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COLOMBO コロンボ

Colombo


空港近くの古ぼけたターミナルをおんぼろバスは出発し、
白み始めるコロンボ郊外を中心部へ向かいます。

湿気を帯びた空気に吹かれ、一時間ほどしてたどり着いたのは、
コロンボ中央駅のFort Station。近くのバスターミナルに加え、
市場が隣接しているため、なかなかの賑わいです。



市場から野菜やら穀物の袋を担ぎ出した男たちが、
オートリクシャの列を縫うように歩き、そのそばで、
普段着姿の車掌が、すし詰めのバスにさらに乗せようと
行き先を連呼する声が響く。嗚呼、ここはスリランカぁ
なのです。

ピカピカになった空港(またまた円借款空港だ!)と違って、

10年たってもたいして変わらない光景。

10年前はサーフボード担いでそのまま南のヒッカデュワに
向かったのですが、今回は郊外のゲストハウスに宿泊。



コロンボの喧騒はほんの少ししか味わえませんでしたが、
このモンスーンな空気は、どこか日本を思い起こさせます。

ああ、カッパ寿司くいてぇ。。。。

PETRA



中東の3Pなどと言われていますが、

ペルセポリス
パルミラ
ペトラ

の中では、間違いなくこの遺跡がナンバーワンです。(ダントツ)



中東では比較的安定しているヨルダンにあるということもあり、
欧米の観光客が多いこと多いこと。





パルミラなんか、ほぼ一人で遺跡を歩き回っていたくらいなのに、
ここペトラでは大型バスが20台も30台も押し寄せています。



入場料も21JD(約3300円)といいお値段。一日がかりの観光と
なかなか大変ですが、中東を旅行される方は是非はずすことなく
旅行のスケジュールに入れておきましょう!

ぺトラは、ヨルダン砂漠から、死海を抜け地中海に至る貿易拠点として、
反映をほしいままにし、これらの大遺跡群を作り出したのですが、



その遺跡が掘り込まれている渓谷もそのままで、
自然の造形美を十二分に感じさせる絶景。

古代の人々は、この自然の絶景に心を打たれ、
創作欲というか、魂を揺さぶられこれだけのものを造ったんだなぁ。。
といたく感動した運び屋なのでした。



二日くらいじっくり回ってもいいなあと思わせる大遺跡群。

アンコールワットではじめて感じた、ドッカーンという衝撃を
予習や思い入れなしに感じることができた圧倒的な遺跡でした。



一眼レフの方のカメラの電池がラスト1目盛。。。だったので
びくびくしていたのですが、どうにか間に合いました。。(ほっ)

レンズはぼろぼろになってしまって回復不能だけど、
D80の電池はいったん充電すると、一週間くらいは
平気でいてくれる。ありがたいぜ!


AMMAN



中東最後の町アンマンは

でこぼこした丘陵地帯にビッチリと家々が軒を連ねた場所。
中心部に安宿街もあるのですが、高級住宅地や官庁街なども
あるのですが、平らかな場所が少ないためか分散していて、
なかなかつかみにくい。



その上、坂また坂の土地柄なので、歩き回るのも疲れてしまい
宿から程ないローマ劇場や近くの商店街を冷やかすくらいしか
できませんでした。



郊外の城だけでなく、安宿街の真上のアンマン城さえいけませんでしたが、

今回の旅で見た聞いた知ったことで、頭の中はパンパン。
連日の灼熱観光で体ふらふら状態。

涼しい季節に、体調万全な状態でまた訪れたいと思います。




DAMASKUS to AMMAN



町で教わるままたどりついた郊外のターミナルから、
乗り合いタクシーでヨルダンへ(500SYP)。



出国審査はいたって簡単。



さよならシリア。

国境越えする時ちょっぴりさびしいなんて久しぶりだ。

緩衝地帯を少し走り、ヨルダンへ。



ヨルダン入国は中東一緩やかかも。入国時の
車両と手荷物検査の順番待ちに時間がかかったくらいで、
入国書類の記載もないまま入国スタンプ。



昼前にアンマンのムジャンマ・アブダリバスターミナルに到着。
8時半に出て12時。途中休憩なども入れて3時間半でした。



Palmyra



摂氏45度の砂漠の遺跡をへこへこ歩いて回ってきました。



日陰で体力を温存し、一気にアラブ城を目指しましたが、
へとへとになりました。

でも、だーれもいない砂と石ころの山をひいひい言いながら
登るときにこそ、

「嗚呼、シリアにいるんだんなあ」

と感じたりするものです。

正直、パルミラは遺跡としては世界有数のものなんだろうけど、
ぐっと来るものはなかったなあ。。。


DAMASKUS

人類が定住した都市として、
世界で最も古いといわれるダマスカス。

近郊の都市型遺跡が10,000年前のものといわれていることが
よりどころのようですが、

この都市が「ダマスカス」といわれるようになったのでさえ、
3000年前。

日本は縄文晩期。

僕の祖先が、団栗やらアサリやを食べ、
罠に引っかかったドジなイノシシをムラの若者が
持ち帰ると、ムラ中大喜び!!!みたいな時期に。

この町はすでに運河を引き、ささやかな都市水道を築いていたのです。。

そのようなことに加え、なかなか見ごたえのある場所もあり
充実した市内散策でした。


ウマイヤードモスク

食事もなかなか。。



豆ペースト。アラブの味噌!ホンモス



アラブのババロア ムハラビィーヤ



パンはどこでもうまいし。。。

一眼レフの方の画像が加工でき次第。再アップいたします!

HAMA



HAMA

シリアの見所の一つだったのですが、
残念ながら、渇水期に来てしまったらしく、
水車は回っていません。。。

残念。。。

旅も折り返し地点を過ぎました。ホテルに戻って
今後の日程や予定を立て直そうと思います。

Aleppo



バルコニー付きの安宿は非常に快適。

洗濯物も30分で乾く!


煮干し?


パタゴニアのGI IIパンツ。サイコーです。

適当に乗ったバスが、目的の安宿の前でとまる。

近くの食堂のチキンケバブもなかなかだったし、

ホンモスとジャガイモのスープを食べた店主も非常に親切。

何故かタイヤや自動車部品の店が集中する安宿街は
ゴムや機械油のにおいが漂っていますが、それもなんだか
町の空気の一部になって、いい雰囲気。

アレッポは、4000年の歴史を持つ町。

本当はもう何泊かしたいところですが、なんだか
シリアは見どころが多く、短い期間ではゆっくりできません。
もったいないな。。。



なんだかイラン旅行が霞んでくるぞ?

遠い春

車で走っているうちに、なんだか天候が変わり。
気温が急低下。



おいおい



牧草地の緑は濃くなってきているのですが、
標高が高いところはまだ雪のロッキーでした。




PHNOM PENH



初めて訪れた94年のプノンペンは

ようやくUNTACが平和維持活動を終え、
各国の支援でなんとか動き始めたという状態でした。



ポル・ポト以後のカンボジアの歴史をおさらいすると 。。。

自分の国が生み出したポル・ポトという恐怖政治を
仇敵ベトナム(79年)が追い出す。



しかし、ポル・ポト政権の後のヘン・サムリン政権は
ベトナムの傀儡政権とされ、国際的な支援を受けられたうえ、
(国際的な承認すら受けられなかった)
そのベトナムがASEANや中国に包囲された社会主義陣営の
最貧国。内戦を陰に日向に支援する国家はあっても、
へとへとのカンボジアの復興を支援する国や国際的枠組み
のない、停滞の80年代。

ベトナムの政変によりベトナム軍が撤退し、
80年代末に内戦が再燃。激化。

ベトナムが去ったこともあり、
ようやく、国際的な内戦の調停と支援が始まり
カンボジア和平パリ協定(91年)が結ばれ内戦が終結。



92年からUNTACが暫定統治。
93年に選挙監視任務を終え暫定統治終了

新生カンボジア王国に。。

それから15年。時々ドタバタしていますが、
それまでの歴史と比べれば比較にならない
安定した時代をへて現在に至っています。



プノンペンはヘン・サムリン政権下で復興を進めたとはいえ、
上の歴史の通り、限られた支援であったこともあって

主要道路も穴ボコだらけ、雨が降ったら大洪水状態。
停電や断水も日常茶飯事のひどい社会インフラでした。

町自体もポル・ポト時代の断絶の時代。
プノンペン強制移住(75-78)が尾を引いているのか、
なんだか廃虚のにおいが残っており、人の表情も
お隣のタイに比べるとひどく暗い感じがしました。

ただ、当時も子供たちは川と化した路地裏で元気に駆け回り、
ゲーム屋のストリートファイターで大盛り上がり。

なんでそんなに明るくなれるの?

なーんていう。

若いバックパッカーが陥りがちな感慨に浸っていたものです。






やきそば5000リエル(約120円)


まだまだ貧しいですが、今のカンボジアは
バイクタクシーにしても、元兵士!みたいな鋭さは薄くなったし、
相変わらず子供たちは元気。

復興というより,発展という方が似つかわしい首都らしい
生き生きとした町になっています。

冷戦が終わり、国家が国家を侵略するなんていうことが
表面場だけとはいえ少なくなった今、

政治の腐敗
都市と農村の貧富の広がり

これだけには気をつけて!

発展してくださいと祈るのでした。


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