳島の空気や山の美しさに感動したことを返すと。

「個人で自由にお仕事されてるのなら、こちらに引っ越してくれば如何ですか。」

なんて言われる。自分としても、四国や九州に半移住するなんてのは、やぶさかでないので、実際に数日前に検索した徳島の家賃の安さなんかも含め、

「ほんと、この辺りに住むことだって考えちゃいますよ。」

とにこやかに返す。けれど、

「東京や関東地方は、ご実家もあるから大変でしょうが、放射能汚染で非常に危険ですよ。私は、○△教授の講演なんかにも出向いて、いろいろ勉強してますが、人が住むような所ではないですよ。引っ越しなさい。」

と奥さん。

この考えがこの辺りの方々の共通認識ではないだろうけれど、駅で交わしたこの短い会話は、その後もなんだか尾を引いた。んなこと言われても。



徳島駅に一旦戻り、中央局から、明日明後日は出番がないであろうテントを局留めで先送りしたり、阿波踊り会館近くの新町温泉でお風呂を浴びつつコインランドリーで数日分の洗濯。

終電で立江に戻り、駅泊しようとも思ったけれど、終電が終わるまでの一時間チョイの待ちぼうけと、10度をきっているであろう、ちょい寒の徳島の夜が辛抱できず、立江寺近くの民宿に素泊まりする。11時就寝。





IMG_2077.PNG   

歩行距離 / 約30.6Km    軽井沢キャンプ場 〜 立江寺   
お寺 / 13,14,15,16,17,18,19    大日寺    常楽寺    国分寺    観音寺    井戸寺    恩山寺    立江寺

<< | 2/5PAGES | >>